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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第三章 『たった一人の英雄』
33/45

第三十三話 「嫌いな優しさ」

(あ〜……詰んだかな〜……)

ルクシスは窓の外へ視線を向けた。

赤く染まり始めた街並み。

綺麗だ。

現実逃避にはちょうどいい。

(もう寝てよっかな〜……)

投げやりな考えが脳内を流れる。

正直な話。

全身はまだ痛い。

包帯の下では傷がじくじくと自己主張を続けている。

その上で今度は金の心配までしなければならない。

胃が痛い。

本当に痛い。

怪我のせいなのか精神的なものなのか分からないくらいには。

「えっと……大丈夫?」

不安そうな声。

ルクシスは視線を戻す。

そこには相変わらずもじもじしているセインがいた。

「……今後どうしようかなって考えてただけだ」

嘘ではない。

事実だ。

事実だからこそ余計に重い。

「その割には……ずいぶん辛そうだけど……」

「っ」

思わず言葉が詰まる。

なんだ急に。

さっきまで素直に騙されてたじゃねぇか。

急に勘が鋭くなるな。

困る。

非常に困る。

「え……っと……だな」

言葉を探す。

脳内に選択肢が二つ浮かぶ。

一つ。

セインに頼る。

二つ。

頼らない。

簡単そうに見えて難しかった。

頼れば楽だ。

この国についても。

生活についても。

色々助かる。

でも――

(出会って初日の年下に頼るのか……?)

プライドが抵抗する。

猛烈に抵抗する。

大人として。

男として。

なんか負けた気がする。

別に勝負してないのに。

(いやでも頼りてぇ……)

現実的な自分が反論する。

(めちゃくちゃ頼りてぇ……)

住む場所ない。

金ない。

土地勘ない。

知り合いいない。

冷静に考えれば助けを求めるべき状況だった。

(でも頼りたくねぇ……)

(頼りてぇ……)

(でも頼りたくねぇ……)

(頼りてぇ……)

脳内で二人の自分が殴り合いを始めた。

引き分けだった。

ルクシスは小さく息を吐く。

頭をぐしゃぐしゃに掻きむしりたくなる。

だが包帯があるので我慢した。

「あのっ……別に大丈夫だよ?」

何がだよ。

頼るか頼らないかという話なら、なんでそれを察してるんだ。

エスパーか?

心読んだ?

怖いんだけど。

ルクシスは軽く頬を引きつらせた。

「いや、金がないってだけだからな……」

小さく肩を竦める。

「まぁ……どっかで稼ぐよ……」

できれば真っ当な方法で。

カツアゲとか強盗とか。

そういう方向には進みたくない。

人として。

最低限のラインは守りたい。

強くそう思った。

「そんなに余裕ないの……?」

セインが不安そうに尋ねる。

「人の財政事情に首突っ込むんじゃありません」

思わずそう言いそうになったが飲み込んだ。

代わりに苦笑する。

「いや、治療費払えるくらいの金は持ってるからな」

たぶん。

恐らく。

きっと。

希望的観測込みで。

まだ請求額を聞いていない以上なんとも言えないが、全財産を突っ込めばどうにかなるだろう。

たぶん。

「えっと……」

セインが小さく手を上げる。

学校で先生に当てられた生徒みたいだった。

「治療費ならもう払ったよ?」

「……は?」

思考停止。

数秒後。

再起動。

「え?」

さらに数秒。

理解が追いつかない。

「なに?」

まだ追いつかない。

「俺気絶してる最中に金払ったってこと?」

「そ、そうじゃなくて!」

セインが慌てて首を振る。

紙がぶんぶん揺れた。

「ボクが……払って……」

最後の方はほとんど聞こえなかった。

蚊の鳴くような声。

消え入りそうな声。

けれど聞き取れないわけではない。

「……」

ルクシスは固まった。

セインは俯く。

耳まで少し赤くなっている気がした。

自分で善意を口にするのが恥ずかしいのだろう。

『俺が払った』

『俺が助けた』

そういうことを堂々と言える人間ではない。

むしろ言いたくなかったのだと思う。

(まぁ……)

ルクシスは視線を逸らした。

(俺も逆の立場なら言えねぇしな……)

