サークルと、桜色のキーホルダー
砂浜での散策を終えた僕たちは、隣接する大型ショッピングモールへと移動した。
ゴールデンウィークの掻き入れ時とあって、館内は家族連れやカップルでごった返していたが、お昼のピークを少しずらしたおかげで、運良く海が見渡せるレストランの窓際の席に案内された。
目の前には、トマトソースのパスタを美味しそうに頬張る咲良がいる。
ガラス張りの窓の向こうには、先ほどまで僕たちが歩いていた人工の砂浜と、キラキラと光る東京湾が広がっていた。
「ん〜、美味しい! 春斗くんのハンバーグはどう?」
「ん、普通にうまいよ。腹減ってたしな」
適当に相槌を打ちながらも、僕の心臓はいまだに警鐘を鳴らし続けていた。
波打ち際で彼女の腕を掴んだ時の、あの細さと温もり。真正面からぶつかり合った、彼女の驚いたような瞳。
向かい合って座っている今も、不意に視線が交差するたびに、僕は慌ててハンバーグにナイフを入れて誤魔化していた。
「そういえばさ」
食後のアイスティーにストローを差しながら、咲良が思い出したように口を開いた。
「この前、大学の学食で話してたテニスサークル、GW明けに見学行ってみようかなって思ってるんだ」
ブフッ、と僕は危うくアイスコーヒーを吹き出しそうになった。
慌てて口元をナプキンで押さえ、前のめりになって彼女を見る。
「やめとけ。テニスサークルだけは絶対にやめとけ」
「えっ、即答? なんで?」
咲良は不思議そうに目をぱちくりとさせた。
なんで、ではない。
大学のテニスサークル(通称・テニサー)といえば、出会いと飲み会を主目的としたチャラい男たちの巣窟というのが世間の相場だ。もちろん真面目にテニスをしているところもあるだろうが、僕の偏見に満ちた情報系学生のネットワークによれば、可愛い新入生の女の子を虎視眈々と狙っている狼の群れに他ならない。
こんな無防備で、しかも東京の街に映えるほど垢抜けた咲良がそんな場所に飛び込んだら、秒で骨の髄までしゃぶられてしまう。
「なんでって……その、テニスなんて体育でしかやったことないんだろ? 本格的なサークルだと練習キツくてついていけないぞ。それに、日焼けするし」
「えー、でも新歓のビラには『初心者大歓迎! アットホームな雰囲気で楽しく打ち上げ!』って書いてあったよ?」
「『アットホーム』と『打ち上げ』が強調されてる時点でアウトだ。ブラック企業とチャラいサークルの常套句だろ」
「そうなの……? うーん、でもせっかく大学生になったんだし、他学部の友達も作りたいなって思ったんだけど」
少し残念そうに唇を尖らせる咲良。
その表情を見て、僕はほんの少しだけ胸が痛んだ。彼女の純粋な「友達を作りたい」という思いを否定したいわけではないのだ。ただ、僕の手の届かないところで、どこの馬の骨とも分からない男たちに囲まれるのだけは絶対に阻止したかった。
「他学部の友達なら、もっと落ち着いたサークルで作ればいいだろ。……法学部の友達は、他に何入るって言ってるんだ?」
「えっとね、週末に色んな街のカフェを巡るサークルとか、映画鑑賞サークルとかかな。私はあんまり映画詳しくないから、どうしようかなって思ってたんだけど」
「カフェ巡り、いいじゃないか。安全だし、女子が多そうだ。それか映画鑑賞でもいい。映画なんて見てる間は喋らないんだから、詳しくなくても問題ないだろ」
「安全って何が? ……まあ、確かにカフェ巡りなら美味しそうだし、そっちの見学に行ってみようかな」
なんとかテニサーという魔境から彼女を遠ざけることに成功し、僕は心の中で安堵の大きなため息をついた。
「そういう春斗くんは? サークル入らないの?」
「俺はいいよ。情報系の課題だけで手一杯になりそうだし。それより、バイト探さなきゃって昨日も言っただろ」
「あ、そっか。接客は絶対無理って言ってたもんね。どうするの?」
「消去法で、塾講師かなと思ってる。教えるのは嫌いじゃないし、時給もそこそこいいしな」
僕がそう答えると、咲良はパァッと顔を輝かせた。
「えっ、じゃあさ! 私が働き始めた塾に来なよ!」
「……は?」
想定外の提案に、僕は間の抜けた声を漏らした。
「私、実家の近くにある塾で、先週から事務のバイト始めたんだ。お兄ちゃんが大学生の時にそこで講師やってて、塾長さんとすごく仲良くてね。そのツテで入れてもらったの」
「お前の兄ちゃんのツテでって……それ、俺が急に行っても大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ! ちょうど理系の先生が足りなくて困ってるって塾長さんが言ってたもん。春斗くん、数学とか理科得意でしょ? 講師なら時給もいいし、ぴったりじゃない?」
