夏 部屋のすみっこでギターを弾く
大学生になった彰子の元に中学校の同窓会の手紙が届く。
梓への償いのために参加しようか迷っている折、祐輔から彼女の郁と会うように促される。
そして、梓との再会のときが訪れた。
「ねぇ、あきちゃん。なんであの時、死ななかったの?」
・縦書き ニ段組 A5サイズ
・27文字×21行
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高校生活を終えて、私は大学生になった。
昔、中学校の同級生が『二十歳は一つの区切りと考えられていて、今までの自分は一旦死ぬんだよ。そして、新しい自分に生まれ変わるの』と言っていたことを思い出す。
しかし私は五年前の中学二年生の時、すでにマンションの屋上から飛び降りて死んでいる。死んで、そのまま生まれ変われず、惰性でただ生きている。
私の自殺未遂、明里先生の登校拒否、学級崩壊、どうしようもなくどうしようもないこと。時が経てば経つほど、様々な記憶が鮮明に蘇ってこびりつく。
『時間が解決してくれる』
なんて、ただの綺麗事でしかないではないか。
償う機会に巡り合えないまま、六年余りが経とうとしていたある日、中学校から手紙が届く。二十歳になる節目のお祝いとして、ホテルを借りて同窓会を開催するとのことだ。
ずっと償う機会を求めていたはずなのに、実際に転機が訪れると逃げようとする臆病者だ。指定された返信期日を確認すると二週間を切っていた。あと二週間で決めなければならない。覚悟を決めて、償えるかどうかを。
携帯が震える。祐輔くんからのLINEだ。
『突然だけど今日ってヒマかな?』
ゼミのレポートや提出物などはいくつかあるけれど、幸いにも今は夏休みだ。時間はいくらでもある。
『ヒマだけど、なに?』
『アキを郁ちゃんに会わせたいんだ』
郁ちゃんとは祐輔くんの彼女だ。まだ一度も会ったことはないけれど、一度も会いたいとは思わなかった。しかし会うのを拒んだら嫉妬しているみたいなので会うことにした。
『べつにいいけど』
『ありがと、じゃあ十三時に濃浦駅集合で』
『うん。わかった』
携帯の画面を閉じて出掛ける準備をする。
普段はしない化粧をする。リップを薄く塗って、髪を手グシで整える。祐輔くんに会う為のおめかしではない。郁さんと会った時にみすぼらしい姿を見せるのが嫌なだけだ。
「なんて」
誰に弁明するでもなく言い訳してみせる。
※ ※
濃浦駅には先に私が着いた。
流れる人の波を目で追いかけながら考えてみる。
祐輔くんはどうして私と郁さんを会わせたいのだろう。
単に紹介したいだけなのか。それとも祐輔くんが私の気持ちに気付いていて、意地悪にも私を嫉妬させたいのか。
そういえば郁さんの特徴を教えてもらうのを忘れていた。怖い人だろうか。背の低い人だろうか。どんな服を着ているのだろうか。性格の良い人だろうか。
仲良くしたい気持ちと嫉妬めいた気持ちがせめぎ合う。
そんなことを考えているとメッセージが届く。
『ごめん。急用で着くのが少し遅れるね』
祐輔くんからだ。そこまではまだいい。けれど、次のメッセージを見て私は息を飲む。
『先に郁ちゃんと一緒に向かってて』
初めて会う人と? しかも祐輔くんの彼女と?
