第十一話:道後温泉(愛媛県)
「今ですか? うーん、ちょっと待って下さい……」
そう言って、晴斗は時計を見る。正午を過ぎた頃だった。
今は昼ピークである。晴斗は考える。今、自分が抜けてしまってもいいだろうか。
お昼の営業は午後三時まで。それまで他の従業員たちにお店を任せて自分が抜ける。それもできなくはないが、もしイレギュラーが発生したら誰が対応するのだろうか。もちろん、それは晴斗自身である。ましてや、この店は以前、未遂ではあったが食中毒とも噂されたことがあった。だから、今、自分が抜けてはまずいのではないかと晴斗は思った。
「栞里さん、あの…やっぱり無理です」
『そうですよね……』
「お昼の営業が終わったら、すぐ彩乃の所へ行きます!」
『分かりました。彩乃は私に任せて下さい!』
「すみません。お願いします」
『病院に連れて行きます。落ち着いたら、またお電話しますね』
「分かりました」
『お昼の営業って、三時まででしたっけ?』
それから、栞里さんがそう訊いた。
「そうです」と、晴斗は答える。
『じゃあ、その頃にお電話しますね』
「分かりました。よろしくお願いします」
晴斗はそう言って、電話を切った。
「山崎さん、どうかしました?」
それから、髙橋という若い男性のシェフが晴斗の横で訊いた。
「彩乃が……妻が陣痛みたいで」
晴斗はそう話し、午後三時にお店を離れることを彼に伝えた。「分かりました」と、髙橋は返事をした。
それから、お昼の営業時間が終了するまで晴斗はお店を見ていた。特に何かアクシデントも起こらず、平和な時間が過ぎて行った。
それから三時になり、電話が鳴った。晴斗はその電話に出た。
「お電話ありがとうございます、ああ、栞里さん。彩乃はどうです?」
『彩乃は無事です! さっき、十分くらい前に、元気な男の子が生まれたんですよ!』と、栞里さんが言った。
「そうですか!」
晴斗は嬉しくて大声になる。
『ええ』
「今からそっちに向かいます! って、病院はどこです?」
『高田馬場の川田産婦人科です』
「あー、川田産婦人科ですね。分かりました」
晴斗はそう言って、電話を切る。
「ちょっと妻の様子を見てくる!」
すぐに晴斗はエプロンを脱ぎ、事務所の店長室にある自分のカバンを持って、外へ出た。車に乗り、すぐに妻のいる産婦人科へ向かった。
産婦人科に着くと、受付のロビーに栞里さんの姿があった。
「あ、山崎さん!」
彼女が晴斗に気付いて言った。
「栞里さん、すみませんでした」
晴斗は彼女に頭を下げる。それから顔を上げて「今日はありがとうございます」と、晴斗は彼女に言う。
「いえいえ。彩乃はこっちです」
栞里さんはそう言って、彩乃の病室まで案内してくれた。
扉をノックして晴斗は病室へ入る。
「あなた!」
ベッドから起き上がり、赤ん坊を抱きかかえていた彩乃が晴斗に気付いて言った。
「彩乃、遅くなってごめん」
晴斗が謝ると、「ううん。来てくれてありがとう。ねえ、あなた。生まれたのよ、男の子よ」と、彩乃は抱きかかえている赤ん坊を晴斗に見せる。
確かに男の子であった。
「嬉しいよ。彩乃、よく頑張ったね!」
晴斗はそう言い、彼女に笑顔を見せる。
「あなた、ありがとう。陣痛すごく痛かった。けど、栞里が駆けつけてくれたから助かったの。栞里もありがとう」
彩乃は晴斗を見た後、栞里さんの方を見て言った。
「ううん、友達のことだもん。当然だよ」と、栞里さんは目に涙をこぼしながら言って微笑む。
「あれ? 好乃は?」
その後、彩乃が晴斗にそう訊いた。
「あ……お迎えまだなんだ」と、晴斗は言った。
彩乃の陣痛は好乃を幼稚園に送った後に起きたことだから、好乃はまだ幼稚園であった。
