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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第三章 『たった一人の英雄』
30/44

第三十話 「地獄絵図」

その瞬間。

ルクシスは小さく舌を噛んだ。

「……っ」

違和感。

おかしい。

目の前には、確かに結果がある。

切断面。

崩れた身体。

首元から広がる赤。

白い服に血が染み込み、じわじわと色を変えていく。

死んでいる。

誰が見ても。

なのに。

「なんで……」

言葉が漏れる。

達成感がない。

胸が軽くなる感覚も。

復讐の一歩を踏み出した高揚も。

何もない。

ただ。

ただ気持ち悪かった。

その時だった。

背後。

すぐ後ろ。

耳元に近い距離。

いやに明るい声。

「お兄さんったらいーけないんだ」

ルクシスの肩が跳ねた。

「お話は最後まで聞かないといけないんだぞー」

反射だった。

振り向く。

剣を構える。

そして。

止まる。

いた。

ノアリス。

そこに。

さっきと同じ場所に。

白髪。

白い瞳。

少女服。

片頬の黒い文様。

全部同じ。

服にも血はない。

首も繋がっている。

生きている。

なのに。

後ろでは。

死体が転がっている。

ルクシスの視線が揺れる。

死体を見る。

ノアリスを見る。

また死体。

またノアリス。

両方ある。

両方本物。

理解できない。

分身?

違う。

幻覚?

