聖女の悔恨 4
「光魔法使いさま、お疲れですか? 休憩をとりましょうか?」
「あ……いえ、大丈夫です。それより、もうすぐ王都に着くんですよね?」
「ええ、あの門を潜ればすぐです」
あれからすぐにアリスは男爵邸を発った。生まれて初めて乗る高級な馬車は、揺れが少なくて、枢機卿とアリスしか載っていなくて、なんだか変な気分だった。
アリスは教会預かりとなり、聖女としての修行を始める。ある程度の作法を覚えたら貴族学園に入学し、卒業したらいよいよ聖女として認定されるそうだ。なんでも聖女は上流貴族と同等の扱いらしく、アリスはようやく男爵が掌を返した理由を悟ったのだった。
諸々の説明が終わると、馬車の中は沈黙に包まれる。そういう時、アリスは決まってエミリーのことを思い出して、気分が沈む。
ーー確かにわたし、努力なんて何もしてなかったし……エミリーからしたら、腹が立つよね……
たったひとりの友達だと、思っていた。けれどエミリーにとっては、そうではなかったのかもしれない。
アリスが膝の上でぎゅっと拳を握りしめると、あぁ、見えた、と枢機卿が呟いた。その視線を追って、アリスは目を見開く。
「わぁっ……」
立ち並ぶ家々、整えられた道。往来には活発な声が飛び交っている。遠くに見えるのは、王宮だろうか。
「ようこそ、王都へ。我々は光魔法使いさまを歓迎いたします」
***
「ふぃー……」
総教会に着いてから数日。挨拶回りと称してたくさんのお偉いさんに会い、アリスは疲労困憊していた。しかし、休む間もなく、明日から勉強が始まるらしい。
「うう……今から貴族になれ、なんて言われても……」
アリスが知っている貴族は、男爵一家だけだ。礼儀作法や基礎教養を学びます、とは言われていたけれど、何をすればいいのか、皆目見当がつかない。やりたくないなぁ、と溜息を吐いた途端、エミリーの涙を思い出して真顔になった。
「……いや、頑張らないと」
少なくとも、今、アリスは色々なことができる立場にあるのだ。なら、少しずつでも努力をしなければ。
ーーエミリーのためにも。
よしっ、とアリスは拳を握りしめた。
それから一年間は、文字通り怒涛の日々だった。聖女としての勉強以前に、礼儀作法に貴族名鑑、王国の地理、貴族の中の暗黙の了解。覚えることが多過ぎて、寝る間を惜しんで勉強しても、ちっとも身についた気がしない。教師たちにも不安が残りますね、と言われたが、先延ばしにすることもできず、学園に編入することになった。
学園は六年制で、初等部、中等部、高等部に分かれているらしい。14歳のアリスは、中等部の一年生だ。
「フローレス男爵家のアリス・フローレスです。光の魔法使いです。よろしくお願いします!」
学園では珍しい編入生ではあったが、教会の後ろ盾を得ている光魔法使いということで、概ね好意的に受け入れられた。特に、教会派の貴族たちがこぞってアリスの下に集まってきた。普通に授業の話をしていたはずなのに、寄付や巡礼の話に転がるので、アリスは戸惑ってしまった。その度に、今その話じゃなかったんじゃ、と言うと、相手は嫌な顔をした。どうやら貴族というのは話を二転三転させるのが当たり前らしい。そのせいか、友達らしき友達はなかなかできなかった。
「シャーウッド公爵家嫡女、クローディアよ。学園長と枢機卿猊下の協議により、本日からあなたの世話係を務めることになりました。どうぞよしなに」
「わぁ……」
そんな中、世話係として任命されたのは、王太子の婚約者にして公爵令嬢であるクローディア・シャーウッドだった。腰まで伸ばされたさらさらの髪と、夜空のような目をしたクローディアは、とても同い年とは思えなかった。思わず見惚れていると、クローディアは怪訝そうに片眉を上げる。
「……フローレス令嬢?」
「あっ、ご、ごめんなさい! わたしは、ええと、フローレス男爵家のアリス・フローレスです! よろしくお願いします!」
「ええ、よろしく」
クローディアは『完璧』を体現したかのような生徒だった。眉目秀麗、成績優秀、魔法使いとしての腕も一流だという。欠点なんてまるでない、とクラスメイトが言っていた。
そんな完璧令嬢クローディアの指導を受けるアリスは、泣きを見ていた。
