第71話――届かない者、届く者――
自習室の一角。
紙を擦る音と、かすかな詠唱の声だけが静かに響いている。
「……火を……矢に……えっと……あれ……?」
ウィンは机にかじりつきながら、必死にルーンを書き写していた。
額にうっすら汗を浮かべ、完全に周囲の音が入っていない。
その隣で、ホークスは椅子に浅く腰掛けたまま、指先で一つの指輪をくるくると回していた。
金属の表面が光を反射する。
さっき、投げつけられたものだ。
「……なあ、エルミナ」
何気ない調子で声をかける。
カウンターの向こうで本を読んでいたエルミナが、ゆっくりと顔を上げた。
「……はい?」
ホークスは指輪を軽く持ち上げる。
「これ」
「今日、決闘とかいうの挑まれてさ」
エルミナの視線が、指輪に向いた瞬間――
ほんのわずかに、表情が引き締まる。
「……それは」
少しだけ間を置いてから。
「“学園式の決闘”の指輪ですね」
「やっぱそういうやつか」
ホークスは気楽に返す。
エルミナは一拍、呼吸を整えてから問いかける。
「……ルールは、ご存知ですか?」
「いや、全く」
即答だった。
エルミナはわずかに目を伏せ、小さく息をつく。
「……そうですか」
そして本を閉じ、カウンターに置く。
「では、説明しますね」
声はいつも通り静かだが、どこか慎重さが混じっていた。
「まず――」
「お互いに、その指輪に魔力を込めます」
ホークスは指輪を指で弾く。
「ふむ」
「込めた魔力量に応じて」
「術者の周囲に“結界”が展開されます」
「その結界が――」
一瞬言葉を選ぶ。
「その人の“耐久力”になります」
「つまり体力か」
「……そう捉えていただいて問題ありません」
エルミナは頷く。
「そして」
「勝敗は単純です」
「魔法によって相手の結界を破壊した方が勝ち」
淡々とした説明。
だが、無駄が一切ない。
「制限時間はありません」
「戦闘範囲は事前に双方で決めます」
「へぇ……ちゃんと決闘っぽいな」
ホークスは軽く笑う。
だが次の瞬間。
エルミナの声が、わずかに低くなる。
「ただし――」
「物理攻撃は禁止です」
「……ほう?」
ホークスの眉がわずかに動く。
「拳や剣などの直接攻撃は無効」
「純粋に“魔法のみ”で戦う決闘です」
「なるほどな……」
ホークスは少し考え込むように顎に手を当てる。
「……じゃあ逆に魔道具は?」
「使用可能です」
「召喚獣も?」
「可能です」
即答だった。
ホークスは小さく笑う。
「随分都合いいな」
エルミナは視線を逸らさずに答える。
「……はい」
「だからこそ、この決闘は――」
少しだけ言葉を選び、静かに続ける。
「“財力”が大きく影響します」
「高価な魔道具を持っている者ほど有利」
「実際――」
一拍。
「多くの場合、勝つのは貴族です」
その言葉には、どこか諦めのような響きがあった。
ホークスは鼻で軽く笑う。
「なるほどな。金持ちルールってわけか」
エルミナは否定しなかった。
「ですが……例外もあります」
その言葉に、ホークスが少しだけ視線を上げる。
「歴代で最も勝率が高いのは――現学園長である境界の大賢者ヴァルディウス」
「ほう」
「そして、その次が」
ほんのわずかに、声に色が乗る。
「この学園きっての天才魔女――カトレア」
その名前が出た瞬間。
「……ほう?」
ホークスの動きが止まる。
指輪を弄っていた手も、ぴたりと止まった。
横ではウィンが――
「……火を……矢に……あれ!?なんで!?」
相変わらず格闘している。
聞こえていない。
ホークスはゆっくりと顔を上げる。
「……カトレア?」
エルミナの目が、わずかに細まる。
「……その様子だと。ご存知なのですか?」
ホークスは少しだけ考えてから、口の端を上げる。
「まあ…ちょっとな」
そして、何気ない調子で続ける。