違う。

もっと嫌な何か。

ノアリスは兵隊の行進みたいに足を高く上げながら、意味もなく左右へ動く。

一歩右。

一歩左。

楽しそう。

遊んでるだけみたいに。

「はぁ……!?」

ルクシスの声が裏返る。

身体が硬直する。

心臓が嫌な音を立てる。

冷たい。

背中が。

思考が追いつかない。

「なっ……なにを……」

声が震えた。

そこで気づく。

恐怖だった。

理解できないものへの。

初めてだった。

自分がこんなにも、理解不能に弱いこと。

ノアリスはぷくっと頬を膨らませる。

腕を組む。

顔を逸らす。

子供みたいな仕草。

「もぉー」

唇を尖らせる。

「私怒ったから、もうお兄さんの質問にはこたえないもーん」

嫌悪した。

人生で味わった感情の中でも、間違いなく上位に入るほどの嫌悪。

ノアリスは何事もなかったみたいに小さく首を傾け、口を開く。

「それより、お兄さんってさ──」

最後まで聞かなかった。

聞きたくなかった。

ルクシスの身体は、思考より先に動いていた。

剣が走る。

黒色の軌跡。

次の瞬間。

ノアリスの首が空を舞った。

白い髪がふわりと広がる。

小さな身体が力を失い、草原へ崩れ落ちた。

鮮やかな赤が服へ滲む。

だが。

「また私のお話無視した!」

背後。

聞きたくない声。

振り返る。

そこにいた。

さっきと同じ場所。

さっきと同じ顔。

頬を膨らませ、両腕をぶんぶん上下させるノアリス。

死体はそこにある。

生きてるノアリスもそこにいる。

理解できない。

脳が理解を拒絶する。

「……なんだよ」

喉から絞り出す。

ノアリスは嬉しそうに笑った。

「さぁ、なんだと」

その言い方。

その目。

全部気持ち悪かった。

次は躊躇わなかった。

踏み込む。

胸。

心臓。

刃を突き立てる。

肉を裂く感触。

骨に当たる感覚。

そのまま引き抜く。

さらに横薙ぎ。

上半身が切り離される。

血飛沫。

内臓。

全部、地面へ。

なのに。

「だからお兄さん──」

いた。

またいた。

ルクシスの呼吸が止まる。

「……あぁ」

嫌だ。

聞きたくない。

知らない。

認めたくない。

剣を振る。

また一つ。

腕。

また一つ。

腹。

また一つ。

首。

また一つ。

脚。

切る。

切る。

切る。

切る。

肉を断つ感触だけが積み上がる。

なのに。

死なない。

終わらない。

ノアリスは笑う。

「お兄さんは──」

また斬る。

「どうして──」

また斬る。

「分からず屋──」

また斬る。

気づけば呼吸が乱れていた。

肩が上下している。

地面には赤。

服にも赤。

剣にも赤。

でも。

目の前の少女だけは。

最初から何一つ変わっていなかった。

気づけば周囲は赤だった。

草原はもう見えない。

足元は血でぬかるみ、折れた草も、散らばった肉片も、全部赤く染まっていた。

ルクシスの白い上着も。

握る剣も。

腕も。

全部。

赤。

ルクシスの呼吸が乱れる。

肩が震える。

限界だった。

膝から力が抜ける。

ドサリと地面へ崩れ落ちた。

ズボンへ血が染み込む。

視界が揺れる。

「……なんで……」

声が出ない。

もう一度。

「……なんで……」

答えなんて返ってこない。

返ってくるわけがない。

そのはずだった。

「ふぁ〜ぁ……」

間延びした欠伸。

ルクシスが顔を上げる。

そこにいた。

傷一つないノアリス。

白い服。

白い髪。

白い瞳。

何も変わらない。

まるで今まで死んでいた全部が、最初から存在しなかったみたいに。

ノアリスは口元に手を当てたまま呟く。

「なんか眠くなってきちゃった……」

首を回す。

肩を揺らす。

退屈そうだった。

「魔力の使いすぎかなぁ……」

そして。

ルクシスに背を向ける。

歩き出した。

帰るみたいに。

散歩を終えるみたいに。

その姿を見た瞬間。

ルクシスの中で何かが切れた。

待て。

それだけは駄目だ。

逃がすな。

終わらせるな。

まだ。

まだ殺してない。

震える手で剣を握り直す。

立ち上がる。

脚が笑う。

息が苦しい。

それでも走る。

血を踏み潰しながら。

「うおおおおおおああああああああ!!」

叫ぶ。

叫ばないと動けなかった。

剣を振り上げる。

届く。

届くはずだった。

ノアリスが止まる。

振り返る。

白い瞳。

そこにはもう笑顔も興味もなかった。

冷めきった目。

ただ一言。

「どっかいって」

瞬間。

世界が消えた。

いや、違う。

地面が消えた。

ルクシスは気づけば空中に放り出されていた。

「──えっ」

理解が追いつかない。

風。

耳を裂くような風。

服が暴れる。

髪が後ろへ引っ張られる。

視界が揺れる。

身体が軽い。

数秒。

たったそれだけ。

それだけで十分だった。

ルクシスは理解する。

落ちている。

「うあああっああああああああ!!」

悲鳴が虚空へ吸い込まれていく。

下を見る。

遥か下。

赤い平原。

さらにその向こう。

街。

山。

全部小さい。

全部遠い。

理解した瞬間、胃が浮いた。

高度がおかしい。

空気が冷たい。

普通に落ちたら死ぬ。

「……っぐ……くそったれぇ……!」

風に身体を持っていかれながら、無理やり剣を鞘へ押し戻す。

空気が重い。

腕が動かない。

それでもやる。

死ぬ方が嫌だった。

(こんな時は……!)

