第十四話 「信じて信じられる」
クノーシャはティーカップを机へ戻しながら、小さく肩を竦めた。
「君らしいといえばそうだが……やはりボクとしては、さっさと本題に入ってほしいな」
「せっかちだな……」
ルクシスは苦笑混じりにぼやく。
そして数秒だけ視線を泳がせたあと、ふっと表情を引き締めた。
「まぁいい。本題から話すと……夢の話だな」
「将来の?」
「ちげぇよ」
即座にツッコミが飛ぶ。
「学生じゃねぇんだぞ。寝てる時に見るやつだ」
「ふふっ、冗談だよ」
クノーシャは楽しそうに笑った。
だが次の瞬間には、すぐ真面目な顔へ戻る。
「……悪夢でも見たのかい?」
「悪夢……ってわけじゃねぇけどな」
ルクシスは眉を寄せ、言葉を探すように宙を見る。
「なんか変なんだよ」
「抽象的すぎるよ」
「うーむ……でも“変”としか言いようがないんだよな」
ルクシスは困ったように頭を掻く。
自分でも説明しづらいのだろう。
そんな彼を見ながら、クノーシャは小さくため息を吐いた。
「そのセリフは、その夢の内容を聞いた後に吐いてくれ」
「はいはい……」
ルクシスは軽く手を振りながら続ける。
「んで、夢の内容だけどな……なんていうか、視界が真っ黒かと思ったら、脳内に声が響いてきてな……」
「ふんふん」
クノーシャは頬杖をつきながら耳を傾ける。
先ほどまでの軽い空気は消えていた。
赤い瞳が、真っ直ぐルクシスへ向けられている。
「“観察”とか……“素質”とか……そういうよく分からん話をする女の声が、ずっと脳内に響いてくるんだよ」
「……それだけかい?」
「そうだな……あと言うなら、どうやら二人の会話らしくて……」
ルクシスは記憶を辿るように目を細める。
「片方は、おじいさんみたいな喋り方だったな。でも声自体はちゃんと若い女性だった」
「ふむ……」
「でもう片方は、穏やか……な声ではあるんだが」
そこでルクシスの眉が少しだけ寄った。
「なんか……敵対的? というか、あんま仲良さそうな感じじゃなかった」
部屋へ静寂が落ちる。
クノーシャは何も言わない。
ただ、じっと考え込むように視線を伏せていた。
「……そうか」
小さく呟く。
先ほどまでの軽口は完全に消えていた。
その真剣な様子を見て、逆にルクシスのほうが困惑したような顔になる。
「えっ……お前、信じるの?」
「え?」
クノーシャが顔を上げる。
「いや……自分で言うのもアレだが、こんな意味わかんねぇ話、普通すぐ信じれるもんか?」
ルクシスは苦笑する。
自分でも荒唐無稽な話だと思っているのだろう。
だが。
クノーシャは、そんな彼を静かに見つめ返した。
「……ルクシス君」
「なんだよ」
「ボクは、“君が言うから”信じてるんだ」
その言葉は、あまりにも自然だった。
迷いも。 疑いも。 試すような色もない。
ただ、当たり前みたいに口にされた言葉。
「え? お……おう……」
ルクシスは一瞬言葉を失った。
予想外だったのか、若干視線が泳いでいる。
そんな彼を見て、クノーシャはふっと小さく笑った。
「君、自分で思ってるより信用されてるんだよ」
「…そりゃありがたいが……」
ルクシスは微妙な表情で頭を掻いた。
嬉しくないわけではない。 むしろ信頼されていること自体は純粋にありがたい。
だが同時に、どこか落ち着かない。
そんな複雑な顔だった。
クノーシャは、その反応を見て小さく眉を上げる。
「なんだい、その歯切れの悪い言い方は」
「いや……」
ルクシスは視線を逸らしながら続けた。
「正直、お前からなにか情報は得られねえよなって思っててな…」
「君から来たのに?」
クノーシャが呆れたように目を細める。
するとルクシスは悪びれもなく頷いた。
「あぁ。単純に、今頼れる人間ってのがお前くらいしかいないのが理由かもしれない」
「ボクだけってことはないだろう」
クノーシャはティーカップを持ち上げながら言う。
「ゲーテやレルタスだっているじゃないか」
その名前を聞いた瞬間。
ルクシスの顔が露骨にしかめられた。
「ゲーテに関しては単純に関わりたくない」
「ひどい言われようだね」
「事実だろ」
即答だった。
迷いが一切ない。
「それとレルタスは……わざわざあいつに相談しに行く理由がない」
「ふむ……」
クノーシャは頬杖をつきながら、どこか懐かしそうに目を細めた。
「でも、ゲーテ君とルクシス君って仲良かった気がするけどな」
「そりゃお前から見た関係だろう」
ルクシスは深々とため息を吐く。
「あいつ基本一匹狼だから、特別誰かと仲良くすることないぞ」
「それはそれで、賢者としてどうなのかって思うけどね……」
クノーシャが苦笑する。
するとルクシスは肩を竦めた。
「それ言うなら、まともに賢者してんのレルタスくらいじゃねぇの?」
「失礼だな」
クノーシャがじろりと睨む。
