400キロメートルの空白と、6インチの窓
震える指で「確認」ボタンを押してから、5分が経った。
電車の揺れは続いているが、僕の時間は止まったままだ。
画面上の『フォロー中』のリストに、彼女の名前がある。
現実だ。
夢でも、幻覚でもない。
これからどうすればいい?
何かメッセージを送るべきか? 「久しぶり」? いや、重いか?
それとも向こうのアクションを待つべきか? でも、間違いでフォローしただけなら、すぐに解除されるかもしれない。
スマホの画面が手汗で滲む。
と、その時。
画面右上の吹き出しアイコンに、赤い通知バッジがついた。
『Momento:新着メッセージがあります』
心臓が喉から飛び出しそうになった。
深呼吸を一つ。肺が酸素をうまく取り込めない。
意を決してタップする。
『久しぶり〜! 元気? 春斗くんのアカウント見つけたからフォローしちゃった笑』
絵文字つきの、拍子抜けするほど軽い文面。
「春斗くん」。
懐かしい呼び名。文字の並びだけで、脳内に小学生の頃の彼女の声が再生される。
彼女は、何も変わっていないのか?
僕がかつて彼女を好きだったこと。それがクラス中にバレていたこと。
気まずさなんて微塵も感じさせない、無邪気な「笑」の一文字。
僕は、たった2行の返信を打つのに、実に1時間を費やした。
『久しぶり。元気だよ。フォローありがとう、びっくりした。』
無難。あまりにも無難。
「ずっと待ってた」とも、「会いたい」とも書けない。
送信ボタンを押した瞬間、後悔と安堵が同時に押し寄せた。
それから、僕たちの奇妙な高校生活が始まった。
地元・亀鈴市と東京。
直線距離にして約400キロ。新幹線を使っても3時間はかかる距離。
僕たちを繋ぐのは、6インチのスマホ画面だけ。
彼女の投稿は、気まぐれだった。
東京のおしゃれなカフェのパンケーキ。
どこかの公園の桜。
飼い始めたという犬の写真。
そこに、彼女自身の顔が映ることはほとんどなかった。
たまに写り込むのは、華奢な指先や、足元のスニーカーだけ。
それでも僕は、その断片的な情報から「今の彼女」を必死に想像した。
DMの頻度は、極端に少なかった。
数ヶ月に一度、僕が彼女のストーリー(24時間で消える投稿)にリアクションを送る。
「このカフェ、すごい量だね」
『でしょ〜! 友達と半分こした!』
「友達」。
その二文字に、僕は過敏に反応する。
それは女友達か? それとも男か?
写真の端に写り込んだグラスの影や、向かい側の席に置かれたスマホケースのデザインを拡大して確認する。
男の影がないか。彼氏ができていないか。
そんなストーカーじみたことをしている自分が嫌になるが、止められない。
高校2年の2月。彼女の誕生日。
僕は前日の夜から、いつ「おめでとう」のメッセージを送るべきか、ひたすら悩み続けていた。
0時ぴったりに送るなんて、重すぎる。ずっと待機していたのがバレてしまう。かといって、朝イチに送るのも必死感が出ている気がする。
さんざん悩んだ挙句、僕は「たまたまお昼休みにスマホを開いて思い出した」という、絶妙に偶然を装える(と僕だけが思っている)お昼の時間帯に送信ボタンを押した。
『ありがとう〜! 17歳もよろしくね笑』
数分後に返ってきたその無邪気な返信に、僕は少しだけ肩の力を抜き、深く安堵の溜息をついた。
彼女は天然で、どこか抜けている。
ある時、夜中の2時に突然、真っ黒な画像と共に『お腹すいた』とだけDMが来たことがあった。
僕は飛び起きて、『大丈夫? コンビニでも行く?』と返した。
既読がついたのは、翌日の昼。
『寝ぼけてたかも! ごめんね笑』
振り回されている。完全に彼女のペースだ。
彼女にとって僕は、地元の懐かしい友達の一人に過ぎないのかもしれない。
思考は無限ループし、答えは出ない。
それでも、通知が来るたびに、僕の世界はその一瞬だけ色鮮やかになった。
そして迎えた、進路選択の時期。
僕は思い切って、彼女にDMを送った。
「東京の大学、受けるの?」
『うん! 第一志望は〇〇大学の文学部かな。東京に残るよ〜』
その大学名は、東京でも有数の私立大学だった。
僕の現在の偏差値では、到底届かないレベル。
でも、このまま地元の大学に行けば、彼女との距離は永遠に縮まらない。
この細い糸のようなSNSの繋がりは、いつか自然消滅して切れてしまうだろう。
僕は担任に提出した調査票を書き直し、志望校の欄に、彼女と同じ大学の名前を震える字で書き込んだ。
「お前、本気か?」
担任は呆れたように言った。
「本気です。死ぬ気でやります」
不純な動機だ。
勉強がしたいわけじゃない。
ただ、彼女に会いたい。
10年前、転校していく彼女の背中を見送るしかできなかった無力な自分と、決別するために。
主に火,水,金,土に更新していきます
しばらく分の予約投稿はできているので,お楽しみいただけると幸いです.




