第四十一話 「決断」
「……オ……前……」
フォマルスがゆっくりと首を伸ばす。
骨が軋む音を鳴らしながら、ルクシスの顔を覗き込んだ。
「茶髪……二……翠……眼……」
「……は?」
聞き取れないほど途切れた言葉。
フォマルスはなおも口を動かす。
「あア……いつ……の……」
首がゴキ、ゴキゴキッと音を立てながら真上へ向く。
まるで誰かの声を聞いているようだった。
「殺……ス……不可……」
(……なんなんだ、こいつ)
ルクシスは眉をひそめる。
(俺は殺すなって言われてるのか……?)
意味が分からない。
だが、一つだけ思い当たることがあった。
(そういやノアリスも……)
第二神徒ノアリス。
あいつも、自分へ向けた攻撃らしい攻撃はなかった。
(偶然じゃねぇのか……?)
静かに息を吐きながら、もう一本の漆黒の剣にも手を掛ける。
両手に剣を構え、重心を落とした。
「……来ないのか?」
一応、挑発してみる。
効くとは思っていない。
それでも黙って待つよりはマシだった。
フォマルスは口をゆっくり開く。
「……殺……ス」
その瞬間。
ドンッ!!
床が砕けた。
フォマルスは前傾姿勢のまま弾丸のように突進する。
(速ぇ!!)
ルクシスは即座に理解する。
カウンターは間に合わない。
ならば――。
防御。
両剣を交差させる。
フォマルスの鋭い爪が一直線に突き出される。
キィィィィン!!
爪と刃が激しくぶつかり合い、火花が散った。
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃に、ルクシスの身体が半歩後ろへ滑る。
だが。
フォマルスの狙いは最初からそこではなかった。
爪を滑らせるように剣から外すと、そのままルクシスの横をすり抜ける。
「しまっ……!」
視線の先。
フォマルスの爪が真っ直ぐヴェルデンスへ伸びていた。
防御姿勢を取ったルクシスの腕では、とても間に合わない。
(だったら――!)
腕ではなく。
脚だ。
ルクシスは軸足を強引に捻り、その勢いのまま全体重を乗せた蹴りを放つ。
「らぁぁぁっ!!」
ドゴォォンッ!!
渾身の一撃が、フォマルスの横腹へと叩き込まれた。
とはいえ、無理な体勢から放った一撃だった。
フォマルスは数歩後退こそしたものの、倒れることはない。
着地と同時に重心を落とし、何事もなかったかのように構えを取り直す。
「……」
ルクシスは剣を構えたまま、静かに息を吐いた。
(……勝てるのか?)
頭の中に浮かぶのは、第二神徒ノアリスの姿。
あの戦いは、戦闘と呼べるものですらなかった。
そんな怪物と同じ神徒。
目の前にいる第五神徒フォマルスも、同等か、それ以上の存在なのだろう。
(正直……勝てる気はしねぇ)
ほんの少し気を抜けば、首が飛ぶ。
そんな相手だ。
だが。
ルクシスは背後に立つヴェルデンスを横目で見る。
(それでも)
この男には恩がある。
セインと共にいることを許してくれた。
(だから、死んでもらうわけにはいかねぇ)
その瞬間だった。
脳裏に、一つの答えが浮かぶ。
「俺の勝利条件は……」
ルクシスは両手の剣を握り直した。
刃先をフォマルスへ向ける。
「フォマルスに勝つことじゃなく……」
エメラルドグリーンの瞳に迷いが消える。
代わりに宿ったのは、確かな覚悟だった。
「王族全員を、生き残らせることか」
その言葉とともに、ルクシスは口角を吊り上げる。
勝つ必要はない。
倒す必要もない。
守り切れば、それでいい。
目的は、はっきりした。
(さて……どうするか)
ルクシスは剣先をフォマルスへ向けたまま思考を巡らせる。
このまま自分が戦い続け、その間にヴェルデンスが逃げる。
それが一番堅実だ。
だが――。
