第十七話 「不安には自信を、恐怖には勇気を」
───そして中に入り、ルクシスの目に最初に飛び込んできたのは、左右に並ぶ二つの受付だった。
広々としたロビーは妙に整然としている。
磨き上げられた床。 左右対称に配置された待合スペース。 同じ形のソファー。 同じ位置に置かれた観葉植物。
まるで鏡の中に入り込んだような空間だった。
「ほうほう……」
ルクシスは興味深そうに周囲を見渡す。
そして視線を正面へ戻した瞬間、思わず眉を上げた。
「……ん?」
受付には二人の職員が立っていた。
二人とも黒髪。 二人とも整った中性的な顔立ち。 二人とも黒のスーツ姿。
背丈も体格もほとんど同じ。
一見すると本当に同一人物にしか見えない。
だがよく見ると違いがあった。
右側の受付は右目が前髪で隠れており、左側の受付は左目が前髪で隠れている。
それだけ。
本当に、それだけだった。
「ドッペルゲンガーって言ったら色々おかしいよな……」
本人達に聞こえないよう小さく呟く。
しかし次の瞬間、ルクシスは別の問題に気付いた。
(……で、どっち行けばいいんだ?)
視線を左右へ向ける。
右側には誰もいない。
対して左側には一人の男が並んでいた。
スーツ姿の男は何度も腕時計を確認し、落ち着きなく足を揺らしている。
急いでいるらしい。
(情報を得られそうなのは左……)
顎に手を当てる。
(でも案外こういうのって右が正解だったりするもんじゃないのかね)
経験則でも何でもない。
ただの勘である。
(いや待てよ……でも人がいるってことは左が正解な気もするし……)
右を見る。
左を見る。
また右を見る。
受付二人は無表情のままこちらを見ている。
逃げ場はない。
まるで試験官に観察されている気分だった。
(あー……駄目だ)
ルクシスは頭を抱えたくなった。
夢の件。 頭痛の件。 リベリオン探し。
ここまで来るだけでも十分疲れている。
こんな受付選びに脳のリソースを割きたくなかった。
(考えても分からんもんは分からん)
諦めるように息を吐く。
そして肩の力を抜きながら小さく呟いた。
「こういう時は直感だな」
そう言ってルクシスは足を踏み出す。
向かった先は───右側の受付だった。
静かなロビーに靴音が響く。
コツ、コツ、と。
近づくにつれ、片目を隠した受付の姿がより鮮明になる。
だが相手は微動だにしない。
その無機質な雰囲気に若干の居心地の悪さを覚えながらも、ルクシスは受付の前へと立った。
「……ようこそ、リベリオンへ」
受付の男が静かに告げる。
抑揚の少ない声。
感情を感じさせないその言葉に───
「……」
ルクシスの身体がぴたりと固まった。
数秒。
沈黙。
受付人は不思議そうに片目を瞬かせた。
「……どうかなさいましたか?」
「あぁ、失敬失敬」
ルクシスは慌てて片手を振り、苦笑を浮かべる。
だが内心では自分自身に呆れていた。
(なんで予想してたことなのに、初めて聞いたみたいな反応してんだ俺……)
ここへ来る前から可能性は十分あった。
あの異様な塔。
クノーシャの話。
全てを考えれば、ここがリベリオンであることはむしろ自然だったはずだ。
それなのに。
いざ本人の口から言われると妙に実感が湧いてしまった。
ルクシスは小さく咳払いをして気持ちを切り替える。
受付人も特に気にした様子はなく、淡々と説明を続けた。
「……こちらは戦闘部担当です」
(あー……そっちか)
ルクシスの眉がわずかに上がる。
戦闘部。
その単語だけで少し安心した。
(いや、むしろ好都合かもしれねぇな)
腕を組みながら考える。
リベリオンについて詳しいことは知らない。
だが戦闘職なら、自分と同じ転生者が所属している可能性も高いだろう。
夢のこと。
神の声らしきもののこと。
もし誰か知っている人間がいるなら、その辺りの人脈から辿れるかもしれない。
そんな期待が少しだけ芽生える。
「新規登録でしょうか? それともそれ以外のご用でしょうか?」
受付人が尋ねる。
ルクシスは反射的に頭を掻いた。
(さて……どうするか)
情報が欲しくて来た。
それは事実だ。
だが。
(『変な夢見たんで情報ください!』なんて言ったら不審者扱いされないか…?)
