共犯者のティータイムと、10年分の答え合わせ
「えー? どっち? 笑」
小首を傾げて笑う咲良を前にして、僕の心臓はまだ早鐘を打っていた。
夢にまで見た、彼女との再会。
スマホの画面越しにしか見られなかった彼女が、今、目の前で僕に向かって笑いかけている。
「あ、ごめん、春斗くん。今から次の授業だよね?」
ふと、咲良が一般教養棟の壁にある時計を見上げて言った。
時刻は午後1時前。僕も咲良も、午後の講義が始まるまであと10分ほどしかなかった。
「あ……うん。3限に情報の基礎演習が入ってる」
「そっかぁ。私もあるんだよね、法学入門の必修」
咲良は手元の分厚いテキストに視線を落とし、少しだけ名残惜しそうな顔をした。
ここで「じゃあ、またね」と別れてしまうのか。せっかく1ヶ月も探し回って、奇跡みたいに出会えたのに。
なんとかして、連絡先を聞かなきゃ。次に会う約束を――。
僕が焦って口を開きかけた、その時だった。
「ねえ、春斗くん」
咲良が顔を上げ、いたずらを思いついた子供のように、目をキラキラと輝かせて言った。
「授業、サボっちゃおうか」
「……え?」
予想外の提案に、僕は間の抜けた声を出してしまった。
「いや、だって、せっかく10年ぶりに会えたんだよ? ここでバイバイするの、もったいなくない? 私、この後春斗くんとお茶したいな」
「で、でも、必修の……」
「大丈夫大丈夫! まだ4月だし、一回くらい平気だよ。……あ、春斗くんが真面目に授業出たいなら、無理には言わないけど……」
咲良は少しだけ上目遣いになり、僕の顔を覗き込んだ。
そのゆるふわっとした雰囲気の中にある、絶対的な引力。
高校3年の秋、周りが文化祭ではしゃぐ中、学級委員長としてテントの裏で歯を食いしばっていた僕だ。真面目さだけが取り柄みたいな人生を送ってきた。大学の講義を、それも必修科目をサボるなんて、本来の僕なら絶対にありえない選択だ。
でも。
「……いや、俺もサボる」
僕の口から出たのは、一瞬の迷いもない即答だった。
ここで彼女を帰すくらいなら、単位の一つや二つ、喜んでドブに捨ててやる。
「ほんと? やった!」
パッと花が咲くように笑った彼女の顔を見て、僕の中の罪悪感は一瞬で消え去った。
僕たちは、大学生活で初めての「サボり」という秘密を共有する、共犯者になったのだ。
僕たちはキャンパスを抜け出し、大学のすぐ近くにあるこぢんまりとしたカフェに入った。
アンティーク調の落ち着いた店内で、向かい合わせの席に座る。
アイスティーと、咲良が頼んだシフォンケーキが運ばれてきた。
テーブルを挟んで、距離にしておよそ1メートル。
高校時代、400キロ離れていた僕たちを繋いでいたのは『Momento』のDMだけだった。それが今、グラスの氷が溶ける音すら共有できる距離にいる。
「それにしても、本当にびっくりしたよ。同じ大学だったなんて」
咲良はストローでアイスティーをかき混ぜながら、ニコニコと笑っている。
「ごめん。ずっと言えなくて」
「なんで? 私、同じ大学に行く人いないから、知ってたらすごく心強かったのに」
「……俺も、情報系の学部に受かったの、ギリギリだったからさ。言い出しにくくて」
本当は、「重いと思われたくなかったから」だ。
指定校推薦で法学部に決まっていた君に、コンプレックスを感じていたからだ。
でも、そんな泥臭い本音は、今の僕にはまだ言えなかった。
「そうなんだ。でも、すごいね! 春斗くん、昔からパソコンとか好きだったもんね」
「そんなことまで覚えてるの?」
「うん! 小学校の時、図書室のパソコンでなんか難しいことやってたの、覚えてるよ」
咲良はシフォンケーキを一口頬張り、「美味しい〜」と頬を緩ませた。
彼女の記憶の中に、僕の姿がちゃんと残っていたこと。それがどうしようもなく嬉しかった。
「咲良は、なんでこの大学の法学部に?」
「うーん、なんとなくだよ? お父さんが法律関係の仕事してるから、少し興味あったくらいで。でも、入ってみたら覚えること多くて、もう頭パンクしそう」
「相変わらずだな」
「えっ、ひどい! 春斗くんも相変わらずだね、そういう一言多いところ」
クスリと笑い合う。
空白の10年なんて、最初からなかったみたいだった。
おっとりとしていて、どこか抜けている彼女のペースに巻き込まれると、僕はどうしても素の自分に戻ってしまう。
「そういえばさ」
僕はずっと聞きたかったことを、思い切って切り出した。
「高校入る前、いきなり『Momento』フォローしてきたじゃん。あれ、なんでだったの?」
ずっと気になっていた、3年前のあの日のこと。
僕の時間が再び動き出した、あの通知の理由。
咲良は少しだけ目を丸くして、それから、恥ずかしそうに頬をかいた。
「あー……あれね。なんかね、高校に上がる前の春休みに部屋の片付けしてたら、引き出しの奥から写真が出てきて」
「写真?」
「うん。小6の夏、私が東京に引っ越す直前に、お母さんたちが撮ってくれたやつ。ほら、うちのお母さん同士、仲良かったじゃない? その写真で、なんかちょっと照れくさそうな顔して私と並んでる春斗くんを見てたら、急に懐かしくなっちゃって」
僕の好意がクラス中にバレていて、必死に平静を装っていた頃の写真だ。当時の気まずさが蘇り、僕は思わず顔を熱くした。
「それで、アプリのおすすめに春斗くんらしきアカウントが出てきたから、思わずポチッとしちゃったの。迷惑だった?」
「迷惑なわけないだろ。……びっくりはしたけど、嬉しかった」
たったそれだけのこと。
彼女にとっては、部屋の片付けで見つけた写真と思い出の延長線上だったのかもしれない。
でも、僕にとっては、それが全てだった。
その「ポチッと」があったから、僕は狂ったように勉強して、今、こうして東京のカフェで君と向かい合っているのだ。
「でも、あの頃は全然DM続かなかったね」
咲良が少しだけ意地悪そうに笑う。
「春斗くんの返信、いつも『うん』とか『そうだね』ばっかりで、私、嫌われてるのかなーって思ってたよ」
「ちっ、違うって! あれは……その、なんて返せばいいか分からなくて……」
深読みしすぎて1時間も返信に悩んでいたなんて、死んでも言えない。
僕が顔を真っ赤にして慌てていると、咲良は「ふふっ」と楽しそうに笑った。
「冗談だよ。……でも、こうやってまた会えて、本当に嬉しい」
窓から差し込む春の光が、彼女の柔らかい髪を淡く透かしていた。
その言葉に嘘はないのだと、彼女の真っ直ぐな瞳が教えてくれた。
「……俺もだよ。また会えて、嬉しい」
授業をサボった罪悪感なんて、もう微塵も残っていなかった。
グラスの氷がカランと鳴る。
東京という巨大な街の片隅で、僕たちの新しい時間が、静かに、けれど確かに動き始めていた。
読んでいただきありがとうございます.
再会した春斗と咲良はどのようなキャンパスライフを送っていくのでしょうか?
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