第三十四話 「独房の王子」
「……」
言葉を失った。
視界いっぱいに広がるのは、今まで見たどんな建物よりも巨大な城。
夕日に照らされた白い外壁は眩しく輝き、幾重にも連なる赤い屋根は空を突くようにそびえ立っている。
塔の先端には旗が風を受けてゆっくりとはためき、重厚な城門には精巧な装飾が刻まれていた。
まるで絵本や神話の中から、そのまま飛び出してきたような光景。
「……でか」
思わず漏れた一言。
自分でも驚くほど語彙が死んでいた。
「いこ」
そんなルクシスを気にする様子もなく、セインは短く言うと城門へ向かって歩き出す。
「お……おう」
反射的に返事をする。
だが脳内は完全に処理落ちしていた。
(なんだこれ)
(どういうことだ)
(セインって何者なんだ)
疑問ばかりが浮かぶ。
なのに答えは一つも出ない。
そもそも城に住んでいる時点で普通じゃない。
貴族か。
王族か。
いや、さすがに王族はないだろ――と否定しかけて、その根拠もないことに気づく。
結局何も分からないまま、ルクシスは城の中へ足を踏み入れた。
──重厚な扉が開く。
中へ入った瞬間、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
磨き上げられた白い大理石の床。
高い天井には豪華なシャンデリア。
壁には巨大な絵画や装飾品が飾られ、窓から差し込む夕日が廊下を黄金色に染めている。
(でかい)
もう全部でかい。
廊下も。
柱も。
窓も。
扉も。
逆に何なら小さいんだよ。
そう思ったところで、前を歩くセインが目に入る。
(……いたわ)
小柄なセイン。
今この城で一番小さい存在だった。
なんとなく納得してしまう。
歩きながら周囲を見回す。
そして別のことが気になった。
(しかし……浮くな)
黒を基調とした服。
赤い装飾。
紙と帽子の間から垂れる紙。
まるで夜だけ切り取ってきたような格好。
白を基調とした明るい城の中では、その姿だけが妙に目立っていた。
「……? どうかした?」
前を歩いていたセインがくるりと振り返る。
帽子がふわりと揺れ、一瞬だけ目元が見えそうになった。
――が。
見えない。
絶妙に見えない。
「……いや、なんでもない」
ルクシスはすぐに首を振った。
住まわせてもらう立場で、服装についてどうこう言うほど空気は読めなくない。
再び歩き出す。
廊下では何人ものメイドとすれ違った。
全員、綺麗なメイド服。
姿勢も綺麗。
歩き方も綺麗。
そして。
(……全員糸目だな)
誰一人として目を開けていない。
偶然とは思えないほど綺麗に全員。
(主人の趣味か?)
そんなくだらないことを考えてしまう。
そして。
ふと思った。
(もしかしてセインも糸目だったりするのか……?)
脳内で帽子を取ったセインが現れる。
目をこれ以上ないほど細め。
「むむむ……」
なんて唸っている。
(……いや)
ルクシスは一人で結論を出した。
(それでも普通に美少年だな)
むしろ似合うかもしれない。
「……ついたよ」
そんな馬鹿な想像をしているうちに、どうやら目的地へ着いたらしい。
ルクシスは足を止める。
目の前には、成人男性が二人並んでも届かないほどの高さを持つ巨大な両開きの扉。
城の入口にあったものより一回り小さいとはいえ、それでも十分すぎるほど巨大だった。
白を基調とした扉には金色の装飾が細かく彫り込まれ、取っ手だけでも一つの武器になりそうなほど重厚感がある。
(またでけぇ……)
もはや驚きすら薄れてきた。
「ふんぬぬ……」
隣ではセインが両手を取っ手に当て、小さな体で一生懸命押していた。
細い腕に力を込め、足を踏ん張る。
ほんの少しだけ扉が動く。
「……」
(いや、手伝うか)
見ているだけというのも申し訳ない。
ルクシスは慌ててセインの横へ回り込み、そのまま扉へ両手をついた。
「よっと」
ぐっ、と力を入れた瞬間――
ゴォンッ!
