第十八話 「格好良い」
そしてルクシスが表に大きく「1」と書かれた番号札をぼんやり見つめていると――
不意に、館内へ機械的なアナウンスが響き渡った。
『三分後に試験を開始します』
静かな待合室に流れた声に、ルクシスの眉がぴくりと動く。
(だから早いって)
思わず心の中で即座にツッコミを入れる。
まだ番号札の説明を読んでから数分しか経っていない。
そして追い打ちをかけるように続けて放送が流れる。
『一番の番号札をお持ちの試験者は、試験会場へお越しください』
ルクシスはゆっくりと周囲を見渡した。
待合室。
ソファー。
壁。
天井。
泣いている女性。
そして自分。
以上。
(あー……周り見りゃ分かることではあるんだが……)
見える限りはたった二名。
(そりゃ俺しか受けないよなぁ……)
小さくため息を吐く。
だが問題はそこではない。
(どこだよ試験会場……)
呼び出されたはいいものの場所が分からない。
ルクシスは椅子の背もたれへ体重を預けながら辺りを見回した。
その時だった。
「……ん?」
視界の端に妙なものが映る。
待合室の隅。
まるで地面から生えてきたかのように設置された長方形の板。
表面は淡く発光しており、青白い光を放っている。
石でも木でもない素材でできている。
だがそれより異質だったのは、その表面がまるで生き物のように光っていることだった。
(なんだあれ……すげぇ)
ルクシスのエメラルドグリーンの瞳がわずかに見開かれる。
興味。
好奇心。
未知への探究心。
転生してから様々な文明を見てきたつもりだったが、こんなものは初めてだ。
ルクシスはゆっくり立ち上がると、その発光する看板へ引き寄せられるように歩み寄った。
近づいてみると、その正体が分かる。
「案内図…か?」
そこには巨大な塔の内部構造が描かれていた。
階層ごとの案内。
施設の配置。
通路の位置。
細かな情報が整然と並んでいる。
しかも――
ルクシスが恐る恐る画面へ指先を触れた瞬間。
ピッ――
小さな音と共に表示が変化した。
「おぉ…」
思わず声が漏れる。
先ほどまで全体図だった画面が、触れた階層だけを拡大表示したのだ。
ルクシスは少し身を乗り出しながら表示を追っていく。
(ほうほう……ここから探せばいいんだな)
感心したように頷く。
そして試験会場の文字を探し始めた。
だが同時に頭の片隅では別のことも考えていた。
(……三分しかねぇんだし急がないとな)
感動している場合ではない。
試験開始まで残りわずか。
ルクシスは真剣な表情へ切り替えると、光る案内板へ視線を走らせた。
未知の機関。
未知の試験。
そして未知の出会い。
胸の奥で小さく高鳴る鼓動を感じながら、ルクシスは試験会場への道を探し始めるのだった。
「んーと……地下か」
ルクシスは発光する案内板へ顔を近づけながら呟いた。
試験会場の場所を探し始めてから約一分。
どうにか目的地を発見した彼は、すぐさま身体の向きを変える。
だが、その瞬間だった。
「……ん?」
ふと違和感を覚え、待合室へ視線を向ける。
さっきまで壁に顔を押し付けるようにして肩を震わせていた女性。
あの刀を腰に差した戦闘部らしき女性の姿が、いつの間にか消えていた。
通路にも。
待合室にも。
どこにもいない。
(……あれ?)
ルクシスは一度だけ瞬きをする。
(どっか行ったのか……)
少し考え――すぐに思考を打ち切った。
(まぁ泣いてる人の後ろ通り過ぎるの気まずかったし助かった……!)
むしろ好都合だった。
気まずい空気に耐えながら横を通る必要がなくなったのだから。
わずかに口角を上げると、そのまま駆け出す。
残された時間は少ない。
今は試験会場へ向かうことが最優先だ。
(くっそ……せめて五分前にしてほしかった……!)
走りながら心の中で文句を吐く。
だが足は止まらない。
長い通路を駆け抜ける。
硬い床を踏み鳴らす足音が館内へ反響した。
タッ、タッ、タッ――。
やがて階段を発見すると、今度は勢いを少し抑える。
流石に転げ落ちるのは洒落にならない。
手すりへ軽く触れながら、一段飛ばし気味に地下へ降りていった。
そして――。
地下階層へ到着した瞬間。
「うわ……」
思わず声が漏れる。
地下の光景は地上とまるで違っていた。
壁は灰色の石造り。
冷たく無機質な雰囲気が辺りを包み込んでいる。
まるで巨大な地下迷宮だ。
真っ直ぐ伸びる通路。
左右へ分岐する通路。
等間隔で並ぶ扉。
さらに奥へ続く階段。
案内板を見ていなければ、今頃確実に迷子になっていただろう。
(なんつー不親切設計……)
ルクシスは内心で盛大に文句を叫ぶ。
だがそんなことを考えている暇はない。
再び足へ力を込める。
通路を曲がり。
また曲がり。
さらに走る。
途中ですれ違う人影すらない。
ただ自分の足音だけが石壁へ反響していた。
そして数十秒後。
ようやく目的地が視界へ飛び込んでくる。
「……あれか」
目の前には巨大な両開きの扉。
普通の部屋の入口とは明らかに違う。
高さも幅も異常に大きい。
まるで闘技場か何かへ続いているような重厚な造りだった。
ルクシスはその手前で急停止する。
「ふぅ……っ」
肩で息をしながら呼吸を整える。
そして脳内で時間を計算した。
(通路からここまで約一分二十六秒……)
息を吐く。
(まだ間に合う……!)