「いや、でも……」
僕が渋っていると、咲良は少し身を乗り出し、上目遣いで僕を見た。
「それに……同じ職場だったら、大学の帰りに一緒にバイト行けたりして、楽しいじゃん」
ドクン、と。
心臓が、今日一番の大きな音を立てて跳ねた。
同じ職場。一緒にバイトに行く。
それはつまり、大学のキャンパスだけでなく、週に何回か確実に彼女と会う口実ができるということだ。
テニスサークルに行こうとする彼女を遠くから見ているだけのポジションではなく、彼女の日常の中に、僕という存在がしっかりと組み込まれる。
これ以上の好条件が、この世に存在するだろうか。
「……分かった。とりあえず、面接だけでも受けてみるよ。理系講師の募集が出てるか、確認してみてくれないか」
「ほんと!? やったー! すぐ塾長さんに連絡しとく!」
咲良は嬉しそうに自分のスマホを取り出し、素早いフリック入力でメッセージを打ち始めた。
その無邪気な様子を眺めながら、僕は残りのアイスコーヒーを一気に飲み干した。氷がカラン、と涼しげな音を立てる。
僕の東京でのアルバイト先候補は、こうしてあっけなく決定してしまった。
昼食を終えた僕たちは、広大なショッピングモールの中をあてもなくぶらぶらと歩き始めた。
アパレルショップや雑貨屋が並ぶ通路は、すれ違う人々の熱気で溢れている。はぐれないように、僕たちは時折肩が触れ合うほどの距離で並んで歩いた。
「あ、春斗くん、ここ見てみよう!」
咲良が足を止めたのは、海をモチーフにした小物を扱う雑貨屋だった。
店内には爽やかな波のBGMが流れ、ガラス細工のアクセサリーや、貝殻をあしらったフォトフレームなどが所狭しと並べられている。
咲良は陳列棚の前にしゃがみ込み、目を輝かせながら一つ一つの商品を手に取っていた。
「可愛い……これ、全部本物の貝殻使ってるんだって」
「へえ。さっきの砂浜じゃ、全然拾えなかったもんな」
「そうそう! 波にさらわれそうになったし」
さっきのハプニングを思い出して、僕たちは顔を見合わせて小さく笑った。
その時、僕の視界の端に、ある小さなキーホルダーが留まった。
透明なガラス玉の中に、桜色の小さな二枚貝と、白い砂が封じ込められているデザインだ。先ほど咲良が見つけて、拾うことができなかったあの貝殻の色によく似ていた。
「……これ」
「ん? あ、ほんとだ! さっきの貝殻と同じ桜色だね!」
僕が手に取ったのを見て、咲良も覗き込んでくる。
ヒールを履いた彼女の顔がすぐ真横に近づき、甘い香りが鼻先をかすめた。
「可愛いなぁ……。あ、こっちのブルーのも綺麗だよ。春斗くん、これ、さっきのお台場海浜公園のお土産代わりに買おうよ」
咲良が指差したのは、同じデザインで、中の貝殻が爽やかな水色になっているものだった。
お土産代わり。
それはつまり、「お揃いの物を持とう」という提案に他ならない。
彼女にとっては、友達同士で旅行の記念にキーホルダーを買うのと同じ感覚なのだろう。だが、僕にとっては、彼女とお揃いの物を身につけるなど、高校時代には想像もできなかった奇跡だ。
「……そうだな。じゃあ、俺が青で、咲良がその桜色のにするか」
「うん! 私が払うよ、今日のお礼も兼ねて!」
「バカ言え。こういうのは俺が払うもんだろ。」
「えー、春斗くんお金ないって言ってたのに! じゃあ、自分のは自分で払う!」
レジ前で少しだけ揉めながらも、結局それぞれ自分の分を会計することになった。
小さな紙袋を受け取り、店を出る。
「はい、春斗くんのブルー」
「おう。……ありがとな」
手のひらに乗せられた小さなガラス玉は、ショッピングモールの照明を反射してキラキラと輝いていた。
リュックのどこに付けようか。いや、落としたら最悪だから、部屋の鍵に付けようか。
隣を歩く彼女の小さなショルダーバッグには、もうすでに桜色のキーホルダーが揺れていた。
その小さな揺れが、僕の胸の奥をたまらなく愛おしい感情で満たしていく。
一緒に海を見て、食事をして、お揃いの小物を買う。
これがデートでなくて何だと言うのだろう。
僕と咲良の距離は、このゴールデンウィークの初夏の日差しの中で、間違いなく決定的な一歩を踏み出していた。
お台場は昨年実際に訪れました.
お台場海浜公園で降りて,デックス東京ビーチという施設で友人たちとお買い物を楽しんだ記憶です.
なので一応作中のショッピングモールとはここがモデルになります.
楽しそうなアトラクションエリアもあったのですが,その後の予定の都合で泣く泣く見送ったので,いつかは行ってみたいなと思っています.