「あなた、悪いんだけど、今日、好乃を迎えに行ってもらえない?」
それから、彩乃が晴斗に言った。
「うん」と、晴斗は頷く。
その後、彩乃がしばらくは生まれた子どもと一緒に過ごさなくてはならないこと。それから、好乃の幼稚園の送迎が出来なくなることを晴斗に話した。
「お昼の運営が終われば、好乃のお迎えくらいは行けるよ」と、晴斗は言った。
「うん」と、彩乃。
「問題は、朝、幼稚園へ送りに行けないことと、夜は帰りが遅くなるから好乃の面倒が見れなくなるよなぁ……」
晴斗がそう言うと、「それはさ」と彩乃が口を開く。「栞里が面倒見てくれるって」と、彩乃が言った。
「え? 栞里さんが?」と、晴斗は栞里さんの方を見て訊いた。
「はい。彩乃と話し合って、好乃ちゃんをしばらくウチで預かることにしようと思ってるんです」と、栞里さんがにこりと笑って言った。
確かにその方が晴斗としても助かるなと思った。
「いいんですか?」
晴斗は申し訳なく思いながらそう訊く。
「ええ、ウチには子どもたちもいるんで、一人増えるくらい大したことありませんよ。それに、子どもたちで仲良く一緒に居た方が彩乃も山崎さんも安心じゃないですか?」
それから、栞里さんがそう言った。
「まあ、確かに。お迎えもしてくれるんですか?」
晴斗がそう訊くと、「それはパパがしてくれなきゃ!」と、彩乃が言った。
「だよね」
「好乃もパパがいいっていうと思うから」と、彩乃は笑う。
「分かった」
それから、栞里さんが口を開く。
「私はお迎えの時間にそちらのお店に行くので、好乃ちゃんをお店まで連れて来てくれたら後は私が引き取ります」
なるほど、そういう感じかと晴斗は納得する。
「分かりました」と、晴斗は言った。
「じゃあ、好乃をよろしく」
それから、彩乃がそう言った。
「うん」
「あ、今日は私も一緒にお迎えに行きます」と、栞里さんが言った。
「しばらく好乃に会えないのは寂しいけどね。四日後には退院するから」
彩乃がしみじみと言った。
「四日後ね、それじゃあ」
晴斗は手を挙げて、病室を出る。
「栞里、よろしくね」
それから、彩乃は栞里さんに言って手を振った。
「うん、任せて」
栞里さんはそう言ってそこを出て行った。
晴斗は栞里さんを助手席に乗せると、早速、好乃の幼稚園へ向かった。車の時計は四時を過ぎていた。
十分ほどして幼稚園に着いた。そこに着いて、栞里さんと一緒に好乃を探す。普段、彩乃が送り迎えをしているので、晴斗は自分の娘がどこにいるのかすぐに分からなかった。
「あ、あの子じゃないですか?」
栞里さんがそう言って、一人の女の子を指す。その方向を見ると、確かに好乃であった。
「好乃~!」と、晴斗は自分の娘に声を掛ける。
すると、彼女がその声に気付いて晴斗の方を見た。
「パパ!」と好乃は大声で言って、晴斗に駆け寄る。
「好乃、帰ろう!」
晴斗がそう言うと、「ママは?」と彼女が訊いた。
「ママ、赤ちゃん生まれて、今病院にいるんだよ。だから、今日は代わりにパパが来たの」
「へー」
「好乃ちゃん、お疲れ様」
後から栞里さんが声を掛けた。好乃は彼女をまじまじと見る。
「お姉さんのこと分かる?」と、栞里さんは好乃に訊いた。
「ママのおともだち!」と、すぐに好乃は言う。
「そう。名前覚えてる?」
「しおりちゃん?」と、好乃は首を傾げて言う。
「そうそう。よく覚えてたね!」
栞里さんは笑顔でに言う。
「どうして、しおりちゃんもいるの?」
その不思議な状況に好乃が晴斗を見て訊く。
「好乃、実はさ……」
晴斗は口を開く。「ママが病院で三日間入院することになったの。だからね、その間だけ、栞里さんがママの代わりにご飯作ったり、朝一緒に幼稚園に行ったりしてくれることになったの」
