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〈完結〉悪女は断頭台で微笑む  作者: 結塚 まつり


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14/23

清く正しい王子さま 上

『ねぇ、エド。見て! このお花、わたくしの髪の色にそっくり!』

『わぁ、ほんとだ』


初めて見たわ、とクローディアが喜ぶから、エドワードは庭師にその花の名前を質問した。


『紫陽花って言うんだって』

『あじさい! 綺麗な名前ね』


弾けるようなクローディアの笑みを、エドワードは今もまだ覚えている。



***



「殿下、お時間です」

「ああ」


侍従に急かされ、エドワードは署名の手を止めて立ち上がった。山となった書類はまだ残っているが、この後は、東に所領を賜る伯爵との面会の予定だった。


「殿下、本日はお時間をいただき誠にありがとう存じます」

「カーウェル伯爵、よくぞ参った。水害の概要は既に聞き及んでいる。詳細を……」


伯爵領での水害の話を話を聞いている途中で、ぐぅ、と腹の虫が鳴った。老齢に差し掛かる伯爵はおや、と首を傾げる。


「殿下、ご昼食はお召し上がりではないのですか」

「時間がなくてな。手が空いたら食べるつもりだ」

「あまりご無理はなさらず」

「ああ、ありがとう」


無理はせずに、と言われたが、しなければ政務が回らないのが現状だ。王太子妃となったアリスは、そもそも貴族として暮らし始めてまだ六年。王妃教育を終えるにはとても時間が足りなかった。必然的に、王太子妃が担うべき仕事もエドワードが処理しなくてはいけない。公式の昼餉以外でまともに昼食を取ったのがいつか、覚えていなかった。

その後も別の貴族との面会や、王太子直轄領からの報告、来月隣国から来る使節団の対処など、諸々の仕事をこなしているうちに夜になった。


「エド様」

「アリス」


寝室に行くと、先にアリスが来ていた。アリスもアリスで王妃教育や茶会に追われ、日付が変わる前に寝室に来ることは稀だった。化粧を落とした目元には、くっきりと隈が刻まれている。


「お疲れ様です」

「アリスも」


ベッド脇に置いてある紅茶を口にして、ほう、と深く息を吐いた。肩の力が抜けると同時に、抗いようのない眠気が襲ってくる。

だが、ここで眠るわけにはいかなかった。王太子夫妻に課せられた最大の使命が残っている。


「アリス……いいかい?」

「……はい」


眠たげなアリスにそっと触れる。肌を重ね合わせて、すべての思考を追いやった。



***



わぁわぁと、民衆の興奮が渦を巻いている。広場に立ち込めた熱気だけで、夏かと錯覚しそうだった。

王宮前の広場には、普段はないものが置かれていた。それを民衆が取り囲み、ありとあらゆる悪罵を吐き散らしている。社交界で悪意に慣れたエドワードでさえ、耳を塞ぎたくなるような言葉ばかりだった。


『国を揺るがす悪魔め!』

『殺せ!』

『人の心を持たない悪女め!』

『殺せ!』

『聖女さまを狙った人殺し!』

『『『悪女を殺せ!』』』


違う、というエドワードの叫びは届かない。


『違う、違う違う......! クローディアは......確かに性格がいいわけじゃないけど、でも人殺しなんてしてない.......! やめてくれ、やめろ!』


断頭台を囲む民衆の熱気は、処刑執行人に連れられて人影が現れた瞬間、最高潮に達した。フードを被ったクローディアの顔は見えない。民衆は口角から泡を飛ばして叫び、手元にある石を投げつけた。

