Α&Ω
彼女の人生は、波乱万丈、という言葉がふさわしいものであった。
人生のすべてが幸せだった、というわけではなかった。
彼女の人生が大きく変わった、あの事件のことは、未だに子細に覚えている。
それでも、そのあとの人生には、多くの幸せな出会いがあった。その分、辛い別れもあったが、それが人生というものだと、今では笑って言える。
若かりし日に生き別れた愛しき人。最期まで、面と向かって父とは言えなかったあの人。亡き師や、育ての両親。
もうすぐ、彼女自身も彼らの下へと旅立つ、というところだと、彼女は感じていた。
瞼は徐々に重くなってきているし、なにやら妙に世界が明るい。
彼女は周囲に立つ人々を見る。
彼女の一番の親友は夫や子供たちとともに、彼女の名を呼び続けていた。
彼女は、ほとんど力のない手で、親友の髪を撫でた。
どこにでも咲いているエリスの花を思わせるその髪が、彼女が好きだった。
事件の後、復讐に燃えていただけの彼女を救ったのは、そんな親友の存在であった。
「ありがとう、エリス」
彼女はそう呟いた。その言葉を聞いたエリスは、その顔を涙で濡らした。互いに年を取ったが、それでも、エリスはエリスのままであった。それが、うれしかった。
そんなエリスを慰めるように、キャシーやクロウドが抱きしめていた。二人を見て彼女は頷きかける。
キャシーは涙を目にためながら、静かに彼女を見て笑った。
次に彼女は、一人の男性を見る。一時は兄であったその人物は険しい顔をしていたが、別に怒っているわけではないことはわかった。
彼にはいろいろと迷惑をかけたが、今は幸せそうだ。隣に立つ妻マリアとの間に子供はいないが、孤児を引き取り、実の子どものように育てていた。彼らには、彼女自身の子どもも育ててもらった。
感謝をこめて、彼女は呟いた。
兄とその妻は、目を伏せた。
その隣の、二人の男を見る。元婚約者と、共謀者。この二人ともいろいろとあった。
昔のこととはいえ、だいぶ無茶をしたものだ。
身体を許したこともあったし、情がないわけではない。
彼女は笑った。彼らも、微笑み返した。
更に視線を変えて、アルミラを見た。
彼女は今も夫とは良好のようだ。三人の子どもはそれぞれの分野で活躍しているそうだ。そのうちの一人は、彼女の娘リーズリットと結婚している。
アルミラに声を駆けようとしたが、声は出なかった。それでも、アルミラは彼女の意を察してくれた。
次に見たのは、愛する義妹である。
長い年月がたっても、リースは彼女の妹。泣き縋る彼女を撫でて、隣に立つファイロ・ヴィンスを見る。
今も昔も、妹によって振り回されているらしい。
彼女に笑いかけると、リースはより強く泣いてしまい、彼女は困惑して苦笑する。
もうじき、目も見えなくなる。その前に、と、彼女は体を起こす。身体はもう限界であったが、あと少し、と彼女は力を込める。
そして、二人の男女を見る。この手に抱いて育てることのなかった、彼女の子どもたち、セデオンとリーズリット。
「ごめんなさい、あなたたちを、最期まで抱きしめることのできない私を」
そう言った彼女に、二人は近づいて、抱きしめた。細い体を、力強く。
離れていても、彼女は確かに彼らを愛していた。それを彼らも知っていた。
二人は離れると、背後の人物のためにその場を開けた。
背後の人物は、少し戸惑った後、歩を進め、彼女の前に出た。
「ヴェンティ」
彼女はそう声をかける。
異国で出会った少女。それ以後、共に過ごしてきた。娘のように、いつも共にいた。
ヴェンティは、彼女の一部であるかのように、いつも共にいた。
「ヴェンティ、あなたには、迷惑をかけたわね。私の、都合で、あなたの人生を、縛ってしまって」
「そんなことはない」
紅いフードで顔を隠した彼女はそう言う。フードで顔を隠しているのは、きっと、泣いているのが恥ずかしいから。長年一緒にいたからよくわかった。
彼女は笑って言った。
「ねえ、ヴェンティ、あなたは今、幸せ?」
「ええ」
「そう、よかった」
「ねえ、母さん。母さんは、幸せだった?」
「・・・・・・・・・・・」
彼女は、周囲の人々を見た。
「ええ、もちろんよ」
「・・・・・・・・・・・・・」
ヴェンティは、彼女を力強く、抱きしめた。
あれほど小さかった彼女も、もう大きくなっている。もう、彼女が引っ張る必要はない。
「もう、『復讐』は、いらないわね」
彼女は静かにそう言った。
「うん、母さん、もう、いいんだよ。母さんの『復讐』は、もう、終わったんだ」
「そう、か。よかった」
そして、彼女は安心したかのように息をついて、目を閉じた。
「ねえ、ヴェンティ」
「なに?」
「これからは、自分自身のために戦いなさい。そして、あなただけの幸せを、手にしなさい。これが、私の最期の教えよ」
「はい、母さん」
「さて、と。それじゃあ、そろそろ行くわ」
「ヴェル!」
「母さん!」
「あの人が、あの人たちが、待っているわ」
目を閉じた世界では、遠い昔に逝った人々が手を振り、彼女に微笑んでいる。
手を伸ばし、彼女は光の方向へと向かっていく。
「いつか、いつかみんなで、あの、光の向こうへ・・・・・・・・・・・・!」
手を伸ばした彼女は、最期にそう言い、その生命の活動を終えた。
薔薇色の髪の少女の手を、青年は掴む。閉じられた両目が開き、蒼い空のような両目が情熱的に彼女を見る。
そして、その手を引いて走り出す。
少女は見る。その先に、両親やその友人たちが、微笑んでいるのを。
目に見える風景は、彼女が望んだ幸せ。
誰にも支配されず、支配することもない。皆が幸せな世界。復讐も、憎しみも、何もかもない理想郷。
少女は草原で寝そべり、夢を見る。
永い、永い物語を。
the End of VELBET's VENGENCE




