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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第三章 『たった一人の英雄』
31/43

第三十一話 「ありがとう」

───最初に見た時。

ただの屍かと思った。

「うえぇええ!?」

情けない悲鳴が漏れる。

思わず尻もちをついた。

視線の先。

道のど真ん中。

男が倒れていた。

仰向け。

茶髪。

赤い上着。

服はボロボロ。

ところどころ裂け、泥と血で色が変わっている。

身体にも無数の傷。

そして何より。

背中から広がる赤。

じわり。

レンガの隙間へ血が染み込んでいる。

恐る恐る周囲を見る。

少し上。

斜面。

血。

草が潰れている。

さらに上。

木の幹。

削れている。

枝が折れている。

線みたいに続いていた。

(……いや……)

視線を戻す。

男。

また斜面。

また男。

(だとしてもこうはならないでしょ……)

どう見ても落ち方がおかしい。

転げ落ちたってレベルじゃない。

崖から投げ捨てられた方がまだ納得できる。

恐る恐る四つん這いで近づく。

距離を詰める。

男の顔を見る。

茶髪。

若い。

目は閉じている。

そして。

妙に穏やかな顔だった。

苦しそうじゃない。

むしろ少し口角が上がってる。

(……そういや死ぬ瞬間って気持ちいいんだっけ……)

嫌な知識を思い出した。

やめてほしい。

急に屍説の信憑性が上がった。

でも。

だからといって放置するわけにもいかない。

こんな道端に死体。

嫌すぎる。

「……でも誰かに見つかったら……」

想像する。

自分。

死体の横。

近くにいる。

通行人。

通報。

終わり。

ガタガタ。

歯が震えた。

傍から見たら完全に犯人だった。

「いや……でも……」

悩む。

放置も嫌。

触るのも怖い。

そうして迷っている時だった。

違和感。

目が止まる。

「あれ……」

ゆっくり手を伸ばす。

震える指。

男の口元へかざす。

数秒。

風。

違う。

微か。

温かい。

息。

「……息……してる……」

思わず目が開いた。

生きてる。

なんで。

いや生きてていいんだけど。

なんでそんな顔してるんだ。

死にかけなのに。

なんでちょっと満足そうなんだ。

意味が分からない。

でも。

そんなことどうでもいい。

助けないと。

この人。

普通に死ぬ。

───「もう……なんで……こんなことぉ……!」

細い腕で男の後ろ襟を掴み、必死に後ろへ体重をかける。

ずるっ。

地面を擦る音。

少し進む。

また止まる。

そのたびに男の体から赤黒い線が地面へ伸びていく。

「重い……っ……!」

息が上がる。

肩が痛い。

足も震える。

なのに離せない。

離した瞬間、本当に死んでしまいそうだった。

ちらりと視線を落とす。

男は眠っていた。

いや、気絶している……はずだった。

なのに。

口元だけが少し上がっている。

穏やかそうに。

満足そうに。

まるで楽しい夢でも見ているみたいに。

(なんでこの人血流しながら笑ってんの……!)

理解できない。

普通こんな怪我したら苦しそうな顔になるでしょ。

痛そうな顔するでしょ。

なのにこの人――。

なんで笑えるの。

ぞわり、と背筋が冷えた。

けれど立ち止まる暇なんてない。

鼻につく鉄臭さ。

服に染み込んだ血。

近くで嗅ぐほど強くなる。

その臭いだけで、この人がどれだけ血を流したか嫌になるくらい伝わってきた。

(臭う……)

風呂入ってないとかじゃない。

泥でもない。

これは血だ。

むしろ上着が赤いんじゃない。

白い服を血で塗り潰したみたいだった。

「はぁ……っ……はぁ……っ……」

また引っ張る。

少し進む。

止まる。

引っ張る。

進む。

男の腕が地面に擦れる。

血がまた伸びる。

喉が詰まる。

怖い。

怖いけど。

脳内で一つの言葉だけが繰り返される。

(早く……)

間に合わなくなる。

(早く……!)

