第十二話:別府温泉(大分県)
彩乃が入院してから四日が過ぎた。前日の午後三時頃、晴斗の携帯に彼女から明日退院すると連絡があった。
その日のお昼の運営を終えた後、晴斗は彩乃の病院へ行くことにした。
病院へ着くと、受付の所に彩乃がいた。もちろん赤ん坊も一緒である。
「久しぶり」と、彩乃が笑顔で言った。
「久しぶり、元気?」と、晴斗が訊く。
「うん。私もこの子も元気よ」と、彩乃が言った。
晴斗は彼女の抱きかかえている男の子に目をやる。その子は彩乃の胸辺りで落ち着いている。晴斗はそれを見て、ホッとした。
「好乃は?」
それから、彩乃がそう訊いた。
「これから迎えに行くところ」と晴斗が言うと、「そう」と彼女は言った。
「久しぶりに会えるのね」
そう言って彩乃は微笑む。
「うん。きっと好乃もママに会えるのを楽しみにしているよ」と、晴斗は言って笑う。
「そうよね。行きましょ!」と、彼女が言った。
それから晴斗たちは病院を出て、車で好乃の幼稚園へ向かった。
幼稚園に着いて、二人は好乃のいる教室へ行く。
「あ、ママ!」
すぐに好乃が母親に気付いて言った。
「好乃、久しぶり~」と、彩乃は彼女を抱きしめる。
「ママ、あいたかったよ!」
好乃は泣きそうな顔で言った。
「ママも!」と、彩乃も言った。彼女の目には涙が浮かんでいた。
「好乃、ママに会えてよかったね!」
それから、晴斗がそう言うと、「うん」と好乃は頷いた。
「それ、誰?」
その後、好乃が晴斗の抱いている赤ん坊を見て言った。
「ん? ああ、好乃の『弟』だよ!」
晴斗がそう言うと、「おとうと?」と彼女が訊く。
「そう、弟。好乃は今日からお姉ちゃんになるんだよ!」
それから、彩乃が好乃に笑顔で言った。
「おねえちゃん? よしのが?」
「うん」
彩乃が頷くと、そこで彼女は理解したようで、「やったー! わたし、おねえちゃんになったんだ!」と好乃は嬉しそうに喜んだ。
「好乃ちゃん、お姉ちゃんかー」
聞いていた若い女性の先生がそう言った。「お名前はなんて言うんですか?」それから、その先生が晴斗たちにそう訊いた。
「今日、退院したばかりで、まだ名前を決めていなくて……」
晴斗が恥ずかしそうにそう答えると、「あ、そうなんですね。ゴメンナサイ、変なこと聞いて……」と、先生は申し訳なさそうに言った。
「これから決めるつもりです」
それから彩乃がそう言うと、その先生はにこりと微笑んだ。
「あ、そう言えば、私、前から思っていたんですけどね」と、その先生が口を開く。「好乃ちゃんの名前って素敵だなって」
先生はそう言ってにこりと笑う。
晴斗はそう言われて嬉しくなる。彩乃も嬉しそうな表情をした。
「主人が考えてくれたんです」と、彩乃が言った。
「お父様ですか!」と、先生は驚く。
「ええ」
「じゃあ、この子もきっと素敵な名前に……」
先生はそう言って笑う。彩乃も笑った。晴斗も照れくさくて笑う。
それから、「好乃ちゃんが羨ましいです」と先生は言った。
「好乃、よかったね」と、彩乃がにこりと笑う。
好乃はうんと頷いた。
「それじゃあ」
晴斗はそう先生に挨拶して、先に車の方へ歩く。
「好乃ちゃん、また明日ね!」と、先生が言った。
「里奈先生、バイバイ!」と言って、好乃はその先生に手を振る。彩乃も彼女に会釈をしてその場を離れた。
その後、晴斗は車で彩乃たちを自宅まで送ることにしたが、彩乃が一度お店に行って皆に顔を合わせたいと言ったので、晴斗はお店へ向かうことにした。
午後四時を過ぎた頃だった。シェフたちは夜の開店に向けて準備をしていた。
「ただいま戻りました」と、晴斗は店に入り大声で言う。
「あ、山崎さん、おかえりなさい」と、シェフの一人が言った。
「お久しぶりです」
それから、彩乃が厨房に顔を出して言う。