口元に小さな笑みが浮かぶ。
ギリギリ。
本当にギリギリだ。
だが間に合った。
ルクシスは胸の前で拳を握り、一度だけ深呼吸する。
吸って。
吐いて。
気持ちを整える。
未知の機関。
未知の試験。
何が待っているかは分からない。
それでも――。
「よし」
エメラルドグリーンの瞳に力が宿る。
そして次の瞬間。
ルクシスは勢いよく両手を伸ばし――
バンッ!!
巨大な両開きの扉を力任せに押し開いた。
重厚な音が地下全体へ響き渡る。
ルクシスはゆっくりと会場の中へ足を踏み入れた。
「うーむ……」
思わず唸る。
広い。
とにかく広かった。
天井は高く、壁も遠い。
まるで闘技場を丸ごと地下へ押し込めたような空間だった。
灰色の床がどこまでも続いている。
障害物らしいものもなく、視界を遮るものもない。
試験会場というよりは戦場だ。
ルクシスはゆっくり歩き始める。
コツ――。
足音が響く。
その音が壁へぶつかり、何度も反響して返ってくる。
静寂が支配する空間だからこそ、その音は妙に大きく聞こえた。
胸の奥が少しだけ高鳴る。
未知への高揚感。
そして僅かな不安。
その二つが入り混じり、落ち着かない感覚を生み出していた。
(確か……ロボットと戦う的なこと書いてなかったか?)
番号札の説明文を思い出す。
(ロボットって言葉の意味が分からんけど……)
頭をぽりぽりと掻く。
機械文明に詳しくないルクシスからすれば、未知の単語だ。
魔物なのか。
魔導人形なのか。
それとも別の何かなのか。
想像もつかない。
そんなことを考えながら何気なく上を見上げた瞬間だった。
「ん?」
天井付近に大きなガラス窓を見つける。
その向こう側。
まるで観客席のような場所に、人影が一つだけ見えた。
(……誰かいるな)
ルクシスは目を細める。
黒髪。
黒いスーツ。
年齢は四十代前後だろうか。
口元には綺麗に整えられた髭が生えている。
厳つそうにも見えるが、不思議と威圧感はない。
むしろ落ち着いた大人の雰囲気を感じる。
その男は腕を組みながら、静かにルクシスを見下ろしていた。
(あいつが試験監督者ってやつなんだろうな)
納得したように何度か頷く。
向こうもこちらに気付いているらしい。
だが手を振るでもなく、何か話しかけてくるでもない。
ただ静かに見ているだけだ。
そんな時だった。
突如として会場全体へ機械的なアナウンスが響く。
『試験者全員を確認しました』
(全員って……)
ルクシスは辺りを見回す。
誰もいない。
本当に誰もいない。
(一人しかいないけどな)
思わず心の中でツッコミを入れた。
『これより試験を開始します』
アナウンスは淡々と続く。
『試験内容は対人戦用ロボットとの戦闘です』
(それはもう知ってる)
番号札で読んだ。
だからこそ今ここにいる。
『禁止事項は、他試験者への妨害行為及び攻撃』
(一人しかいないけどな)
若干呆れたように眉を下げる。
『また、外部からの応援要請、特殊兵器の使用も禁止とします』
(そんなことするやついるのか?)
試験で応援を呼ぶ発想がまずない。
特殊兵器に至っては何を指しているのかすら分からない。
ルクシスは腕を組みながら首を傾げた。
『禁止事項を行った試験者は無効試験となりますので、ご注意ください』
(今言われた禁止事項、俺は全部できなさそうだがな)
そもそも仲間がいない。
特殊兵器も持っていない。
違反しようにもできないのである。
そして――。
アナウンスが最後の言葉を告げた。
『それでは――試験を開始します』
直後。
ビイイイイイイイイイイッ――!!
耳をつんざくようなサイレン音が会場中へ鳴り響いた。
「っ!」
ルクシスの表情が一瞬で引き締まる。
先程までの気の抜けた雰囲気は消え去った。
エメラルドグリーンの瞳が鋭く細められる。
身体の重心が自然と落ちる。
膝を僅かに曲げ。
いつでも動けるよう構える。
戦闘の気配だ。
長年魔物と戦ってきた経験が警鐘を鳴らしている。
何かが来る。
間違いなく。
そして次の瞬間――。
ガゴンッ――!!
