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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第二章 『未完成の英雄』
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第二十二話 「もう一度」

ルクシスは荒くなった呼吸を整えながら、一瞬だけ後ろを見る。

受付人。

彼女はまだそこにいた。

逃げる様子もない。

騒ぐ様子もない。

ただ静かに。

まるで雨でも眺めるように、魔物を見ていた。

ルクシスは眉をひそめる。

「……あんたみたいな魔物見ても平然としてる一般人、初めて見たよ」

苛立ち混じりの声。

受付人は目線すら変えない。

「自分が死ぬときぐらい分かります」

感情のない声。

「分かっていることに恐怖したりはしません」

淡々。

本当に淡々と。

そこに強がりも悲しみもなかった。

それが逆に不気味だった。

ルクシスは少しだけ目を細める。

そして短く返す。

「あっそ!!」

吐き捨てる。

これ以上構う余裕はない。

今優先すべきは――目の前。

ルクシスは再び地面を蹴った。

一直線。

魔物へ突進する。

すると。

魔物が動く。

巨大な身体を沈める。

両腕――口でできた腕を床につける。

足を曲げる。

低く。

前へ。

クラウチングスタート。

ルクシスの顔が引きつる。

「中途半端に人間っぽいことすんなよ!!」

嫌悪。

理解できないものが、人間の真似だけしてくる気持ち悪さ。

ルクシスは剣を構える。

魔物も同時に地面を蹴る。

――ドンッ!!

宿全体が揺れる。

魔物は加速した。

だが走り方がおかしい。

頭。

耳でできた顔面。

それを地面に押しつける。

ギギギギギギ――ッ!!

嫌な摩擦音。

顔を削りながら。

身体を引きずりながら。

一直線に突っ込んでくる。

ルクシスは迎え撃つように跳躍した。

上を取る。

頭へ飛び乗って叩き切る。

そう判断した。

だが。

その瞬間。

違和感。

魔物の身体。

無数に埋め込まれた目。

――全部。

一斉に。

開いた。

かっ。

赤い視線。

全部が。

空中のルクシスを捉える。

「――ッ!」

説明できない。

でも。

本能が叫んだ。

近づくな。

ルクシスは咄嗟に黄金の剣を振る。

突き立てる。

ガギィィン!!

剣が魔物の胴体へ深く刺さる。

その反動を利用。

身体を捻り。

予定を変える。

乗るんじゃない。

飛び越える。

ルクシスはそのまま魔物の背後へ抜けた。

着地。

魔物は止まらない。

ぐり、と。

鼻でできた脚を床に食い込ませる。

巨大な身体が無理やり向きを変える。

――バギィッ!!

