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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第三章 『たった一人の英雄』
40/45

第四十話 「次こそは」

「ぐっ……!」

傷口から噴き出す血が止まらない。

腕に力が入らず、フォマルスの頭を押さえつける手が少しずつ押し返されていく。

(いや……)

違う。

これは力負けじゃない。

罠だ。

頭を押し返すことで、自分の意識をそちらへ向けさせる。

本命は、別。

痛みに目を細めながら、ルクシスは視線だけを横へ滑らせた。

「……っ!」

予想通りだった。

フォマルスは、血を滴らせるもう片方の腕をすでに大きく引いている。

鋭い爪が、獲物を裂く寸前まで構えられていた。

「ふんっ!」

ルクシスは咄嗟に身体を沈める。

剣。

頭。

押さえつけていた手。

三つを同時に下げる。

ブンッ!!

フォマルスの爪が空を裂き、鼻先をかすめて通り過ぎた。

「鬱陶……シい!」

そのままアッパーのように突き上げた腕を、今度は叩きつけるように振り下ろす。

だが。

ルクシスは手首を掴んだ。

踏み込みと同時に腰を捻り、

ドゴォッ!!

鋭い回し蹴りがフォマルスの横腹へめり込む。

その巨体は吹き飛び、

ドガァァン!!

壁を突き破る勢いで激突した。

石片が飛び散る。

フォマルスは床へ血反吐を吐きながら転がった。

「お前っ……さっきから行動が分かりやすいんだよ……!」

ルクシスは荒い息を吐く。

だが、勝っているようには見えなかった。

貫かれた腕は完全に力を失い、だらりと垂れ下がっている。

指先すら動かせない。

心臓は激しく脈打ち、その振動だけで傷口が痛む。

(また頭もクラクラしてきやがったし…)

ルクシスは歯を食いしばり、後ろを振り返った。

「セイン……早くしろ……!」

怒気の混じった声が飛ぶ。

もう優しく諭す余裕など残っていない。

「む……無理……」

「……はぁ?」

思わず眉をひそめる。

視線を向けると。

セインは、さっきと同じ場所で尻もちをついたままだった。

逃げるどころか、一歩も動いていない。

ルクシスと目が合った瞬間、セインはびくりと肩を震わせ、慌てて視線を逸らす。

震える唇から、小さく言葉が漏れた。

「腰……抜け……ちゃって……」

その声には、誤魔化しようのない恐怖が滲んでいた。

戦っても、勝てない。

セインを逃がそうにも。

俊敏さでは、フォマルスの方が遥かに上だ。

(だから……俺が足止めしなきゃいけないのに……!)

だが。

足止めをすれば、セインは動けない。

セインを助けようとすれば、その隙に自分が殺される。

どちらを選んでも、結末は変わらない。

「……くそ」

ルクシスは乱暴に両手を頭へやり、自分の髪を掻きむしる。

考えろ。

考えろ。

考えろ。

活路はどこだ。

だが浮かぶのは、一つの言葉だけ。

――詰み。

「くそ……くそくそくそくそくそ……!」

焦り。

痛み。

苛立ち。

全部が一気に溢れ出す。

「くそがぁぁぁぁ!!」

叫ぶと同時に黄金の剣を収納魔法へしまい込み、代わりに一本の杖を取り出した。

迷っている時間はない。

杖の先端を真っ直ぐ天井へ向ける。

「――シーヴァエンシス!!」

詠唱と同時に、足元へ巨大な青い魔法陣が展開される。

幾何学模様が高速で回転し、無数の魔力が空中へ収束していく。

やがて。

青白い光で形作られた斬撃が、何十、何百と現れた。

パンッ!!

まるで花火が打ち上がるような炸裂音。

次の瞬間。

ギャギャギャギャギャギャッ!!

無数の光刃が天井へ降り注ぎ、石材を容赦なく切り刻んでいく。

一撃。

二撃。

三撃。

轟音が何度も重なり、城全体が悲鳴を上げる。

やがて――。

ミシッ……。

天井一面に巨大な亀裂が走った。

そして。

バゴォォォォォンッ!!