場が続くなんて思えなかった。急いでメッセージを返信しようとして、やめた。諦めて受け入れたわけではない。もう遅かったからだ。私に近付いてくる一人の女性を捉える。
その人は、
いつの日か河川敷で弾き語りをしていた女性であった。
あの頃と同じく青が混じった紫色の髪で、十字架を模したピアスを耳に何個も付けて、全身を黒服で固めていた。
「あーちゃんだよね。祐輔くんの従妹の」
「……はい」
夢だと思った。祐輔くんの人柄や性格から大人しそうな彼女を想像していたのに、まさか、この人だなんて。狐につままれるとはまさにこのことなのだろう。
「じゃあ、行こっか?」
突然のことに戸惑いや困惑、様々な感情が駆け巡って思考が追いつかなくなる。数歩先を歩く郁さんの背中を追いかける。重そうなギターケースを抱えていた。
「これからどこに行くんですか?」
「ん? なんだ。祐輔くんはなんにも話してないんだ」
個性を主張するような服装とは違い、やはり郁さんの声はとてもか細く透き通っていた。脆弱さも伴っている。
「私の家に行くの。そんで、ギターを弾く」
「ギターを弾く?」
「そう。まぁ、とにかく付いてきなよ」
郁さんが跳ねるように歩く度、耳のピアスがシャラシャラと音を立てて揺れる。しかしそれ以上に気になったのは服装だった。奇抜な格好もそうだけど、夏場だというのに長袖なのも不思議に思った。それで暑くないのだろうか。
首や顔から伺える病弱なまでに白い肌が、その長袖の内側に隠された秘密をより強く際立たせていた。
※ ※
着いたのは十五階建てマンションの六階だった。
このマンションよりも遙かに高い場所から飛び降りたというのに、下の景色を覗くと途端に恐ろしくなってしまう。
突き当たりまで向かったところが郁さんの家だった。
「……お邪魔します」
遠慮気味に中に入ると、玄関にぬいぐるみがいくつも置いてあった。他にも透明骨格標本や、花の絵が入った額縁が数点ほど飾られている。
「飲み物持ってくるから部屋で待ってて」
通された部屋は正方形の間取りで、およそ八畳ほどだろうか。ギターやベースが数本あって、バンドのステッカーが部屋を覆うほどに貼られている。壁にはコルクボードが吊されていて、海月や風景の写真がいっぱい飾ってあった。
窓際を見るとなぜかエノキダケが置かれている。育てているのだろうか。妙な存在感に戸惑ってしまう。
「お待たせ。ウーロン茶でいいよね」
グラスを二つテーブルに置き、飲み物を入れる。窓からの日差しに照らされてグラスの中がきらめく。トクトクと注がれる音が心地良かった。
「あの」
「あぁ、窓際のやつ?」
私の視線に勘違いして、郁さんが答える。
「祐輔くんに言われたの。『君はエノキみたいだね』って。肌が白くて、ひょろっとしてるから。失礼だと思わない?」
「それ、エノキじゃなくてエノキダケじゃないですか?」
「うん。だから揚げ足を取ってわざわざ買ったの。んで、祐輔くんに見せたの。勘違いしてるよー。って」
郁さんがわざと変な顔をする。
「それで、祐輔くんはどんな反応したんですか?」
「一言『あぁ』って。あの呆けた顔、見せたかったなぁ」
おどけて喋る郁さんと、部屋の中にエノキダケがあるおかしさに、思わず声を出して笑いそうになってしまう。
郁さんがウーロン茶を一息に飲み終えたあと、
「さて、じゃあ始めようか」
そう言うとギターを一本手に取りチューニングを始める。
「いや、ちょっと」
まだ聞きたいことも分からないことも沢山あるのに。どうして祐輔くんが私を郁さんに会わせたいのか。郁さんは河川敷で会ったことを覚えているのか。夏場なのに長袖なのはなぜなのか。いくつもの疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「大丈夫。全部、音楽が教えてくれるよ」
私の戸惑いなんて構いもなしに何回か音を出すと、曲を弾き出す。その曲にどこかで聴き覚えがあった。しばらく曲を聴きながらリズムを口でなぞる。そうだ。梓の好きな曲だ。
『未来ばっかり話して、隠したのは今日。
きれいな傷跡も触れないままだな。
やみくもに探し回った手。
何、つかんだの?