「お前。カトレアと、どんな仲だ?」
エルミナは、ホークスの反応をじっと見つめていた。
(……やっぱり)
確信まではいかない。
だが――この男は“ただ名前を知っている”だけではない。
「……元同級生です」
静かに口を開く。
「カトレアとは」
ほんのわずか、視線を外す。
「昔は……学年で一位と二位を争っていました」
ウィンの「うぅ……」という唸り声が遠くで響く。
「ですが――」
エルミナは続ける。
「彼女は途中で学園を去りました」
「理由は詳しくは……知りません」
一瞬、間が空く。
「私はそのまま大学部まで残り、卒業後は教師に」
淡々とした語り。
だが、その奥にわずかな熱がある。
「そして――」
小さく息を吐く。
「カトレアが臨時教師として学園に来て、再会した時には」
「もう……」
言葉が、少しだけ詰まる。
「追いつけないほどの差が、ついていました」
静かな言葉だった。
だがそれは、はっきりとした“敗北の実感”だった。
ほんの一瞬。
自分でも気づかないほど、声が弱くなる。
「……私は、結局――」
その続きを言う前に。
「いや」
ホークスが、軽く遮った。
「それでもだろ」
エルミナが顔を上げる。
「お前の方が、教えるのは上手い」
「……え?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
「さっきの説明、分かりやすかった」
ホークスは肩の力を抜いたまま言う。
「無駄がないし、順序もいい。ちゃんと“分かる側”の目線で話してる」
ちら、とウィンの方を見る。
「……ああいうのには、ああいう教え方が必要だ」
「ちょっと待って!?聞こえてるからね!?」
ウィンが半泣きでツッコむ。
ホークスは気にせず続ける。
「少なくとも。ただ強いだけのやつよりは、ずっといい」
エルミナは言葉を失う。
「……でも、私は……」
視線が揺れる。
「結局、あの人みたいには――」
「別にいいだろ」
あっさりと返される。
「役割が違う」
それは、評価でも慰めでもない。
ただの事実のように。
エルミナは、少しだけ黙り込む。
その沈黙を、ホークスが軽く崩す。
「で」
指輪をくるりと回す。
「話戻すけど」
「勝ち方は、もう見えた」
「……え?」
エルミナが顔を上げる。
「誰と戦うんですか?」
ホークスは少し考えるように視線を上に向ける。
「確か……」
「ル……なんとか」
「ルヴェリオ、だったか」
その瞬間。
「――っ!?」
エルミナの表情が一変する。
「……すぐに謝ってください」
迷いのない即答だった。
「は?」
「相手が悪すぎます」
先ほどまでの静けさとは違う。
はっきりとした焦りが混じっている。
「ルヴェリオは、この学園でも“天才魔術師”と呼ばれています」
「貴族であることを抜きにしても――」
「実力は本物です」
ホークスは軽く首を傾げる。
「へぇ」
エルミナは続ける。
「若くしてランク4の魔法を使いこなし」
「魔道具も一流のものを揃えている」
「攻防ともに隙がない相手です」
真剣な声音だった。
だが――
「……あー」
ホークスは、軽く笑った。
「魔術師としては知らんが」
一瞬だけ目が細くなる。
「戦う者としては、半人前だったぞ」
「……え?」
エルミナが固まる。
「強い相手と、本気でやったことがない」
指で机を軽く叩く。
「間合いも、判断も、甘い」
「“勝てる戦い”しかしてない動きだ」
そして、少しだけ笑う。
「つまり……ただの甘ちゃんだな」
その言葉には、確信があった。
静かな自習室に、わずかな緊張が落ちる。
そしてその横で――
「……できた……!」
ウィンが、小さく声を上げた。
拙いながらも、ルーンが形になっている。
理解と戦い。
どちらも、確実に動き始めていた。
第71話―終