凄まじい爆音とともに、天井が崩壊を始める。

巨大な石塊が次々と落下し、部屋そのものが瓦解していく。

「ルク……シス……」

セインの震える声。

だが、答える余裕などない。

ルクシスは杖を収納魔法へ放り込む。

足元が激しく揺れる。

壁は軋み、石柱が砕け、崩落が迫ってくる。

フォマルスもまた、ルクシスの狙いを理解した。

吹き飛ばし攻撃を使えば、その反動でルクシスたちは出口まで一気に逃げ切れる。

接近戦を挑めば、自分もろとも崩落に巻き込まれる。

そして――

このまま何もしなくても。

ルクシスたちも、自分も。

全員が瓦礫の下敷きになる。

フォマルスは首をゴキ、ゴキッと鳴らしながら、不思議そうに小首を傾げた。

「なに…ヲ…するキ…ダ?」

その濁った声には、初めてわずかな困惑が滲んでいた。

「……死ぬ時は一緒ってやつだよ…フォマルス」

ルクシスは血に濡れた口元を、大きく吊り上げた。

傷だらけの身体。

片腕はまともに動かず、それでも笑う。

「旅は道連れ、世は情けってなぁ!」

崩れ落ちる天井を背に、フォマルスを真っ直ぐ睨みつける。

「また地獄で会おうぜ!!」

その叫びが部屋中へ響いた。

「……ルクシス・サーベンダー!!」

フォマルスが叫ぶ。

今までの壊れた声ではない。

怒りとも、焦りともつかない感情を滲ませた叫び。

その瞬間。

ルクシスは初めて見た。

フォマルスの表情が崩れるのを。

焦燥。

狼狽。

明らかな焦りだった。

フォマルスは床を砕きながら飛び出す。

伸ばした爪は一直線にルクシスの首を狙う。

あと少し。

あと、ほんの三十センチ。

あと、〇・三秒。

届く。

――そう思った瞬間。

ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!

限界を迎えた天井が、轟音とともに崩れ落ちた。

巨大な石塊が視界を埋め尽くす。

フォマルスも。

ルクシスも。

セインも。

すべてを飲み込むように。

世界は瓦礫と土煙に包まれた。

(悪い、セイン)

(次こそは───)

意識は、そこで途切れた。

───

「二回目」

どこからともなく、声が聞こえる。

誰の声なのか分からない。

穏やかで、どこか優しい青年の声だった。

───

「……シス? ルクシス?」

「……ん」

重い瞼をゆっくりと開く。

ぼやけた視界の先には、見慣れた顔があった。

官帽風の帽子を被り、いつも通りの表情でこちらを覗き込むセイン。

周囲には石造りの壁。

質素な家具。

見覚えのある部屋。

「……疲れた?」

「……なんか」

ルクシスは額へ手を当てる。

胸の奥がざわつく。

理由の分からない違和感。

「……よくない感覚がするな。」

「……? よくない感覚?」

不思議そうに首を傾げるセイン。

ルクシスは少しだけ笑って首を振る。

「いや、俺が疲れてるだけだ。悪い」

──「後悔先に立たずってな」

ルクシスは一人、小さく呟いた。

今夜は自室へ戻らない。

足が向かった先は、王室。

豪奢な扉の前まで来ると、ルクシスは小さく息を吐いた。

「……本当、何してんだか」

自嘲するように笑い、拳を握る。

コン、コン、コン。

三度、規則正しく扉を叩く。

「誰だ」

重々しく、威厳に満ちた声が返ってくる。

「セイン様の従者、ルクシス・サーベンダーです」

一拍の沈黙。

「……入室を許可する」

(……要件も聞かずにか?)

ルクシスは思わず眉をひそめた。

(暗殺目的だったらどうする気なんだ、この王様)

そんなことを考えながらも、ゆっくりと扉を押し開く。

部屋へ足を踏み入れた瞬間、思わず目を見開いた。

豪華な天蓋付きの巨大なベッド。

磨き上げられた床。

そして、その横に置かれた一人用とは思えないほど大きな机と椅子。

(……セイン様の部屋とは、えらい違いだな)

さすがは国王。

従者の部屋とは比べ物にならない。

部屋の中央では、王が静かに椅子へ腰掛け、ルクシスを見据えていた。

「要件を聞こう」

(今聞くのかよ)

心の中だけでツッコミを入れる。

とはいえ、ここまで来た以上は引き返せない。

ルクシスは一歩前へ出て、真っ直ぐ王を見る。

「……貴方様の護衛に参りました」

王の眉がわずかに動く。

「ほう」

「貴様はセインの従者という話だったと聞いているが?」

当然の疑問だ。

ルクシス自身も、本来ならセインの護衛を優先すべき立場だと分かっている。

それでも。

「……なんで、でしょうかね」

ルクシスは苦笑した。

「セイン様よりも、貴方様の方を優先すべきな気がしました」

王はじっとルクシスを見つめる。

その鋭い視線は、嘘を見抜こうとしているようだった。

「……勘、ということか?」

(ここで肯定したら怒るか?)