助けた相手に向かって、

『ちなみに金も俺が払ったぞ』

なんて言うのは妙に気恥ずかしい。

恩着せがましく聞こえるし。

だからセインの気持ちは分かる。

ルクシスは無言で財布を取り出した。

包帯だらけの手で布の財布を開く。

中身を確認することなく視線だけをセインへ向けた。

「……いくらだった?」

「べ、別にいいって!」

思った以上に強い声だった。

セインが慌てたように首を振る。

「払わなくて……!」

よく見ると少しだけ頬が膨れていた。

不機嫌そうだ。

珍しい。

ルクシスは一瞬だけ目を丸くする。

(あー……)

なんとなく分かった。

せっかく善意で払ったのだ。

それを即座に清算しようとされたら面白くない。

恩を売りたいわけじゃない。

だからこそ余計に。

善意をお金に換算されるのが嫌だったのだろう。

「……そうか」

ルクシスは財布を閉じた。

そのまま収納する。

ここで無理に押し付けるのは違う気がした。

善意には善意なりの受け取り方がある。

それくらいは分かる。

「ありがとな」

自然と言葉が出た。

「これで二度目だ」

少しだけ笑う。

自嘲するような。

困ったような。

そんな笑みだった。

助けられてばかりだ。

情けない話である。

だがセインは嬉しかったのか、少しだけ口元を緩めた。

さっきまでの不機嫌そうな空気も消えている。

どうやら正解だったらしい。

「それで……えっと……」

ところが。

次の瞬間にはまた視線が下を向いた。

指先をもじもじと動かしている。

何か言いたいことがある時の反応だ。

ルクシスは黙って待つ。

数秒後。

意を決したようにセインが口を開いた。

「帰る所とか……大丈夫……?」

「……」

ルクシスは一瞬黙った。

失礼な質問である。

それは間違いない。

だがセイン本人も分かっているのだろう。

声は小さいし、どこか申し訳なさそうだった。

むしろ心配が勝って聞いてしまったように見える。

だがルクシスは怒らなかった。

むしろ別の意味で驚いていた。

(なんで分かったんだ……?)

家がないこと。

行く当てがないこと。

そこまで察される理由が分からない。

数秒考えて――

思い出した。

(あ)