(それじゃ駄目な気がする)
根拠はない。
ただの勘だ。
だが、その勘に従って王室へ来た結果、フォマルスを迎え撃つことができた。
ならば。
今回も信じるしかない。
ルクシスは視線を逸らさぬまま口を開く。
「ヴェルデンス様。一発で理解してください」
「……どういうことだ」
「俺が最初に足止めします」
短く、要点だけを告げる。
「ですが、それはヴェルデンス様が使用人と王族全員に敵襲を知らせるための時間です」
一拍置き、さらに続ける。
「逃げる時間じゃありません」
ヴェルデンスの表情が僅かに引き締まる。
「……知らせた後は?」
「地下へ」
ルクシスは即答した。
「王族も使用人も全員連れて地下へ避難してください。俺も足止めが終わり次第、すぐ向かいます」
数秒の沈黙。
ヴェルデンスは小さく頷いた。
「……要するに、防衛戦へ持ち込むということだな」
「理解が早くて助かります」
ルクシスは小さく笑う。
もちろん、即興で組み立てた作戦だ。
穴なんて探せばいくらでも見つかる。
(そんなもん、分かってる)
完璧な作戦を立てる時間などない。
(重要なのは、ボロを出さないことじゃねぇ)
(ボロが出た時に、どう対応するかだ)
ルクシスは二本の剣を握り直す。
刃先をゆっくりとフォマルスへ向けた。
「……と、いうことだ」
エメラルドグリーンの瞳が怪物を射抜く。
「精々、時間稼ぎに付き合ってくれよ。フォマルス」
フォマルスの首が、不規則に揺れる。
「……時……間……」
ゴキッ。
「時間……ジジジ……」
ゴキゴキゴキッ。
壊れた人形のように首を鳴らしながら、その口元だけがゆっくりと歪んでいく。
まるで、その言葉の意味を噛み締めるように。
「ヴェルデンス様!」
「分かっている!」
ヴェルデンスは振り返ることなく部屋の出口へ駆け出した。
「殺……ス……殺ススススス!!」
フォマルスもほぼ同時に地を蹴る。
狙いは逃げるヴェルデンスの背中。
鋭い爪が一直線に伸びる。
「時間稼ぎに付き合えって言っただろ!」
キィィン!!
ルクシスは漆黒の剣で爪を受け止める。
衝撃で腕が痺れる。
しかし、その隙にもう一本の剣を突き出した。
ブシュッ!
刃がフォマルスの腕を貫く。
黒い血が飛び散った。
「邪魔……ダ!!」
フォマルスの赤い瞳が妖しく光る。
その瞬間。
「っ!」
嫌な予感が背筋を走る。
ドォォン!!
見えない衝撃がルクシスを飲み込み、その身体を壁まで吹き飛ばした。
「ごふっ……!」
石壁へ叩きつけられ、肺の空気とともに鮮血が口から噴き出す。
全身が軋む。
骨が悲鳴を上げていた。
「……付き合いが悪いな……フォマルス……」
苦笑しながら、壁へ突き刺さった剣を支えに体を引き抜く。
崩れた石が足元へ落ちる。
視線だけを出口へ向ける。
ヴェルデンスの姿は、もうなかった。
(よし……)
最低限の役目は果たせた。
フォマルスは苛立つように頬を爪で掻きむしる。
ギギギ……。
「殺…ス…せない…イ…?」
「だったら――」
ルクシスは血を拭い、二本の剣を構え直した。
「まずは俺を殺してから行けよ!」
口角を吊り上げる。
「そうすりゃ、お前を止められる奴なんて誰もいねぇんだからさぁ!!」
叫ぶと同時に床を蹴る。
真正面から戦わない。
狙うのは――背後。
(さっきの吹き飛ばしは多分視界内に相手を収めてなきゃ発動できねぇだろ……!)
ルクシスはフォマルスの死角へ滑り込み、背中へ回り込んだ。
ルクシスはフォマルスの背後へ滑り込む。
振り向いた瞬間、その両目を切り裂く。
そう確信し、黄金の剣を横薙ぎに振るう。
だが――。
「っ!」
フォマルスは振り返らなかった。
視線すら向けないまま、片手だけを後ろへ伸ばす。
ガキィン!!