「あ、彩乃さん!」
シェフの一人が彼女に気付いて言った。それから、他のシェフたちも彩乃に気付いて一度作業を止め、彼女の方を見た。
「おかえりなさい!」
「大丈夫でした?」
「元気そうで良かったです!」
と、シェフたちが口々に言った。
「あ、その子が息子さんですか?」
それから、彩乃が抱いている赤ん坊を見たシェフの髙橋くんがそう訊いた。
「ええ、そうなの」
彩乃は得意げに言う。
「男の子ですか? 名前は?」と、彼が訊く。
「名前は、これからつけるんだ」と、彩乃は答えた。
「そうですか。良かったです。無事に退院したみたいで」と、彼が言って笑う。
「ありがとう。今日はもう好乃と三人で帰るつもりよ」と、彩乃が言った。それから、「でもそのうち、またお店には戻るわね」と、笑顔で言った。
「お待ちしてますよ」
「彩乃さんがいるだけで全然違いますから」
と、シェフたちがにやりと笑って言う。
確かにそうだなと思い、晴斗は頷いた。「ありがとう」と、彩乃は笑う。
「それで、俺は一度、彩乃たちを家まで送ってくるよ」と、晴斗は言う。「五時までには戻るよ」
「分かりました!」と、シェフたちは返事をした。
すぐに晴斗は彩乃たち三人を乗せ、自宅へ行った。
夜十一時。その日の運営を終えて、店の片付けと掃除をし、終礼を行う。それが終わり、シェフたちが出た後、晴斗はいつも通り店の鍵を閉め、自宅まで車を走らせた。
家へ着くと、明かりが点いていた。
家には彩乃や好乃がいて、今日からもう一人、新しい家族が増えたことを晴斗は思い出す。息子である。そう考えた後、晴斗は嬉しくなった。
「ただいま」と、晴斗は言って家に入る。
リビングへ行くと、彩乃がソファで眠っていた。
それから、晴斗はダイニングへ行く。テーブルにはオムライスが置いてあった。彩乃が作ったのだろうなと晴斗は思った。それを食べようと思い、一度レンジで温める。冷蔵庫から缶ビールを一本取り出して、晴斗はそのプルタブを開ける。スカッという音がダイニングに響いた。それから、晴斗は一気にそのビールを呷る。
ぷはーっと息を吐く。仕事終わりのビールはうまかった。
少しして、レンジがチンと音を立てた。レンジからそれを取り出し、晴斗はそれをダイニングテーブルへ運ぶ。引き出しからスプーンを取り、晴斗は「いただきます」と小声で言ってそのオムライスを食べた。彼女の作ったそのオムライスは絶品だった。
「あ、あなた、おかえり」
それから、彩乃が目を覚まして言った。
「あ、ただいま」と晴斗は彼女に言った後、「起こしちゃったみたいでゴメン」と謝った。
「ううん、いいの。あなたを待っていたんだけど、つい寝ちゃってたみたいで……」
彩乃は髪を直しながら言う。
「好乃たちは?」
それから、晴斗はそう訊いた。
「二人とも、もう寝てるわよ」と、彼女が言った。
「そっか」
「あ、ねえ、あなた」
それから、彼女が姿勢を直して言う。
「何?」
「あの子の名前を決めなくちゃ!」と、彼女が言った。
晴斗は彼女のいるソファの下を見た。そこには本があった。子どもの名前の本である。彼女はその本を読みながら名前を考えている間に寝落ちしたようにも思えた。
「ああ、そうだね」
晴斗は言い、考える。
「なにかいい名前、思い付いてない?」と、彩乃が訊いた。
「ゴメン、まだ何も思いついていないんだ……」
晴斗が正直にそう言うと、「そう」と彼女は言って黙った。
「彩乃は?」
それから、晴斗は彼女に訊いてみた。
「本で見て、いくつか候補はあるの!」と、彼女は言う。
「例えば?」
「晴れに喜ぶで晴喜とか、晴れに太いで晴太とか。後、晴れつながりで太陽って名前もアリかなって」
晴喜に、晴太に、太陽か。
「うん、悪くいないと思う」と、晴斗は言う。
「このどれかにする?」
