第二十六話 「物語」
「……ちなみに、お前以外に賢者っているのか?」
フェルギアが何気なく投げたその問いに、ルクシスは一瞬だけ視線を天井へ逃がした。
「いるぞ。俺以外に三人」
「さ……三人ね……」
フェルギアの喉が、乾いた音を立てて上下する。
(ルクシスみたいな規格外が、あと三人もいるってことか……?)
想像が追いつかない。
一人でも十分に常識を壊す存在だというのに、それが複数いる世界の方がむしろ異常に思えた。
ルクシスは淡々と続ける。
「まぁ普通、賢者ってのは一世代に一人いれば上出来って感覚だな」
「へぇ……」
「だから今みたいに四人同時代に揃ってるのは異常だ」
「あー……やっぱそうなのか」
フェルギアは曖昧に頷く。
納得したような、していないような顔だった。
ルクシスは肩をすくめる。
「お陰で奇跡の世代とか呼ばれてる」
(…なんかいまいち珍しさがわかんねぇな……)
「なんかいまいち珍しさがわかんねぇなって顔してんな」
「一言一句当てるな。気持ち悪いから」
即座に突っ込むと、ルクシスは鼻で笑った。
「強いて言うなら、百年に一人出るかどうかだな」
「う……うーん……分かったような……分かんねぇような……」
数字が大きすぎて逆に実感がない。
ルクシスはさらに淡々と追い打ちをかける。
「あとはそうだな。賢者ってのは“世界の守護者”とも呼ばれてる」
「ほ……ほう」
部屋に一瞬、妙な静寂が落ちる。
風の音だけがやけに大きく聞こえた。
フェルギアはしばらく考えたあと、率直に言った。
「……それだけ?」
「それだけだけど」
「……お前先生向いてないよ」
「失敬な」
ルクシスはリモコンを軽く振り回す。
「これでも昔、俺は弟子を持ってたんだぞ」
「大丈夫なのかよ、その弟子」
「どういう意味だよ」
フェルギアの脳裏に、勝手な映像が浮かぶ。
ルクシスの弟子らしき人物が、笑いながら街を炎で焼き払っている光景。
「……おい、今すげぇ失礼なこと考えてただろ」
「な、なんで分かるんだよ」
「顔に出てる」
ルクシスは机に指先を軽く打ちつけ始めた。
イライラのメトロノームみたいになっている。
(やばい、イライラボルテージが上がってる、地雷だったのか?)
フェルギアは慌てて話題を探す。
「そ、そういや! 他の賢者ってどんな奴なんだ?」
ルクシスの指が止まる。
一拍置いて。
「……あー」
少しだけ嫌そうな間。
「一人除いて、全員ろくでもねぇやつだぞ?」
その言葉だけが、妙に重く部屋に落ちた。
「一人は炎適正のボクっ娘」
「ほうほう……それは興味が湧くな……」
フェルギアが妙に真剣な顔になる。
ルクシスは淡々と続けた。
「もう一人は闇適正の一匹狼」
「冷静に考えて闇適正の賢者って怖くないか?」
「実際、何考えてるか分かんねぇやつだな」
即答だった。
「で、最後の一人は水適正の聖人」
「急に高評価」
「アイツは根っからの善人だからな……まぁ善人すぎて逆に好きになれねぇが」
「どんなやつなんだよそれ……」
フェルギアの頭の中で、四人の賢者が勝手に並び始める。
炎のボクっ娘。
闇の一匹狼。
水の聖人。
そして風のルクシス。
――エメラルドの瞳が淡く光る。
(なんだこの濃すぎるメンツ……)
ルクシスは何事もなかったように続ける。
「まぁこんな感じで四人だな」
「……」
フェルギアはそこでふと気づいた。
「ちょっと待った」
「なんだよ」
「瞳の色が賢者の証なんだろ?」
「あぁ、そうだが」
「じゃあさ、生まれつき瞳が緑のやつとかどうなるんだ?」
一瞬の沈黙。
ルクシスは少し考えたあと、あっさり言った。
「その場合は髪と瞳の色が同じかどうかで判断する」
「は?」
フェルギアの声が裏返る。
「いや、待て待て、それ雑すぎないか?」
ルクシスは肩をすくめた。
「お前ちょっと思い返してみろよ」
「今まで会ったやつで、俺除いて髪と瞳の色違うやついたか?」
言われて、フェルギアは記憶を辿る。
青髪のアステラ。
赤髪のアテネ。
リベリオンで見た黒髪の男。
そして自分。
……確かに、全員ほぼ一致している。
「……あれ」
「納得したか?」
「……納得したわ」
ルクシスは満足げに頷いた。
「要するに髪と瞳の色がズレてるやつは、特殊な目持ちって思えばいい」
「……賢者以外にも特殊な目を持ってる奴がいますよって感じの言い方だな」
ルクシスは一瞬だけ間を置いた。
そして、どうでもよさそうに付け足す。
「……噂だけどな。どっかの王族がそういう目を持ってるらしい」
その言葉で、空気が少しだけ変わる。
フェルギアの背筋に、理由の分からない寒気が走った。
(王族……特殊な目……)
さっきまでの“授業”とは違う匂いが混ざる。
ただの雑学では済まない何か。
だがルクシスはそれ以上は語らず、リモコンをくるりと回した。