ちっぽけな光だとしても、
かまわない』
狭い部屋に音が、声が、言葉が広がる。
前に一度、梓からバンド名と曲名を教えてもらったけれど忘れてしまった。思い出が少しずつ、曖昧になっていくことを今なら哀しく思える。梓は同窓会に来るのだろうか。
やがて郁さんが弾き語りを終える。控えめに拍手した。
どもども。と、ふざけながら首を縦に何回か振ってお辞儀する。大してこの人のことを知りもしないけど、少なくとも奇抜な格好をするような人には見えなくなっていた。
郁さんの顔を眺めていると、郁さんが私の方を見る。
「あーちゃんさ、河川敷で何回かあったよね」
まさか覚えているなんて思わなくて驚く。
「はい。あの、郁さん。私に何か言ってましたよね?」
「そうだっけ? 一緒に歌おうとかそんな感じかな」
「感じかなって……」
二杯目のウーロン茶を注いで、また一気に飲み干す。
「あぁ。でも、これだけはしっかりと覚えてるよ」
「なんですか?」
「あーちゃんはあの時、昔の私と同じような目をしてた」
あの時、私はどのような目をしていたのだろうか。
「どういう意味ですか?」
「意味なんてないよ。ただ、同じだなと思っただけ」
「同じ……」
部屋が静寂に包まれる。先ほどまでの賑やかさが嘘のように感じられた。友人が帰ったあとの部屋みたいだ。
「なんで祐輔くんは私達を会わせたいんでしょうね」
間を埋めるように次の言葉を紡ぐ。
「私は知ってるよ。会わせたがってる理由」
「え、どうしてですか?」
「知ってるけど、あーちゃんにだけは教えない」
「なんですかそれ」
チャイムが鳴る。祐輔くんが来たのかもしれない。
「この話はまた今度ね」
ため息を吐く。玄関に向かう郁さんを黙って眺めた。
※ ※
今日は祐輔くんの家に向かう為、足取りを早める。
あの日は祐輔くんが来たあと、郁さんが中華料理を食べたいと言うのでお店に行くことになった。私と郁さんを引き合わせた意図もわからず、ギターを弾く意味もわからず、私はどこか居心地が悪くなった。
『夏休みの間、郁ちゃんとギターの練習をしてほしいんだ』
祐輔くんからそう切り出された時は目を丸くした。
郁さんからギターを借りたけれど、自宅は防音設備がないので郁さんか祐輔くんの家に行くしかなかった。祐輔くんの頼みとはいえ律儀に練習する私もどうなのか。
「どうぞ。入って」
部屋に通されると本棚と本の量に驚く。ハードカバーの本を二百冊は飲み込みそうな大型の本棚が二台に、文庫本専用なのか、小さめな本棚が二台置いてあった。
机の棚にも参考者や植物図鑑、天体の写真集や詩集などが並べられている。猫の尻尾が取っ手になっているマグカップや、可愛いカエル型の温度計などの小物が目に入る。
「あんまり見られると恥ずかしいな」
「いや、すごいなって思って」
照れる祐輔くんをよそに部屋の様子を眺める。メタルラックにはゲーム機とコンポやテレビの他に、犬のぬいぐるみや人から描いてもらったであろうイラストが飾られていた。
「……あ」
その中で、水族館に行った時に撮られた写真を見つける。
「綺麗だったから勝手に飾らせてもらったよ」
「まぁ、べつにいいけど……」
恥ずかしがる素振りを見せずに自然体で言えてしまう辺りが、祐輔くんの良い点であり悪い点でもあると感じた。
けれど他にも水族館の写真があった。同じく場所は海底トンネルで、映っていたのは後ろ姿の郁さんであった。私と祐輔くんだけの思い出ではなかったことに少し哀しくなる。
「とにかく座りなよ。疲れちゃうでしょ」
勧められて座布団に座る。緊張しているのか、正座になってしまった。祐輔くんに悟られないように両足を崩す。
ふと、本棚の一番下に中学生時代のアルバムを発見した。
気付けば同窓会の返信期日が一週間を切っている。
「見る?」
「いや、いい」
本音は少し見たかったけれど、話を本筋に戻す。