それから、彩乃がそう訊いた。
うーん。「……もう少し考えてみたいな」
晴斗がそう言うと、「そうよね。分かったわ」と彼女は言った。
「あ、その本、借りてもいい?」
それから、晴斗はそう言う。
「ええ、いいわよ」
そう言って彼女はソファの下にある本を拾い、晴斗に手渡した。
「ありがとう」
お礼を言って、晴斗はオムライスを食べながらその本をパラパラとめくる。
「私、もう向こうの部屋で寝るわね。おやすみ」
彩乃はソファから立ち上がり、寝室へ向かった。
「うん、おやすみ」と、晴斗は彼女の方を見て言う。その後、晴斗オムライスを食べながらその本を見ていた。
「あ!」
ふと彩乃が立ち止まり、晴斗の方を向く。
「ん?」と、晴斗は再び彼女を見る。
「あなた、また近いうちに温泉に行きたいな」
それから、彼女は笑顔でそう言った。
「ああ、温泉ね。いいよ」
「私、あそこ行ってみたい」と彩乃は言い、行きたい温泉名を口にする。
「え? マジ!? 俺も次、行きたいと思ってた!」
それから晴斗がそう言うと、「え? 本当!?」と彩乃も驚くように言った。
「うん」
「私たちって、気が合うのね」
彩乃はそう言って笑う。「そうだね」と言って、晴斗も笑う。
「それじゃあ、次は、その温泉へ入りましょう!」
「うん」
じゃあおやすみ、と彼女は欠伸をしながら言って寝室へ行った。
その二週間後の土曜日。
晴斗たち四人は羽田空港に来ていた。四人は大分県へ向かおうとしていた。
行く先は別府温泉である。
一時間半ほど飛行機に乗って、大分空港に到着した。そこから晴斗たちはタクシーに乗り、三十分ほどで目的の宿に着いた。
「わあ、すごい……」
その建物を見て彩乃が感嘆する。その本館は、明治から昭和までの建物が混在している趣深さがあった。
「歴史を感じるね」と、晴斗も呟く。
ホームページには、創業明治八年と書いてあったのを晴斗は思い出す。だからか、年代を感じるのだろう。
早速、晴斗たちはその旅館に入った。館内は純和風で趣があった。
受付で晴斗が名乗ると、年配の男性スタッフが晴斗たちの泊まる部屋へ案内してくれた。客室は和室であった。広さは八畳くらいのようだった。
少し休んだ後、晴斗は好乃と一緒に温泉に行くことにした。
彩乃は息子と一緒に部屋で留守番することにした。
ここの温泉は四種類であった。庭園が自慢の庭園露天風呂。それから大浴場に、檜風呂、岩風呂である。晴斗たちは最初、庭園露天風呂に行くことにした。
早速、晴斗たちはその温泉へ入る。その温泉は青く白濁していた。それからすぐに晴斗は思い出す。この温泉はいわゆる明礬硫黄泉という泉質の温泉だ。明礬温泉は別府八湯の中でも、とりわけ薬効が高いと称賛されている温泉のようだ。
その温泉は気持ちが良かった。
温泉の周りは木々や花々で覆い尽くされていて、まるで庭園のようである。そこに白の小さな花が沢山咲いていた。晴斗は甘い匂いが感じられた。
「パパ、あのおはな、なに?」
ふと、好乃が晴斗にそう訊く。
「なんだろう」と、晴斗は首を傾げる。
「パパ、わからない?」と彼女に訊かれ、「うん……」と、晴斗は頷く。
「ママしってるかな?」
それから、好乃がそう言った。
「ああ、ママなら知ってるかも」と晴斗が言うと、「じゃあ、あとでママにきいてみる!」と彼女が言った。
それからしばらくの間、晴斗がゆっくり使っていると、「パパ、出よう!」と好乃が言った。どうやら彼女は熱いらしい。
晴斗は頷き、好乃と一緒にその温泉を出ることにした。
身体を拭き、着替えた後、ロビーの自販機で瓶の牛乳を買う。それから、好乃はそれを美味しそうに飲んだ。
「おいしい。パパものむ?」と、好乃が訊いた。
「うん、少し貰おうかな」