晴斗は真剣な顔でそう話す。
すると、「えー、ママいないの! よしの、やだー」と、好乃は泣きそうになる。
「少しの間だけ。お迎えはパパがするから安心して」
「おむかえは、パパ?」
「そう。パパ、お仕事で帰り遅くなっちゃうからさ。四日間だけだから、我慢してほしいんだ!」
晴斗は好乃を見て言う。
「好乃ちゃん、あのさ」と、今度は栞里さんが口を開く。好乃は彼女の方を見る。
「ウチに大樹と悠馬がいるから、また皆で遊ぼう、ね」と、栞里さんが笑顔で言った。
「好乃、栞里さん家にお友達がいるんだって! お友達といっぱい遊べば、パパとママいなくても平気だよ! もし寂しくなったら、パパのお店に電話していいから、ね?」
それから、晴斗が彼女をなだめるように言った。
「好乃、お店がお休みの日はパパと一緒にお家で過ごそう!」
晴斗がそう言うと、うんと好乃が頷いた。
「好乃、行くよ」
晴斗はそう言って好乃と手を繋ぐ。四才の娘の手は思ったより小さかった。彼女は父親と手を繋いでニコッと笑った。
車に乗り、好乃を後部座席のチャイルドシートに座らせる。
栞里さんが助手席に乗ると、「好乃ちゃん、今からウチに行くからね」と彼女を見て言った。
「案内をお願いします」
それから、晴斗は栞里さんに言った。
「はい」と栞里さんは返事をして、彼女はそこから自宅まで案内した。
十五分ほどして、彼女の自宅に着いた。
晴斗は車を降り、後のドアを開けて好乃を降ろす。
「好乃ちゃん、ここがウチ。今日から四日間だけ好乃ちゃんのお家だよ」
助手席を降りた栞里さんが好乃に言った。
「それじゃあ、好乃をよろしくお願いします」
それから、晴斗は栞里さんにそう言って頭を下げる。
「はい」と、彼女は笑顔で言う。
「好乃、パパも寂しいけど元気でね」
晴斗がそう言うと、彼女は頷いた。「好乃、栞里さんの言うことを聞くんだよ。明日、パパ、幼稚園に迎えに行くからね」
晴斗がそう言うと、「分かった」と好乃が言う。
「それじゃあ」
そう言って晴斗は車に乗り、すぐに走らせた。
翌日、お昼の運営を終えて三時になると、晴斗は好乃を迎えに幼稚園へ向かった。
「好乃~!」
晴斗が彼女を呼ぶと、「パパ~~!!」と彼女は笑顔でこちらに駆けて来た。
「まってたよ!」と、好乃が言う。
「パパも好乃に会うのが楽しみだった!」と、晴斗も笑顔で言う。
「あれ? しおりちゃんは?」
それから、好乃がそう訊いた。
「今日は栞里さん来てないよ。お店に来てくれるんだ。だから、パパとお店に帰るよ」
晴斗がそう言うと、うんと彼女は頷いた。
その後、晴斗は好乃を車に乗せ、二人でお店に戻った。
お店に戻った後、「アイスでも食べる?」と好乃に訊くと、「アイス~アイス~」と彼女は上機嫌に言った。
「じゃあ、コンビニ行こう!」
晴斗は好乃と一緒にコンビニへ行き、アイスを買った。それからお店に戻り、事務所で二人はそれを食べた。
「アイス、おいしい!」と、好乃は嬉しそうに言った。
「ねえ、パパ」
アイスを食べながら好乃が口を開く。「よしの、またおんせんいきたいなあ~」
「温泉?」
「うん」
「温泉か……」
晴斗はそう言った後、考える。彩乃が入院してから確かに温泉は行けていなかった。晴斗も温泉に行きたいと思っていた。しかし、彼女が入院しているからいけてないのが事実だった。
彩乃が退院したら行けばいいのではないか。それとも、好乃はすぐにでも行きたいだろうか。
でもまあ、二人で行くのも悪くないだろうなと晴斗は思う。しかし、二人で行くのも正直骨が折れるのではないか。いっそ彩乃の代わりに誰かと行ければいいのかもしれないが……。
