聖女の悔恨 7
「な.......シャーウッド様が犯人!? あり得ません!」
クローディアが捕らえられたという報を聞いたアリスは、動転したあまり手に持っていたティーカップを落とした。パリン、と甲高い音を立ててティーカップが割れる。
「どうしてそう思うんだ。シャーウッド令嬢は君に嫌がらせをしていたのだろう?」
「それはッ........でも、シャーウッド様はこんなことしません!」
「だから、どうしてそう思うんだ」
後見人である枢機卿に問われ、アリスは言葉に詰まった。
クローディアなら、あんなことをしないという確信がある。けれどそれを言葉で説明することは困難だった。だって、と言葉を探して沈黙し、ようやく解を見つける。
「だって........シャーウッド様なら失敗しないから」
「は?」
「もしもシャーウッド様が犯人なら、もっともっと考えて暗殺者を雇うと思います。ひとつ失敗しても、ふたつ目の案が使えるように。あんなに呆気なくやられちゃうような人たちに頼まないと思います」
クローディアはいつだって完璧だった。間違えたことなんて、一回もなかった。
「.......アリス、それは、完璧な計画であれば、君を殺すといっているのと同じではないかい?」
「ちがっ」
「アリス、元教育係の彼女を信じたい気持ちはよく分かる。だが、冷静に考えるんだ」
枢機卿は頑是ない子供に説明するかのように穏やかな口調で告げた。
「彼女は王太子殿下の婚約者。これまでに流布していた噂で、誰よりも傷つかれただろう」
「そっ、それは――」
「人の心というのは難しい。分かっていたはずの人物の心でさえ、見抜けていないことがある.......アリス、確かに君は彼女に薫陶を受けたのだろうが、彼女が君を恨んでいないとは、思っていないだろうね?」
「.......それは、思っていません」
「なら、よかった」
枢機卿はそこでようやく侍従を呼び、割れたティーカップを片付けさせた。
「.......でも――でも」
――どうぞよしなに。
――経済を学ぶなら、ローズヴェルト教授の著書を読むと理解しやすいわ。
――カーテシーはもっと深く腰をまげて.......
――それだけは、覚えていなさい。
穏やかに笑う、クローディアの顔が頭に過ぎる。
「........クローディア様は、殺したいほど、わたしのことを嫌ってはいないと思うんです」
俯いて呟いたアリスの頭を、枢機卿はそっと撫でた。
「もう、今日は寝てしましなさい」
「ですが」
「真実はいずれ明らかになる。我々はただその日を待つだけだ」
そうですね、とアリスはぽつりと呟く。
大丈夫だ。シャーウッド様が犯人であるはずがない。大丈夫、絶対に大丈夫――
――けれど、アリスの願いとは裏腹に、クローディアの有罪を示す証拠が次々と見つかった。シャーウッド公爵家はクローディアの除籍を発表し、王家派も次々に彼女を見限った。
そして、裁判の末、極刑が申し渡されたのだ。
***
「お願いです、シャーウッド様に会わせて!」
「いや、それは、いくら光魔法使いさまのお願いでも」
「お願い! お願い、お願い! どうしてもお会いしたいの!」
「いや、ですから」
「お願いだから、ね!?」
「ですからそれは、ってええええ!? 俺の鍵ぃいいい!?」
アリスは牢番が手に持っていた鍵を奪い取り、地下牢の鍵をこじ開ける。そして即座に鍵をかけた。護衛がガンっ、と扉に拳を打ちつける。
「何をなさるのですか光魔法使い様! お戻りください!」
「ちょっと待ってなんでこんなことに.......上司に怒られるぅううう」
護衛と牢番の叫びを背後に、アリスは地下牢を駆けた。明かりが差し込まない地下牢はどこも薄暗く、換気がままならないせいか、ひどい異臭がした。
「シャーウッド様!」
はあはあと荒い息を吐きながら、牢の前に立つ。クローディアは牢に捕らえられているというのに、どこまでも落ち着いていた。髪の艶や肌の美しさを失っても、その瞳に宿る意思の強さは変わらない。
「フローレス様。わたくしはもう、シャーウッド公爵家から除籍されておりますわ。第一ここは、フローレス様がいらっしゃるような場所では」
「様付けなんてやめてください、クローディア様!」
アリスは声を荒げた。がしっ、と勢いよく鉄格子を掴むと、全く、と言いたげにクローディアは眉根を寄せた。
「ほんとうに.......ほんとうに、クローディア様がわたしに暗殺者を差し向けたんですか?」
「さあ。あなたはどう思うの?」
アリスは俯き、唇を噛みしめた。
違うと思いたい。けれど、もしも、クローディアがアリスのことをそれほどに憎んでいたのだとしたら。
「......分かりません。だって、学園でのクローディア様は、ほんとうに酷かったから」
「そうね」
