水色と、白色
「……あれ?」
結衣と半分こにしていた焼きそばのパックを片手に後ろを振り返ると、そこにあるはずの四人の姿が、すっぽりと消え失せていた。
いるのは、打ち上げ会場の河川敷へ向かってゾロゾロと歩く、見知らぬ浴衣姿のカップルや家族連ればかりだ。
「……どうしたの?」
隣を歩いていた結衣が、不思議そうに首を傾げた。その声色は、まだ少しだけ硬く、どこかよそよそしさが残っている。
「いや……あいつらが、いねえ。はぐれたっぽい」
「えっ……嘘、どうしよう。さっきまで、すぐ後ろにいたのに」
結衣の顔に困惑の色が浮かぶ。少し距離を置いて立ち尽くす俺たちの間に、再び気まずい沈黙が降りた。
さっきまで拓海たちがワチャワチャと騒いでくれていたおかげで誤魔化せていたが、こうして二人きりになってしまうと、何を話していいのか分からなくなる。
「……とりあえず、俺が一ノ瀬か拓海に連絡入れとく。あいつらも気づいて、どっかで立ち止まってるだろ」
「うん……お願い」
俺はスマホを取り出し、LIMEを開いて拓海にメッセージを飛ばした。
『おい、どこ行った。はぐれたぞ』
しかし、画面に『既読』の文字がつく気配はない。
「とりあえず、邪魔にならないようにあっちの土手の方で待とうぜ。花火もよく見えそうだし」
「……うん、わかった」
俺たちは人の流れから少し外れ、見晴らしの良い斜面の芝生に、少しだけ距離を空けて腰を下ろした。
それから、十五分が経過した。
スマホの画面を何度確認しても、拓海からも一ノ瀬からも、そして莉奈からも一切の連絡はない。さすがに、これだけ時間が経って誰もスマホを見ないなんてことはあり得ない。
(……あいつら、やりやがったな)
ようやく、事の真相を察知した。
偶然はぐれたんじゃない。あいつらは意図的に気配を消して、俺と結衣を二人きりにしたのだ。
『陥れられた』
そう表現するのが正しいのだろうが、腹の底から湧き上がってくるのは怒りではなく、むしろ感謝に近い感情だった。
別れてからも、大学のキャンパスで見かける結衣の姿が、常々気になって仕方がなかった。もう一度話したい、隣を歩きたいと、ずっとうじうじと考えていたのだ。だから、この状況はお膳立てされたものだとしても、俺にとってはありがたいものだった。
横目でそっと隣を盗み見る。
結衣は膝を抱えるようにして座り、じっと遠くの打ち上げ会場を見つめていた。淡い水色の浴衣が、夜の闇の中でふわりと白く浮かび上がって見える。
さっき、拓海に強引に渡されたたこ焼きを頬張った時の、熱そうに目を細める顔。
それは、高校時代に部活帰りで一緒に買い食いをした時に見せた、無防備で子供っぽい笑顔と何も変わっていなかった。
(……なんで俺、別れちまったんだっけな)
少し大人びた彼女の横顔を見つめながら、俺は心の中で自嘲気味に呟いた。
高校の卒業旅行。それが、俺たちがすれ違ってしまった決定的な原因だった。
迫り来る大学生活への準備や、これまでとは違う新しい環境に対する漠然とした不安。俺は自分のことでいっぱいいっぱいになって、せっかくの旅行中だというのに勝手に余裕をなくしていた。結衣からの気遣うような言葉にも素っ気なく返し、楽しいはずの思い出作りが、どこかギスギスした空気に包まれていった。
結衣も結衣で、そんな俺に気を遣って我慢を重ね、それがかえってすれ違いを生んでいった。そして、些細な口論から、お互いに意地を張って、勢いだけで「じゃあもういい」と突き放して別れてしまったのだ。
今思えば、本当にガキみたいな理由だ。
高校時代、彼女のそういう『気を遣いすぎるところ』や『少し不器用だけど真っ直ぐなところ』に惹かれて付き合い始めたはずなのに、一番大事なものを見失っていた。
(一ノ瀬や拓海の敷いたレールに、このままホイホイ乗っかるのは……俺のプライドが許さねえ)
あいつらの思惑通り、この花火の雰囲気にあてられて「やっぱりもう一度付き合おう」なんて元鞘に収まるのは、簡単かもしれない。
でも、それでは結衣に対しても不誠実な気がした。
自分のガキみたいな余裕のなさが原因で別れたんだ。やり直すなら、他人のアシスト抜きで、ちゃんと俺自身の足で踏み出さなきゃならない。
「……蓮? どうしたの、難しい顔して」
不意に、結衣がこちらを覗き込むようにして声をかけてきた。
俺が黙り込んでいたせいで、また怒っているとでも思ったのだろう。その瞳には、少しだけ不安そうな色が混じっていた。
「ん、いや、なんでもねえよ。あいつら、全然返信よこさねえから、もうほっとこうぜ」
「えっ、でも……」
結衣が何かを言いかけたその時だった。
ドーンッ!
