テスト明けのファミレスと、共犯者たちの牽制試合
七月の最終週。
僕たち大学生を待ち受けていたのは、前期の総決算である期末テストという名の地獄だった。
特に情報学部の専門科目は容赦がない。黒板にびっしりと書かれたデータ構造とアルゴリズムの解説や、難解なネットワーク通信プロトコルの動作原理に、僕と拓海は連日頭を抱えながら立ち向かうことになった。
「……終わった。いろんな意味で」
「ああ。最後のプログラミング言語の記述問題、再帰関数の処理を追ってたら完全に頭真っ白になったわ……。ループ抜け出せなくて無限増殖するコード書いちゃった気がする」
金曜日の午後。すべての期末テストを終え、冷房の効いた大教室から吐き出された僕と拓海は、ゾンビのような足取りでキャンパスを歩いていた。
梅雨明けの空から降り注ぐ夏の強烈な日差しが、徹夜明けの目に突き刺さる。アスファルトからは蜃気楼が立ち上りそうなくらいの熱気が放たれていたが、この極度の疲労感の先には、待ちに待った『夏休み』という甘美な響きが待っているのだ。
「おーい! 春斗くん、拓海くん! お疲れ様ー!」
正門の前まで来ると、すでにテストを終えていた咲良と莉奈さんが、日傘を差しながらこちらに手を振っていた。
疲れ切った僕たちとは対照的に、二人の表情は長かったテスト期間からの解放感で晴れ晴れとしている。今日の咲良は、白いノースリーブに薄手のカーディガンを羽織っており、いかにも夏らしい涼しげな装いだった。
「お疲れ。そっちはどうだった?」
「まあ、なんとか単位は拾えてるんじゃないかなって感じ。莉奈が過去問とノート貸してくれたおかげだけどね」
「咲良が昨日の夜になって『フランス語の動詞の活用がゲシュタルト崩壊してきた』って泣きついてくるから、こっちはヒヤヒヤしたわよ」
莉奈さんが呆れたように笑いながら、パサリと日傘を畳んだ。
「さ、とりあえずテストのことは忘れて、打ち上げ兼作戦会議に行きましょ! 予約してたファミレス、すぐそこだから」
「おう、とにかく冷たいもん飲ませてくれ……干からびそうだ」
拓海のぼやきを合図に、僕たち四人の共犯者は、大学近くのファミリーレストランへと向かった。
***
「それじゃあ、前期のテスト終了と、来週の『復縁作戦』の成功を祈って……乾杯!」
「「「乾杯ー!」」」
ファミレスのボックス席。男子二人と女子二人が向かい合うように座り、ドリンクバーのグラスを四つ中央で合わせて澄んだ音を響かせる。
僕の横には拓海、そして向かいの席には咲良が座り、僕から見て対角線上の席――拓海の正面に、莉奈さんが座るという配置になっていた。
氷のたっぷり入ったメロンソーダを一気に流し込んだ拓海が、「ぷはーっ!」と大げさに息を吐き出した。
「生き返ったわ……。テスト期間中、エナジードリンクとブラックコーヒーしか飲んでなかったから、糖分が五臓六腑に染み渡るぜ」
「拓海くん、それ絶対体に悪いよ。ほら、頼んでたハンバーグドリアも来たし、ちゃんとご飯食べなよ」
咲良が店員から受け取った熱々のドリアを拓海の前に押しやると、僕の頼んだ和風パスタと、女子二人がシェアするという山盛りポテトフライやパンケーキも次々とテーブルに並べられた。
「さて、ご飯も揃ったところで本題だけどよ。いよいよ再来週の十一日が、山の日で花火大会当日だな」
フォークにパスタを巻きつけながら僕が切り出すと、莉奈さんがポテトを一本つまみながら頷いた。
「うん。結衣の方は、あれから『浴衣どんなのにする?』って毎日LIMEしてくるくらい楽しみにしてるみたい。蓮のことはまだ一言も言ってないけど、当日彼が来るって知ったらどういう反応するかしらね」
「こっちもバッチリだ。蓮のやつ、『甚平買ったはいいけど、髪型どうすっかな』とかブツブツ言ってて、完全に気合い入ってるぜ。二人とも素直じゃないけど、心の底では期待してるのが見え見えなんだよな」
拓海がドリアを頬張りながら笑う。
ターゲットである二人の外堀は、完全に埋まり切っていた。
「当日は川崎駅の時計塔の前に、午後五時半集合ってことでいいんだよな?」
「ええ。私たち女子三人組が先に着いてる体で待ってるから、そこに春斗くんたちが『おっ、偶然じゃん』って声かけてきて」