棚に激突。

木片が弾け飛ぶ。

砕けた板。

金属片。

割れた装飾。

全部が一直線に飛んでいく。

受付人の方へ。

「あ――」

考える前だった。

ルクシスの腕が動いていた。

反射。

ただ、それだけ。

伸ばした手。

その瞬間。

――ピタ。

空中。

砕けた棚の破片が止まった。

音もない。

落ちない。

回転もしない。

まるで世界から時間だけ切り取られたみたいに。

静止。

受付人の瞳がわずかに揺れる。

一歩。

二歩。

ゆっくり後ろへ下がる。

初めて。

その呼吸が少し乱れた。

「……っ」

目を見開く。

ルクシスを見る。

止まった瓦礫を見る。

そして。

もう一度ルクシスを見る。

ルクシスは額に汗を浮かべながら小さく息を吐いた。

「……っぶねぇ……」

そっと指先を下ろす。

直後。

止まっていた瓦礫が、何事もなかったように落下する。

ガラガラと床に散らばる。

魔物は一切気にしていない。

受付人にも。

宿にも。

興味がない。

ただ。

身体中の目。

全部。

ルクシスだけを見ている。

さっき背中へ刻んだ黄金剣の傷。

浅かったせいか。

もうどこを斬ったかすら分からない。

ルクシスは剣を握り直す。

目は魔物。

口だけが動く。

「受付人を気にしないでくれるのはありがたいが……」

剣先を少し下げる。

呼吸を整える。

魔物を見る。

宿を見る。

受付人を見る。

そして苦笑した。

「……こりゃ、守り切れるか分かんねぇな……」

冗談みたいに言った。

けど。

声は少しだけ硬かった。

ルクシスは小さく舌を噛んだ。

勝つ方法ならある。

いくらでもある。

魔法。

武器変換。

周囲を巻き込む範囲攻撃。

全部使えば、こんな魔物――。

だが。

それは受付人を考慮しなかった場合の話だ。

宿。

人。

全部切り捨てる前提なら、もっと簡単だった。

ルクシスは剣を握り直す。

汗が顎を伝う。

「せめて……」

視線は魔物から逸らさない。

「せめてもう一人くらいは……」

神頼みだった。

自分でも笑えるくらい。

他人任せな願いだった。

でも。

どうやら。

今日だけは神様も暇だったらしい。

「はぁ……はぁ……!」

荒い呼吸。

入口方向。

ルクシスは反射的に振り返る。

そこにいた。

白髪。

黄緑色のチャックが走るパーカー。

黒いズボン。

街中ですれ違った。

あの男。

ルクシスの目が少し見開く。

「お前は……」

白髪の男もルクシスを見る。

息を切らしながら。

眉を寄せる。

「あれ……?」

少し首を傾げる。

「どこかで会ったような……」

覚えていた。

ルクシスは少しだけ口角が上がる。

だが次の瞬間。

現実に戻る。

「……って、そうじゃない」

ルクシスは剣を肩に担ぐ。

急ぐ。

時間がない。

「ちょうどよかった」

指を向ける。

「えーと……名前なに?」

沈黙。

白髪の男が瞬きをする。

魔物。

壊れた宿。

緊迫した空気。

その中で名前を聞かれた。

「……は?」

若干引いている。

ルクシスは気にしない。

「早く」

「……フェルギア」

男は若干呆れながら答える。

「フェルギア・バーンライト……」

ルクシスは頷く。

「じゃあフェルギアさん……」

少し考える。

「なんか口馴染みが悪いな、呼び捨てでいくわ」

「は?」

「時間稼ぎいけるか?」

フェルギアが黙る。

数秒。

ルクシスを見る。

魔物を見る。

受付人を見る。

そして。

ゆっくりルクシスへ顔を戻した。

「時間稼ぎどころか」

小さく首を傾げる。

当たり前みたいに言う。

「討伐のために来たんだが俺…」

沈黙。

ルクシスが瞬きをする。

フェルギアは宿の中を見渡す。

そして。

魔物へ視線を固定した。

口角が少しだけ上がる。

「……あいつが例の1級ね」

静かに呟く。

その目だけ。

笑っていなかった。

「というか、お前は討伐に来たわけじゃないのか?」

 フェルギアが眉をひそめながら聞いてくる。

 当然の疑問だった。

 こんな警報が鳴って、わざわざここまで走ってきた人間なら普通は魔物討伐目的だと思う。

 だが、ルクシスは肩を竦めた。

「半分正解、半分不正解」

「何言ってんだお前」

 呆れ半分、困惑半分。

 まだ名前を聞いた程度の関係だというのに、不思議と妙な話しやすさがあった。

 ルクシスは片手で頭を掻きながら、受付の方を親指で指した。

「あそこに人いるだろ?」

 フェルギアも視線を向ける。

 受付人は相変わらずその場から動こうとせず、こちらを静かに見つめている。

 逃げる気も、叫ぶ気も、助けを求める気もない。

 まるで自分が死ぬ未来を最初から受け入れているような顔。

 フェルギアは一瞬だけ目を細めた。

「……それで?」

 ルクシスは剣を肩に担ぐ。

「俺はあいつを助けに来た」

