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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第一章 『2人目の英雄』
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第十一話 「アテネ・フォーツラインの贖罪」

 ───十年前の話。

 昔の話。

 忘れてはならない話。

 私には妹がいた。

 名を――アテナという。

 妹は、天才だった。

 幼い頃から何をやらせても完璧で。  周囲の大人たちは口を揃えて彼女を褒めた。

 神童。

 才能の塊。

 未来の希望。

 そんな言葉を、何度聞いたか分からない。

 そして。

 私もまた、彼女をもてはやす人間のうちの一人だった。

「アテナはすごいねえ」

 女性の声が響く。

 だが、顔は見えない。

 真っ黒だった。

「アテナはなんでもできるな」

 今度は男の声。

 やはり顔は黒く塗り潰されたみたいに見えなかった。

 声だけが、暗闇へ響いていく。

「アテナは賢いね」

「アテナは強いね」

「流石だ」

「天才だ」

 無数の声。

 褒め言葉。

 期待。

 賞賛。

 その全てが、まるで呪いみたいに頭の中で反響していた。

「そうだ……」

 アテネが小さく呟く。

「私は……」

 その瞬間。

 視界が暗転した。

「――っ」

 気づけば、周囲は真っ黒な空間へ変わっていた。

 床も。  壁も。  空気すらも。

 何もない。

 静寂だけが支配している。

(精神世界……というやつか)