───「お願いっ……します……」

震える手で金貨を机の上に置く。

カラン、と小さな音。

肩で息をする。

肺が焼けるみたいに熱い。

隣には、カウンターへ背中を預けるようにして座らされた男。

いや、座らせたというより――倒れないよう無理やり寄りかからせただけだ。

服は血まみれ。

床にはここまで引きずってきた赤い線。

正直、最悪だった。

病院の床を汚した。

説明もできない。

事情聴取されるかもしれない。

でも。

そんなことより。

この人を放置する方がもっと嫌だった。

受付人が金貨と男を交互に見る。

そして少し困ったように眉を下げた。

「えぇと……」

その反応は分かる。

こっちだって困ってる。

むしろなんでこんなことになったのか聞きたいくらいだった。

頭の中で状況を整理する。

まず道端で血まみれの男を見つけた。

死体かと思った。

でも生きてた。

だから運んだ。

引きずった。

転ばせた。

血が増えた。

泣きそうになった。

そして病院まで連れてきた。

……終わり。

説明として終わってる。

絶対怪しい。

「あの……ボクじゃなくて……この人を……」

途中で言葉が切れる。

息が上がる。

受付人は数秒考えてから頷いた。

「ええと……とりあえず優先して治療させていただきますね」

その瞬間。

受付人が奥へ下がる。

すぐに何人かの声。

足音。

扉が開く音。

気づけば白衣姿の医者たちが担架を持って飛び出してきた。

早い。

早すぎる。

「失礼しますねー」

そう言いながら男の体を持ち上げる。

「よいしょ」

息ぴったり。

担架に乗せる。

固定。

確認。

発進。

ものの十秒。

さっきまで隣にいた男はもう奥へ運ばれていた。

勢いがありすぎて風まで起きた気がした。

「……」

ぽかん。

口が開く。

少し遅れて思う。

(……手際がいい……のかな……?)

いや分からない。

比較対象がない。

でも。

少なくとも。

自分よりは百倍頼りになりそうだった。

そこでようやく肩の力が抜けた。

そして。

限界だった。

その場にぺたんと座り込んだ。

ため込んでいた息をゆっくり吐き出す。

肩が下がる。

力が抜ける。

そこでようやく気づいた。

右手。

男の後ろ襟を掴んでいた手。

乾きかけた血が指の隙間や手のひらにべったりと残っている。

「……あ」

思わず顔をしかめた。

鉄みたいな臭い。

まだ少し湿っている感触。

指を軽く動かすだけで嫌な感覚が皮膚にまとわりつく。

(洗わなきゃ……)

ふらふらと立ち上がる。

病院を出る。

赤色の街並み。

夕焼けじゃない。

元から赤い石、赤い壁、赤い景色。

その中をぼんやり歩く。

人目につかない裏路地へ入り、足を止める。

もう一度右手を見る。

赤い。

血。

誰かの。

「う……」

少しだけ嫌悪感が湧いた。

左手を右手の上へかざす。

小さく詠唱。

次の瞬間。

左手の手のひらに青い魔法陣が浮かび上がる。

円が回転し、中心から透明な水が流れ出した。

蛇口みたいに。

水が血を流していく。

赤が薄まる。

地面へ落ちる。

数秒後。

魔法陣が消える。

水も止まる。

濡れた服をぱっぱっと払う。

少しだけ落ち着いた。

……はずだった。

歩きながら考える。

(あの男の人……)

山から転げ落ちた。

それは分かる。

服が破ける。

怪我する。

そこまでは普通。

でも。

血の臭い。

あれだけは変だった。

多すぎた。

本人の血だけであんな臭いになる?

普通死ぬ。

いや。

もう死んでてもおかしくない量だった。

歩く。

考える。

止まる。

数十秒後。

脳内で結論が出る。

「……まさか」

目が見開く。

(誰かと殺し合ってた…!?)

辻褄は合う。

山。

血。

ボロボロ。

異常な量。

全部説明できる。

……いや待って。

じゃあ。

なんで追撃されてない?

なんで放置?

そこだけ変。

でも。

もし。

もしだ。

あの人が襲った側だったら?

起きた瞬間。

病院の人襲ったりしたら?