そう言って晴斗は好乃からその瓶の牛乳を貰う。一口飲むと、それは冷たくておいしかった。風呂上がりに飲む牛乳も美味しいなあと晴斗は思った。
「好乃、部屋へ戻ろう」
それから、晴斗は言った。好乃は頷いた。
「ただいま」
晴斗は部屋に戻って言う。
「二人ともお帰り」
彩乃が晴斗たちを見て言う。
「彩斗は?」と晴斗が訊くと、「シー」と彩乃は唇に指を当てて言う。「今さっき、おっぱいを飲んで寝たところなの」と、彼女は言った。
晴斗は彩乃が先ほど息子におっぱいを飲ませていたのを想像してニヤニヤする。
「あなた、今変なこと想像したでしょ?」
それから、彼女が晴斗の顔を見てムッとする。
「あ、いや……。母親らしいなと思っただけだよ」
晴斗がそう言うと、「そう」と言って彼女は黙った。
それからすぐに晴斗は息子の方に目をやる。彼は座布団に横になっていた。確かに寝ていた。改めてよく見ると、息子は可愛らしいなと晴斗は思った。
「さてと、それじゃあ、私も温泉入ってこようかな」
彩乃がそう言って立ち上がる。
「あなた、それから、好乃。彩斗をお願いね」
「分かった」と、晴斗は言う。好乃も頷いた。
それから、彩乃は部屋を出て行った。
息子の名前は、彩斗と言う。字面の通り、彩乃の「彩」と晴斗の「斗」を取って合わせた名前だ。
名付けの本でその名前を見つけた晴斗はすぐにこの名前にピンときたのだ。
彩乃にその名前を見せると、
『いい! いいじゃない!! 私たち二人の名前が使われてるからいいと思うし、男らしい名前ね!』
と、絶賛していた。
晴斗もその名前が一番しっくりきたので、その子に『彩斗』と名付けることにした。
彩斗は気持ちよさそうに眠っている。
晴斗は横になりながらしばらく彼を見つめていた。それから、晴斗は眠っている彩斗のほっぺをつんつん触る。ぷにぷにした肌が柔らかくて、可愛らしいと晴斗は思った。
気づけば、晴斗はうたた寝をしていた。
急に彩斗が喚き出して、晴斗が目を覚ます。
「あ、どうしたの?? 彩斗くん!!」
晴斗は息子を見て言う。まだ彩乃は帰って来ていなかった。晴斗はどうしたらいいのか分からなかった。
「クサっ!!」
それからすぐに好乃がそう言って鼻をつまむ。
晴斗もその匂いに気付いて、咳き込む。どうやら彩斗がうんちをしたようだった。
「パパ、クサいよ!」と、好乃は訴える。
娘にそう言われても、晴斗はおむつの替え方が分からなかった。どうしたものかと頭を悩ませていると、「ただいま」と彩乃の声がした。
「え? クサっ!」
部屋に入るや否や、彩乃が鼻をつまんで手を左右に振る。
「彩斗がうんちしたみたいなんだ……」と、晴斗は彼女に状況説明する。
「それは分かってるわよ!」と、彼女は大声で言った。「あなた、おむつ替えてくれてないの?」
「まだ……」
晴斗が小さな声でそう言うと、「もう……。見てて」と言って彩乃はカバンからおむつとおしり拭きを取り出し、テキパキと彩斗のおむつを替えた。
「ママ、すごーい!」
それから、好乃が母親の一挙を見て驚く。
「でしょ?」と、彩乃は得意げに言ってにこりと笑う。
晴斗も彩乃のおむつの替えるのを見てなんとなくやり方が分かった。次、もし替えることがあれば、やってみようと晴斗は思った。
「はぁ~、温泉気持ち良かったわ」
それから、彩乃が話題を買えるように言った。
「何のお風呂に入ったの?」
晴斗がそう訊くと、「庭園だよ」と彼女は言った。
「庭園か」と、晴斗は言う。「好乃、ママも庭園に入ったって」それから、晴斗は好乃に言う。
「あ、ママ。なんかおふろにしろいおはながあったでしょ? あれ、なにかわかる?」
その後、好乃が彩乃にそう訊いた。
「あー、あれ? ザボンじゃないかな?」と、彩乃は言った。
「ザボン?」
「うん、ザ・ボ・ンっていう花よ。甘い香りがしたね」と、彩乃は思い出すように言った。