少しして、晴斗はある人物を思い出す。
藤本さんである。
今度の土日は都合がつくだろうか。一度、彼に連絡してみようかと晴斗は思った。
気づけば、十六時になっていた。
「あ、山崎さん」と、事務所に一人のシェフが入って来て言った。シェフの髙橋くんだ。「杉下さんがお見えです」
どうやら栞里さんが来たようだった。
「分かった」と晴斗は言って、好乃を連れて外へ出た。
「あ、山崎さん。遅くなりました」
杉下さんが出てきた晴斗たちに言う。
「いえ」と、晴斗は手を振る。「それじゃあ、悪いですけど、好乃をお願いします」
「はい。好乃ちゃん、パパ、夜もお仕事だからウチへ帰ろう」と、栞里さんは好乃を見て笑顔で言った。
うんと好乃は頷く。
「パパ、またあしたおむかえくる?」
それから、好乃がそう訊いた。
「もちろん」と、晴斗は頷く。
「わかった。それじゃあね」
好乃は笑顔を浮かべる。
「また明日!」と、晴斗も笑顔を見せる。
それから、好乃は栞里さんと手を繋ぎ、彼女の車に乗った。
晴斗はその車を見送った。少し寂しい気分になった。
シェフたちがぞろぞろと厨房に行く。もう準備の時間であった。
晴斗も始めるかと思い、店の中へ入る。あ、と思い出す。それから、晴斗は藤本さんに電話を掛けた。
その二日後の土曜日。
晴斗はその週の土日を定休日にしてお店を閉めた。そして、好乃と温泉に行くことにした。
晴斗は車を愛媛県へと向かわせた。今回は、道後温泉へ行くことにした。
その日泊まる旅館に着くと、すでに黒色の車が到着していた。
「藤本さん、今日はありがとうございます」
晴斗は彼にお礼を言った。
「いいって。こっちこそ誘ってくれてありがとな」
藤本さんに連絡したところ、家族揃ってオーケーしてくれた。
奥さんと中学生の長男と、小学生の長女がそこにはいた。
「こんにちは、山崎です。以前お父様にはお世話になっておりまして……」と、晴斗は奥さんたちに挨拶をする。
「ええ、存じ上げてますよ」と、奥さんが笑う。「この間は、ごちそうさまでした」と、彼女が言った。
この間、夫婦で妻のお店に食べに来てくれたことを晴斗は思い出す。
「いえいえ」と、晴斗は手を振る。「あ、こっちは、娘の好乃です」
それから、晴斗が自分の娘を紹介する。好乃は晴斗の足元に隠れていた。彼女は人見知りのせいか恥ずかしがっていた。
「好乃ちゃん、可愛いわね……」と、奥さんが笑顔で言う。
うんうんと、二人のお兄さん、お姉さんたちが笑顔で頷く。
「好乃ちゃん、おじさんと一緒にお風呂入るか?」
それから、藤本さんが好乃を見て、大きな声でそう言った。
「やめてよ、あんた! そんな大声で!」
それからすぐに奥さんが彼の肩を叩いた。
「痛え!」と、藤本さんは痛がる。それから、「冗談だよ、冗談!」と彼は言って笑う。
「温泉行きたいって言ったのは、好乃ですからね……」
それから、晴斗がそう言った。
「そう。まあ、皆で入りましょ!」と、奥さんが笑顔で言った。「あ、このオヤジ抜きで!」
「え? なんでだよ!」
奥さんの言葉に藤本さんがそうツッコむと、皆が大笑いした。好乃もよくは分かっていないようだったが、皆に交じって笑っていた。
早速、晴斗たちは旅館に入った。晴斗が名乗ると、若い女将が晴斗たちの泊まる部屋へ案内してくれた。
部屋は六人が寝泊まりできる大部屋で和室であった。
全員でそこで少しくつろいだ後、六人は温泉へ行くことにした。
「好乃はパパたちと入る?」
晴斗が好乃にそう訊くと、彼女は頷いた。
「分かった」と晴斗は言い、好乃と一緒に男湯の暖簾を潜る。
「はー、最高!」
その温泉に浸かっていた藤本さんが声を漏らして言う。