「祐輔くんは同窓会や成人式って行った?」
「僕は不登校気味だったからね。参加してないんだ」
「不登校?」
「正確にはそういう人達が集まった部屋には登校してた」
聞いたことがある。学校の中に併設されている部屋で、クラスに復帰する為の下準備、心の安定、コミュニケーション能力の向上を目的とする特別支援学級のことだ。
学校に行けない人の為の部屋が学校の中にあるのも皮肉な話だけど。私の通っていた中学校にもあったはずだ。
「どうして?」
「うん?」
「どうして学校に行ってなかったの?」
祐輔くんが呆然とする。不謹慎だったかもしれない。
「ごめん。ただ、どんな気持ちだったのか知りたくて」
学校から逃げ出した私と、理不尽な扱いを受けながらも学校に残った梓と、その中間の祐輔くん。そこには一体どんな思いがあって、どんな選択があったのだろうか。
「生きる為だよ。アキだってそうでしょ?」
「私は……」
どうなのだろう。生きる為だったのか。人を不幸にしておきながら、いざ私自身が追い詰められると逃げ出す。それは生きる為なのだろうか。ただ、様々な責任や罪から目を背けているだけだ。決して、生きる為ではない。
「いいんだよ」
祐輔くんの瞳が私を映す。とても澄んだ瞳だった。
「君を殺そうとする場所なんて、逃げちゃえばいいんだ」
「……うん」
誰かを好きになれて良かった。と、
改めて、祐輔くんのことが好きなんだなと思い知る。
「ところで、なんで同窓会の話を聞いてきたの?」
気付けば祐輔くんは左目を何回か開閉させていた。癖なのだろうか。前にも何度かその行動を見た気がする。
「手紙が来たんだ。中学校の同窓会のお知らせ」
中学校という言葉を聞いて祐輔くんが全てを察する。
「アキはどうしたいの?」
「私は、まだ、迷ってる……」
「なら、郁ちゃんに相談してみるといいよ」
「郁さんに?」
「うん。全部、郁ちゃんが教えてくれるから」
祐輔くんは郁さんのどんなところに惹かれたのだろう。
私は祐輔くんが好きだ。でも祐輔くんは郁さんが好きだ。私は従妹で、郁さんは彼女である。祐輔くんは私のことをどう思っているのだろうか。距離は。関係は。適切な位置を量り切れなくなって、部屋のすみっこでうずくまる。
もし、もしも祐輔くんが郁さんよりも前に私と出会っていたら、立場は変わっていたのだろうか。一瞬だけそんな思いが頭の中をよぎって、すぐに消える。
祐輔くんが郁さんよりも前に私と出会っていたら?
出会っていたではないか。十年以上も前から。祐輔くんの側に私がいないのは、私が祐輔くんと、人と、深く関わっていないからである。
どうして郁さんと付き合っているのか。
聞いてはいけない。聞いてしまったら、打ちのめされてしまうのは明確だった。祐輔くんの好きな曲を思い出す。
『触れないのが思いやり そういう場合もあるけど
我ながら卑怯な言い訳 痛みを知るのがただ怖いだけ』
楽しそうな祐輔くんの顔を、今は思い出したくない。
関係が近過ぎて、本当に大事なことが見えなくなる。
戸惑って、どうしようもなくなって、ギターを弾いた。
※ ※
同窓会の返信期間が翌日に迫った。
今日も惰性的に郁さんの部屋でギターの練習をする。
『なら、郁ちゃんに相談してみるといいよ』
会って間もないこの人に何が分かるのか。疑っているわけではないけれど、相談する関係にはまだ日が浅い。それに郁さんは私の好きな人の彼女だ。素直に聞ける自信がない。
それでも、祐輔くんが何かを見出した人なら。
「郁さん。相談したいことがあるんです」
「お。なんだいなんだい。お姉さんに任せなさい」
こういうおどけたところが苦手だ。
「中学校の同窓会に参加した方がいいでしょうか?」
「参加したいならすればいいんじゃないかな」
「でも私、みんなにいっぱい迷惑かけたから……」
