第二十七話 「初心者」
待合室は静かだった。
前回来た時みたいな緊張感も、ざわつきもない。
人はいる。
剣を抱えて目を閉じている者。
紙束を眺めている者。
壁にもたれて眠っている者。
それなのに妙に静かだ。
誰も大声を出さない。
誰も騒がない。
まるでここだけ時間の流れが少し遅いみたいだった。
ルクシスはソファーへ深く腰掛け、天井を見る。
「……緩いなぁ……」
昨日、宿が吹き飛んだ。
魔物と戦った。
左腕折れた。
気絶した。
目が覚めた。
そしたら一週間休めと言われた。
なのに任務は受けられる。
意味が分からない。
脳内でさっきのやり取りが再生される。
『……受けれますが』
『休養扱い取り消されたり……?』
『ないですよ』
淡泊。
淡泊すぎる。
もっとこう、
『何考えてるんですか!?』
『安静にしてください!!』
みたいなの想像してた。
なのに普通に通された。
(リベリオンって意外と適当なのか……?)
いや。
違う気もする。
あの受付人達の顔。
慣れていた。
“怪我してても来る奴は来る”って顔だった。
だから止めない。
止めても来るから。
そんな空気。
ルクシスは小さく息を吐く。
封筒を取り出す。
試験合格後にもらった説明資料。
昨日、塔に来る前に全部読んだ。
任務制度。
報酬。
階級。
緊急依頼。
依頼失敗時の扱い。
全部。
そして理解した。
(……思ったより普通なんだな)
もっと血生臭い組織かと思った。
強いやつが偉くて。
弱いやつは捨てられる。
そんな感じかと。
でも違う。
意外と制度がある。
意外と守る気もある。
まぁ。
昨日助け来るの遅かったけど。
ルクシスは横を見る。
受付。
無愛想な受付人が二人。
扉だけを見ている。
暇そうだった。
そういえば昨日の受付人はどうしてるんだろう。
頭打って寝てるらしいけど。
包帯。
雑だったな。
多分巻き直されたんだろうな。
少しだけ申し訳ない。
「……まぁ……」
小さく呟く。
「今はその善意を利用させてもらうとして」
休養中。
宿代いらない。
飯も出る。
怪我も治療してもらった。
その上で任務も受けられる。
だったら遠慮する理由はない。
のっそりと立ち上がる。
背中を反らす。
ぐぐっと腕を伸ばす。
左腕はまだ少し痛んだが、昨日に比べればかなりマシだった。
「……ん〜……」
思わず声が漏れる。
待合室。
静か。
数人くらいこっちを見るかと思った。
だが誰も見ない。
慣れている。
他人に興味がないのか、余裕がないのか。
その時だった。
――ガチャ。
待合室の扉が開く。
なんとなく視線を向ける。
そして。
「……え?」
見覚えしかない顔が入ってきた。
白髪。
黄緑のチャック付きパーカー。
眠そうな目。
少し猫背気味の立ち姿。
フェルギア・バーンライト。
一瞬だけ思考が止まる。
なんでいるんだ。
……いや違う。
冷静に考えれば普通だった。
昨日あいつ魔物討伐しに来てたじゃん。
ルクシスは納得した。
(まぁ普通に所属してるか……)
フェルギアはまだこちらに気づいていない。
周囲を見回し、
受付を見つけ、
少し躊躇って、
どこか申し訳なさそうな顔で歩いていく。
その後ろ姿を見ながらルクシスはなんとなく察した。
(……あ、こいつ)
(俺と同じこと考えてるな)
休養中。
でも暇。
任務受けたい。
許されるのか確認したい。
全部同じ流れだ。
フェルギアは受付の前で止まった。
少し前屈み。
小声。
受付人も小声。
静かな待合室だから逆にやたら響く。
断片だけ聞こえる。
「……休養……」
「……任務……」
「……大丈夫……」
ルクシスはもう理解した。
完全一致だった。
少し会話。
受付人が紙を見る。
頷く。
何か説明。
そして。
フェルギアの身体が止まった。
目が開く。
一歩下がる。
肩が上がる。
口が少し開く。
大袈裟。
めちゃくちゃ分かりやすい。
声は聞こえない。
でも脳内補完された。
(えっ!?受けれるんですか!?)