受付の人。

医者。

担架の人。

みんな危ない。

顔色が変わった。

「い、急がないと……!」

駆け出す。

死ぬ人を減らすためにやったことなのに。

もしここで誰か死んだら。

全部、自分のせいになる気がした。

───急いで病院へ戻る。

入口をくぐる。

その勢いのまま受付へ駆け寄る。

「ぁ、あのっ……男の……人……!」

息切れ。

言葉が出ない。

まずい。

名前を知らない。

説明できない。

受付人が少し首を傾げたあと、すぐに察したように頷いた。

「……さっき運ばれた方でしたら、203号室ですよ」

「!」

伝わった。

なんで分かったのかは知らない。

でも助かった。

流石だった。

「ありがとうっ……ございます……!」

頭を下げる。

そのまま急いで奥へ向かう。

……急いでるつもりだった。

でも体が限界だった。

引きずって運んだ疲労。

緊張。

全部まとめて今きた。

机に手をつく。

進む。

離す。

またつく。

階段では手すり。

二階に着いたら壁。

完全に病人みたいだった。

(201……)

違う。

扉を通り過ぎる。

(202……)

違う。

まだ。

そして。

(203……)

あった。

足が止まる。

扉。

静か。

中から音は聞こえない。

思わず胸へ手を当てる。

心臓。

速い。

深呼吸。

吸う。

吐く。

もう一回。

目をいつもより少し大きく開く。

覚悟。

(どうか……)

ごくり。

(いきなり襲って来ませんように……!)

冷静に考えたらおかしい。

殺し合いしてたかもしれない男。

血まみれ。

起きたら危険かもしれない。

そんな相手の部屋へ。

一人で。

丸腰で。

行く。

馬鹿だ。

少し考えれば分かる。

なのに。

なぜか。

その「少し考える」ができなかった。

もし。

もし起きた瞬間誰か襲ったら。

止められなかったら。

それがずっと頭に残って離れなかった。

だから。

小さく拳を握る。

震える指で。

203号室のドアノブへ手を伸ばした。

扉を開く。

息を止める。

――でも。

そこにあったのは。

恐怖でも。

敵意でも。

ましてや殺意なんかでもなかった。

白い壁。

木でできた床。

開いた窓。

赤く染まる部屋。

そして。

窓際のベッド。

そこに、一人の男がいた。

上半身だけ起こして外を眺めている。

布団に隠れて下半身は見えない。

服は病院のものらしい簡素な服へ変わっていた。

額。

腕。

ところどころ白い包帯でぐるぐる巻きになっている。

痛々しい。

なのに。

男は妙に落ち着いていた。

風が吹く。

赤い夕日。

その光に照らされて、男がゆっくりこちらを向く。

エメラルドグリーンの瞳。

赤く染まる茶髪。

整った顔立ち。

拍子抜けした。

全然違う。

想像していたのはもっとこう。

目つきが鋭くて。

笑いながら人を刺しそうで。

起きた瞬間暴れるような。

そんな人だった。

でも違う。

普通だった。

むしろ少し疲れて見えた。

男は少し目を細める。

こちらを見る。

そして静かに口を開いた。

「……あんた、だよな」

その瞬間。

反射的に一歩下がる。

まだ怖かった。

警戒が抜けない。

すると男が少し困ったように笑った。

「あぁ、いや」

視線が泳ぐ。

申し訳なさそうに頭を掻こうとして、包帯に気づいて途中で止まる。

「怖がらせるつもりはないんだ」

少し弱った声。

気まずそうな声。

「その……ありがとな」

目を逸らす。

少しだけ笑う。

「助けてくれて」

……なんで分かったんだろう。

まだ一言も話してない。

説明もしてない。

なのに。

どうして。

不思議だった。

でも。

今の表情を見た瞬間。

なんとなく分かった。

この人も。

ちゃんと人間だった。

化け物じゃない。

殺人鬼じゃない。

傷だらけで。

少し疲れてて。

礼を言える人だった。

穏やかな瞳がこちらを見る。

その視線に押されるみたいに。

自然と口が動いた。

「……どういたしまして」

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