「うん、いいにおいだったね」と、好乃も言う。
なるほど、と晴斗は思う。「あの花はザボンか」と、晴斗は呟く。
「せっかくいい香りで帰ってきたのに……」
それから、彩乃がそう言った。「帰ってきたら、うんちの匂いよ」と、彩乃が笑う。
晴斗は可笑しくて笑う。好乃も大笑いする。それから、三人が笑っているのを見て彩斗も笑った。
それから、晴斗たち四人は夕食まで部屋でくつろいだ。
夜六時になり、夕食の時間になった。晴斗たちは食事処へ行く。
早速、晴斗と好乃が空いている四人掛けのテーブルに座る。それから、彩斗を抱っこ紐に付けた彩乃も座る。
少しして、晴斗と彩乃と好乃の前に料理が並べられた。夕食は会席料理であった。
すぐに女性のスタッフがメニューの説明をしてくれる。
夕食のメニューは、おおいた牛のすき焼きに、地獄蒸し、関サバと関アジのお造りといったものらしい。どれも美味しそうだなと晴斗は思った。
「大分県は、『豊後の国』とも呼ばれていまして、こちらのお料理は大分の豊かな自然と気候がもたらした海の幸や山の幸を使ってお作りしております」と、その女性スタッフが話す。
「へー」と、彩乃が相槌を打つ。なるほど、と晴斗は思った。
「それから、こちらのお食事処は、あちらの窓から別府市街が一望できるようになっております」と、その女性スタッフが窓の方を指して言った。
「おー、ホントだ!」と、晴斗は驚く。
「わー、すごい!」と、彩乃も声を上げる。
「いいねー。さいこう!」と、好乃も窓の外を見て言った。
晴斗たちはその景色を楽しみながら料理を堪能する。
夕飯を食べ終えた後、四人は部屋へ戻った。部屋に戻ると、布団が敷かれていた。好乃はすぐに布団に横になった。晴斗も布団に横になる。彩乃は窓側のソファに座り、彩斗にミルクを飲ませていた。
しばらくした後、晴斗は温泉に行こうと思った。
「好乃、パパ、お風呂に行くけど、一緒に行く?」
晴斗が好乃にそう訊くと、彼女は「ママと入る!」と言った。
「好乃、ママ、彩斗を見ないといけないから、パパと入っておいで」と、彩乃が言った。
「……わかった」と、好乃は言う。「パパ、いっしょにいく!」
「うん、行こう」と、晴斗は笑顔で言う。
それから、晴斗は好乃を連れて大浴場へ向かった。
晴斗たちはその大浴場へ入る。その温泉も気持ちが良かった。
「好乃、この温泉って飲めるらしいよ!」
晴斗がそう言うと、「え? のんでいいの?」と、好乃が驚いて言った。
「うん。飲んでみる?」
「のむ!」
それから晴斗たちは湯口へ行き、そこから出ているお湯を晴斗は手で掬うようにして飲んだ。
「うん、おいしい」と、晴斗は好乃を見て言う。
その後、好乃も晴斗と同じように両手でお湯を掬うようにしてそのお湯を啜る。
「あ、おいしい!」と、彼女はビックリして言う。
「おんせんって、のめるんだね!」
それから、好乃がそう言った。
「飲める温泉と、飲めない温泉があるんだ」
晴斗がそう言うと、「へー、そうなんだ」と好乃は納得したように言った。
「ねえ、パパ。よしの、もうあついや」
それから、彼女はそう言った。
「出ようか」と言って晴斗は好乃と手を繋いでその温泉を出た。
晴斗たちは部屋へ戻る。戻ると、彩乃と彩斗が布団に横になっていた。
「あ、おかえり」
晴斗たちに気付いた彩乃が二人に言った。
「ママ、ただいま。よしの、おんせんのんだよ!」
それから、好乃が母親に嬉しそうに報告した。
「えー、ホント!? ここの温泉飲めるの?」と、彩乃が訊いた。
「のめるよね、パパ?」と、好乃が晴斗に訊く。
「うん、飲める」と、晴斗は言った。
「へー、そっか! そしたらママも飲んでこようかな」
それから、彩乃が起き上がって言う。
「いいよ!」と、好乃が言う。