想像してみる。
『知らない女性の声が夢に出てきてですね』
『神様かもしれないんです』
『だから調べたいんです』
(……うん、怪しいな)
ルクシスは心の中で頷いた。
どう考えても怪しい。
門前払いされても文句は言えない。
そもそもクノーシャだって確証があって送り出したわけではない。
ただ可能性を提示しただけだ。
(いや待てよ……)
そこで別の考えが浮かぶ。
リベリオン。
全ディメンション規模の組織。
魔物討伐も仕事の一つ。
つまり───
(ここに所属すれば仕事があるってことだよな)
ルクシスの表情が少し明るくなる。
(俺の普段やってることって魔物討伐だし)
戦う。
依頼をこなす。
報酬を貰う。
シンプルだ。
少なくとも夢の正体を探すよりは何倍も分かりやすい。
(しかも金まで入る)
生活費の心配も減る。
情報も集められる。
一石二鳥どころか三鳥くらいある気がした。
(よし)
ルクシスは考えるのをやめた。
こういう時は深く悩むより勢いで決めた方が上手くいく。
多分。
おそらく。
きっと。
「……新規登録で」
そう告げる。
受付人はわずかに頷いた。
「かしこまりました」
その返答を聞いた瞬間。
ルクシスはようやく、自分がリベリオンへ足を踏み入れたのだという実感を覚えた。
すると受付人は机の下へ手を伸ばした。
無駄のない動作で一つの封筒を取り出し、その中から数枚の紙を抜き取る。
さらさら、と紙が擦れる音が静かなロビーに響いた。
「では試験票をお渡ししますので、こちらへ個人情報をご記入ください」
そう言って差し出された書類を、ルクシスは受け取る。
「どうも」
軽く礼を言いながら視線を落とす。
紙には整った文字で記入欄が並んでいた。
氏名。
住所。
連絡番号。
そして───
(名前、住所……)
そこまではいい。
問題はその次だった。
(連絡番号……?)
ルクシスの眉がぴくりと動く。
知らない単語だった。
数秒ほど紙と睨み合った後、観念したように顔を上げる。
「すみません」
「はい」
「連絡番号ってなんですか?」
受付人は少し呆れたような様子で答えた。
「……携帯電話などで使用される連絡用番号のことです」
「……」
ルクシスは無言になった。
(なんだよそれ)
初耳だった。
携帯電話。
そんなものアウレリアには存在しない。
遠距離の連絡手段といえば手紙が主流だ。
緊急なら魔法を使うこともあるが、それでも個人同士が気軽に連絡を取り合えるような便利な道具はない。
というか。
(そんな文明進んでるディメンションの方が少ねぇだろ……それで呆れられても困るんだが)
内心で盛大に突っ込みを入れる。
だが受付人は慣れているのか、淡々と補足した。
「お持ちでなければ、なしとご記入ください」
「あー……はい」
なんとも歯切れの悪い返事だった。
ルクシスは再び紙へ視線を戻す。
そして近くに置かれていたペンを手に取った。
(名前は……)
さらさらと文字を書く。
ルクシス・サーベンダー。
そこは問題ない。
だが次の住所欄で手が止まる。
(アウレリアの……)
考える。
考える。
考える。
そして。
(なんて書けばいいんだ?)
気付いた。
自分の家に住所という概念がほぼ存在しないことに。
森の中にある家。
それだけで通じてしまう。
郵便番号もなければ番地もない。
そもそも郵便文化自体がそこまで発達していない。
(北西……でいいか?)
ペン先が止まる。
(いやでも雑じゃね?)
一瞬だけ理性が抵抗した。
(……まぁいいか)
負けた。
理性が負けた。
(北西で通じるだろ。多分)
適当な希望的観測と共に書き込む。
もはや半分投げやりだった。
そして最後。
連絡番号。
そこだけは迷わない。
(なしっと)
さらりと記入する。
ルクシスは満足そうに頷いた。
内容の正確性には多少問題がある気もしたが、今さら修正する気はない。
少なくとも嘘は書いていない。
たぶん。
おそらく。
きっと。
そんなことを考えながら、ルクシスは記入欄を見直し始めた。
曖昧。
その一言がよく似合う内容になってしまった気がする。
だが、ルクシスは数秒だけ書類を眺めた後、小さく頷いた。
(……まぁ大丈夫だろ)
いつもの結論だった。
細かいことを気にし始めるとキリがない。
ルクシスは記入を終えた紙をそっと回転させ、受付人の方へ差し出した。
「……終わりました」
受付人は無言で書類を受け取る。
そして内容に目を通した。
ルクシスは少しだけ身構える。
住所欄とか。
住所欄とか。
主に住所欄とか。
絶対何か言われると思った。
だが───
「……では、こちらの番号札を持って、あちらの部屋でお待ちください」
何も言われなかった。
(いいのかよ)
思わず心の中で突っ込む。
受付人は机の下から木製の番号札を取り出し、ルクシスへ渡した。
そして右側の待合室へ静かに手を向ける。
どうやらあそこで待てということらしい。
「どうも」
ルクシスは素直に札を受け取った。
そして指示された待合室へ向かう。
ソファーへ腰を下ろすと、柔らかな感触が身体を包み込んだ。
昨日から色々ありすぎたせいか、それだけで少しだけ気が抜ける。
だが。
「……うん?」
ふと違和感が浮かんだ。
ルクシスの眉がひそめられる。
(待て待て)
番号札を見る。
受付を見る。
もう一度番号札を見る。
(もう試験受けんの?)