一瞬だけ迷う。

だが、変に言い訳を重ねても余計に怪しまれるだけだ。

「……えぇ」

ルクシスは素直に頷く。

「すべて私の勘による独断です」

少しだけ笑って肩をすくめる。

「……怒りますか?」

数秒の沈黙。

やがて王は、小さく息を吐いた。

「……ここは、素直に認める度胸を評価してやろう」

(よし)

ルクシスは心の中だけで安堵する。

(少なくとも、説教から始まることはなさそうだ)

王の反応を見届けながら、ルクシスは静かに気を引き締める。

沈黙が流れる。

広い王室に響くのは、時計の針の音だけ。

気まずい。

とにかく気まずい。

(……やっぱセイン様のところにいりゃよかった)

ルクシスは心の中で盛大に後悔する。

(この人、全然フレンドリーじゃねぇし……)

セインと話している時のような軽口が、一切通じる気がしない。

すると、王が静かに口を開いた。

「どうした」

「護衛に来たというのに、私の顔しか見ぬのか」

「あぁ、これは失敬」

ルクシスは苦笑しながら頭を掻く。

足音を立てないよう慎重に歩き、王の隣へ移動した。

王はその様子を黙って見ている。

「……国王様」

「なんだ」

「名前を……お聞きしてもよろしいでしょうか」

王は一瞬だけ目を細める。

「ヴェルデンス・フォン・セレスティアだ。」

「では、ヴェルデンス様」

ルクシスは少しだけ間を置いてから、本題を切り出した。

「その……セイン様が、なぜ目隠しをされているのか、ご存じありませんか?」

あの日。

セインへ直接尋ねた時のことを思い出す。

『ボクの目……変だから』

返ってきたのは、それだけだった。

理由になっているようで、何一つ理由になっていない答え。

だから今度は、別の人物から聞くしかない。

しかし。

ヴェルデンスは首を横へ振った。

「知らぬな」

短く、それだけ答える。

そして続けた。

「聞くなら、カインに聞け」

「カイン……様というと……?」

「セインの兄だ」

(……見たことねぇんだけど)

ルクシスの頬がぴくりと引きつる。

城に来てから一度も顔を合わせた記憶がない。

(いや、面識ゼロの相手に『セイン様の目について教えてください』って聞けってことかよ……)

難易度の高すぎる課題を押し付けられた気分になり、ルクシスは思わず遠い目をした。

(正直……疲れたし眠い……)

ルクシスは小さく息を吐く。

(本当に、なんでわざわざ護衛なんかに来たんだっけ……)

数時間前の自分を殴りたくなる。

何となく嫌な予感がした。

だから来た。

理由なんて、それだけだ。

(……我ながらあほらしい)

今さら「やっぱり護衛やめます」などと言えるはずもない。

相手は一国の王。

そんなことを口にすれば、どんな処分を受けるか分かったものではない。

(せめて……何かアクシデントでも起きれば――)

その願いは。

最悪の形で叶えられた。

――ガシャァァァンッ!!

王室の窓ガラスが粉々に砕け散る。

夜風と無数の破片が部屋へ吹き込み、大きな影が静かに着地した。

「ヴェルデンス様!」

考えるより先に身体が動く。

ルクシスは王の腕を掴み、自分の背後へ強引に引き寄せた。

剣へ手を掛けながら、侵入者を睨みつける。

ヴェルデンスは驚きながらも冷静に口を開く。

「……貴様の言う勘は、正しかったということか」

「襲撃者が一人だけならの話ですけどね」

ルクシスは視線を逸らさず答える。

侵入者は砕けたガラスをジャリ……ジャリ……と踏みしめながら数歩進む。

そして。

猫背だった身体をゆっくりと伸ばした。

ゴキッ……ゴキゴキ……。

骨の鳴る音とともに背筋が真っ直ぐになる。

その巨体が月明かりに照らされる。

大きい。

ルクシスも決して小柄ではない。

それでも、自分が子どもに見えるほどの体格だった。

褐色の肌。

目元を覆い隠すほど長く伸びた髪。

そして月光に照らされ、頬に刻まれた黒い文様が浮かび上がる。

「……っ!!」

ルクシスの瞳が大きく見開かれる。

心臓が嫌な音を立てた。

(神徒……!?)

心臓が激しく脈打つ。

ドクン。

ドクン。

耳の奥まで響く鼓動を、ルクシスはゆっくりと深呼吸で押さえ込んだ。

焦るな。

恐れるな。

「……お前は、誰なんだ」

(ノアリスは名を名乗った)

(なら、こいつも――)

侵入者の首が、ゴキッと音を立てて傾く。

長い前髪の奥から覗く口元が、不気味に吊り上がった。

「……第五……神徒」

言葉を区切るように、ゆっくりと紡ぐ。

「狂操……ノ……フォマルス」

フォマルスは口を裂けるほど大きく歪める。

月明かりに照らされた長い爪が、鈍く妖しく光を放った。

その姿は、まるで獲物を見つけた猛獣。

いや、それ以上の災厄だった。

互いに一歩も動かない。

張り詰めた静寂だけが、王室を支配する。

そして――。

戦いの火蓋は、静かに切って落とされた。

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