そうだった。

記憶喪失設定だ。

自分で言ったんだった。

完全に忘れていた。

「……そうだな」

ルクシスは視線を窓の外へ向ける。

夕陽が街を赤く染めている。

見知らぬ景色。

見知らぬ国。

見知らぬ人々。

「俺の家の場所なんか覚えてねぇからな……」

少しだけ声を落とす。

困っているように。

不安そうに。

できるだけ自然に。

演技としては悪くない。

少なくともセインにはそう見えただろう。

すると――

「……」

セインが何かを決意したように拳を握った。

小さな肩がぴんと伸びる。

そして。

恐る恐る。

本当に恐る恐る口を開いた。

「じゃ、じゃあ……」

その続きを言うだけで勇気を使うらしい。

声が少し震えていた。

セインが小さく息を飲む。

まるで今まで胸の奥に押し込めていた言葉を、ようやく引っ張り出したようだった。

俯き気味だった顔がゆっくりと上がる。

帽子と黒髪の隙間から垂れた紙が、窓から吹き込む夕風にふわりと揺れた。

そして。

「ボクの家で……働かない?」

静かな病室に、その言葉だけがはっきりと響いた。

「……」

ルクシスは答えなかった。

いや、答えられなかった。

なんとなく予想はしていた。

この流れならきっとそう言うだろうと。

だから驚きはない。

ただ――。

セインの手先が小さく震えているのが見えた。

勇気を出したのだ。

断られるかもしれない。

迷惑だと言われるかもしれない。

それでも言った。

その事実だけは痛いほど伝わってくる。

だからこそ。

ルクシスは軽々しく頷けなかった。

「……俺は」

ぽつりと口を開く。

「捨て猫とかじゃないんだ」

冗談っぽく言う。

少しでも空気を軽くしようとして。

「なんならお前より年上だ」

だがセインは笑わなかった。

真剣なまま見つめている。

だからルクシスも視線を逸らした。

窓の外。

赤く染まり始めた空を見る。

「俺視点からするとさ」

「年下の家に転がり込んで、住み込みで働くっていう怪しさ満点な状況になっちゃうんだよ」

自分で言っていて苦笑したくなる。

だが事実だった。

出会ってまだ数時間。

名前を知ったのだってついさっき。

そんな相手の家に住むなんて普通じゃない。

「それに――」

ルクシスは今度こそ真っ直ぐセインを見る。

紙で隠れて目元は見えない。

それでも。

この子がどんな顔をしているのか、なんとなく想像できた。

「お前の家族にとっても俺は怪しい」

きっぱりと言う。

「記憶喪失の男」

「血まみれで倒れてた男」

「身元不明」

指を折りながら並べる。

並べれば並べるほど怪しい。

むしろ通報されないだけ優しい。

「だから――行けない」

最後だけ少し静かな声になった。

自分でも分かっている。

それは理屈だ。

半分は本音。

半分は言い訳。

本当は助かる。

正直めちゃくちゃ助かる。

金はない。

帰る場所もない。

土地勘もない。

知り合いもいない。

働き口だって見つかる保証はない。

普通に考えれば飛びつくべき提案だった。

それでも。

これ以上この子に借りを作りたくなかった。

助けられた。

病院まで運ばれた。

治療費も払ってもらった。

ここで住む場所まで用意してもらったら――。

さすがに情けなさすぎる。

だから断った。

断るしかなかった。

病室に沈黙が落ちる。

開いた窓から風が吹き込む。

カーテンが揺れる。

遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。

セインは黙ったままだった。

怒ったのかもしれない。

呆れたのかもしれない。

そう思っていた。

だが。

「……別に、大丈夫だよ」

なにが大丈夫なのか。

セイン自身も上手く言葉にできなかったのかもしれない。

それでもルクシスはそれ以上聞けなかった。

聞けなくなった。

その声があまりにも悲しそうだったから。

開いた窓から夕風が吹く。

帽子と髪の隙間から垂れた紙が、かすかに揺れた。

「父様は……ボクに興味がないから」

静かな声だった。

諦めたような。

慣れてしまったような。

そんな声。

「ボクの友達とでも言えば通してくれるよ」

ルクシスの眉がわずかに動く。

その言葉が妙に引っかかった。

興味がない。

友達だと言えば通る。

普通の親子なら出てこない言葉だった。

「いや……でもお前の母親は……」

思わず口をついて出る。

だが。

セインはほんの少しだけ俯いた。

「母様はもういないんだ」

その一言だけで十分だった。

病室の空気が少し重くなる。

夕陽の色さえ沈んで見えた。

「兄様はいるけど……家にはあんまりいないし」

セインは指先を握る。

「いたとしても家族に関わろうとすることはほとんどないんだ」

力なく笑った。

笑顔というより。

苦笑いに近かった。

「だから……大丈夫だよ」

ルクシスの喉が詰まる。

何か言おうとした。

慰める言葉。

励ます言葉。

否定する言葉。

いくらでも浮かぶ。

だが全部飲み込んだ。

違う。

今ここで変に踏み込むべきじゃない。

そんなことをしたら。

きっとこの子はもっと傷つく。

そう直感した。

だから黙る。

代わりに考える。

自分はどうするべきか。

行くのか。

行かないのか。

答えを出さなければならない。

行きたくない。

正直そう思う。

今だってそうだ。

自分が怪しい人間であることは変わらない。

身元不明。

記憶喪失。

しかも出会って初日。

そんな男を家に上げるなんて普通じゃない。

だから断るべきだ。

常識で考えれば。

理屈で考えれば。

絶対に。

けれど。

ルクシスはちらりとセインを見る。

小さな肩。

不安そうに握られた手。

返事を待つ姿。

ここまで勇気を振り絞って。

ここまで自分の事情を話して。

それでもなお。

自分を助けようとしている。

そんな相手に。

今さら「やっぱりやめとく」なんて言えるほど。

ルクシスは薄情じゃなかった。

小さく息を吐く。

観念したように。

諦めたように。

それでいて少しだけ肩の力が抜ける。

「……働くよ」

静かな声だった。

セインの肩がぴくりと震える。

「……」

何も言わない。

いや。

言えなかったのかもしれない。

ルクシスは苦笑した。

そして改めて言う。

「お前の家に連れて行ってくれ」

その瞬間。

病室が静かになる。

風の音だけが聞こえた。

セインはしばらく動かなかった。

まるで本当に了承してもらえると思っていなかったみたいに。

数秒。

十数秒。

そして。

帽子の下。

見えないはずの顔が。

少しだけ明るくなった気がした。

「……うん」

返ってきた声は小さい。

けれど。

今までで一番嬉しそうだった。

その返事を聞いて。

ルクシスはようやく思う。

――あぁ。

多分これでよかったんだろうな。

少なくとも。

この子を悲しませる選択じゃなくてよかった。

そう思いながら、夕焼け色に染まる窓の外へ視線を向けた。

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