中学校時代、何があったのかなんて言わなかったし言えなかった。それでも郁さんは、ふむ。と、何回かギターの音を鳴らして考え込む。本当に考えているのか。すると、
「なるほど。だから私達を会わせたがってたわけだ」
「……え?」
「あーちゃんは同窓会に参加して何がしたいの?」
「それは、私が傷付けてきた人達に、謝りたいです……」
「謝って救われるのは、言われた方じゃなくて君だけだよ」
「そんなの……」
そんなの、痛いくらいに理解している。明里先生が退職したあの日から、梓が私から離れたあの時から、マンションの屋上から命を投げ出したあの瞬間から、理解している。
けれど、
では、どうすればいい? 私の彷徨う魂は、どこに救いを求めればいいんだ。なんて、こんな時でも自分本位なところが、私の性格の嫌らしさを醜悪にも表している。
「そんなの、分かってます……」
「うん」
「分かってるけど、じゃあ、どうすれば……」
言って、うつむく。深くため息を吐いた。
「君は同窓会に参加した方がいい。償いをしなきゃ」
償い。
いつか図書館で送られた小説の一文を思い出す。
『謝ることと償うことって、違うよね。『謝る』は相手に許してもらえないと意味がないけど、『償う』は、たとえ相手に許してもらえなくても……っていうか、許してもらえないことだから、ずっと償っていかなきゃいけないと思うの』
それは一体、誰のなんて小説だっただろうか。
「ごめんね。気持ち悪いもの見せちゃうと思うけど」
そう言うと郁さんは左腕の長袖をまくり上げる。淡雪のように白い肌がボコボコと歪な形をしていた。皮膚に横の線がいくつか入っている。赤紫の跡が広がっていた。
これは、
「自傷跡だよ。十年くらい前のだけどね」
郁さんの右手が左腕の傷を優しく撫でる。ザラ、ザラとした擦れる音が頭の奥に大きく響く。痛くはないのか。
『綺麗な傷跡も 触れないままだな』
と、郁さんが歌っていた曲の歌詞が思い浮かんだ。
言葉通りだ。郁さんは傷跡を『気持ち悪いもの』と評するけれど、そんなことはない。その傷こそが生きている証なのだと思えた。必死に生きようとした、愛しい傷跡なのだと。
「あーちゃんは心を大切にしなかった。私は体を大事にしなかった。似た者同士だから力になれると思ったのかもね」
「郁さんはどうして……」
そこまで言いかけて口を紡ぐ。
どうしてギターを弾こうと思ったんですか? どうして奇抜な服装なんですか? どうして祐輔くんと付き合ってるんですか? どうして、自傷したんですか?
なんて、聞かなくてもいいと思った。
何がどうであれ、郁さんは郁さんなのだ。
そして、私も私だ。ならば、私の思うままにしよう。
「私、同窓会に参加してみようと思います」
「うん。その方がいいよ。あーちゃんの為にもね」
郁さんが優しく微笑む。
初めてこの人のことを愛おしく思えた。
※ ※
中学校の同窓会へ参加する為にホテルへ来た。
最初に校長先生の挨拶があり、それから各クラスの担任の挨拶に移る。明里先生は、来るはずないだろう。
長居をするつもりはなかった。
同年代の総人数が二百人近くとはいえ、同窓会に参加しているのはおよそ五十人だ。長い時間いたらクラスの人達に見つかる可能性が高い。
償いに来たのに会いたくないなんて、ただの臆病者だ。
六年も経つせいか、ざっと見回しても知った顔は一人もいない。クラス毎にテーブルが用意されているけれど、私は梓がいるかもしれない場所に近付けなかった。
各々が談笑する中、私だけが部屋のすみっこで立ち尽くしていた。当たり前だ。会いたい誰かに会いに来るのが理由である。償う為に参加している人なんて私くらいしかいない。
やっぱり、このまま帰ってしまおうか。
醜くて弱い部分が肥大する。あの日のことを思い出す。
心の奥の方がズキン。と、痛んだ。
「あきちゃん?」
名前を呼ばれた方を振り向く。相手はすぐに分かった。
「……梓」