絶対これ。
ルクシスは真顔になった。
(俺とおんなじ道筋辿ってんじゃねぇか……)
脳内で昨日の自分が再生される。
下手に出る。
変な確認。
普通に通される。
困惑。
完全一致。
ルクシスは少し目を細めた。
案外。
似たもの同士なのかもしれない。
性格は違う。
考え方も違う。
でも。
知らない場所に来た時の動きとか。
変なところで慎重なところとか。
微妙に似てる。
フェルギアは受付を離れたあと、その場で少し考えるように顎へ手を当てた。
そして。
納得したように頷く。
たぶん脳内で、
(まぁ受けれるなら受けるか……)
みたいな結論に至ったのだろう。
そのまま振り返る。
歩き出す。
そして途中で止まる。
「あっ」
そんな感じの顔。
ようやく気づいた。
ルクシスの存在に。
今さらだった。
ルクシスは小さく手を振る。
苦笑い。
フェルギアは一瞬固まり、悩んだように頭を掻く。
それから少し早足で近づいてきた。
開口一番。
「お前所属してたの?」
第一声がそれだった。
ルクシスは眉を上げる。
「なんか悪いかよ」
フェルギアは少し首を振る。
「いや……じゃあなんで昨日お前、“魔物討伐じゃなくて人助けに来た”みたいなこと言ってたんだよ」
ルクシスは一瞬黙る。
考える。
考える。
面倒になる。
「いやぁ……それは……」
目を逸らす。
「説明めんどいからなしな」
「んだよそれ……」
フェルギアは呆れた。
でも深掘りはしない。
昨日のあれを思い出せば、事情の一つや二つあるんだろうなとは思う。
だから切り替える。
「まぁいいや」
視線を周囲へ向ける。
待合室。
掲示板。
人。
そしてルクシス。
「それよりお前もか?」
ルクシスが首を傾げる。
「お前もって……」
フェルギアは当然みたいに言う。
「任務」
指で待合室の奥を示す。
「ここ来たってことは受けに行くんだろ?」
「あ……あぁ」
ルクシスが頷く。
そして。
少し考える。
脳内で電球が点灯した。
ポン。
効果音まで鳴った。
ルクシスは片手を軽く叩く。
「……そうだ、ちょうどいい」
フェルギアが嫌な予感を覚える。
ルクシスは笑った。
「俺実は任務受けに行くの初でさ」
フェルギアの眉が動く。
ルクシスは自然に続けた。
「色々教えてくれよ」
沈黙。
フェルギアは止まる。
数秒。
そして言った。
「……え?」
ルクシスは期待した目。
フェルギアは困った顔。
少し目を逸らす。
「無理なんだが」
「は?」
ルクシスの中で何かが崩れた。
リベリオン先輩。
現地案内人。
経験者。
全部消えた。
フェルギアはもごもごしながら言う。
「だって俺も任務受けに行くの初だし……」
静寂。
ルクシスは真顔になった。
見つめる。
フェルギアを見る。
受付を見る。
またフェルギアを見る。
「マジかよつっかえねぇ」
「最低か」
即答だった。
フェルギアは眉を寄せる。
「そこは初心者なら初心者同士仲良くやろうぜって言うとこだろ」
ルクシスは一度息を止める。
奥歯を噛む。
ギリ。
初心者。
同レベル。
認めたくない。
だが事実。
数秒後、諦めたみたいに息を吐いた。
「……分かったよ」
少しだけ肩を落とす。
「初心者同士仲良くな」
そう言って手を差し出す。
フェルギアは少し目を丸くした。
次の瞬間。
口角が上がる。
その手を取った。
「そうこなくっちゃな」
握手。
軽い。
昨日とは少し違う。
助けられたとか、礼とか、そういう空気じゃない。
ただ普通だった。
それが少しだけ新鮮だった。
手を離す。
なんとなく。
ほんの少しだけ仲が深まった気がした。
ルクシスが先に歩き出す。
「よし」
周囲を見る。
「まずは情報収集だな」
向かった先。
近くに設置された大きな案内板。
地図。
施設一覧。
所属部署。
受付。
色々書いてある。
ルクシスは前に立つ。
指を伸ばす。
画面をなぞる。
「えーと……任務管理所ってとこ行けばいいんだよな……」
上から下。
左から右。
指で追う。
その隣で。
フェルギアが小さく声を漏らした。
「ほぉ……こんなものが……」
感嘆。
純粋な感心。
ルクシスの指が止まる。
ゆっくり横を見る。
フェルギア。