「うあぁ!?」
予想以上の勢いで扉が開いた。
どうやらセインが非力だったのか。
それともルクシスの力加減が雑だったのか。
原因は分からない。
だが一つだけ確かなことがあった。
前で踏ん張っていたセインの体勢が、完全に崩れた。
「あっ」
小さな体が後ろへ倒れる。
咄嗟にルクシスは肩へ手を伸ばした。
ぐいっと支える。
セインの体が軽くぶつかり、そのまま体勢を立て直した。
「わ……悪い」
反射的に謝る。
セインは少しだけ肩を押さえながら首を横へ振った。
「……大丈夫」
短く返事をする。
その頬はほんのり赤く染まっていた。
恥ずかしかったのだろう。
あるいは驚いただけかもしれない。
ルクシスはそれ以上触れないことにした。
こういう時は、何も言わないのが一番だ。
そう思いながら視線を前へ向ける。
「……」
今度こそ言葉を失う。
広い。
部屋というより、小さな広間だった。
天井は高く、窓から差し込む夕陽が室内を柔らかな橙色に染めている。
中央には長い食卓。
磨き上げられた木材は艶やかに光を反射し、その両脇には等間隔で椅子が並んでいた。
背もたれは異様に高く、まるで玉座を簡素化したような威厳がある。
壁には大きな絵画や装飾品。
柱には細かな彫刻。
部屋全体から、貴族らしい気品が漂っていた。
そして。
部屋の一番奥。
長い食卓のさらに向こう側。
ほかの椅子より一回り大きく、金の装飾がふんだんに施された玉座のような椅子に、一人の男が腰掛けていた。
年齢は六十を超えているだろうか。
深く刻まれた皺。
白髪混じりのクリーム色の髪。
年老いているはずなのに、その背筋は真っ直ぐ伸びている。
そして何より。
その瞳。
静かにこちらを見つめているだけなのに、胸の奥を握り潰されるような圧迫感があった。
これが威圧感というものなのか。
怒っているわけでもない。
睨んでいるわけでもない。
ただ見ているだけ。
それだけで、自然と背筋が伸びてしまう。
だが。
ルクシスが最初に安心したのは、そこではなかった。
(ほっ……)
思わず胸を撫で下ろす。
(ちゃんと目隠ししてねぇ……)
本気で安心した。
(もし目隠し一族とかだったらどう関わればいいんだよ)
(素顔見た瞬間『見たな?』とか言われて殺されそうだったし)
勝手に物騒な妄想をして、勝手に安堵する。
小さく息を吐き、改めて男へ視線を向けた。
クリーム色の髪。
豪華な装飾が施された衣服。
そして――。
濃い金色の瞳。
髪色とは明らかに違う、宝石のような輝きを放っている。
(おぉ……)
思わず感心した。
(あれが噂の……)
以前どこかで聞いたことがある。
(どこかの王族が持つっていう……)
そこまで考えて。
ルクシスの思考が止まる。
(……ん?)
どこかの王族。
王族。
王家。
「……」
ゆっくりと視線が横へ動く。
そこには何事もないような顔で立つセイン。
帽子。
祇。
黒髪。
そして、隠された瞳。
「……あっ」
間抜けな声が漏れた。
同時に首ががくりと下を向く。
(お前王家の血筋かよぉ……!)
今さらだった。
思い返せば、全部繋がる。
城に住んでいる。
父様。
兄様。
使用人。
豪華な部屋。
どう考えても普通の家じゃない。
完全に王族だった。
(気づけよ俺ぇ……)
心の中で頭を抱える。
そして、ようやく理解した。
セインが言っていた。
『ボクの目……変だから……』
あの言葉の意味を。
(あぁ……そういうことか)
王族だけが持つ特殊な瞳。
本人はそれをコンプレックスに思っていたのだ。
(……いや)
ルクシスはもう一度、椅子に座る男を見る。
濃い金色の瞳。
そしてセインを見る。
(父親も同じ目を持ってるはずだろ)
だったら変でも何でもない。
生まれつきそういう一族なのだから。
むしろ周り全員そうなら、気にする必要なんてない気がする。
(……まぁ)
ルクシスは小さく肩をすくめる。
(本人には本人の事情があるんだろうけどさ)
そう結論づけるしかなかった。
玉座のような椅子に腰掛けた男が、静かに口を開く。
「遅かったではないか」
低く、よく通る声。
怒鳴ったわけでもない。
だが、その一言だけで部屋の空気がぴんと張り詰めた。
「すみません、父様」
セインは間髪入れず頭を下げる。
その動きには一切の迷いがなかった。
慣れている。
そんな印象を受ける。
そして顔を上げると、真っ直ぐ父親を見据えた。
「そして……勝手ながら、こちらのルクシス・サーベンダーという者を、私の従者にさせていただきます」
(……あ)
ルクシスは小さく眉を動かす。
(私なんだな)
病室では「ボク」だった。
ここでは「私」。
やはり王族としての振る舞いなのだろうか。
(ボクって言うと怒られるのか?)
王家の事情など知る由もない。
一人で勝手に納得する。
男はセインの話を最後まで聞くと、興味なさそうに一言だけ返した。
「……好きにしろ」
それだけだった。
(適当だなぁ……)
ルクシスは内心で肩をすくめる。
(これ、セインに興味がないっていうより、この人が根本的に適当なんじゃねぇか?)