「それじゃあ、好乃、パパ、この子を見てくれる?」と、彩乃が言った。
この子と言われた彩斗は眠っていた。
「はーい」と、好乃は返事をする。それから、「うん、分かった」と晴斗も頷いた。
「じゃあ、行ってきます」と、彩乃が手を振る。
「「いってらっしゃい」」と、好乃と晴斗が同時に言った。
それから、晴斗と好乃の二人は横になりながらテレビを観ていた。しばらくすると、好乃は眠ってしまっていた。
晴斗は彩斗を見る。彼もぐっすりと眠っていた。晴斗はそれを見てホッとした。
「ただいま」
十五分くらいして、彩乃が部屋に戻って来た。
「あ、おかえり」と、晴斗は彼女を見て言う。
「平気?」と、彩乃は小声で訊く。
「うん、大丈夫だよ」
晴斗がそう言うと、「ああ、よかった」と、彼女は安堵して言った。
「気持ち良かったわ。温泉も飲んでみたけど、おいしかった」
それから、彩乃がそう言った。
「そっか。良かった」
「って、あれ? 好乃も寝ちゃったんだ」
寝ている好乃に気付いて彼女が言った。
「うん。疲れたんだね」
「私も寝よう」
「俺も」
晴斗はそう言うと、一度立ち上がりテーブルにあるリモコンを取ってテレビを消した。晴斗たちは歯を磨いて寝ることにした。
翌朝、九時。晴斗たち四人は朝食を食べようと、食事処へ行く。
朝食は和定食であった。そこに、だんご汁が提供された。それは大分の郷土料理らしい。
早速、晴斗はそのだんご汁を啜る。そのだんご汁は、味噌汁の濃厚かつ甘みのある味がした。その中に入っているモチモチのだんごと、ゴボウやニンジン、サトイモなどの野菜がたっぷり入っていた。体に優しい味だなと晴斗は思った。
その後も、晴斗たちは朝食を堪能する。
朝食を食べ終えた後、四人は部屋へ戻った。
彩乃は彩斗に朝食のミルクを飲ませる。チェックアウトが近いので、先に晴斗と好乃の二人は身支度や帰る準備を済ませる。
彩斗にミルクを飲ませ終わると、彩乃は一度、彼を座布団に寝かせ、自分も着替えや帰る支度をした。
彩乃が支度を済ませて四人は部屋を出た。それから四人は売店へ寄り、お土産を買う。お土産を買った後、晴斗はチェックアウトをした。ついでに、タクシーも呼んでもらう。
しばらくして、タクシーが宿の前に到着した。
晴斗たちは宿のスタッフに挨拶をしてからそのタクシーに乗った。
「空港まで」と晴斗は運転手に言うと、すぐに彼は車を発車させた。
「あと、七つあるんだ……」
ふと、彩乃が呟くように言った。
「七つ? 何が?」と、晴斗が訊く。
「別府八湯よ」と、彩乃が答える。
「あー、それね」と、晴斗は思い出す。別府には泉質の異なる温泉地が八つあり、その総称としてそう呼んでいるらしい。
「他の温泉も入ってみたいわね……」
それから、彩乃が言った。
「全部か……」と、晴斗は呟き考える。後七つの温泉に入るとなると、何日くらい休みが必要だろう。一日に二つ入ったとしても四日間は必要そうだ。
「……でも、彩斗がまだ小さいからね。すぐには行けないよね……」
それから、彩乃が残念そうに言う。
「うん……」
確かにそうとも言えるなと晴斗は思った。
「まあ、またこの子たちが大きくなったら行けばいっか!」と、彩乃は自分一人で納得する。
「そうだね」と、晴斗は頷く。
彩斗がもう少し大きくなったら今度は一緒に入れるようになるのだなと晴斗は思い、嬉しくなる。
その後、少しして、突然彩斗が泣き喚いた。
「彩斗くん、どうしたの??」
彩乃が泣いている息子を泣き止ますように揺らす。その後すぐに、「ゲッ!」と彩乃が顔を引きつらせて言った。晴斗もその匂いに気付いた。どうやら彩斗がうんちをしてしまったらしい。
「車内から硫黄の匂いがしますな……」
運転手がミラーで後方を見て言った。
「すみません……」と、彩乃が小さな声で謝る。
