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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第二章 『未完成の英雄』
24/49

第二十四話 「余韻」

「……ふぅ……」

肺の奥に溜まっていた空気を、ゆっくり吐き出す。

身体から力が抜けそうになる。

左腕は使い物にならない。

全身も熱い。

それでも。

ルクシスは倒れないように脚へ力を込めた。

「……よし」

勝った。

ようやく。

遅れて実感が追いついてくる。

宿の中には焦げた匂い。

崩れた柱。

砕けた壁。

さっきまで暴れていた魔物の姿はもうない。

少しだけ肩の力が抜ける。

……だが。

勝利の余韻に浸るにはまだ早い。

やることが残っている。

ルクシスは辺りを見渡し、

「フェルギアはまぁ見捨てるとして……」

さらっと最低なことを言った。

そして受付人のほうへ歩き出す。

床に散った破片を踏み越え、壊れた入口の前へ。

彼女は静かだった。

さっきまであれだけ叫んでいたとは思えないほど。

ルクシスは目の前で片膝をつく。

「おーい」

反応なし。

そっと肩を持ち、仰向けにする。

……血。

頭から流れていた。

思ったより派手だった。

一瞬眉をひそめる。

だが慌てない。

慌てても意味はない。

まず確認。

「息は……」

手を口元へ。

少し待つ。

温かい。

弱いが、確かに呼吸している。

ルクシスは小さく息を吐いた。

「してるな」

収納魔法を展開。

包帯を取り出す。

慣れた手つき――とはいかなかった。

左腕が使えない。

片手で悪戦苦闘しながら、なんとか頭へ巻いていく。

ぐるぐる。

ぐるぐる。

途中でズレる。

巻き直す。

「……意味はあるよな、多分」

小声で言い訳する。

正直、自信はない。

応急処置なんて専門外だ。

それでも、何もしないよりはマシだろう。

最後に結び目を作って。

少し離れて見る。

……なんか頭だけやたら大きくなった。

「まぁ……死ななきゃいいか」

小さく呟く。

そして立ち上がる。

宿の中を見渡す。

もう一人。

白髪。

「……」

ルクシスは視線を向け、

少し考え、

「フェルギアも流石に死んでたら寝覚め悪いか……」

今度はフェルギアのほうへ歩き出した。

フェルギアは壁にもたれたまま、天井に空いた大穴を見上げていた。

夜空が見える。

さっきの爆発の名残か、煙がゆっくり流れている。

呼吸は浅い。

肩も上下している。

死んでない。

多分。

「生きてはいるのな」

ルクシスが近づく。

フェルギアは目だけ動かした。

「……この程度で死ぬほど……やわじゃねぇよ……」

声が掠れていた。

説得力は皆無だった。

「死なねぇなら一発ダウンすんなよな……」

文句を垂れながら、ルクシスは収納魔法から包帯を出す。

そして。

迷いなくフェルギアの腕へ巻き始めた。

ぐるぐる。

ぐるぐる。

ぐるぐる。

「……骨折に包帯って意味あるのか……?」

フェルギアが聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟く。

ルクシスは手を止めない。

「知らね。でもやっといたほうがよさそうだろ」

「ずいぶん適当なんだな……」

「医療知識なんか持ち合わせてないからな」

包帯を引っ張って結ぶ。

若干きつい。

多分血流も悪い。

「せめて治療できる魔法があったらよかったんだが……」

「……?」

フェルギアの眉がぴくりと動く。

「なんで他の魔法ならあるみたいな言い方……?」

「……あ?」

止まる。

ルクシスの顔が固まる。

まるで意味不明な言語を聞いた人間の顔だった。

数秒。

沈黙。

ルクシスがゆっくり首を傾げる。

「うーん……待て待て……」

包帯を持ったまま聞く。

「お前……魔法を知らないのか?」

フェルギアも固まる。

今度はフェルギアが理解不能な顔をする。

「……ゲームの話だろそれは」

「…………」

ルクシスの瞬きが止まる。

ゲーム。

知らない単語。

でも。

言い方がおかしい。

“空想のもの”を語る口調じゃない。

ルクシスは眉を寄せた。

「げ……げーむ……?」

魔法は知らないくせに。

げーむとかいう、よく分からない言葉は出てくるのか。

フェルギアは逆に困惑していた。

「いや待て……お前ゲーム知らねぇの……?」

沈黙。

二人が見つめ合う。

そして。

同時に思った。

((こいつ……どのディメンション出身だ……?))

