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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第二章 『未完成の英雄』
16/45

第十六話 「対価」

 ───その直後だった。

「――っ」

 頭の奥で。  何かが“弾けた”。

 ズキン――ッ!!!!

 脳を直接叩き割られたような激痛。

「ぁ、がっ……!!」

 ルクシスの顔が一瞬で歪む。

 反射的に頭を押さえ、爪を掻き立てるように髪を掴んだ。

 視界が揺れる。

 ぐらり、と世界そのものが傾いた。

「ぐっ……ぁ……!」

 呼吸が乱れる。

 耳鳴り。  吐き気。  平衡感覚の崩壊。

 頭の中へ無理やり何かを流し込まれているみたいだった。

(くそ……なんで……!)

 歯を食いしばる。

 だが、立てない。

 足に力が入らなかった。

 膝が震える。

 視界の端が黒く染まっていく。

 塔の白い外壁が、ぐにゃりと歪んだ。

「っ……!」

 何度も足へ力を込めようとする。

 立て。  動け。

 そう命令しても、身体は言うことを聞かなかった。

 そして。

 バタリ、と。

 ルクシスの身体が石畳へ倒れ込む。

「ぁ……ぐ……」

 頬が冷たい地面へ触れる。

 意識が遠い。

 呼吸すらまともにできない。

 その瞬間。

「ねぇ、あのお兄さんあんな所で寝てるよ」

 幼い少女の声が遠くから聞こえた。

「えっと……あれは……え……?」

 今度は女性の声。

 困惑。  そして、次の瞬間。

 ぺたん、と。  尻もちをつく音が響いた。

 周囲の空気が、一変する。

「お、おい……人が倒れてるぞ!」

「大丈夫か!?」

「おい! あんちゃん!!」

 人々の声が次々と飛び交う。

 慌ただしい足音。

 誰かが駆け寄ってくる気配。

 そして。

「おい、しっかりしろ!!」

 肩を揺さぶられる。

 だが、身体が動かない。

 声を返すこともできない。

「見て分かんねぇのか気絶してんだよ!」

「分かってても声ぐらいかけてやるべきだろうが!!」

「いや医者を先に呼べ!!」

「誰かリベリオンの人呼んでこい!!」

 怒鳴り声。  焦った声。  混乱。

 周囲が騒がしくなっていく。

 なのに。

 ルクシスの意識は、どんどん沈んでいった。

(あぁもう……なんなんだよ……)

 苛立ち混じりの思考が、ぼんやりと浮かぶ。

 だが、その直後。

 ぷつり、と。

 意識が完全に途切れた。

 ───『……から……君に……』

 声が聞こえる。

 知らない声だった。

 青年のような声。

 どこか優しくて。  静かで。  それなのに、不思議と耳へ残る声。

『……じゃ……意味……』

 今度は別の声。

 こちらは知っている。

 自分自身の声だ。

 だが、会話が上手く聞き取れない。

 音が途切れている。

 まるで壊れた記録を無理やり再生しているみたいだった。

『……丈夫……が……に……教えて……』

 ノイズ混じりの音声。

 言葉が繋がらない。

 内容が理解できない。

 それでも。

(これは……)

 ルクシスの意識が、ゆっくり浮上していく。

 そして次の瞬間。

「っはぁ!!」

 ルクシスは勢いよく身体を起こした。

 乱れた呼吸。

 肩が大きく上下する。

 視界へ飛び込んできたのは、真っ白な天井だった。

「……は……」

 ぼやける視界。

 ゆっくり瞬きを繰り返しながら周囲を見る。

 白い壁。  木製の机。  簡素な棚。

 そして、自分が寝かされている白いベッド。

 内装は質素だが清潔感がある。

 よくある宿屋の一室。  そんな印象だった。

「……ここは……」

 掠れた声が漏れる。

 記憶を辿ろうとした、その瞬間だった。

 ズキン――ッ!!