腹の底に響くような重低音と共に、夜空に巨大な光の華が咲き誇った。
周囲から「おおーっ!」という歓声が上がる。
川崎の夜空をキャンバスにして、次々と色鮮やかな花火が打ち上がっていく。赤、緑、黄金色の光が、隣に座る結衣の横顔を明るく照らし出した。
水色の浴衣に身を包み、夜空を見上げて目を輝かせる彼女の姿は、どうしようもなく綺麗だった。
「……すごいね、蓮」
「ああ、そうだな」
しばらくの間、俺たちは無言で夜空を見上げていた。
花火の音が鼓膜を震わせるたびに、心臓の鼓動も早くなっていくのがわかる。
言わなきゃならないことがある。
別れた時の、くだらない意地とすれ違い。それを清算しなければ、前には進めない。
ふと、花火の打ち上げがインターバルに入り、周囲がふっと静かになった。
「「あのさ(あのね)」」
全く同じタイミングで、俺と結衣の声が重なった。
驚いて顔を見合わせる。
「あ……ごめん、蓮から先言って」
「いや、悪い、お前こそ……」
譲り合いになりかけ、結局また同時に口を開いてしまう。
「「ごめん(ごめんなさい)!」」
これまた綺麗に声が重なり、俺たちは思わず吹き出してしまった。さっきまでのギクシャクしていた空気が、ふっと解けていくのがわかる。
「なんだよそれ……。俺から言わせてくれ。大学入ってから、俺が勝手に余裕なくなって、結衣に八つ当たりみたいなことして……本当にごめん。ずっと、謝りたかった」
「ううん、私の方こそごめんなさい。蓮がいっぱいっぱいで頑張ってるのに、わがままばっかり言って……困らせて」
結衣は膝の上で両手をぎゅっと握りしめながら、少しだけ潤んだ瞳で俺を見つめ返した。
「私ね、今日、蓮に会えて本当に良かった。あのままじゃ、絶対後悔してたから。……だから、私――」
結衣が、その先の言葉を紡ごうと息を吸い込んだ。
それがどういう言葉になるのか、痛いほどわかった。だからこそ、俺は彼女の言葉を遮るように、少しだけ強い声を出した。
「結衣、待ってくれ。今は、それ以上言わないでいい」
「……え?」
結衣が戸惑ったように瞬きをする。
俺は頭を掻きむしり、照れ隠しに視線を少しだけ逸らしながら言った。
「今日のは、ノーカンだ。こんな、あいつらに仕組まれたようなシチュエーションで決めるのは、俺の男としてのプライドが許さねえんだよ」
「……仕組まれた?」
「ああ。拓海のやつらが、わざと俺たちを二人きりにしたんだ。ありがたいけど、なんか癪に触るだろ?」
俺が苦笑交じりにそう言うと、結衣も事態を察したのか「あ……」と小さく声を漏らし、それからおかしそうにクスクスと笑い始めた。
「もう、拓海くんたちったら……相変わらずなんだから」
「だからさ」
俺はもう一度、しっかりと結衣の目を見て告げた。
「後日、ちゃんと俺から誘う。お互いの予定合わせて、二人だけでどっか出かけよう。その時に……俺から、ちゃんと全部言うから」
その言葉の意味を理解した結衣の頬が、夜空に咲いた赤い花火の光よりも、ほんのりと朱に染まった。
彼女は嬉しそうに目を細め、そして、はっきりと頷いた。
「うん……わかった。待ってるね、蓮」
再び、夜空に特大のしだれ柳が打ち上がる。
俺たちはそれ以上は何も言わず、さっきよりもずっと近い、肩が触れ合いそうな距離で、並んで夜空を見上げた。
あいつらへの借りは、後できっちりジュース一本ずつで返してやろう。
そんなことを考えながら、俺は白地の甚平の袖の向こうにある彼女の手を、いつかもう一度繋ぐ日のことを想像していた。