真剣に案内板見てる。
初めて見た人間の顔してる。
ルクシスは真顔になった。
(えぇ……)
(こいつ案内板のことも知らなかったのかよ……)
衝撃だった。
まさかここに来て知識マウント取れると思わなかった。
少し嬉しい。
いや嬉しくない。
ルクシスは視線を戻したまま聞く。
「……ってかお前」
指は止めない。
目線も動かさない。
任務管理所を探し続けながら言う。
「案内板のことも知らないのに、どうやったら試験会場まで着けるんだよ」
少し間。
フェルギアが言う。
「それは……」
歯切れ悪い。
「他の試験者について行ってだな……」
ルクシスは見てない。
でも分かった。
絶対困り顔してる。
なんか申し訳なさそうな顔。
ルクシスは黙った。
理解した。
こいつ。
主体性が終わってるタイプかもしれない。
フェルギアが少し言い返す。
「……というか逆にお前はこれ一回見ただけで着けたのかよ」
ルクシスは普通に答える。
「あ?」
指を止めない。
「そうだけど」
静寂。
今度は横から声がした。
「えぇ……」
困惑。
本気のやつ。
ルクシスは眉をひそめた。
さっきの「えぇ……」が気に入らなかった。
「んだよその反応」
フェルギアは少し考える。
言うか迷う。
言う。
「いや……だって」
案内板を見る。
ルクシスを見る。
また案内板。
「一回見て覚えられるほど単純な道じゃないだろ?」
ルクシスは少し黙る。
理解できない顔。
「……そうか?」
フェルギアは大きくため息を吐いた。
わざと。
本人にも聞こえるくらい。
盛大に。
「はぁぁぁぁ……」
ルクシスが眉を寄せる。
フェルギアは遠くを見る。
「これだから才能の塊は……」
ルクシスは一瞬止まる。
そして口角を上げる。
「嫉妬すんなって」
フェルギアは即答した。
「別に」
絶対少ししてる。
ルクシスは思った。
多分今そっぽ向いてる。
想像する。
腕組み。
目逸らし。
不満顔。
だがそれは女の子がやるから可愛いのであって男がやっても可愛くはない。
ルクシスは心の中だけで結論づけた。
「全く……」
やり返すようにため息。
再び案内板を見る。
今度はちゃんと探す。
指を動かす。
上。
横。
下。
情報量が多い。
部署。
施設。
矢印。
そして。
止まる。
「あ」
フェルギアが顔を向ける。
ルクシスは指を伸ばした。
「見つけたぞ」
少し得意そう。
「四階だってよ」
指差したまま、ようやくフェルギアへ視線を向ける。
フェルギアは頭を掻く。
近づく。
案内板を覗き込む。
そこに書かれていた。
『任務管理所』
フェルギアは少し黙る。
ルクシスを見る。
案内板を見る。
またルクシス。
「……もしかして」
少し引いた声。
「もう場所覚えたのか?」
ルクシスは即答だった。
「当然」
腕を組む。
鼻息。
少し胸を張る。
偉そう。
どうやら自分の記憶力に自信がついてしまったらしい。
「じゃあいくか」
上機嫌だった。
ルクシスは満足そうな顔のまま後ろを向く。
そのまま通路へ向かって歩き出した。
フェルギアも後ろにつく。
歩きながら言う。
「ちゃんと案内してくれよ」
ルクシスは肩越しに少し振り返る。
フェルギアは続けた。
「俺、三回はしてくれないと覚えられないから」
ルクシスは一瞬止まる。
真顔。
「お前は覚える努力をしろよな」
背中を向けたまま返す。
冗談半分。
呆れ半分。
そんな会話をしながら。
二人は通路へ入る。
――そこで。
少しだけ空気が変わった。
静か。
でも待合室とは違う。
人はいる。
歩く音。
紙をめくる音。
遠くの会話。
扉の開閉。
全部ある。
なのに不思議と落ち着いている。
仕事場みたいな空気。
フェルギアは少しだけ周囲を見る。
そして不意に呟いた。
「……なんか久しぶりな感覚だな」
ルクシスは歩いたまま返す。
「色々あったからじゃねぇの」
少し振り返る。
フェルギアを見る。
目の下。
肩。
姿勢。
「お前疲れた顔してるし」
フェルギアが少し止まる。
それから歩きながら返した。
「お前ってたまにエスパーになるよな」
呆れてるのか。
冗談なのか。
自分でも分からない声。
ルクシスは少し考える。
「褒めてんのか?それ」