「っ……!」

 再び頭へ激痛が走る。

 ルクシスは反射的に額を押さえ、顔を歪めた。

 頭の奥を直接掻き回されるような痛み。

 思考が上手くまとまらない。

「ぐ……っ」

 呼吸を整えるように、一度深く息を吸う。

 そしてゆっくり吐き出した。

 痛みは消えない。

 だが、さっきよりは少しだけマシになった気がする。

 ルクシスは額を押さえたまま、小さく眉を寄せた。

「……やっぱ疲れてんじゃねぇのか俺……」

 自嘲気味に呟く。

 だが。

 夢。  突然の頭痛。  塔の前での倒れる感覚。

 どう考えても、“疲れ”だけで片付けられるものではなかった。

 それでも今は、そう思い込むしかなかった。

 そしてルクシスがゆっくり顔を横へ向けると、窓の外には既に夜の景色が広がっていた。

 真っ暗な空。

 街の灯りだけが、ぽつぽつと窓の向こうで揺れている。

「……何時間寝てたんだ……?」

 掠れた声で呟く。

 昼だったはずだ。

 少なくとも塔へ向かっていた時点では、まだ太陽は高かった。

 それなのに、もう夜。

 思った以上に長時間気絶していたらしい。

 ルクシスが小さく眉を寄せた、その時だった。

 ガチャ、と。

 部屋の扉がゆっくり開く。

「あー……起きたんですか?」

 入ってきたのは、一人の女性だった。

 年齢は二十代前半ほど。

 片手には木製のおぼん。  その上には湯気の立つ茶が乗せられている。

 だが、それ以上に目を引いたのは――眠そうすぎる顔だった。

 目はほとんど閉じかけており、完全に糸目状態。

 歩き方も若干ふらついている。

 今にもその場で寝そうだった。

「えぇ……まぁ」

 ルクシスは若干困惑しながら返事をする。

 女性は「んー……」と気の抜けた声を漏らしながら、ルクシスの隣にある机へ近づいた。

 そして。

 カタ……。

 少し不安になる手つきで、おぼんごと机の上へ置く。

 茶からは、ふわりと湯気が立ち上っていた。

「じゃーここ置いとくんで……飲めそうだったら飲んでください……」

 喋り方まで眠そうだった。

 ルクシスは思わず苦笑する。

「体調だいじょぶそですかね…?」

「完全に治ったわけではないんですが……まぁ、もう大丈夫ではあります」

「そですかぁ……」

 女性はぼんやり頷いたあと、大きな欠伸を漏らした。

「じゃあ元気になったら、自分で帰ってもらっていいですよぉ……ふぁ〜……」

 欠伸混じりの声。

 あまりにも気の抜けた態度だった。

 そしてそのまま、ふらふらした足取りで部屋を出ようとする。

「あぁ、待ってください。代金が……」

 ルクシスが慌てて呼び止める。

 だが女性は振り返りもせず、ひらひらと手を振った。

「別にいらないですよぉ……」

「……え?」

 ルクシスの目が少し開かれる。

 女性は扉へ手をかけたまま、眠たげな声で続けた。

「これは慈善事業でやってることなんでねぇ……感謝してくださいね……」

 その言葉を最後に。

 ギィ……とゆっくり扉を開け、女性は部屋から出ていった。

 静寂が戻る。

「……」