ルクシスは大きく、そして遠慮のない欠伸を一つこぼした。
「……あー、もう授業終わっていいかぁ? 眠くなってきた」
さっきまでの講師じみた張りはどこへやら。
声は一気に柔らかく、というより限界まで緩んでいる。
フェルギアは思わず時計へ視線を落とした。
針はとっくに常識外れの位置を指していた。
――深夜三時。
「……あ、あぁ。分かった。ありがとな」
言いながら、フェルギアは軽く頭を下げる。
(こいつ、今まで普通に授業してたのか……この時間に)
常識の歪みを再確認しながらも、なぜか妙な納得もあった。
ルクシスは椅子代わりのソファーから立ち上がることもなく、手だけをひらひらと振った。
「じゃあな、またどっかで会おうぜ」
その動きは雑で、眠気そのものみたいに力が抜けている。
フェルギアも扉へ向かいながら手を上げた。
「おう、またな」
そして静かに扉が閉まる。
部屋に残るのは、ひとり分の気配だけだった。
ルクシスはそのまま、ソファーへ沈み込むように横になる。
天井を見上げたまま、小さく息を吐いた。
「あー……そういやまだ予定たててなかったっけ……」
ぼんやりと、明日のことでも考えようとする。
だが思考は途中で途切れた。
まるで意識そのものがソファーに吸い込まれるように。
数秒後。
ルクシスの呼吸は静かに均一になり、
そのまま深い眠りへと落ちていった。
───不意に、意識が浮上した。
まぶしさが、まるで刃みたいに瞼を刺す。
ルクシスは反射的に腕を持ち上げ、目元を覆った。
「……今何時だっけ……」
掠れた声が、まだ夢の底に沈んでいる。
ゆっくりと視線だけを動かす。
部屋の片隅に置かれた時計へ焦点を合わせた。
針は、ちょうど“3”の数字へ向かって伸びている。
「……寝すぎたな……」
小さく呟き、ルクシスはのろのろと上体を起こす。
髪を乱暴に掻き、目元を何度か擦った。
身体は重い。
だが、昨日の死闘の後とは思えないほど、痛みは引いていた。
「……リベリオン……行ってもいいのか?」
声は独り言というより、思考の垂れ流しだった。
休養中。
そう言われていたはずだ。
その状態で動くのは、果たして正しいのか。
「……まぁ、いいか」
結論はいつも通り雑だった。
ふらつく足で洗面台へ向かう。
水を出し、顔を冷たい水で叩くように洗った。
一気に意識が冴える。
まだ完全ではないが、最低限“動ける人間”の輪郭を取り戻す。
鏡の中の自分を一瞥し、ぽつりと漏らす。
「……とりあえず行ってみるか……」
身支度は簡単だった。
戦いの後だというのに、妙に手慣れているのが自分でも可笑しい。
軽く背伸びをしてから、扉へ向かう。
ギィ、と扉を開ける。
外の光が一気に流れ込んできて、思わず目を細めた。
「……眩し……」
数秒遅れて視界が馴染む。
そこに広がっていたのは、昨日見た街と同じ景色。
だが“同じ”という言葉で片付けるには、あまりにも歪んでいた。
崩れた建物。
焦げ跡の残る壁。
修復途中の瓦礫。
確かに街だ。
それでも、昨日の戦いの痕跡がまだ呼吸している。
「……よし」
小さく呟く。
その一言で、何かが切り替わった。
覚悟というほど大層なものではない。
ただ、“ここにいる理由”だけが再確認された感覚。
一部が戦場で、一部が生活で、そしてまだどちらにもなりきれていない街。
未完成の世界。
ルクシスは階段を降り、石畳の道へ出る。
足音が、朝でも夜でもない曖昧な時間に吸い込まれていく。
やがて大通りに出た。
「塔はっと……」
ルクシスは大通りの途中で足を止めた。
まだ朝とも夜ともつかない光の中、左右へ視線を流す。
崩れかけた建物の隙間、その先。
――異様なまでに巨大な構造物。
街の輪郭から浮き上がるようにして、それはそこにあった。
まるで世界の設計図から“そこだけ別枠で書かれた”みたいな違和感。
「……あそこか」
呟きは短い。
視線の先、塔の入口は遠い。
だが距離以上に、“存在感”の方が先に意識へ刺さってくる。
ルクシスは軽く息を吐き、服の襟を整えた。
乱れた布を指で引き、戦闘の名残をほんの少しだけ消す。
「……よし」
一度だけ深く息を吸う。
肺の奥まで冷たい空気を入れ、ゆっくりと吐き出した。
崩れた街。
焼け跡の残る石畳。
まだ完全には戻りきっていない日常の断片。
一部は戦場で、一部は生活で、そしてそのどちらにもなりきれていない場所。
未完成の世界。
その中心へ向かうように。
ルクシスは歩き出した。
靴音が、静かな大通りに落ちる。
──これは。
ルクシス・サーベンダー。
“未完成の英雄”が歩き始める。
その始まりの物語。
これで第二章は終了です。多分今後はフェルギアとルクシスのダブル主人公作品になっていくと思います