「ボクも仕事はするさ。仕事がまだないってだけで」
「それニートの言い訳と変わらなくないか?」
「違うよ」
クノーシャは即座に否定した。
「“待機中”と言ってくれたまえ」
「言い換えただけだろ……」
ルクシスが呆れたようにぼやく。
だが、その空気はどこか穏やかだった。
軽口を叩き合いながらも、互いに遠慮がない。 長い付き合いだからこその空気感だった。
───賢者。
それは、ルクシスたちの住まうディメンション――アウレリア特有の役職。
そしてアウレリアのようなディメンションには、“魔法”という概念が存在する。
炎。 水。 風。 光。 闇。
これらの五大属性と呼ばれたあらゆる魔法を習得し、自在に扱えるようになった者だけが、“賢者候補”として認められる。
だが、それだけでは終わらない。
最終的には、アウレリア中央に存在する“中央神殿”にて、神から直接認可を受けなければならない。
そして。
ルクシスの風を意味するエメラルドグリーンの瞳。 クノーシャの炎を意味する深紅の瞳。
それらは全て、“賢者”である証でもあった。
そして瞳の色は、“賢者”である証であると同時に――その者が持つ“適正属性”を示している。
適正属性とは、人が生まれながらにして持つ魔法の素質。
人は五大属性のどれか一つに強い適性を持って生まれてくる。
例えば――ルクシス。
先程も挙げたように、彼の適正属性は“風”。
だからこそ彼は風魔法の習得速度が極端に早く、さらに同じ魔法を放ったとしても、適正を持たない者よりも高い威力を叩き出せる。
───
「さて……と。結論をまだ話していなかったね」
クノーシャがカップを机へ戻しながら、小さく息を吐く。
赤い瞳が、ゆっくりとルクシスへ向けられた。
ルクシスはソファーへ深く腰を沈めたまま、面倒そうに肩を回す。
「あぁ、そういえばそういう話だったな。危うく忘れかけてた」
「君、相談しに来た側なんだけどね?」
呆れ混じりの声。
クノーシャは片肘を机へ置き、そのまま指先で頬を支える。
どこか考え込むように視線を細めてから――静かに口を開いた。
「結論から言おう」
その瞬間。
部屋の空気が、わずかに引き締まる。
「ボクは、君の夢について何か教えることはできない」
「……ま、そうだよな」
ルクシスは苦笑しながら肩をすくめた。
そこまで期待していたわけではない。
むしろ、“分からない”と言われる未来のほうが自然だと思っていた。
だからこそ、落胆は少ない。
だが。
クノーシャはそこで話を終わらせなかった。
「なので――」
赤い瞳が、真っ直ぐルクシスを見る。
「君には、とある場所へ行くことをおすすめしよう」
「場所?」
ルクシスが眉を上げる。
クノーシャは一度だけ紅茶へ口をつけ、ゆっくりと告げた。
「全てのディメンションを管理する最大機関――“リベリオン”」
「……りべりおん?」
ルクシスの口から、間の抜けた声が漏れる。
数秒。
静寂。
そして。
「……ありゃ、知らないのかい?」
クノーシャがぱちりと目を瞬かせた。
「いや……全く」
ルクシスは悪びれもなく答える。
その瞬間。
「はぁ……」
クノーシャが深いため息を吐いた。
そのまま額へ手を当て、呆れたように首を横へ振る。
「まさか“リベリオン”を知らない人間がいるとは思わなかったよ……」
「いやそんなこと言われても、知らないもんは知らないんだが」
ルクシスは若干不服そうに眉をひそめる。
するとクノーシャは、やれやれと言いたげに肩をすくめた。
「ひと言で言えば、さっき言った通りだよ。全てのディメンションを管理する巨大機関」
彼女は静かに続ける。
「各ディメンション間の均衡維持。異常事態への介入。観測。管理。調査……」
「……なんか思ったより物騒だな」
「実際かなり物騒だからね」
クノーシャはあっさり頷いた。
「ちなみに、君の大好きな魔物討伐も――リベリオン所属の者たちの仕事だよ」
「別に大好きではねぇんだけど……」
ルクシスは露骨に嫌そうな顔をした。
だが、その反応を見たクノーシャはくすりと笑う。
「でも、君は結局戦うだろう?」
「……否定しづれぇ言い方やめろ」
ルクシスは視線を逸らしながらぼそりと呟いた。
窓の外では、風が木々を揺らしている。
ざわ……ざわ……と。
森の音だけが、静かな部屋へ優しく響いていた。
「……それで?」
ルクシスはカップを手に取りながら、じっとクノーシャを見る。
「なんで“リベリオン”をおすすめするんだ?」
湯気がゆらゆらと立ち昇る。
窓から差し込む柔らかな陽光が、その白い煙をぼんやりと照らしていた。
クノーシャは椅子へ深く腰掛けたまま、小さく足を組み替える。
赤い瞳が細められ、どこか懐かしむような色を宿した。
「簡単な話さ」
彼女は静かに言う。