「気持ちがいいね」と、彼の息子の大吾くんも言う。
「ああ、最高だ」
藤本さんが呟くように言う。「好乃ちゃん、気持ちいいかい?」それから、藤本さんが好乃にそう訊いた。
「うん、きもちいい」と、好乃は言う。
「ねー」と、晴斗が頷く。
「そうか。良かった良かった」
藤本さんがホッとしたように言う。
「なあ、山崎。お前、またいい趣味を見つけたようだな……」
それから、彼が晴斗の方を見て言った。
「ええ。最高の趣味です。いい思い出にもなりますし、妻や娘には感謝で一杯です」
晴斗がそう言うと、「そうかそうか。うんうん」と藤本さんは頷いて微笑む。
「好乃ちゃん、熱くない?」
少しして、藤本さんが好乃にそう訊いた。「おじさん、もう熱いや……」
藤本さんにそう訊かれて、好乃は頷いた。どうやらもう熱いらしかった。
「好乃、出ようか」
晴斗がそう言うと、「うん」と好乃は言って温泉から出た。晴斗もそこを出る。藤本さんや大吾くんも出るようだった。
身体を拭き、着替えて晴斗たち四人はロビーで女性二人を待った。
何か冷たい物を飲もうと、晴斗は好乃と一緒に自販機の前に行く。好乃が牛乳を飲みたいと言ったので、それを買った。すぐに彼女はその牛乳を美味しそうに飲んだ。
「パパにも一口ちょうだい」
晴斗がそう言うと、好乃は飲んでいた牛乳を晴斗に手渡した。それから、晴斗も一口それを飲む。その牛乳は冷たくて美味しかった。
藤本さんは缶ビールを、大吾くんはコーラを買って飲んだ。
飲み物を飲んで涼んでいると、奥さんと長女の咲楽ちゃんが出てきた。二人も何か飲もうと自販機の前に立ち、それぞれ飲み物を買っていた。
それから全員で部屋へ戻り、それぞれがくつろいだ。晴斗は藤本さんと一緒に冷蔵庫から出した瓶ビールを飲みながらテレビを観ていた。好乃は奥さんと大吾くんと咲楽ちゃんと四人でトランプを楽しんでいた。
気づけば、夜六時になっていた。夕飯の時間である。
晴斗たち六人は食事処へ向かう。空いている六人掛けのテーブルに全員が座ると、スタッフたちが食事の準備をしてくれた。
夕飯は会席料理であった。若い男性のスタッフが料理の説明をする。
その日のメニューは、鱧の湯引き、伊佐木の青じそ焼き、冷しゃぶ、鮎の唐揚げ、鯛めし、赤だし、温室みかん、ピオーネらしい。
「地産地消がコンセプトのお料理を提供しております」と、男性スタッフが言った。
とても豪華な料理だなと晴斗は思った。
「おお、うまそう!」
藤本さんが嬉しそうに大声で言う。
「ねー、どれもすごいわね」と、奥さんも言う。
「お飲み物は、どうなさいますか?」
それから、その男性スタッフが訊いた。
「とりあえず、瓶ビールを二本くらい」と、藤本さんが言う。「後は……お前たちは何飲む?」と、彼が子どもたちに訊く。
「コーラ」と大吾くんが言い、「私はオレンジジュース」と咲楽ちゃんが言った。
「好乃もオレンジにする?」
それから、晴斗が好乃にそう訊くと、彼女は「うん」と頷いた。
「じゃあ、コーラを一つとオレンジを二つで」と、藤本さんが言った。
「かしこまりました」とその男性スタッフは言い、すぐに飲み物を持って来てくれた。
「山崎、音頭を頼むよ」
飲み物が届くと、藤本さんがそう言った。
「あ、はい」
晴斗はそう返事をし、唾を呑む。「それじゃあ……今回はお集まりいただきありがとうございます。乾杯!」
晴斗がそう言った後、全員でグラスを鳴らす。
「乾杯!」と全員が言って、それぞれがビールやジュースを飲む。
「ハハハ」
その後すぐに、藤本さんが笑う。「山崎、その挨拶は堅いよ」
「うんうん」と奥さんも頷き、くすくす笑う。
「あ……すいません」と、晴斗は苦笑いする。
