聖女の悔恨 6
初めは小さな違和感だった。
「あれ......クレア、お昼の時間なのにどこか行くの?」
「あ......うん、ちょっと用事があって。ごめんね、今日はわたくし抜きで食べていて」
「わかった」
「ん......お茶会?」
「あぁ、アシュリー様が庭園を借りられたって聞いたわ。それじゃないかしら」
「え、アシュリー様が......? 前は呼んでくださったのに.......」
一緒に昼ご飯を食べていた友人が、用があるからとどこかに行ってしまう。時には、休み時間さえも他の人と話していて、丸一日会話もできなかった。
また、聖女として、一応教会派だけではなく、王家派や中立の家の茶会に呼ばれることもあったのだが、中立と王家派からの誘いが減った。
そういうこともあるか、と思っていたのは最初だけだった。偶然がいくつも重なれば、それは必然となる。まして今は、王太子と聖女の恋物語が噂となって巡っている。王家派と教会派の対立が深まる中、教会の象徴であるアリスに矛先が向くのは、なんら可笑しなことではない。
可笑しなことではないが、だからこそ、相手は限られた。教会派の象徴に危害を加えられる人物。王家派を統率できる人物。
アリスの教育係である、クローディアその人だった。
ドレスを隠され、友人が離れていき――ひと月の間嫌がらせに耐えたアリスは、とうとう白旗を上げた。
「シャ、シャーウッド様......!」
「あら、フローレス令嬢。随分みっともないお姿だけど、どうされたの?」
声はいつもと変わりない。浮かべている微笑も美しい。
けれどこの人は、ついさっき魔法でアリスの頭上から水をぶちまけたのだ。
「お願いします......! どうかこんなこと、おやめください!」
「あら、何のことかしら?」
アリスは顔を歪めた。分かり切っているのに素知らぬ振りをされるのが、ひどく堪えた。
「わたし、わたし……シャーウッド様に取って代わろうなんて思ってません。わたしにだけ招待状を送ってくださらなかったり、ドレスを隠したり......」
「あら、わたくしのせいだと仰るの? 礼儀作法のなっていないあなたは、お茶会に早いのではないかと思っただけよ?」
半分事実なので、アリスは一瞬言葉に詰まった。
「そ、それは確かにそうですけど.......でも、さっき水をかけたのはシャーウッド様ですよね!? みっともないって仰いますけど、さっきまではちゃんとしてたんです!」
「手元が狂ってしまったの。あなたがいたなんて気づかなかったわ」
「わ、わたしはこれでも光の魔法使いなんですよ!? 最近じゃ、ずっと学園内の空気も悪いし……お願いですから、こんなことやめてくださいシャーウッド様らしくないです!」
「あらあら、まあまあ」
クローディアはころころと笑った。声を上げて笑う珍しい表情に、アリスは一瞬呆然とした。
次の瞬間、頬に痛みが走った。
パシンっ、と鳴った音がなんであるのかを理解するのに、数拍の間があった。クローディアは自分の手を見て、あぁ痛い、と呟いた。
なんで、と震える声が漏れた。
「なっ、なんで......なんでこんなことまでするんですか!」
アリスにとって、クローディアは頼れる教育係であり、絵本の中のお姫様のような存在だった。嫌がらせをひと月の間耐えたのも、そうされるに足ると分かっていたからだ。クローディアの婚約者であるエドワードを、好きになってしまったから。
けれど――けれど、これはあんまりじゃないだろうか。
「貴族なら常に冷静にって、そう仰ったのはシャーウッド様ですよ!?」
「ええ。けれどわたくし、無礼者は嫌いなの」
クローディアは扇を開き、微笑みを浮かべる。
「アリス・フローレス。あなたが今、王子殿下との仲を邪推されていることはご存知よね?」
「そ、それは」
違います、と言いたかったが、クローディアは言葉を止めない。
「あなたは教会から庇護されている光魔法の使い手。ただでさえ周囲の者が囃し立てているのに、わたくしの立場を奪おうとは思っていない、と宣うなんて……随分己の影響力を過小評価していらっしゃるのね」
「ちがっ……わたしが言いたかったのは、噂なんて本当じゃないってことで! わたし、シャーウッド様のこと、すごく尊敬してて、だから!」
「言葉の端々を切り取られ、捻じ曲げて解釈される。そうお伝えしたことはなかったかしら? あらごめんなさい、その程度のことも覚えていられないほど弱い頭だったのかしら」
あまりの言い様に、アリスの瞳に涙が浮かんだ。
他の人からあれやこれや言われるのは耐えられても、学園に入ってからずっと傍で支えてくれたクローディアの口から直接罵られるのは、別格の痛みがあった。
「なんでそんな言い方をするんですかっ......わたし、わたしほんとうに傷ついて」
「可哀想ね」
クローディアは扇でアリスの頤を掬った。クローディアの濃紺色の瞳の中に、隠しきれない焔が燃えていた。
「身分違いの恋をする、あなたがいけないのよ」
――それから半年が経過した年の暮れ。
アリスは何者かによって襲撃され、命を狙われた。
調査の末、犯人に目されたのは、クローディアであった。