会場の奥から重々しい金属音が響いた。
静まり返っていた空間が、ゆっくりと動き始める。
ルクシスの視線が音の方向へ向けられた。
「……なるほど」
口元に小さな笑みが浮かぶ。
戦いの匂いがした。
ルクシスは静かに息を吐いた。
そして――。
何もない空間へ向かって両手を軽く開く。
直後。
淡い光が掌の中へ集まり始めた。
金色の粒子。
黒色の粒子。
二つの光が渦を巻きながら収束し、やがて形を成していく。
キィン――。
澄んだ金属音と共に、一振りの剣が現れた。
右手には陽光を凝縮したかのような黄金の剣。
眩い輝きを放ちながらも、その刀身は透き通るように美しい。
そして左手には漆黒の剣。
まるで周囲の光そのものを喰らっているかのように暗く、見つめているだけで吸い込まれそうな不気味さを纏っていた。
相反する二本の剣。
だがルクシスにとっては、どちらも使い慣れた相棒だった。
彼は二本の剣を軽く振り、感触を確かめる。
そして剣尖を正面へ向けた。
これから敵が現れるであろう方向へ。
「魔物以外と戦うのは……何年ぶりだったかな……」
懐かしむように呟く。
転生してからというもの、戦う相手はほとんど魔物ばかりだった。
人間。
魔法使い。
戦士。
そういった相手と剣を交えた記憶は随分昔のものだ。
そんなことを考えていた時だった。
ガコン――。
ガコン――。
重い金属音が響く。
ルクシスが顔を上げる。
「ん?」
いつの間に現れたのだろう。
会場の奥。
そこには複数の人影が立っていた。
全身を緑色の装甲で覆われた機械兵。
人型。
だが人間ではない。
関節部分には金属が露出し、胸部には淡く光るラインが走っている。
そして何より特徴的だったのは――。
顔。
無機質な頭部の奥で、黄色い単眼が怪しく輝いている。
まるで獲物を定めた猛獣のように。
その視線が一斉にルクシスへ向けられていた。
「おぉ……」
ルクシスの瞳が僅かに輝く。
「これがロボット……」
感嘆の声が漏れる。
未知への興味。
少年のような好奇心。
戦闘前だというのに、彼は素直に感動していた。
「かっこいい……」
思わず本音が口から零れる。
動く金属の兵士。
見たこともない技術。
魔法文明の人間からすれば、十分ロマンの塊だった。
だからだろう。
ほんの僅か。
本当に一瞬だけ。
ルクシスの意識が戦闘から逸れた。
そして――。
その油断を。
ロボット達は見逃さなかった。
ギュンッ――!!
空気を裂く音。
次の瞬間。
全機が同時に動く。
地面を蹴り砕く勢いで加速し、一斉にルクシスへ突撃した。
黄色い単眼が閃く。
複数の機体が横一列に並び、そのまま腕を振り上げる。
狙いは包囲殲滅。
上段から重なるように腕を振り抜き、一撃で押し潰すつもりなのだろう。
だが。
「おっと」
ルクシスは慌てる様子すら見せなかった。
軽く膝を曲げる。
そして――跳ぶ。
ヒュンッ。
風を切る音と共に身体が宙へ舞う。
迫り来る腕。
その最上段。
まるで階段でも上るかのような自然さで、ルクシスは振り抜かれる腕の上へ着地した。
ドンッ。
金属の腕がわずかに沈む。
しかしルクシスは微動だにしない。
そのまましゃがみ込み、至近距離からロボットの顔を覗き込んだ。
「やっぱかっこいいな……」
戦闘中とは思えない感想だった。
だがそれがルクシスだった。
興味を持ったものには素直になる。
敵だろうが関係ない。
そして。
その言葉を最後に。
ルクシスは軽く地面を蹴った。
フワリと身体が浮く。
ロボットの顔面へ接近。
右手の黄金剣。
左手の黒剣。
二つの刃が同時に閃く。
――ザキン。
音はたったそれだけだった。
あまりにも短く。
あまりにも静か。
剣を振ったようにすら見えない。
ルクシスは何事もなかったかのように着地する。
そして数秒。
静寂が訪れた。
その直後。
ガコン。
ガコン。
ガコン。
複数の金属音が重なる。
ロボット達の首が。
一斉に胴体から滑り落ちた。
黄色い単眼の光が消えていく。
首が床へ転がる。
胴体が膝をつく。
そして――。
轟音と共に全機が崩れ落ちた。
会場へ静寂が戻る。
ルクシスはその光景を見下ろしながら、二本の剣を肩へ担いだ。
「うん」
満足そうに頷く。
「やっぱりかっこいいな」
倒した相手への感想が、それだった。