「やっぱりそうだ。面影がないから自信なかったんだ」
梓こそ見た目が大きく変わっていた。中学生の時の梓と比べると、みすぼらしさなんて微塵も感じられなかった。
「あれ以来だね。連絡の一つもよこさないで、もう」
「……ごめん」
どんな態度を取られるのか。不安で激しく脈を打っていた心を、いともたやすく吹き飛ばしてしまうくらいの笑顔を向ける。梓の左手が私の体に優しく触れた。
「五年振りくらいだね。話したいこと、沢山あるんだから」
「うん。私も。梓に言わなきゃいけないことがあるんだ」
様々な話を梓にした。高校、大学へと進学したこと。好きな人ができたこと。ギターの練習をしていること。梓に、
梓に、ずっと謝りたかったこと。
今なら、梓に償いをできるような気がして。
精一杯の言葉を、
「あきちゃんさ、よく同窓会に顔を出せたよね」
「……え?」
「死んだのかと思って、喜んじゃった私を返してよ」
「梓、あの……」
先ほどの梓の笑顔が嘘のように険しくなっていく。違うんだ。最初から、私を許すつもりなんてなかったんだ。人は興味のない人にほど、作り物めいた笑顔を向けられる。
「私が中学生の時、どんな思いで過ごしたか分かる? どんなに辛かったか分かる? どんなに苦しかったか分かる?」
梓の声が徐々に大きくなっていく。喧噪を掻き消すほどの怒声は周囲の注目を否応なく集めてしまう。
見られている。噂されている。被害妄想だと思い込む。
どこからとなく声が聞こえたような気がして顔を上げる。
周囲を見回す。
全員が私のことを見ているような気がした。
にやにや、にやにやしている。
あちらこちらで交わされる会話が雑音めいて聞こえる。
「なのにあんたは大学まで行って? 好きな人ができて? 趣味も持って? そんな平気な顔して生きてるんだ? 私は……私はあれから、高校も卒業できなかったんだよ」
なんだ。私が何をしたというのだ。
大丈夫、大丈夫。大丈夫、大丈夫。言い聞かせる。
「謝って満足するのは、私じゃなくてあなたの方だよ」
「梓……」
「ねぇ、あきちゃん。なんであの時、死ななかったの?」
………………あ。
梓の棘を纏った言葉に貫かれて、怒りも、苦しみも、哀しみも混じった表情を向けられて、その時、改めて私の犯してきた罪の大きさを痛感した。彼女に生涯拭えない痛みを与えてしまったことに、手遅れになってから気付いてしまった。
※ ※
あの日は逃げ去るようにホテルを後にした。今にも泣きそうになるのを必死にこらえて走る。
母親に心配をかけたくなくて、誰かの家に寄りたかった。
自分でも驚いたことに、向かったのは祐輔くんの家ではなく郁さんの住むマンションであった。
突然やってきた私を邪険にすることもなく優しく迎えてくれた。差し出されたホットレモネードが体に染みる。
郁さんは理由も聞かずに何曲か弾き語りしてくれた。
『あたしたち違う人間になりたかった
青春の夜明けはひび割れたガラスのよう
誰より本当は傷つけられたような
やさしい瞳はひび割れた子供のよう』
心の弱い部分を撫でるような声が部屋を包む。
どうしようもなく、どうしようもなくなってしまう。
気を抜くと泣いてしまいそうで、くちびるを噛んだ。
「我慢すんなよ。泣きたい時は泣けばいいんだよ」
強がりを見透かすように郁さんが微笑む。
背中同士を合わせる形で座る。
郁さんが歌うと振動が背中を伝って体全体を揺らす。揺らいで、揺らいだ。まるでぐずりそうな赤ちゃんをあやしている感覚だ。
「泣きたい時は、泣けばいいんだよ」
返事はできなかった。
もう泣いていたから。嗚咽が漏れる。
郁さんが鼻歌を歌う。
窓から差し込む光が無性にまぶしかった。
最後までお読みいただきありがとうございます
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