「まあ、いいや。食べよう」と藤本さんは言い、彼は料理を食べ始めた。
その後、それぞれが会席料理を堪能した。どの料理も美味しいと晴斗は思った。
夕食を食べ終えた後、晴斗たちは部屋に戻った。
六人はそれぞれテレビを観たり、トランプをしたり、敷かれていた布団に横になったりしてくつろいだ。
「藤本さん、今度は露天風呂に行きません?」
しばらくしてから、晴斗は彼にそう言った。
「露天か、いいね。大吾、お前も行くか?」
「うん、行こうかな」と、大吾くんも頷く。
「好乃ちゃんも一緒に行くかい?」
それから、藤本さんが好乃に訊いた。
すぐに彼女は頷いたが、ややあって奥さんが口を開く。
「ねえ、好乃ちゃん。今度、おばちゃんたちと一緒に入らない? 女同士で」
奥さんがそう言うと、好乃は首を縦に振る。
女性同士で入るのもいいだろうと晴斗は思った。
「好乃をお願いしてもいいですか?」
それから、晴斗は奥さんに言う。
「ええ、大丈夫よ。咲楽も一緒だし」と、奥さんがにこりと笑う。その後、咲楽ちゃんも笑顔で頷いた。
「じゃあ、よろしくお願いします」
晴斗がそう言うと、「じゃあ、好乃ちゃん、一緒に行こう!」と奥さんは言って好乃の手を握った。
そして、晴斗たちは露天風呂へ行き、男女分かれて入った。
晴斗は藤本さんと大吾くんと三人でその温泉に浸かった。その温泉は気持ちが良かった。
ふと晴斗はこの温泉のことを思い出す。さすが三千年以上の歴史を持つ温泉だけあるなと晴斗は思った。
「山崎、お前もこれから大変になるな……」
ふと、藤本さんがそう言った。
「え?」と、晴斗は変な声を出す。
「え? って、二人目だよ」と、藤本さんが言う。
そう言われて、晴斗は思い出す。晴斗には二人目の子どもが出来たのだった。男の子だ。藤本さんはそのことで、これから子育てが大変になると言いたいのだろう。
「ああ……そうかもしれません」
晴斗がそう言うと、「そうかもじゃなくて、そうなんだよ。俺だって大変だったよ、こいつの世話とかな」と藤本さんは言って大吾くんの頭を撫でる。
「父さん、やめてよ」と、大吾くんは嫌そうに言う。
「そう……なんですね」
「ああ、そうだ。まあ、大変だろうが頑張れよ!」
藤本さんはそう言って、笑顔を見せる。
それから、「はい!」と晴斗は返事をした。
その後、晴斗は彩乃のことを思い出す。今回、彩乃はこの旅行に来られなかった。彼女は二人目の子と病院にいる。本当は家族みんなで温泉に来たかったのだが、今回ばかりは仕方がない。彼女が退院したら、また行けばいいかと晴斗は思った。
それから、好乃のことを思い出す。今回の旅行にママがいないので、彼女は泣いてしまうのではないかと晴斗は心配していたが、全然泣く素振りもなかったので晴斗は正直ホッとしていた。
「ああ、熱い熱い……」
それから、藤本さんがそう言い、その温泉を出てシャワーの方へ向かった。
大吾くんはまだ入っていた。その後、晴斗はサウナがあることに気付いた。
「ねえ、大吾くん。サウナ入らない?」
晴斗がそう提案すると、大吾くんは「いいですよ」と言って笑う。
それから、晴斗は大吾くんと二人でサウナへ入った。
サウナは熱かった。晴斗たちはそこで汗を流す。
「山崎さん、僕もうギブです……」
五分程して、大吾くんがあっさりと言った。
「うん、自分も……」と、晴斗も同じく認める。「出ようか」
晴斗はそう言い、二人はサウナを出た。それから、二人はシャワーで身体を冷やし、頭と身体を洗って出た。
着替えて晴斗と大吾くんがロビーへ出ると、藤本さんと奥さんと咲楽ちゃんの三人が困った顔をしていた。そこに好乃もいて、彼女は顔を真っ赤にしていた。
