第5話「前とは違う距離」
仕事中なのに、少しだけ落ち着かない。
そんな感覚が、昼過ぎから続いていた。
理由は分かっている。
(……今度、会う)
たったそれだけのこと。
でも――
今までとは違う。
店じゃない場所。
流れでも、偶然でもない。
自分で決めて、約束した時間。
「……」
ハンドルを握る手に、少しだけ力が入る。
信号待ち。
前の車をぼんやり見ながら、息を吐く。
(……こんな感覚、いつぶりやろな)
昔はあった気がする。
誰かに会う前の、少しだけ落ち着かない感じ。
でも、それはもう遠い記憶だった。
今は――
はっきり分かる。
少しだけ、楽しみにしている。
それを認めるのが、少しだけくすぐったい。
信号が青に変わる。
車が動き出す。
要も、ゆっくりアクセルを踏む。
仕事を終えて、夕方。
トラックを停める。
エンジンを切る。
静かになる。
いつもと同じ終わりのはずなのに、
どこか、違う。
「……」
スマホを見る。
時間。
約束は明日。
まだ先のはずなのに、意識がそっちに向いている。
(……気ぃ早いな)
小さく思う。
でも、止められない。
ポケットに戻す。
そのまま、しばらく動かない。
(……どんな感じになるんやろな)
想像してみる。
れいかと向かい合う。
店じゃない場所。
明るい時間か、夜か。
何を話すのか。
どんな距離になるのか。
「……」
うまく浮かばない。
でも――
一つだけ分かることがある。
前みたいに“流れ”ではない。
ちゃんと、自分で向き合う時間になる。
それだけで、少しだけ緊張する。
帰り道。
また、あの通りが近づく。
ネオンが見える。
いつもなら、ここで少しだけ意識が引っ張られる。
でも今日は違う。
(……)
一瞬、視線を向ける。
それだけ。
ハンドルは動かない。
そのまま通り過ぎる。
昨日よりも、さらに自然に。
「……」
胸の奥が、少しだけ軽い。
完全に消えたわけじゃない。
でも――
比重が変わっている。
(……前とは違うな)
小さく思う。
同じ場所を通っているのに、
感じ方が違う。
それが、自分の変化だと分かる。
家に帰る。
ドアを開ける。
部屋に入る。
静か。
でも――
昨日までの“重さ”が少し薄い。
靴を脱ぐ。
そのまま、奥へ進む。
服を脱いで、シャツ一枚になる。
空気が肌に触れる。
少しだけ、ひんやりする。
(……)
ふと、思い出す。
自販機の前。
缶を受け取ったとき。
指が触れた一瞬。
ほんの少しだけ、離れなかった時間。
「……」
その感覚が、やけに残っている。
触れている時間は、ほんの一瞬だったはずなのに。
(……意識しすぎやな)
自分で思う。
でも、否定はしない。
それだけ“違った”ということだ。
ソファに座る。
背もたれに身体を預ける。
目を閉じる。
浮かぶのは、れいかの横顔。
静かな目。
落ち着いた声。
でも――
あの一瞬だけ、距離が近かった。
(……)
胸の奥が、少しだけざわつく。
でも、嫌じゃない。
むしろ――
心地いい。
「……」
スマホを手に取る。
開く。
メッセージ画面。
れいかとのやり取り。
まだ少ない履歴。
それが、逆に新しい。
指が、少しだけ止まる。
何か送るか。
いや――
やめる。
(……明日でええ)
小さく決める。
今は、これでいい。
余計なことはしない。
その方が、ちゃんと向き合える気がする。
立ち上がる。
シャワーを浴びる。
水の音が、頭の中を流す。
少しだけ長めに浴びる。
身体を温める。
(……)
目を閉じると、また浮かぶ。
距離。
視線。
触れそうで触れない空気。
「……」
シャワーを止める。
静かになる。
タオルで身体を拭く。
動きが、少しだけゆっくりになる。
急ぐ必要がない。
その時間が、今は少しだけ心地いい。
夜。
ベッドに横になる。
部屋は暗い。
でも、落ち着いている。
(……明日か)
小さく思う。
逃げない。
流されない。
ちゃんと向き合う。
それだけ。
でも――
それが一番、難しくて、
一番、意味がある。
目を閉じる。
今日は、すぐに眠れそうだった。