「えーと……げーむってのはよく分からんが……魔法ってのはあれだ、さっき俺が撃ったやつ」

ルクシスは杖をひらひら振る。

フェルギアは寝転んだまま視線だけ動かした。

「……なんか光がばーってなってるやつか……?」

「語彙力が終わってるがまぁそれだ」

「そうか……そんなものが……」

フェルギアはどこか遠くを見る目をした。

ルクシスは首を傾げる。

反応がおかしい。

知らないにしても驚き方が妙だった。

まるで――本当に存在しないものを見たような。

「おい」

ルクシスは軽く肩を叩く。

「魔法について教えたんだから、今度はげーむとやらがなんなのか教えろよ」

フェルギアは目を閉じかけながら答える。

「……娯楽の……一種で……」

「ふむ」

「……ふぁんたじー……とか……」

「……とか?」

返事がない。

フェルギアは静かだった。

ルクシスはじっと見つめる。

数秒。

「……おい?」

肩を揺する。

反応なし。

「……寝やがったこいつ」

思わず顔をしかめる。

頬をつねって起こしてやろうかと思った。

というか起こしたい。

普通に説明途中だし。

だが。

自分も疲れている。

左腕は死んでいる。

眠い。

なんなら立ってるのも若干しんどい。

ルクシスはため息をついて諦めた。

辺りを見渡す。

崩れた壁。

抜けた天井。

砕けた床。

焦げた宿。

受付人は気絶。

フェルギアは睡眠。

……静かだった。

「というか……」

ルクシスはぽつりと呟く。

「泊まる宿ぶっ壊れた俺はどうすれば……」

答える者はいない。

風が吹く。

天井がないのでよく通る。

ルクシスは空を見上げる。

星が綺麗だった。

「……リベリオン、宿代出してくれねぇかな」

現実逃避だった。

だが、今日は妙に願いが叶う日だった。

「大丈夫ですかー!?」

遠くから複数の足音が響く。

顔を上げると、武装した集団がこちらへ駆け寄ってきていた。

槍を持つ者。 剣を背負う者。 盾を抱えた者。

装備はバラバラだが、共通しているのは全員が訓練された動きでこちらへ向かってきていることだった。

ルクシスはその姿を見て、ようやく肩の力が抜ける。

(……来るの遅くねぇか?)

ふとそんな感情が浮かぶ。

冷静に考えればおかしい。

ここはリベリオン本部の近くだ。

魔物警報まで鳴っていた。

なのに、戦闘が終わるまで助けに来たのはフェルギアだけだった。

(あとで文句の一つくらい――)

そこまで考えた瞬間だった。

ぐらり。

視界が傾く。

「あれ……」

足に力が入らない。

無理やり立っていた身体が、限界を迎えたように静かに崩れた。

ドサッ。

膝が床につく。

遅れて全身に痛みと疲労が押し寄せてくる。

折れた左腕。

焼けるような筋肉。

魔力切れにも似た虚脱感。

頭も重い。

思考がまとまらない。

「だめだ……もう……限界……」

そのまま身体を横に倒す。

遠くから声が聞こえる。

「負傷者三名!」

「こっちは意識あり!」

「医療班呼べ!」

誰かが走る音。

瓦礫をどかす音。

誰かが名前を呼んでいる気もする。

でも、もうどうでもよかった。

助けたかった奴は生きてる。

フェルギアもしぶとそうだった。

宿は……壊れた。

……でも。

ルクシスは薄く笑う。

(まぁ……完全勝利……では……ないけど……)