 ルクシスはしばらく閉まった扉を見つめていた。

 それから、机の上の茶へ視線を落とす。

 湯気はまだ立っている。

「……なんだあの人」

 思わず呟いた。

 だが不思議と、嫌な感じはしなかった。

 ルクシスは机の上に置かれた湯気の立つ茶へ視線を向けた。

 数秒だけ見つめる。

 そして――飲まなかった。

 理由は特にない。

 強いて言うなら、今は何かを口にする気分ではなかった。

「さて……どうしようか」

 ぽつりと呟く。

 頭痛はまだ残っている。

 鈍い痛みが頭の奥で脈打っているような感覚。

 だが、動けないほどではない。

 気にしようと思えば気になる。  無視しようと思えば無視できる。

 そんな微妙なラインだった。

 外へ出るか。

 そう考えもした。

 しかし窓の外は既に真っ暗だ。

 見知らぬ土地。  見知らぬ街。

 夜の散策を楽しめるほど、今の体調は良くない。

 かといって、このまま宿へ居座るのも気が引けた。

 金を払っていない。

 むしろ倒れていたところを助けてもらった側だ。

 普通に考えれば、体調が回復した時点で出て行くのが礼儀だろう。

「うーむ……」

 ルクシスは後頭部を掻きながら唸る。

 ベッドへ腰掛けたまま天井を見上げる。

「マナー的にはもう出てった方がいいんだろうが……」

 ぽつり。

「この宿で夜が明けるまで待つってのが一番楽なんだよなぁ……」

 非常に魅力的だった。

 柔らかいベッド。

 屋根のある部屋。

 安全な空間。

 今から宿を出て夜の街を彷徨う理由がどこにもない。

 だが。

 それとこれとは話が別だ。

 ルクシスは腕を組み、真剣な表情で悩み続けた。

 数秒。

 十数秒。

 そして。

「よし」

 結論が出た。

「寝るか」

 あまりにも雑だった。

 だが本人は至って真面目である。

 理由も単純だった。

 ただでさえ頭が痛い。

 これ以上面倒なことを考えたくない。

 それだけだった。

「明日の俺がなんとかするだろ……」

 丸投げだった。

 未来の自分への信頼なのか責任転嫁なのか分からない。

 ルクシスは小さく欠伸を漏らす。

 そして身体を横たえた。

 柔らかな枕へ頭を預ける。

 ふかり、と沈み込む感触。

 先程まで感じていた緊張が、少しだけ緩んだ。

 窓の外では夜風が吹いている。

 遠くから聞こえる街の喧騒も、今はどこか心地よかった。

 ルクシスはゆっくり瞼を閉じる。

 意識が沈んでいく。

 そして。

 再び夢の世界へ落ちるように――静かに眠りについた。

 ───『……シス…………器……』

 声が聞こえる。

 深く沈んだ意識の底。

 暗闇しかない世界の中で、その声だけが鮮明だった。

 女性の声。

 どこか威厳を感じる。

 まるで長い年月を生きてきた王のような。

 あるいは神話の中の存在のような。

 そんな不思議な響きを持つ声だった。

『……次は……必ず……』

 途切れ途切れ。

 ノイズが混じっている。

 まるで誰かが無理やり通信を繋ごうとしているみたいだった。

(……なんだ……?)