もちろん口には出さない。
そんな度胸はまだなかった。
男はゆっくりと立ち上がる。
年齢を感じさせない滑らかな動き。
そのまま食卓を回り込み、こちらへ歩いてくる。
コツ。
コツ。
革靴が床を叩く音だけが静かな部屋へ響いた。
その瞬間だった。
部屋の隅に控えていた数人のメイドが、一斉に動き出す。
「……っ」
ルクシスの肩がぴくりと震えた。
(うおっ、いたのかよ)
本気で気づかなかった。
呼吸も。
衣擦れも。
気配すら感じなかった。
まるで最初から置物だったかのような存在感の薄さ。
(どんな教育されてきたんだ……)
思わず感心する。
(もしこいつら全員寝返って暗殺しに来たら、絶対気づけねぇぞ……)
そんな物騒な想像をしているうちに、男が目の前まで来た。
すれ違う。
その一瞬。
鋭い視線がルクシスへ向けられた。
「……っ」
背筋が凍る。
肩が思わず震えた。
猛獣に睨まれたような感覚。
圧倒的な威圧。
男は数秒だけルクシスを見つめ――
「……ふん」
小さく鼻を鳴らした。
それだけ言うと、何事もなかったかのように歩き去っていく。
「……」
ルクシスはその背中を見送る。
(なんだったんだ今)
数秒考え、
(格下チェックかなんかか?)
という、あまりにも雑な結論に落ち着いた。
その隣ではセインだけが、小さく申し訳なさそうに俯いていた。
「……」
服の裾を、くいっと小さく引っ張られる感覚。
ルクシスが顔を向けると、セインが俯いたまま、自分の裾をそっと掴んでいた。
祇と帽子の間から垂れた祇が揺れ、その表情はほとんど見えない。
けれど、肩が少しだけ震えているように見えた。
さっきの父親とのやり取りが原因なのか、それとも別の理由なのか。
ルクシスには分からない。
だからこそ、今は余計なことを聞くべきではないと思った。
「……お前の部屋に案内してくれよ」
静かにそう告げる。
するとセインは小さく頷き、ほんの少しだけ口元を緩めた。
安心したような笑み。
……いや。
その中には、どこか怯えにも似た色が混ざっている気がした。
ルクシスは気付かないふりをして、その後ろを歩き出す。
───
セインは終始無言のまま廊下を進んでいく。
白く磨かれた床。
高い天井。
豪華な絵画や花瓶が等間隔に並び、いかにも王城らしい景色が続く。
その景色を抜けた先で、セインは迷うことなく階段を下り始めた。
「……地下?」
思わず小さく呟く。
王族の部屋と聞けば、最上階だとか日当たりのいい場所だとか、そんなイメージしかなかった。
なのにセインは、光の差し込まない地下へと降りていく。
(王子の部屋って地下にあんのかよ……)
冗談みたいな光景だった。
だが前を歩くセインの背中は、そんなことを疑問に思う様子もなく、ただ静かに歩き続けている。
聞けば答えてくれるかもしれない。
どうして地下なのか。
どうしてあんな父親なのか。
でも──
どこか悲しそうに俯くその背中を見ていると、その質問だけは口から出てこなかった。
石造りの廊下をしばらく進み、
ようやく一枚の鉄扉の前でセインが立ち止まる。
「……ここ」
短く告げられた一言。
目の前の扉は、まるで牢屋か兵士の詰所のような無骨な鉄製だった。
少なくとも、子供が暮らす部屋には見えない。
「……開けるぞ」
ルクシスはセインの横を通り、ゆっくりとドアノブに手をかける。
冷たい金属の感触。
カチャリ、と静かな音が地下に響き、
鉄扉は重々しく、ゆっくりと開いていった。
(……え? 独房?)
最初に浮かんだ感想は、それだった。
もちろん口には出さない。
流石に住まわせてもらう立場で「牢屋みたいだな」と言うほど空気は読めない。
ゆっくりと部屋を見渡す。
床も壁も灰色の石造り。
右側には木製の机と椅子。
どちらも最低限の作りで、王城の家具とは思えないほど質素だ。
ベッドも同じだった。
柔らかそうではあるが、飾り気は一切ない。
左側には天井まで届く巨大な本棚。
隙間なく本が詰め込まれ、その重みで棚が少し軋んでいるようにも見えた。
そして──それ以外は、本当に何もない。
生活感すら感じない部屋だった。
「……どうぞ」
セインが小さく呟き、部屋へ入っていく。
「あ、あぁ」
ルクシスも後を追う。
部屋へ入るなり、セインは本棚へ向かい、一冊の本へ手を伸ばした。
「んっ……」
背伸びをしても、あと少し届かない。
つま先立ちになっても届かない。
その姿が少し危なっかしく見えた。
ルクシスは苦笑しながら手を伸ばし、セインが取ろうとしていた本を棚から抜き取る。
「ほら」
「……ありがとう」
本を受け取るセインの声は、ほんの少しだけ嬉しそうだった。
「本、好きなのか?」
「……うん」
返事は一言。
見事なくらい会話が終わる。
(終わったな……)
ルクシスは心の中で肩を落とした。
セインはそのままベッドへ腰掛け、本を開く。
紙をめくる音だけが静かな地下室に響く。
ふと、ルクシスはあることに気付いた。
「……そういや、お前って目隠ししてるよな」
セインの手が止まる。
「それでどうやって本読んでるんだ?」
魔力で周囲の物を感知する方法なら知っている。
だが、それで文字までは読めないはずだ。
セインは本から顔を上げることなく、小さく答えた。
「……そういう目だから」
「そういう目ってどういう目だよ……」
思わずツッコミが漏れる。
説明になっているようで、まったく説明になっていなかった。