早くないか。
いや、かなり早い。
昨日ここへ来たばかりだ。
いや、正確には来たのは今日か。
途中で気絶したせいで時間感覚が若干狂っている。
ともかく。
(説明とか研修とかないのか……?)
普通はもっとあるだろう。
何かこう。
組織紹介とか。
理念とか。
入会説明会とか。
知らないけど。
(まぁリベリオンだし…?)
結局そこへ着地する。
最大機関らしいし。
普通の基準で考えてはいけない気もする。
(慣れるべきなんだろうな……)
小さく息を吐きながら周囲を見渡す。
待合室は静かだった。
人影も見当たらない。
(誰もいねぇのか)
そう思った瞬間。
奥の通路に人影を見つけた。
(なんだ、いるじゃないか)
女性だった。
腰には刀。
赤髪のポニーテール。
いかにも戦闘部所属といった雰囲気だった。
(へぇ……)
何となく視線を向ける。
そして。
(……あれ?)
違和感を覚えた。
女性は壁に向かって立っている。
顔を押し付けるように埋めて。
肩を小刻みに震わせていた。
(……)
ルクシスは目を細める。
(泣いてる……?)
その瞬間。
脳内で危険信号が鳴り始めた。
ぴこん。
ぴこん。
ぴこん。
徐々に音量が上がる。
(いやいやいや)
嫌な予感しかしない。
試験前。
戦闘部。
泣いている女性。
この三つが並んで良い未来へ繋がる気がしなかった。
(なんで試験直前にこんなもん見せられなきゃいけねぇんだよ……)
関わりたくない。
だが気になる。
しかし関わりたくない。
でも気になる。
そんな葛藤の末。
「はぁ……」
ルクシスは深いため息を吐いた。
そして膝を抱えるように身体を丸め、そのまま顔を埋める。
見なかったことにしよう。
そう決めた。
見なかったことに。
絶対に。
絶対にだ。
(いや、待て……)
膝に顔を埋めたまま、ルクシスはふと考え直した。
確かにリベリオンは変な組織だ。
塔は馬鹿みたいにでかいし、受付は左右対称だし、試験までの流れも妙に早い。
だが。
(いくらなんでも説明なしはおかしいだろ)
最大機関。
全ディメンションを管理する組織。
そんな場所が何の説明もせずに人間を試験場へ放り込むとは思えない。
(俺が見落としてるだけか?)
ルクシスはゆっくり顔を上げた。
そして手の中に握っていた番号札へ視線を落とす。
木製の小さな札。
何の変哲もない。
……表面だけなら。
ルクシスは疑うように目を細めた。
そして札を指先で摘まみ、ゆっくり裏返す。
その瞬間だった。
ビクッ───
肩が大きく震えた。
「うわっ……」
思わず声が漏れる。
札の裏面には文字が書かれていた。
いや。
書かれているという表現では足りない。
詰め込まれていた。
狂気的なまでに。
僅かな空白すら許さないと言わんばかりに。
びっしりと。
本当にびっしりと。
黒い文字が札全体を埋め尽くしている。
(きっしょ……)
率直な感想だった。
(サイズに合ってねぇって……)
どう考えても書く量を間違えている。
普通なら紙一枚使う内容だ。
それを無理やり札一枚へ押し込んだ結果、文字同士が肩をぶつけ合いながら生存競争を繰り広げていた。
集合体恐怖症の人間が見たら泡を吹いて倒れるかもしれない。
少なくともルクシスは若干引いた。
(やっぱ親切じゃねぇな……)
ため息をつきながら読み始める。
幸い視力は良い。
賢者になった影響か、遠くを見るのも細かい文字を読むのも苦労しない。
だから読める。
読めるのだが。
(読みづらいな……ほんとに……)
文句が止まらない。
文字が小さい。
行間がない。
改行も最低限。
読む側への配慮という概念をどこかへ置いてきたらしい。
ルクシスは諦めたように視線を走らせた。
試験の概要。
注意事項。
戦闘部について。
リベリオンの基本的な規則。
そして登録後の流れ。
思ったより内容はまともだった。
まともなのだが、とにかく文字が多い。
そして───
数分後。
ルクシスは札を膝の上へ置いた。
「ふぅ……」
小さく息を吐く。
頭の中で情報を整理する。
完全に理解したかと言われれば怪しい。
だが。
(よし)
少なくとも何も分からない状態ではなくなった。
(なんとなく分かった)
人間、生きていく上で大事なのは勢いである。
たぶん。
(いけるいける)
ルクシスは自分へ言い聞かせるように頷いた。
根拠のない自信。
それこそが今のルクシスを支えている最大の武器だった。