「どうしたんです?」
すぐに晴斗が四人のもとに駆け寄る。大吾くんも晴斗の後を追う。
「山崎さん、ゴメンなさいね。好乃ちゃんが、『ママに会いたい』って言って泣いちゃったのよ……」
奥さんが申し訳なさそうにそう話した。
そこで晴斗は納得した。やっぱりそういうことだったか。
「好乃、ゴメンゴメン」
晴斗は彼女を抱きしめる。「ママに会いたかったよね。でも、好乃、ママはまだ入院しているから会えないんだ……。」
晴斗がそう言うと、「いつあえる?」と好乃が小さい声で訊く。
「明後日、だから、二日寝ないとママには会えないんだ。好乃、もうちょっとだけ待っててほしいんだ」
それから、晴斗は好乃の顔を真剣に見て、彼女をなだめるように言った。
彼女はまた泣きそうだった。けど、我慢することにしたようだ。
「……わかった。ねえ、パパ」
「ん?」
「よしの……アイスたべたい」
それから、好乃がそう言った。
「あ、アイスいいね! 食べよう。パパも食べたい」
晴斗は笑顔で言い、好乃とアイスの自販機の前まで歩く。それから、彼女がモナカアイスを指すので、それを買った。晴斗はそのアイスの袋を開け、そのモナカアイスを半分にする。その半分を好乃にあげた。
好乃はそのアイスを食べた。「うん、おいしい」と、彼女は笑って言った。
晴斗も好乃の顔を見て微笑む。
「あ、パパ。私もアイス食べたい!」
それから、咲楽ちゃんが父親に言った。「俺も俺も」と、大吾くんも言う。それから、「あたしも」と、奥さんも続けるように言った。
「はいはい」と、藤本さんは言って笑った。
翌朝、九時に全員が食事処で朝食を食べる。
朝食は、和食と洋食が選べるらしかった。大人たちは和食にし、子どもたちは洋食を選んだ。
和食のメニューは一夜干し、温玉、野菜サラダ、焼き海苔、焚き合わせ、白いご飯、みそ汁であった。洋食はというと、たまご料理、ハム、ソーセージ、温野菜、フルーツにパンで、飲み物はジュース、紅茶、コーヒーから選べた。
皆で朝食を食べる。朝食も満足いくものだなと晴斗は思った。
朝食を食べ終えて、晴斗たちは部屋へ戻る。全員で身支度をし、帰る準備をする。それを終えた後、全員がロビーのお土産屋へ向かいそれぞれがお土産を見る。
晴斗はお店の方と、彩乃へのお土産を買った。藤本家も、会社や学校の友人のなどに渡すお土産を買っていた。
それからチェックアウトまで少し時間があったので、最後に全員で足湯に入ることにした。
晴斗は足湯に入る。その足湯も気持ちが良かった。
昨日、ママに会いたいと言っていた好乃はすっかり機嫌が直っていた。内心、今すぐにでもママに会いたいのかもしれないが。
「山崎さん、今回は誘ってくださってありがとうございます」
ふと、奥さんが晴斗に言った。
「いえいえ。こちらこそありがとうございます」と、晴斗は言う。
「楽しかったわ。また機会があれば、今度は奥さんも一緒にね」
「ええ、そうですね」
「好乃ちゃん、楽しかった?」
それから、奥さんが好乃に訊く。
うんと好乃は頷く。
晴斗はそれを見てホッとした。好乃が温泉に行きたいと言ったのだ。満足したのなら晴斗としてもそれで満足だ。
「あ、もう十時になるな。帰ろう」
それから、藤本さんが腕時計を見て言う。
「はい」
晴斗は返事をした後、「好乃、帰ろう」と、好乃に言った。
彼女は頷く。
それから、全員が足湯を出て、外の駐車場まで歩いた。
「それじゃあ」と、藤本さんが自分の車の前で言う。
「はい、また」と、晴斗も彼に挨拶する。
「あ、そうだ。次はどの温泉に入るんだ?」
その後すぐに藤本さんが大声で晴斗に訊いた。
晴斗は、次に入る温泉をもう決めていた。
次は、――――。