 アテネはゆっくり周囲を見回す。

 そして。

 目の前に立つ存在を見て、息を止めた。

「……アテナ」

 そこにいたのは、赤髪の少女。

 高い位置で結ばれたツインテール。

 まだ小学生くらいの、小さな身体。

 幼い。

 だが。

 アテネの記憶にあるアテナは、いつも笑っていたはずだった。

 無邪気に。  嬉しそうに。  太陽みたいに。

 なのに。

 目の前のアテナには、笑みがなかった。

 表情がない。

 冷たい瞳だけが、じっとアテネを見つめている。

「お姉ちゃんは、なんでいるの?」

「……え?」

 アテネの肩がびくりと揺れた。

 思わず一歩後ろへ下がる。

 アテナは感情のない声で続ける。

「なにも守れなかったくせに」

「それ……は……」

 喉が詰まる。

 言葉が出ない。

 するとアテナは、アテネの服装を見下ろした。

「その服とかなに? 気持ち悪いよ」

「っ……」

 アテネは反射的に自分の身体を見る。

 白衣。  赤い袴。

 巫女服。

 今の自分の象徴みたいな服装だった。

 だが。

 その姿を見た瞬間――胸の奥が、嫌にざわついた。

「これ……は……」

 アテネの声がかすれる。

 その瞬間。

 脳裏へ、昔の記憶が流れ込んできた。

 ―――

『お姉ちゃん、その服なに?』

 幼いアテナが、不思議そうに首を傾げる。

 小さな指を口元へ当て、きらきらした目でこちらを見上げていた。

 赤いツインテールが、ふわふわと揺れている。

『これは“みこしょーぞく”って言うんだよ』

 昔のアテネは、どこか誇らしげに胸を張っていた。

『言い換えれば……神を守る人、みたいな!』

『んー? 神様なんているの?』

 アテナがきょとんとした顔になる。

 するとアテネは笑った。

 優しく。  嬉しそうに。

 そして、アテナの額を軽く指でつつきながら言った。

『いるよ』

『アテナっていう、私の神様がね』

 ―――

「……」

 記憶が途切れる。

 再び、真っ黒な空間。

 目の前には、感情のない顔をしたアテナが立っていた。

「なにも守れない」

 淡々と。

 まるで事実を読み上げるだけみたいな声。

「何もできない」

 表情は変わらない。

 怒りも。  悲しみも。

 何もない。

 だからこそ余計に、胸へ刺さった。

「ほんと……なんで生きてるの?」

「っ……」

 アテネの呼吸が止まる。

 次の瞬間。

 アテナの口元が、ゆっくりと歪んだ。

 笑った。

 嘲笑うみたいに。

「あんたが死ねばよかったのに」

「――っ!!」

 その瞬間。

「……っはぁ!!」

 アテネは勢いよく目を開けた。

 身体が跳ねる。

 気づけば、ベッドの上だった。

「……はぁ……はぁ……はぁ……!」

 呼吸が荒い。

 胸が激しく上下している。

 心臓の音が、うるさい。

 ドクン。  ドクン。  ドクン。

 まるで内側から殴られているみたいだった。

 額には冷たい汗。

 喉も乾いている。

 アテネは震える手で、自分の胸元を強く掴んだ。

「……また、か……」

 掠れた声が、静かな部屋へ落ちた。

 そして。

 再び、過去の記憶が脳裏へ流れ込む。

 ――燃えていた。

 目の前で。

 家が。

 炎を上げながら。

 赤い火の粉が夜空へ舞い、熱風が肌を焼く。

 木材が崩れる音。  何かが爆ぜる音。

 地獄みたいな光景だった。

『なんで助けてくれなかったの!?』

 悲鳴のような叫び声。

 泣きながら怒鳴っている。

 女の声だった。

 だが。

 その顔は見えない。

 真っ黒だった。

 父親も。  母親も。

 顔だけが、黒く塗り潰されたみたいに見えなかった。

『わた……し……は……』

 震える声。

 唯一、はっきり見えている顔。

 ――自分自身。

 幼いアテネが、涙を流しながら立っていた。

 身体は震え。  呼吸は乱れ。  喉は張り付いたみたいに動かない。

『あんたが……あんたが死ねばよかったのよ!』

「――っ」

 アテネの肩が大きく揺れる。

『あの娘を……アテナを……返して……!』

『ごめん……なさい……』

 小さな声。

 謝ることしかできない。

 アテネは無意識に、自分の首元を掴んだ。

 苦しい。

 呼吸がうまくできない。

 そのまま、じり……と後ろへ下がる。

『あんたはなにもできない!』

 声が響く。

『アテナができたことを、あんたは何一つとしてできない!』

 責める声。

 否定する声。

『なのに……なんでこういう時だけ生き残るのよ……!』

 感情が剥き出しになる。

『嫌い……』

 そして。

『大っ嫌い!!』

 ―――。

「っ……」

 記憶が止まる。

 だが。

 “嫌い”という言葉だけが、頭の中で何度も反響し続けていた。

 嫌い。

 嫌い。

 大っ嫌い。

 まるでエコーみたいに、終わらない。

 その直後。

 ぽたっ。

 小さな音が鳴った。

 布団へ、透明な雫が落ちる。

 アテネは気づかない。

 自分が泣いていることに。

「ごめん……なさい……」

 掠れた謝罪だけが、静かな部屋へ零れ落ちた。

 ──あのときから頑張った。

 妹がいないのなら――私が代わりになろうと。

 その頑張りを認めてくれる人はいなかった。

 だが、それで諦めてしまったら、妹に顔向けできない気がした。

 勉学に励んだ。

 誰よりも長く机へ向かい、誰よりも多く文字を書き続けた。

 夜。  机へ突っ伏したまま眠ってしまい、朝日で目を覚ましたこともある。

 指先はペンだこで固くなった。  目の下には隈。  それでも止めなかった。

 そしてテストでは、毎回100点を取り続けた。

『あの人また100点だって』

 脳内へ声が響く。

『なんか……あの人の妹みたい』

『魂でも乗り移ったんじゃない?』

 ゲラゲラと笑う声。

 教室の空気。  刺さる視線。  ひそひそ話。

 褒められているはずなのに、胸の奥が冷えていく。

 アテネは机の上へ置いた答案用紙を、静かに握り締めた。

 運動にも励んだ。

 朝一番に走る。  誰もいないグラウンド。  吐く息は白い。

 転んでも立ち上がる。  足が震えても走り続ける。  呼吸が壊れそうになっても止まらない。

 そして結果を残した。

 誰よりも速く。  誰よりも強く。  誰よりも上手く。

『あの人強すぎ、勝てないよ』

『才能ある人はいいよねぇ』

『どうせ私たちの辛さなんか分かんないでしょ?』

 嫌味ったらしい声が、また脳内へ響く。

 アテネは俯いた。

 違う。

 才能なんかじゃない。

 ただ必死だっただけだ。