黄金の剣が、その手のひらに受け止められた。
「んだよ、それ……!」
予想外の防御に目を見開く。
だが止まらない。
もう一本の漆黒の剣を低く構え直し、そのまま脚へ突き出す。
(片脚でも潰せば──!)
機動力さえ奪えれば、この戦いは一気に楽になる。
しかし。
フォマルスは黄金の剣を掴んでいた力を不意に緩めた。
そのまま大きく前へ踏み込む。
「っ!」
黄金の刃が手のひらを切り裂き、鮮血が飛び散る。
だが、フォマルスは意に介さない。
血を撒き散らしながらルクシスとの距離を強引に切る。
そして着地と同時に反転。
ドンッ!!
一瞬で間合いを詰めてきた。
「そう来るか!」
ルクシスも即座に迎え撃つ。
キィィン! ガキンッ! ギィン!!
左右から振るわれる爪。
二本の剣で次々と受け流す。
火花が散り、金属音が部屋中へ響いた。
(重い……!)
腕が痺れる。
(速ぇ……!)
一撃一撃が、今まで戦ってきたどんな敵よりも鋭い。
(ほんとに……こいつ人間かよ……!)
四方八方から絶え間なく襲いかかる爪。
受けるだけで精一杯だった。
「終ワ……ラ……ス!」
フォマルスの口元が歪む。
次の瞬間。
左右から振るった爪が、それぞれルクシスの二本の剣を掴んだ。
「なっ……!」
力任せに押し込まれ、両腕が拘束される。
逃げられない。
フォマルスはそのまま顔を近づけた。
無理やり視線が交わる。
赤い瞳が、ルクシスを映す。
「しまっ……」
遅かった。
ドォォォン!!
見えない衝撃が至近距離から炸裂する。
ルクシスの身体は紙切れのように吹き飛び、
バゴォン!!
背中から石壁へ激突した。
壁に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「がはっ」
肺の空気が一気に押し出され、血が口から溢れた。
フォマルスが再び地を蹴る。
一直線。
狙いはルクシスの腹だった。
鋭い爪が月明かりを裂きながら迫る。
その瞬間。
脳裏に、一つの言葉が蘇る。
『許可なしに町中で魔法を使うと、一発で退学になっちゃうよ』
(そういや……)
ルクシスは苦笑する。
(この国は、許可なく魔法を使った奴を片っ端から斬首刑にしてたんだっけな……)
だから今まで使わなかった。
いや、使えなかった。
だが――。
ルクシスは全身の力を抜くように両腕を広げた。
カラン、カラン。
二本の剣が床へ落ちる。
フォマルスの瞳が僅かに揺れた。
収納魔法が淡く輝き、右手に一本の杖が現れる。
その先端を、迫るフォマルスへ突きつけた。
「ガスト…セカーレ!!」
エメラルドグリーンの魔法陣が展開される。
位置は、フォマルスの爪のほんの数センチ手前。
魔法陣は高速で回転を始め――
ドォォォンッ!!
轟音。
暴風が至近距離で炸裂した。
凄まじい反動がルクシス自身をも巻き込み、
背後の石壁ごと吹き飛ばす。
バゴォォォン!!
壁が粉々に砕け、
二人の身体は夜の城外へ投げ出された。
夜風が頬を叩く。
ルクシスは空中で無理やり体勢を整える。
「来いよ、フォマルス!」
血を吐きながらも叫ぶ。
「俺を殺してぇんだろ!!?」
挑発にも、嘲笑にも聞こえる叫び。
しかし。
フォマルスは応えた。
「殺ス!!」
砕けた壁から一直線に飛び出し、ルクシスを追う。
着地したルクシスは間髪入れず後方へ飛び退く。
その、ほんの一瞬後。
ズガァァン!!
さっきまで立っていた地面へ、フォマルスの爪が深々と突き刺さった。
石畳が砕け、破片が四方へ飛び散る。
ルクシスは荒い息を吐きながら、口元だけを吊り上げた。
「……ずいぶんと付き合いが良くなったじゃねぇか、フォマルス」




