聖女の悔恨 5
それから何度かエドワードと会う機会があった。王太子という立場にあってもエドワードは勤勉で、もっと頑張らなきゃ、とアリスはより一層勉強に励んだ。クローディアの支えもあって、成績は緩やかに上昇し、魔法の制御も落ち着いてきた。
けれど、それと同時に、胸の中で小さな感情が芽を出し始めていた。
「あ……殿下」
久しぶりに図書館でエドワードを見かけて、アリスの胸はどきりと跳ねた。エドワードはアリスに気がつくと、柔らかく笑う。
「フローレス令嬢。今日も勉強かい?」
「は、はい。殿下もですか?」
「あぁ。王宮では幾らか息が詰まるのでな」
冗談めかしてエドワードは肩を竦める。くすくすとアリスは笑った。
「もう経済全書を読み終わったのかい?」
「あ、はい! 最近結構頑張って読んでたので……シャーウッド様のお墨付きの解説書のおかげで、すごく分かりやすかったですし」
「クロエのお墨付きというと、ローズヴェルト教授の著作かな? あれもかなりの厚さがあるのに、すごいね」
クローディアの名前が出た途端、胸がきゅっと痛んだ。
王妃になるべく育てられた、非の打ち所がない令嬢。手を伸ばしても届かない所にいる人。
エドワードに、愛称で呼んでもらえる唯一の女性。
「……本当に、シャーウッド様には頭が上がりません。何から何までお世話になりっぱなしで……でも、なんでも完璧にできるシャーウッドさまに、わたし、何も返せなくて……」
アリスは俯いた。口にすればするほど、自分の情けなさが浮き彫りになるようだった。
「クロエは返してもらおうだなんて考えていないよ。強いて言うなら、君が成長すること、かな」
「わたしの成長、ですか?」
「あぁ。誰だって、自分が支えた人が成長するのを見るのは楽しいだろう?」
言ってから、エドワードはぽりぽりと頬を掻いた。
「私も、君の成長を楽しみにしているよ」
「っ! が、頑張ります!」
思わず声が大きくなった。エドワードは慌てた様子で口元に指を当てる。
「しーっ、声が大きいよ」
「あっ」
アリスは慌てて手で口を塞いだ。目が合うと、どちらからともなく噴き出す。
目が合うと嬉しくて、笑顔を見るだけでも胸が高鳴って。
同様に、エドワードの視線が、熱を含んだものになっていくことにも気づいていた。
クローディアに申し訳ないという罪悪感は、常に横たわっていた。
それでも共に時間を過ごしたいと願ってしまうこの気持ちの名前を、アリスはとうに知っていた。
「.......令嬢、フローレス令嬢?」
「あっ.......ご、ごめんなさい、シャーウッド様。ぼうっとしてしまいました!」
「疲れているのなら、今日はここまでにしましょう」
「えっ、でも」
「集中できないまま勉強する方が、余程非効率的よ」
「......はい、申し訳ありません」
クローディアとの勉強会の最中、ついエドワードのことを考えていて注意が疎かになっていた。こんなことではいけないと自分を戒めるアリスに向けて、クローディアは静かに口を開いた。
「フローレス令嬢」
「は、はい、シャーウッド様」
「もっと.........いえ、」
いつも端的に明快に言葉を口にするクローディアは、この時初めて言い淀んだ。
「――見えるものは真実とは限らないわ。それを、覚えていなさい」
どういうことか分からないながらも、アリスは頷いた。
それから程なくして、エドワードがアリスと距離を置き始めた。クローディアが諫言したのか、エドワードが自制したのか、そこまでは分からない。
けれど、距離を置かれたからこそ、たまに見かけると目で追ってしまった。噂を聞く度に、どうしているのだろうと想いを馳せるようになった。
このままではいけないと分かっているのに、止められなかった。
なんとかしなければ、と思って、見るのも聞くのもやめた時に、あの事件は起きたのだ。
同じ日に外出しただけ、たまたま行き交っただけ、偶然、事故現場に居合わせただけ。
けれど、重なった偶然は、民の手によって意図的なものとしてすり替えられた。
庶民育ちの聖女と王太子。物語のような恋を望む声が、すべてを壊してしまったのだ。