重くなる瞼。

意識が沈む直前。

最後に見えたのは。

崩れた入口の向こうで、頭に包帯を巻いた受付人が――こちらを見ていた気がした。

そして。

ルクシスの意識は、静かに闇へ落ちた。

───「……ん……」

重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。

最初に視界へ飛び込んできたのは、白く整えられた天井だった。

傷一つない。煤もない。木材の染みもない。

ルクシスはぼんやりとその天井を見上げたまま、数秒だけ思考を止める。

「……知らない天井だ……」

なんとなく口から出た言葉。

もしここが病室なら、もっとそれっぽく決まったのだろうが。

ゆっくり顔だけ横に向ける。

そこにあったのは病院らしい無機質な空間ではなく、生活感の薄い綺麗な部屋だった。

壁際には薄型の黒い板――テレビらしきもの。

机、照明、棚。

どれも妙に整っていて、人の気配だけが欠けている。

そして近くのテーブルの上には、見慣れたものが並べられていた。

二本の剣。

鞘に収められ、丁寧に立てかけられている。

その隣には杖。

木製の持ち手。虹色の結晶。金の輪。

誰かが回収して、ここに置いてくれたのだろう。

ルクシスは無意識に自分の身体へ視線を落とした。

服は着替えさせられてはいない。

だが腕や肩、脇腹には綺麗に包帯が巻かれている。

昨日、自分でやった雑すぎる応急処置とは比べ物にならない。

左腕をそっと持ち上げる。

「左腕は……」

軽く握る。

痛み。

少し遅れて鈍い熱。

だが動く。

握れる。

開ける。

「……まだ痛むが、普通に動くな」

骨までいった感覚だった。

短時間でここまで治療できるなら、普通の医者じゃない。

少なくとも自分より遥かにまともな知識がある。

ルクシスは手を伸ばし、剣を一本。

もう一本。

最後に杖。

順番に収納魔法へと沈めていく。

部屋の中から、自分の存在だけが戻ってくるような感覚だった。

全部片付け終わると、もう一度だけ天井を見る。

静かだ。

耳が痛いくらい。

昨日の爆発音も。

咆哮も。

怒鳴り声も。

全部夢だったみたいに。

「……」

そこでようやく違和感に気づく。

身体が妙に低い。

寝起き特有の感覚じゃない。

ルクシスは周囲を見回し、勢いよく立ち上がった。

「……ベッドじゃなくソファーだったのか……」

視界の下にある長いソファー。

ちゃんと寝具もかけられている。

病人扱いしたいのか、客扱いしたいのか分からない。

ルクシスは肩を回しながら苦笑した。

「意外と適当なのかもしれない」

そう呟いた直後。

――コン。

部屋の外から、小さく扉を叩く音がした。

ルクシスの表情が止まる。

誰だ。

フェルギアか。

受付人か。

それとも――。

ルクシスは扉を見つめた。

次の瞬間、ゆっくりとドアノブが回り始めた。

扉がゆっくりと開く。

先に目に入ったのは、鮮やかな色だった。

赤。

燃えるような赤髪。

高い位置で結われたポニーテールが扉の動きに合わせてわずかに揺れる。

次に見えたのは腰に備えられた長刀。

無駄のない立ち姿。

静かな圧。

そして――見覚えしかない顔。

「……え」

呼吸が一瞬止まった。

地下の待合室。

壁に顔を埋めて肩を震わせていた女性。

あの時、確かに泣いていた人。

「……起きたか」

感情の薄い声だった。

昨日の姿を知っているからこそ、その静けさが逆に違和感だった。

まるで別人。

ルクシスは数秒遅れて返事をする。

「えぇ……まぁ」

頭の片隅で迷う。

聞くべきか。

あの時、なんで泣いていたのか。

試験前、あの通路で。

壁に顔を押し付けて。

でも――。

「魔物の件で事情聴取がしたい。いいか?」

先に向こうが本題へ入った。

空気が変わる。

ルクシスは一瞬だけ迷ってから頷く。

「……はい」

聞くのはやめた。

今じゃない。

多分、これから先もしない。

そういう気がした。

そこからルクシスは順番に説明していく。

宿へ魔物が侵入してきたこと。

受付人を避難させようとしたこと。

途中までは単独で戦闘したこと。

そして途中から、偶然現れたフェルギアと共闘したこと。

……一部だけ、伏せながら。

(フェルギアがワンパンされたことは伏せておいてやろう)

あれを説明する権利は本人にある。

勝手に恥を広めるほど性格は悪くない。

説明が終わる。

女性は黙ったまま聞いていた。

途中で頷くこともない。

表情もほとんど変わらない。

全部聞き終えてから、短く言った。

「そうか」

その返事だけ。

そして彼女は懐に手を入れる。

取り出したのは厚みのある封筒だった。

無造作にルクシスへ差し出す。

「報酬金だ。受け取っておけ」

「……どうも」

ルクシスは片手で受け取る。

思ったより重い。

中身の量より、責任みたいなものが重く感じた。

そして。

聞かなければならないことを思い出す。

少し間を置いて口を開いた。

「あの」

女性が視線だけ向ける。

怖い。

怖いが、聞く。

「俺とフェルギア以外に……あと一人いましたよね」

受付人。

最後まで宿に残ろうとしていた人。

「……あの人はどうなったんですか」

一瞬だけ沈黙。

女性は少し目を伏せて答えた。

「……頭を打って未だ気絶しているらしい」

ルクシスの肩がわずかに揺れる。

女性は続ける。

「だが、命に別状はないと聞いている」

「……そう、ですか」

胸の奥に溜まっていたものが少し抜ける。

知らないうちに息を止めていたらしい。

安心した。

「あと……もう一つ、聞いていいですか」

アテネは返事の代わりに視線だけ向ける。

その静かな圧に少しだけ怯みながら、ルクシスは言葉を続けた。

「あなたは……どういう人間ですか?」

言ってから思った。

変な質問だ。

事情聴取の流れで聞くことじゃない。

名前を聞くとか、役職を聞くとかならまだ分かる。

なのに出てきたのはこれだった。

どういう人間。

自分でも抽象的すぎると思った。

だが、それ以上に聞いておきたかった。

目の前のこの人間を。

少しだけ。

アテネはしばらく黙った。

数秒。

部屋に静寂が落ちる。

やがて彼女は小さく息を吐いた。

「……リベリオンでの立ち位置として答えるのならば」

そこで言葉を切る。

少しだけ目線を逸らした。

「私はアテネ。アテネ・フォーツライン」

赤い髪が肩を流れる。

「自慢じゃないが……リベリオンの最高戦力だ」

静かな声。

誇っているようには聞こえなかった。

事実を読み上げているだけ。

そんな言い方だった。

「アテネ……さん」

名前を繰り返す。

普通なら驚くべきなのだろう。

最高戦力。

それもリベリオンの。

本来ならもっと感情が動く情報だった。

でも。

ルクシスの中に残ったのはそこじゃなかった。

名前でもない。

肩書でもない。

その声。

妙に疲れていた。

身体じゃない。

もっと奥。

ずっと長い時間を歩いてきた人間みたいな。

何かを失い続けた人間みたいな。

そんな声だった。

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