それが、唐突に止む。

段上に登ったクローディアは、晴れやかな笑みを浮かべていた。今から処刑される者とは思えない、澄んだ瞳が、時を止めたかのようだった。

騎士に身動きを封じられていたエドワードもまた、思わず呆然とその顔を見上げた。


『クロー、ディ』


誰かが何かを叫んだ。それを皮切りに、小さいものの罵声が飛ぶ。

クローディアの頭が、断頭台に乗せられる。エドワードは我も忘れて手を伸ばした。


『やめろ、やめてくれぇええぇええええっ........!』


叫びを掻き消すように、断頭台の刃が降ってくる。


そうして過たず、クローディアの首を斬り落とした。ころりと転がった生首の目が開き、エドワードを見る。血に濡れた唇が、にい、と弧を描いた。


『お ま え の せ い だ』


「はあっ.........」


エドワードは飛び起きた。周囲を見回し、脱力する。


「夢、か.......」


額には汗が滲んでいた。エドワードは深呼吸を繰り返す。

あの日から、毎日のようにあの時のことを夢に見る。そのせいで、夜明けよりも遅く眠れた試しがない。

だが、これは罰なのだろう。

何も気づかなかった、気づこうともしなかった。

汚れを知らぬまま理想を騙り、派閥争いの思惑に気づかぬまま踊り続けた――愚かな自分の。


「うう......」


隣で小さくうめき声が聞こえた。視線をやると、アリスが眉間に皺を寄せて苦しそうにいている。疲れの滲んだ顔に、そっと触れた。

本当は、王太子妃になる少女ではなかった。百年に一度の稀代の光魔法使い、教会の庇護を得た男爵令嬢――それだけで終われていたら、どれほどにか楽だっただろう。

――彼女たちの人生を狂わせたのは、紛れもなくエドワードだ。


「......苦労をかけてばかりで、済まない」


呟いた声は、誰にも聞かれず空に溶けた。



***



「え......母上が?」

「はい、朝餉の後、急にお倒れになったようで......」


朝餉を手早く済ませて書類を捌いていると、従者が慌てた様子でやってきた。このところ伏せりがちだった母が、倒れたという。


「容体は」

「ただの疲れだろうと仰っていますが、実際のところは.......」


従者は言葉を濁した。原因不明として処理されている病が、母の体を蝕んでいるのだろう。エドワードは書類に視線を落とした。この書類群は、議会の前に終わらせておきたかったのだが。


「......分かった、すぐに向かう。先触れを。それと、妃にもこのことを伝えるように」


エドワードは立ち上がった。

窓の外を見ると、糸のように細い雨がしとしとと降っていた。水害の件、水運業の連絡、ととりとめもなく執務のことが頭に浮かぶ。鋭い頭痛が走り、エドワードは眉間を揉んだ。


「母上、お加減はいかがですか」

「エドワード。忙しいでしょうに、来てくれたのね」


エドワードが入室すると、母は上体を起こした。幾らかやつれたようだった。


「母上が健康でないと、安心して執務もできません。どうか、いつものようにお元気な姿を見せてください」


ありがとう、と母は微笑む。その顔には深い皺が刻まれていた。


「そう言ってくれるのは嬉しいわ。けれど、わたくしはたぶん、もう長くはない」

「――母上!」


思わず声を荒げていた。けれど母は、動じた素振りもない。


「そのようなこと、仰らないでください」

「ちゃんと伝えておいたほうがいいでしょう?」

「早すぎます!」

「わたくしはもう50なのだから、決して早くはないわ」


きっぱりと言い切って、母はエドワードの拳に手を重ねた。


「エドワード。この数年、あなたには辛い思いをさせたわね」

「.......そのようなことは、」

「いいえ。本当なら、幼い内から(まつりごと)の汚い部分をあなたに教えておくべきだった。それを遠ざけておきながら、いきなり押し付けてしまったのはわたくしたちよ」

「違います、私が自ら気づくべきだったのです」


人には優しくしましょう。

自分とは違う価値観でも、否定せずに尊重しましょう。

物事は多面的に捉えましょう。

いつでも笑って、人を安心させられる王子になりましょう。


幼い頃の教えは、きっとどれも間違いではなかった。よくできたわねと褒められるのが嬉しくて、頭を撫でてもらえるのが楽しみで、与えられた知識を深く考えもせず、受け取って覚えればいいのだと勘違いしていたのは己だ。


「そうすれば........そうすれば、」


あんなことにはならずに済んだのに。

エドワードは言葉を飲み込み、きつく拳を握りしめた。目を瞑れば、その日のことがありありと思い浮かぶ。

――母上、どういうことですか。

動揺して母を責め立てた自分の声までもが、鮮やかに脳裏に蘇った。

――クローディアは、クローディアは、この為に動いてきたというのですか........!?



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