 置いていかれたくなくて。  見捨てられたくなくて。  妹の代わりになりたくて。

 だから壊れるほど頑張っただけなのに。

 それでも誰も、“アテネ”を見てくれなかった。

 皆が見ていたのは――“アテナの姉”だけだった。

 それでも――親なら喜んでくれると思った。

 そう思ってしまった時点で、自分はクズなのだと理解していた。

 妹が死んだというのに。  自分だけ生き残ったというのに。

 それでも。  ほんの少しだけ。

 “見てほしい”と思ってしまった。

『お母さん……また100点とったよ』

 幼いアテネが、答案用紙を両手で持ちながら声をかける。

 だが。

『ふーん。で? お風呂掃除やってくれた?』

 返ってきたのは、興味の欠片もない声だった。

 母親は振り返りもしない。  ただ食器を洗い続けている。

 アテネの手から、答案用紙が少しだけ下がった。

 場面が変わる。

『お父さん……また金賞とったよ』

 今度はトロフィーを抱えていた。

 息を切らしながら。  嬉しさと不安が入り混じった顔で。

 けれど。

『今集中してるから邪魔しないでくれるか?』

 父親は本から目を離さない。

 視線すら向けない。

 アテネはその場で立ち尽くした。

 トロフィーを抱えたまま。  何秒も。  何十秒も。

 誰も見てくれなかった。

 誰も、“アテネ”の名を呼んでくれなかった。

 聞こえてくるのはいつも、

『アテナならもっと凄かった』

 その言葉ばかりだった。

 それでも頑張った。

 誰よりも頑張った。

 頑張って。  頑張って。  壊れそうになるまで頑張り続けた。

 夜。

 薄暗い部屋。

 小さな仏壇の前で、幼いアテネが静かに膝をついている。

 仏壇へ置かれた写真。

 そこには、笑顔のアテナが写っていた。

『アテナ……私、頑張ってるよ……』

 震える声。

 小さな両手をぎゅっと握り締めながら、アテネは写真を見上げる。

『次は……もっとアテナらしく生きてみせるから……』

 その言葉を口にした瞬間。

 ぽたり、と。

 膝の上へ水滴が落ちた。

『……え』

 アテネはゆっくり頬へ触れる。

 指先が濡れていた。

 いつの間にか涙が流れていた。

 だが、その時のアテネには――それに気づく余裕すらなかった。

 ───気づけば、学校を卒業していた。

 桜が舞っている。

 校門。  制服。  笑い声。

 周囲では、同級生たちが楽しそうに笑い合っていた。

『またな!』

『写真撮ろうよ!』

『進学先どこー!?』

 明るい声が飛び交う。

 だが。

 その顔だけが見えない。

 全員、真っ黒だった。

 まるで最初から“顔”という概念だけ削り取られているみたいに。

 アテネは一人で歩き出す。

 誰とも話さず。  誰とも並ばず。

 ただ静かに前へ進む。

 卒業証書を抱えた腕へ、少しだけ力が入った。

『次は……次は……』

 声が震える。

『アテナなら……』

 そこで、不意に足が止まった。

 アテネの瞳が揺れる。

『……どうすれば、いいの……?』

 ぽたり、と。

 涙が頬を伝った。

『私……は……どうすれば……』

 分からない。

 ずっと頑張ってきた。

 妹の代わりになろうとして。  妹みたいになろうとして。  妹ならどうするかだけを考えて生きてきた。

 なのに。

 その先が、何もなかった。

 直後。

 周囲が暗くなった。

 景色が消える。

 校舎も。  空も。  桜も。  人影も。

 全部、黒へ沈んでいく。

 笑い声だけが残る。

 反響するように。  頭の奥で何度も何度も響き続ける。

 そして。

 ぷつり、と。

 音が途切れた。

「――――」

 静寂。

 周囲は完全な黒。

 地面すら、いつの間にか闇へ覆われている。

 その時。

『嫌い』

 声が響いた。

 アテネの肩がビクリと震える。

 姿は見えない。

 だが、分かる。

 聞きたくない声。

 見たくない存在。

『嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い』

 感情のない声だった。

 音程すら変わらない。

 壊れた機械みたいに、同じ言葉だけを吐き続ける。

嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い

 逃げ場がない。

 耳を塞いでも聞こえる。

 頭の奥へ直接流し込まれてくる。

 アテネは震える唇を押さえた。

 呼吸ができない。

 心臓が痛い。

 それでも声は止まらない。

『嫌い』

 たったその一言だけで。

 アテネの世界は、簡単に壊れていった。

 アテネは、その場へ膝をついた。

「っ……ぁ……」

 呼吸が荒い。

 胸が苦しい。

 まるで見えない何かに首を締め上げられているみたいだった。

 真っ黒な空間。

 終わらない“嫌い”の声。

 耳を塞いでも意味がない。

 頭の奥へ直接響いてくる。

 アテネは震える指で、自分の胸元を掴んだ。

(助けて……)

 だが。

 誰も見てくれなかった。

(助けてよ……)

 誰も、“アテネ”の言葉を聞いてくれなかった。

 だから。

 限界だった。

 アテネは顔を歪め、喉が裂けそうなほどの声で叫ぶ。

「助けてよ!!」

 その瞬間だった。

 ぴたり、と。

 嫌いという声が止まる。

 静寂。

 呼吸音だけが、やけに大きく響いていた。

 そして。

「また逃げるんだ」

 吐き捨てるような声。

 軽蔑を含んだ、冷たい声音。

 アテネの身体がビクリと震えた。

 直後。

 景色が歪む。

 黒い空間が崩れ落ちるみたいに消えていき――。

 アテネは、現実へ引き戻された。

「っ……!」

 目を見開く。

 視界に映るのは天井。

 薄暗い部屋。

 自分の荒い呼吸。

 汗で張り付く赤髪。

 アテネはしばらく呆然としたあと、小さく呟いた。

「私……何してたんだっけ……」

 ぼんやりとした声だった。

 夢と現実の境界が、まだ曖昧だった。

 アテネは震える腕を軽く叩き、無理やり身体を動かす。

 そしてベッドから降りた。

 足元がふらつく。

 真っ直ぐ歩けない。

 まるで身体から力が抜け切っているみたいだった。

 それでも、なんとかティッシュ箱の前まで辿り着く。

 一枚だけ引き抜き、静かに頬へ当てた。

 涙で濡れている。

 アテネは目を伏せた。

 数秒間、何も言わない。

 やがて。

 ぽつりと呟く。

「完璧に……ならなきゃ」

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