ああ、自覚していたのか、と今更のようにアリスは思った。いや、むしろクローディアなら、相手が嫌がることを察してそれを先回りしてやるかもしれない。
「でも......でも、それ以上に、命を取るなんてことはしない方だと、そう思ってたんです」
「なぜ?」
「だって.......それは、クローディア様だから」
「理由になっていないわよ」
「クローディア様はクローディア様だから、他に言い様がないんですっ!」
「大きな声を出さないで。響くわ」
アリスは強く鉄格子を握った。わたし、と呟いた声は掠れている。
「クローディア様のことを尊敬していたんです」
そう、とクローディアの返事は淡々としている。
「これまで見た人の中で一番綺麗で、お勉強も魔法もなんでもできて........絵本の中のお姫様みたいだって、初めてお会いした時からずっと思っていたんです」
呆れながら、怒りながら、それでもアリスを指導してくれた。王妃教育も忙しかっただろうに、その背はいつだってしゃんと伸びていて、間違いなんてひとつも犯さなかった。
「殿下とのことがあって、嫌われるのも仕方がないって思いました。わたしがクローディア様でも嫌ですから」
「そう」
「でも――でも、」
その言葉を口にするために、数拍の間が必要だった。声が震える。
「クローディア様は........殺したいほど、わたしがお嫌いでしたか........?」
「――光魔法使いさま!」
「あ」
クローディアが口を開くよりも早く、アリスの護衛がアリスを牢から引き剥がした。その顔には怒りの色が強い。
「このような場所においでになるなど、何を考えておられるのですか!」
「わっ、わたし、クローディア様とお話を」
「罪人と話すことなどありません、お戻りを!」
「待って、まだ、」
護衛騎士に腕を引っ張られ、アリスは蹈鞴を踏んだ。急速に、クローディアの姿が遠のく。必死に手を振りほどこうとしたが、力が強くて叶わない。
「嫌いだと、思ったことはないわ」
「――え?」
「好きでも、なかったけれど」
アリスは目を見開いた。
――嫌いでは、ない?
「あなたの無邪気なところが、誰からも愛されるところが、羨ましくて、妬ましかったから」
クローディアはふ、と微かな吐息を漏らす。その表情から、アリスは目を逸らせなかった。
待って、と反射的に声が出た。手を伸ばしたが、その手は到底届かない。
「クローディア、様。待って、待ってくださいクローディア様……!」
パタン、と扉が閉ざされる。煌々と明るい廊下に引っ張り出されてようやく、拘束の手が緩んだ。けれど、重い扉は決して開かない。
それでもアリスは、それに縋ってしまった。
「ねえ、クローディア様、なんで........どうして、クローディア様」
「光魔法使いさま、帰りましょう」
「どうして、そんなお顔で笑うのっ......」
――その二日後、クローディアの処刑は速やかに実行された。
鞠のように跳ねた首を、真白の雪に飛び散った鮮烈な赤を、アリスは今でも覚えている。
その後、兼ねてより望まれていた、アリスとエドワードの婚約が正式に結ばれた。敵対していた王家派と教会派は、クローディアの処刑を機に、手を取り合ったのだ。
クローディアが本当に刺客を差し向けたのか、アリスは今でも分からない。
だが、事実はどうであれ、王が、教会が望んだことが真実になったのだと、今では分かる。
ーーアリスがそれを何ひとつ理解できず、クローディアが全てを理解して散ったことも。
己が、あの事態を招いた原因のひとつであることも。
***
りんごん、と鐘が鳴る。教会の大きな扉が開き、楽隊が荘厳な調べを奏でる。
「新郎、エドワード・ジェームズ・コールドウェル。汝は新婦、アリス・フローレスを妻とし、生涯愛することを誓うか」
「.......誓います」
「新婦、アリス・フローレス。汝は新郎、エドワード・ジェームズ・コールドウェルを夫とし、生涯愛することを誓うか」
憧れていた。
恋をしていた。
アリスを認め、優しく励ましてくれたエドワードが、好きだった。
けれど、今なら分かる。
エドワードは、クローディアの隣にいたから、あんなにも穏やかで優しく在れたのだ。
そして、アリスがそれを破壊したのだ。
「――はい、誓います」
だからわたしは、世界に嘘を吐く。
クローディアが遺していった世界を、これ以上壊さないために。
これにて完結とさせていただきます。ここまでお読みくださりありがとうございました。ブクマ、評価、とても励みになりました。
前作同様、溺愛ルートを目指して書き始めたこのお話がどうしてこんな悲劇的な結末を迎えたのか、作者にも分かりません。次こそは溺愛ルートを書きたいと思います。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。いつかまた別の作品でお会いできたら幸いです。
塚本結理