 ルクシスは意識の中で眉をひそめる。

 聞かなければならない気がした。

 この声は重要だ。

 そんな直感があった。

 だから。

 聞き取ろうとした。

 もう少しだけ。

 あと少しだけ――。

 その瞬間だった。

 ───チュン、チュン。

 小鳥のさえずりが響く。

「……ん……」

 ルクシスの瞼がゆっくりと開いた。

 窓から差し込む朝日。

 柔らかな光が部屋を照らしている。

 どうやら朝になってしまったらしい。

「……」

 数秒だけ天井を見つめる。

 そして昨夜の夢を思い返そうとした。

 だが。

 上手く思い出せない。

 覚えているのは断片だけ。

 女性の声。

 威厳のある口調。

 それだけだった。

「……頭痛は……ないな」

 ルクシスは自分の額へ手を当てる。

 昨夜まで残っていた鈍い痛み。

 だが今は何も感じない。

 試しに頭を軽く振ってみる。

 問題なし。

 気分も悪くない。

 むしろ久々にしっかり眠れたような感覚すらあった。

「ふぁ……」

 小さく欠伸を漏らしながら身体を起こす。

 そのまま両腕を天井へ向けて伸ばした。

 背骨がぽきぽきと鳴る。

「……ふぅ」

 長く息を吐く。

 そしてベッドから降りた。

「行くか」

 短く呟く。

 まだリベリオンへ辿り着いていない。

 昨日は塔の前まで行ったところで倒れてしまった。

 今日こそは。

 そう思いながら扉へ向かう。

 ギィ、と扉を開く。

 木製の廊下。

 朝特有の静かな空気。

 床板を踏むたびに、コツ、コツと軽い音が響いた。

 どうやら部屋は一階だったらしい。

 少し歩くだけで玄関が見えてくる。

 そこで。

「あぁ……そうだ」

 ルクシスの足が止まった。

 昨夜のことを思い出す。

 倒れていた自分を助けてくれた宿。

 金は取らないと言われた。

 だが。

「流石にこれぐらいはな…」

 小さく呟く。

 次の瞬間。

 何もなかったはずの手の中へ、一つの財布が現れた。

 収納魔法。

 慣れた動作で財布を開く。

 そして中から金貨を数枚取り出した。

 カラン。

 カラン。

 静かな受付カウンターへ置く。

 朝早いからか、人影は見当たらない。

 例の眠そうな女性もまだ寝ているのかもしれない。

 ルクシスは置いた金貨を見下ろしながら頷いた。

「うん……多分足りるだろ」

 かなり適当だった。

 宿代の相場など知らない。

 だが足りないよりは多い方がいい。

 そんな雑な理論である。

 それでも少しだけ満足そうに頷くと、ルクシスは財布をしまい、再び玄関へ向かって歩き出した。

 今日こそ。

 リベリオンへ辿り着くために。

 ───外へ出ると、柔らかな陽光が街を包み込んでいた。

 石畳の道は陽射しを反射して白く輝き、建物の壁には穏やかな影が落ちている。

 昨日も同じ景色を見たはずだった。

 だが、なぜか今日は少しだけ眩しく感じる。

 ルクシスは片手を額の上へかざしながら空を見上げた。

 どこまでも青い空。

 雲がゆっくりと流れている。

「えーと……塔は……」

 周囲を見渡す。

 すると探すまでもなかった。

 街のどこからでも見えるほど巨大な塔が、堂々と天へ向かって伸びている。

 レンガ造りの街並みの中央。

 異物のように存在するその建造物は、嫌でも視界へ飛び込んでくる。

「よし……あれだな」

 小さく頷き、歩き出す。

 昨日は頭痛やら気絶やらで散々だった。

 今は頭も軽い。

 身体も問題なく動く。

 それだけで十分だった。

 石畳を踏みながら進んでいく。

 だが歩いているうちに、ふと違和感を覚えた。

「……ん?」

 ルクシスは辺りを見回す。

 人が少ない。

 もちろん誰もいないわけではない。

 商人らしき男が荷車を引いているし、道端では子供たちが遊んでいる。

 だが昨日見た時より明らかに人通りが少なかった。

「昼……ってことなのか?」

 ぽつりと呟く。

 そして次の瞬間。

 ルクシスの動きが止まった。

「……あ」

 今になって気付いた。

 昨日倒れたのは昼頃だったはずだ。

 そこから宿で目覚めた時には夜。

 そしてそのまま寝た。

 つまり――。

「俺……昼まで寝てたのか?」

 沈黙。

 数秒後。

「まじかぁ……」

 思わず脱力した声が漏れる。

 頭を抱えたくなる衝動に駆られた。

 普通なら半日以上寝込んだことになる。

 だが同時に納得もしてしまう。

 あの頭痛だ。

 身体が休息を求めていたのだろう。

「ってかよくそれで頭痛治ったな……」

 呆れたように笑う。

 肩を竦めながら空を見上げる。

 まるで他人事みたいだった。

 だが実際、今は驚くほど体調がいい。

 昨日まで頭の奥へ張り付いていた鈍い痛みも消えている。

 それならもう気にしても仕方ない。

「まぁ……結果オーライか」

 そう結論付けると、ルクシスは再び歩き始めた。

 陽光の差し込む街路を抜ける。

 巨大な塔は近付くたびに存在感を増していく。

 まるで街そのものを見下ろしているかのようだった。

 その威圧感に圧倒されながらも、ルクシスは足を止めない。

 そして――。

 塔の正面へ辿り着く。

 近くで見ると、やはり異常なほど大きい。

 見上げるだけで首が痛くなりそうだった。

「……」

 一瞬だけ無言になる。

 昨日はここへ来る寸前で倒れた。

 あと数歩だった。

 本当にあと少しだったのだ。

 だからこそ。

 ルクシスは額を軽く指で叩きながら苦笑した。

「また頭痛で倒れるなんて真似はやめてくれよな」

 誰へ言うでもない独り言。

 自分自身への確認だった。

 もちろん返事などない。

 だが不思議と少しだけ安心できた。

 ルクシスは深く息を吸う。

 そして巨大な扉を見上げた。

 ここがリベリオンなのか。

 本当に自分の求める答えがあるのか。

 まだ分からない。

 それでも――。

 進まないわけにはいかない。

「さて……」

 口角をわずかに上げる。

 期待と不安が入り混じった表情。

 そしてルクシスは、大きな塔の中へと足を踏み入れた。

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