「リベリオンは、とにかく歴史が長いんだよ」
「歴史?」
「そう。
おまけに、あの組織には昔から妙に“神話的な噂”が多い」
クノーシャは机の上へ指先を軽く置き、とん、と小さく叩く。
「だからもしかしたら――君の求める情報が得られるかもしれない。
そう思っただけさ」
「そんなに歴史長ぇのか?」
ルクシスが少しだけ身を乗り出す。
するとクノーシャは、当然のように頷いた。
「リベリオンという組織自体ができたのは、数百年も前から……という話だね」
「マジか」
ルクシスの目がわずかに見開かれる。
「そりゃすげぇな……」
数百年。
国家ですら崩れ落ちる年月だ。
そんな時間を、一つの組織が存続し続けている。
それだけで異常だった。
「じゃあ、その“神話的な噂”ってのは?」
ルクシスが問い返す。
その瞬間。
クノーシャは少しだけ視線を細めた。
「……君と同じさ」
「……は?」
「“転生者”が多いんだよ。リベリオンには」
「……っ」
ルクシスの表情が固まる。
部屋の空気が、ほんの少しだけ静かになった。
風の音だけが、遠くで揺れている。
クノーシャは続ける。
「それ故に……かな。
神を信仰する者も少なくないらしい」
「……そう、か……」
ルクシスは小さく呟き、視線を落とした。
転生者。
その単語を聞くだけで、胸の奥が妙にざわつく。
前世。
死。
今の自分。
全部が未だに現実味を持っていない。
だからこそ。
リベリオンという場所が、急に薄気味悪く感じ始めていた。
「……ところで」
ルクシスがふと顔を上げる。
「なんでそこで“神”の話が出てきたんだっけ」
するとクノーシャは、ふっと小さく笑った。
「それに関しては、ボクの推測だよ」
「推測?」
「君が転生者だという点。
そして――君の見た夢の内容」
クノーシャの赤い瞳が、真っ直ぐルクシスを見据える。
その視線は冗談を言う人間のものではなかった。
「だからボクは、“それ”が神に関係している可能性を考えた」
「……つまり」
ルクシスの喉が、小さく鳴る。
「俺が夢で聞いた声は……神様の声だって?」
その言葉を口にした瞬間。
自分でも分かるほど、背筋が冷えた。
あの夢。
真っ黒な視界。
頭へ直接流れ込んでくる声。
観察。
素質。
意味不明な会話。
思い返すだけで、妙な不快感が胸の奥を撫でていく。
クノーシャはすぐには答えなかった。
数秒。
静かに考えるように視線を伏せる。
そして。
「断定はしない」
ゆっくりと口を開く。
「だが、“可能性はある”――そう思っている」
その声音は静かだった。
だが。
だからこそ逆に、妙な現実味があった。
「……とりあえず、そこに行けばいいんだな?」
ルクシスはソファーへ深く座ったまま、ぼんやりと天井を見上げる。
数百年続く組織。
転生者。
神。
急に話の規模が大きくなりすぎて、頭が少し追いついていなかった。
だが。
少なくとも今の自分には、それ以外に手掛かりがない。
クノーシャは静かに頷いた。
「ああ」
赤い瞳が真っ直ぐルクシスを見る。
「少なくとも、“収穫なしで帰ってくる”なんてことにはならないと思うよ」
「……そうか」
短く返事をする。
そしてルクシスは、ゆっくりと立ち上がった。
ソファーが小さく沈み込み、衣擦れの音が静かな部屋へ響く。
窓の外では、相変わらず風が木々を揺らしていた。
ざわ……ざわ……と。
まるで背中を押すみたいに。
ルクシスは軽く肩を回し、そのまま扉のほうへ歩き出す。
「お前の言うことを信じてやる」
その言葉を聞いた瞬間。
クノーシャが、ぱちりと目を瞬かせた。
一瞬だけ、完全に意表を突かれたような顔。
だが次の瞬間には、ふっと口元を緩める。
「……仕返しのつもりかい?」
どこか楽しそうな声音だった。
ルクシスは振り返らないまま、肩越しに答える。
「やられっぱなしじゃ格好つかねぇんでな」
その返答に、クノーシャは小さく笑った。
呆れたようで。
けれど少し嬉しそうな笑い方だった。
ルクシスはそのまま歩き続ける。
そして、扉へ手を伸ばそうとした瞬間。
「ルクシス君」
後ろから、静かな声が届いた。
ルクシスの足が止まる。
「……なんだよ」
振り返らない。
だが耳だけは、ちゃんと後ろへ向いていた。
少しだけ間が空く。
クノーシャは窓から差し込む光の中で、静かに微笑んでいた。
「……またね」
その言葉は、とても自然だった。
別れの挨拶。
ただそれだけ。
なのに。
なぜか少しだけ、胸へ残る。
ルクシスは数秒黙ったあと――。
「……おう、またな」
ぶっきらぼうに返した。
そして後ろへ軽く手を振る。
振り返りはしない。
だがその手の振り方は、どこか照れ隠しみたいだった。
クノーシャはそんな背中を見つめながら、くすりと小さく笑う。
やがて。
重たい扉が、ゆっくり閉まった。