「そのあとは、人混みを利用して上手く六人がバラけるように誘導する。屋台への買い出しを口実に、蓮と結衣さんを二人きりにすれば、あとはあいつらが勝手に花火の雰囲気にあてられて解決するだろ」
僕たちの完璧なシナリオに、向かいの席で咲良が「うんうん」と嬉しそうに頷いた。
「なんだかんだで、二人ともお互いのこと気にしてるんだもん。絶対うまくいくよ!」
作戦の全貌を確認し終え、テーブルの上にはリラックスした空気が漂い始めた。
そんな中、不意に僕の隣に座る拓海がグラスのストローを弄りながら、正面の莉奈さんの方へ身を乗り出した。
「そういえばさ。女子陣は、当日の浴衣とかもう買ったのか? 結衣が楽しみにしてるってことは、お前らも当然気合い入れてんだろ?」
「私たちは、今度の日曜日に三人で買いに行く予定よ」
「へえ。莉奈はどんなの買うんだ?」
「それは……当日まで内緒よ。男子にあれこれ言われたくないし」
莉奈さんがふいっと顔を背けて、アイスティーをすする。
そのツンとした態度に、拓海は「なんだよ、減るもんじゃねえだろ」と唇を尖らせた。
「じゃあ、そっちこそどうなのよ。わざわざ日曜日に新宿のデパートまで男三人で買いに行ったんでしょ? どんな甚平買ったのよ」
今度は莉奈さんが反撃とばかりに、正面の拓海をジロリと睨みつける。
「教えるわけねえだろ。当日までのサプライズ感が大事なんだよ」
「さっき自分で聞いといて、よく言うわね」
「お前が内緒にするからだろ。大方、無難な花柄とか選ぶんだろ」
「はあ? あんたこそ、どうせ中学生みたいな柄の甚平選んだんでしょ」
ボックス席の片側半分で、バチバチと火花を散らし始める二人。
普段から顔を合わせれば軽口を叩き合っている拓海と莉奈さんだが、なんだかんだでテンポの合う二人を見ていると、まるで喧嘩ばかりしている兄妹か、あるいは長年連れ添った熟年夫婦のようにも見えてくる。
(……なんだかんだで、あの二人も仲いいよな)
僕が苦笑しながら中央のポテトフライに手を伸ばすと、向かいに座っていた咲良も、全く同じタイミングでポテトに手を伸ばしてきた。
テーブルの上で指先が軽く触れ、お互いに「あっ」と顔を見合わせる。
正面で目が合った咲良の瞳もまた、隣で言い争う拓海と莉奈さんを見て、呆れたような、けれど微笑ましいものを見るような色に染まっていた。
「……なに笑ってんだよ、一ノ瀬」
「いや、別になんでもないよ。お前ら、なんだかんだ楽しそうだなって思っただけだ」
「はあ!? どこがだよ!」
拓海と莉奈さんが、示し合わせたように全く同じタイミングで僕に突っ込んでくる。その見事なユニゾンに、僕と咲良はついに堪えきれずに声を出して笑ってしまった。
「あはは! 二人とも、息ぴったりじゃん!」
「笑うな咲良! ……もう、ほんと調子狂うわね」
「ちげーよ! 俺はただ、作戦の成功のために身だしなみの確認をしただけでだな……」
ムキになって顔を赤くして弁解する拓海と、やれやれと肩をすくめながらも少しだけ口元を緩めている莉奈さん。
賑やかなファミレスの喧騒の中で、僕たち四人のテーブルだけが、ひときわ明るい笑い声に包まれていた。
ふと、向かいでポテトを齧りながら笑っている咲良と再び視線が交差する。
拓海や莉奈さんは互いの服を「内緒だ」と隠し合っていたが、僕と咲良は、お互いが『何色』を狙っているのかを、あの日の帰り道にすでに共有している。
(咲良は、本当にあの『深紅色』の浴衣を選ぶんだろうか)
(そして俺が、それに合わせて『少し明るめの紺色』の甚平を買ったことに、気づいてくれるだろうか)
口には出さないけれど、向かい合う二人だけの間に横たわる、静かな期待感と秘密の共有。
傍目で拓海たちの騒がしいやり取りを眺めながら、僕の胸の中には、じんわりとした温かい熱が広がっていた。
グラスの中で、氷がカランと涼しげな音を立てて溶ける。
長く苦しかった期末テストが終わり、いよいよ、すべてが動き出す夏休みが幕を開けようとしていた。
読んでくださりありがとうございます.
さて,次話からついに夏祭り編です.
女子3人はどんな浴衣を着てくるのか!?
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次回は17日21時更新です!