 短く言う。

「助けるために魔物を倒したい。でも――」

 赤い目の魔物を見る。

 でかい。

 速い。

 そして宿ごと壊しかねない。

 ここで大技を撃てば受付人も巻き込む。

「魔物倒しながらあいつ守るの無理」

「あー……」

 フェルギアは一瞬だけ考える。

 そしてすぐ理解したように頷いた。

「要するに、俺があいつ連れ出す時間作ればいいんだな?」

 理解が早い。

 驚くほどに。

 ルクシスは少し目を見開いたあと、小さく笑う。

「物分かり良くて助かる」

魔物は二人を見つめていた。

 先ほど自身の顔を引きずった影響で少し抉れた顔面。

 なのに追撃もせず、ただ静かに。

 まるでこちらの準備が終わるのを待っているようだった。

 案外紳士なのかもしれない。

 ……見た目は最低最悪だが。

「俺の目的は言った。できるだけ合わせてくれよ」

 ルクシスは二本の剣を構え直す。

 黄金の剣と、光を飲み込むような黒い剣。

 刃先が僅かに下がり、次の瞬間には地面を蹴れる体勢になる。

 隣ではフェルギアも息を整えていた。

「でもお前の方がめちゃんこ強かった場合は合わせられねぇぞ俺」

 軽い口調。

 だがその目は真剣だった。

 直後、フェルギアの手元からオレンジ色の光が伸びる。

 細い光は空中で形を持ち、何本もの鎖へと変わっていく。

 ジャラ……と金属音。

 熱を持っているような、不思議な鎖だった。

 フェルギアはルクシスの横へ並ぶ。

 二人は視線を合わせない。

 なのに不思議とタイミングは合っていた。

 次の瞬間。

 二人同時に地面を蹴る。

 だが――

 走り出してすぐ、ルクシスは違和感を覚えた。

(待て……)

 視線が自然と魔物へ向く。

(なんでわざわざ顔を地面に擦りつけた……?)

 さっきの突進。

 意味もなく頭を引きずっていたようには見えなかった。

 ルクシスの瞳が細くなる。

 そして。

 ふと視線を下げた。

 地面。

 赤黒い液体。

 ――その液体が。

 ぐにゃり、と動いた。

(まずい)

 言葉は出さない。

 叫ぶ時間すら惜しかった。

 ルクシスは即座に身体を捻る。

 そして横を走っていたフェルギアへ肩からぶつかった。

「うおっ!?」

 そのまま強引に進行方向を変える。

 二人の足元。

 踏みかけた血が、一斉に上へ跳ね上がった。

 槍みたいに。

 針みたいに。

 赤い液体とは思えない速度で。

 ザァァァァッ!!

 血が空中を貫く。

 さっきまで二人がいた場所。

 床が蜂の巣みたいに穴だらけになる。

 勢い余ったフェルギアはそのまま壁へ激突。

 ドンッ!!

「いってぇ……ッ!」

 背中を押さえながら立ち上がる。

「なにすんだよ!!」

 ルクシスは返事をしない。

 目だけを魔物へ向ける。

 魔物は笑っていた。

 口でできた腕を押さえながら。

 まるで――。

 『避けるんだ』と試したみたいに。

全然紳士じゃなかった。

 突撃してこなかった理由も単純だ。

 自身の血を使った攻撃に、自分自身まで巻き込まれるから。

 ただ待っていたんじゃない。

 誘っていた。

 踏ませるために。

「こすい真似すんなよなぁ……」

 ルクシスが肩を回しながらフェルギアから離れる。

 フェルギアは壁から身体を起こし、肩を押さえた。

「それよりお前のせいで肩めっちゃ痛いんだけど」

 文句を言いながらも、手元のオレンジ色の鎖は消さない。

 既に次へ備えている。

「それは悪かったよ。でもこれでお前も生き残ったんだから貸し借りなしで頼むぜ」

「お前に貸し作ったとて返ってくる気しねぇし作らねぇよ」

「そりゃ好都合」

 軽口。

 だが二人とも目だけは笑っていない。

 魔物もまだ動いていない。

 空気だけが張り詰めている。

 その中で。

 ルクシスは、さりげなく受付人へ視線を向けた。

 受付人はまだそこにいた。

 逃げていない。

 動いていない。

 けれど。

 ルクシスの目が細くなる。

(……違う)

 彼女は無表情じゃなかった。

 俯いている。

 肩が僅かに揺れている。

 口元。

 噛んでいた。

 舌か、唇か。

 分からない。

 でも。

 さっき瓦礫が飛んだ瞬間。

 彼女は後ろへ下がった。

 生きようとした。

 死を受け入れた人間は、あんな反応をしない。

 つまり。

 まだ終わってない。

 諦め切れてない。

 自分でそう思い込もうとしてるだけだ。

 ルクシスは小さく息を吐く。

「やっぱり……あんたは……」

 呟く。

 言葉は続けない。

 今ならいける。

 説得できる。

 連れ出せる。

 そう思った。

 ルクシスは剣を下ろす。

 そして一歩前へ出た。

「フェルギア、行くぞ」

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