すぐにその運転手はタクシーの窓を開けてくれた。窓の外からは硫黄の匂いがした。彩斗はまだ泣き喚いている。
「後、十分くらいで空港に着きますから」
運転手がミラー越しに言った。それから、「少し飛ばしましょう」と言って彼はスピードを上げる。
「お客様、お待たせいたしました」
ようやくして空港に着いた。
そこへ着いた頃には、もうすでに彩斗は泣き止んでいた。
晴斗たちはすぐにそのタクシーを降りる。それから、「すみませんでした」と晴斗は運転手に謝る。彩乃もぺこりと頭を下げる。
「いえいえ」と彼は苦笑いをして、手を左右に振る。それからすぐにそのタクシーは向こうの方へ行ってしまった。
(参考文献)
一生に一度は行きたい温泉100選 監修 石川理夫 日本温泉地域学会会長
お読み頂き、ありがとうございます。
いかがでしたでしょうか?
温泉へ行きたくなりましたでしょうか?
そう思っていただけたら、私としても嬉しいです。
次は、どの県~の続編を書きたいと思い、次は何にしようかと考えた時に、「温泉」が浮かびました。
設定はあれから四年後……などと考え、この作品を構想していきました。
書いていくうちに、段々楽しくなり、温泉にも行きたくなりましたね(笑)
また、今まで出てきたサブキャラの登場やキャラを増やすことで、以前よりも盛り上がった話になりました。こちらとしても、書いていて楽しかったです。
実は、私は飲食店で勤務しております。今回、第七話で彩乃のお店で食中毒(未遂)が起きてしまうお話があります。やはり飲食店で働いていると、「食中毒」は怖いと思いますし、あってはならないことだと思います。今回、そんな「食中毒」をテーマに書けたらと思い、そんな話を織り交ぜました。
彩乃の店同様、私の店でも「魚」を扱うのですが、やはり「アニサキス」などは魚に寄生しています。
因みに、この物語はフィクションなので、フィクションも交じっています。
実際の話をすると、アニサキスはサーモンにはほとんど寄生していないそうです。「鮭」には寄生しているそうです。さらに、アニサキスは40度以上ではなく、「70度以上」で死滅するそうです。
ですから、サーモンのミキュイは実際には食べても問題にはならないそうです。だから、ご安心して食べて頂いて大丈夫です。
それから、第3話に「甲子温泉」(福島県)、第8話に「山代温泉」(石川県)と晴斗たちはいく訳ですが、この二県は皆さんもご存知の通り、過去に大きな地震が起きました。(石川は今年:2024年ですね)
物語の中に、地震のニュースなどを取り上げたりもしていて、皆さまの中には思い出したくないとも考えられます。それに関しては申し訳なく思います。けれど、私としてはやはり、地震が起きたからこそ、福島や石川には「いい温泉がある」というのを伝えたい思いで、こちらの温泉地を選んで書かせて頂きました。知っていただいた上で、もしよろしければ、皆さんも実際に足を運んでみて頂ければと思います。
最後に、こちらの作品は前書きにもある通り、「次は、どの県を食べようか?」の続編であり、「次は、どの○○シリーズ」の第三弾になります。この作品を最初に読んでも特に問題ありませんが、先にそちらを読んでからこちらの作品を読んでいただいた方がより楽しめるのではないかと私は思います。
未読の方は、「次は、どの国を食べようか?」→「次は、どの県を食べようか?」の順で読んでいただくことをお勧めします。
改めてここまでお読み頂いた皆様、どうもありがとうございます。
感想や誤字脱字報告等、お待ちしております。
P.S.
第六話に出てくる栞里さんの旦那の名前は、なんとなく私(落川)の名前を付けました。笑ってください。自分の名前を使ったのは今回が初めてです。なんとなくそんな気はしていましたか?