フェルギアは肩をすくめる。
「褒め言葉として受け取っとけ」
吐き捨てるように言った。
ルクシスは少し笑う。
「じゃあそうしとく」
そこで会話が切れた。
静か。
足音だけ。
コツ。
コツ。
妙に大きく聞こえる。
昨日は。
叫んだ。
走った。
爆発した。
人を助けた。
死にかけた。
だから余計に。
こういう静かな時間が少しだけ変だった。
二人とも何も言わない。
でも嫌な沈黙じゃない。
気まずくもない。
ただ歩く。
そうして進む。
途中。
階段を見つける。
登る。
途中で人を避ける。
武装した人。
書類抱えた人。
談笑する人。
怪我人。
色んな人間がいる。
誰もこっちを見ない。
気楽だった。
三階。
さらに移動。
部屋番号。
案内。
そうしてようやく。
目的地に辿り着いた。
第四階。
任務管理所。
その一番奥に、それはあった。
天井に届きそうなほどの高さでそびえ立つ巨大なボード。
壁というより情報そのものが固まった構造物のようで、見上げるだけで首が痛くなる。
そして、その表面一面に散りばめられているのは――紙ではない。
青く発光する、薄い光の断片。
揺らめきながら浮かぶホログラムが、無数の依頼情報を淡く映し出していた。
ルクシスは一歩だけ後ろに下がる。
指先がわずかに動く。
無意識の警戒。
「……なんだよあれ……触れたらやばいやつか?」
まるで魔術罠でも見つけたような顔だった。
その横で、フェルギアはあっさりとした調子で答える。
「……ホログラムだよ。知らないのか?」
「ほろ……ぐらむ……?」
まただ。
また知らない単語だ。
フェルギアは肩をすくめる。
「まぁ要するに、光で立体像を映してるやつ」
「光で……立体像……?」
ルクシスは目を細めてボードを見る。
光。
立体。
映像。
頭の中で単語だけが空回りしていく。
理解はしている。
している“気はする”。
だが腹の底には落ちてこない。
「あ〜……?うーむ……」
完全に飲み込めていない声だった。
それでもフェルギアが妙に楽しそうにボードへ歩き出すので、ルクシスは仕方なく後を追う。
一歩、二歩。
近づくにつれて、ホログラムの情報がはっきり見えてくる。
「ほぉ……実物を見るのは初めてだが……すごいなこれ……」
フェルギアは目を細めながら、青く揺らめくホログラムをまじまじと見つめていた。
光が空中に浮かび、わずかに揺れている。
触れられそうで、触れられない。
そんな曖昧な距離感が逆に現実味を削いでいる。
「……ちょっと待て」
ルクシスがすかさず突っ込む。
「なんで実物見たことないのに、本物見てすぐ“ホログラム”って分かったんだよ」
フェルギアは一瞬だけ視線を逸らした。
「……あー、それは……」
「それは?」
「面倒くせぇな、説明なし」
「それはないだろ」
即座の返し。
フェルギアは横目で睨む。
「うっせ、お前が言うな」
言い合いは雑だが、足は止まらない。
二人とも、結局のところ視線はホログラムに釘付けだった。
それはもう、初めて星空を見上げた子供のように。
言葉より先に目が動いている。
ルクシスがぽつりと呟く。
「……よく見ると消えたり増えたりしてんのな」
フェルギアも視線を追う。
確かに。
さっきまであった依頼がふっと消え、次の瞬間には別の内容がそこに現れている。
しかも場所も、内容も、条件も違う。
まるで“流れ続ける情報そのもの”を見ているようだった。
「なるほど……こうやって管理してんのか……」
フェルギアは一人で納得したように頷く。
「お前それ一人で完結すんなよ」
ルクシスは軽く眉をひそめる。
だが、内心では少しだけ感心していた。
(これ、確かに便利だな……)
紙を貼る。
剥がす。
書き換える。
そんな手間が一切ない。
世界の仕事場としては異常なほど効率的だ。
そのときだった。
ルクシスの視線が、一点で止まる。
「おっ」
短い声。
フェルギアがすぐ反応する。
「なんだ?もう決めたのか?」
「まぁな」
ルクシスは迷いなく指を伸ばしていた。
その先にあるホログラム。
フェルギアは隣から覗き込む。
「どれどれ……」
そして。
それを見た瞬間。
空気が止まった。