「フローレス令嬢、お辞儀がぎこちないわ」
「フローレス令嬢、テストが8点とはどういうことですか」
「フローレス令嬢、魔法を暴発させたと聞き及びました」
クローディアはかなり厳しいのだ。教会にいた時は、聖女候補であるアリスに対して、教師でさえも遠慮する様子を見せていたが、クローディアは容赦がない。あれやこれやとダメ出しを食らい、アリスはすっかり参ってしまった。けれど、クローディアが言っていることが正しいことも分かるので、反論もできない。
勉強に疲れたアリスは、その日ふらふらと庭園に足を運んだ。回廊から綺麗な紫陽花が見えたからだった。薄い青から紫まで、色鮮やかな花々は、僅かなりともアリスの心を慰めてくれた。
「あ、これだけ萎れてる……」
と、一ヶ所だけ、既に萎れている株を見つけた。咲き誇る花々の中にあって、その株だけがぽっかりと浮いていた。
――なんだか、わたしみたい。
男爵邸でも居場所がなくて、学園でもうまくいかない。
「……よしっ!」
光魔法の中には、花を咲かせるものもある。まだ制御はうまくいかないけれど、練習しなくてはできるものもできるようにならない。
アリスは息を吸って、呪文を唱えた。ぼんっ、と派手な音を立てて光が爆ぜる。
そろそろと目を開くと、そこには何ら変わらぬ花があった。
それを見た瞬間、勝手に涙が零れた。止めよう、と思うのに、涙は後から後から溢れて止まらない。
「ううう……」
しゃがみ込んで泣いていると、背後から声が聞こえた。
「――フローレス令嬢?」
アリスは泣きながら顔を上げる。そこには、まるで絵本から出てきたかのように美しい男子生徒が立っていた。男子生徒は狼狽した様子で手を差し伸べる。
「だ、大丈夫かい?」
大丈夫です、と答えようとしたのに、口は勝手に違う言葉を紡いでいた。
「ーー大丈夫じゃないっ!」
「え?」
「魔法はうまくできないし、この前のテストも赤点だったし、枢機卿さまには怒られるし……でもテスト勉強も沢山したし、魔法書も沢山読んだのにっ!」
アリスは拳を握りしめた。悔しさと不甲斐なさと悲しみが、代わる代わる胸に押し寄せてきた。
「なのに、なんでできないのぉ……」
「その、事情はよく分からないが……あまり、無理はしないで」
「無理しなきゃだめなの……!」
そうでないと、アリスがここまで来た意味がない。エミリーを置いて、ひとりでこんなところまで来た意味が。
「そ、そうか……ええと、甘い物でも食べたらどうかな」
男子生徒は懐から飴玉を取り出した。元来、甘いものには目がない性質である。思わず目が釘付けになった。
「……何味?」
「いちごだよ」
「……食べる」
アリスは涙を流したまま、飴を受け取った。口に入れて、目を丸くする。思わず前のめりになって尋ねていた。
「超おいしい! どこで買ったの!?」
「そ、それはよかった……えー、それはそのー、家にあったものだから、買った場所は分からないというか」
「あーそっか、お貴族様は自分で買い物しないもんね……って、わたしすごい失礼な口調で話してましたよね!? ごめんなさいっ!」
「あ、あぁ。かまわないよ」
「ええと、待ってください。今、貴族名鑑を思い出します……」
「それには載ってないかなぁ」
アリスはきょとんと目を瞬かせる。載っていないなんて、そんなことあるはずが……
そこでアリスは真っ青になった。
そうだ、この男子生徒を見たことがある。大きな肖像画が、飾られていた。
「おっ、王太子殿下!? も、申し訳ありませんっ!」
「あぁいや、大丈夫だよ。慣れないことばかりで大変だと思うけれど、頑張って」
「はっ、はい! ありがとうございます……!」
王太子エドワードは優しく声をかけて、立ち去ろうとした。アリスはあのっ、とその背に声をかける。
「飴、ありがとうございます!!」
礼儀作法も忘れて勢いよく頭を下げると、ふ、と微かな笑い声が聞こえた。
「――どういたしまして」
足音が消えると、アリスは顔を上げた。
「あの方が、シャーウッド様の婚約者さま……」
かっこよくて、優しい方だ。いいなぁ、とアリスは無意識のうちに呟いていた。
――これが、始まりだったのだ。