次の瞬間。

ルクシスの背中から白い光が噴き出した。

純白。

一枚。

また一枚。

羽が形成される。

大きく。

美しく。

白鳥を彷彿とさせる神聖な翼。

だが。

綺麗だなんて思う余裕はない。

ルクシスは即座に収納魔法を発動する。

杖。

掴む。

落下速度が速すぎる。

羽だけじゃ止まれない。

猶予は一回。

失敗したら終わる。

ルクシスは歯を食いしばる。

高度はもう雲より下。

地面が近い。

近い。

近い。

速い。

肺が痛い。

「うおおおおおおおおおお!!」

杖を下へ向ける。

地面。

巨大化する大地。

真正面。

狙う。

タイミングを合わせる。

早すぎても駄目。

遅すぎても死ぬ。

あと少し。

あと少し。

杖の先端が地面へ触れる、その直前。

ルクシスは叫んだ。

「──ゲイル・クラッシュ!!」

瞬間。

杖の先端から巨大な魔法陣が展開された。

エメラルドグリーン。

魔法陣から風が放たれた。

だがただの風じゃない。

エメラルドグリーンの光を纏った無数の刃。

細く。

鋭く。

一直線。

空間を裂くみたいに地面へ降り注ぐ。

轟音。

遅れて衝撃。

地面へ向かって撃ち出された暴風の反動で、ルクシスの身体がふわりと持ち上がる。

一瞬。

ほんの一瞬だけ。

空中で止まった。

助かった。

そう思った。

次の瞬間。

「……あ」

失速した。

浮いた分、落ちた。

今度は制御なんてできない。

羽は開ききらない。

身体も動かない。

そのまま。

地面へ叩きつけられた。

ドゴッ。

衝撃。

空気が肺から全部抜ける。

視界が白く弾けた。

次の瞬間。

世界が回る。

空。

地面。

木。

空。

地面。

木。

ぐるぐる。

ぐるぐる。

何度も。

何度も。

転がる。

(……あーもう……くっそ……)

思考だけは辛うじて生きていた。

(上空から落っこちたからか知らねぇけど……)

感覚がない。

腕。

脚。

指。

全部遠い。

触れてる感覚も曖昧。

痛みもない。

なのに嫌な予感だけはある。

(痛覚まで消えてんのは今は助かるが……)

一瞬考える。

(後遺症で残ったら最悪だぞ……)

今考えることじゃない。

自分でもそう思う。

でも考えるしかない。

止まれない。

背中を見る余裕はないが、もう羽は消えていた。

服に泥がつく。

土が口に入る。

身体が転がる。

ここは山だった。

整備された地面じゃない。

岩。

根。

段差。

そして。

木。

ドゴッ。

肩がぶつかる。

バキッ。

枝が折れる。

服が裂ける。

また木。

今度は背中。

視界が跳ねる。

頬が切れる。

温かいものが流れる。

血だった。

(畜生……)

呼吸ができない。

止まれ。

止まれ。

止まれ。

そう願っても身体は止まらない。

落ちる。

転がる。

滑る。

何度も。

何度も。

途中。

身体が一瞬浮いた。

嫌な予感。

次の瞬間。

ガンッ!!

硬い衝撃。

後頭部。

脳が容器の中で揺れたみたいな感覚。

視界が暗転しかける。

戻る。

また暗くなる。

呼吸。

浅い。

時間の感覚がおかしい。

どれくらいそうしていたか分からない。

一分か。

十秒か。

永遠か。

ようやく。

止まった。

ルクシスは仰向けだった。

動けない。

空が見える。

夕焼け。

赤い。

背中に硬い感触。

ザラザラ。

平坦。

(……道か……?)

感覚だけで分かった。

レンガを敷き詰めたみたいな人工物。

山の中。

なのに。

道。

ルクシスはぼんやり空を見た。

そして小さく息を吐く。

「……生きた心地がしねぇ………」

直後、体から何かが抜けていく感覚がした。

熱。

力。

意識。

全部。

じわじわ。

少しずつ。

確実に。

まるで身体の中に空いた穴から、生命そのものが漏れていくみたいだった。

まずい。

頭では分かる。

理解している。

でも。

身体が動かない。

指一本。

動かない。

呼吸も浅い。

吸っているのか吐いているのか分からない。

視界の端が暗い。

耳鳴り。

遠い。

空がぼやける。

(……まずい……)

思考だけが残る。

ここで寝たら終わる。

失血。

低体温。

何でもいい。

とにかく死ぬ。

神徒を見つけた。

仇の手がかりもあった。

なのに。

こんなところで。

何もできないまま。

ただの死体になる。

そんなの。

嫌だった。

(……起きろ……)

命令する。

身体に。

脳に。

目に。

起きろ。

瞼を上げろ。

立て。

動け。

ルクシスは残った力を全部使った。

指先。

肩。

首。

何も動かない。

だから。

目だけ。

瞼だけ。

無理やり持ち上げる。

薄く開く。

空。

赤い。

夕焼け。

綺麗だった。

こんな時なのに。

綺麗だと思ってしまった。

(……起きろ……!)

もっと。

もっと力を。

だが。

身体は正直だった。

限界だった。

重い。

眠い。

妙に気持ちいい。

少し寝てもいいんじゃないか。

そんな考えが浮かぶ。

危険だと理解しているのに。

抗えない。

瞼が。

落ちる。

ゆっくり。

ゆっくり。

世界が暗くなる。

最後に見えたのは。

青い空だった。

そして。

意識は沈んだ。

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