第70話「折れたはずの才能が、誰かを導いた日」
昼を告げる鐘が鳴り響く。
ホークスは軽く肩を回しながら立ち上がった。
「……とりあえず飯だな」
「うん……頭、使いすぎてお腹すいた……」
ウィンはまだ少しふらつきながらも頷く。
二人は並んで食堂へ向かった――が。
食堂の入り口。
そこには見覚えのある集団が、堂々と道を塞ぐように立っていた。
「……またか」
ホークスは面倒くさそうに呟く。
ルヴェリオが一歩前に出る。
「逃げずに来たか。いい度胸だ」
「また決闘か?」
ホークスは欠伸でもしそうな顔で返す。
ルヴェリオはニヤリと笑った。
「決闘は決闘でも――“学園式”のな」
そう言って、何かを投げつける。
ホークスはそれを片手で受け取った。
小さな指輪だった。
「……なんだこれ」
「そのくらい、誰かに聞け。無知な庶民め」
吐き捨てるように言いながら、ルヴェリオは背を向ける。
「明日の昼、中央広場だ。逃げるなよ」
取り巻き達と共に去っていく。
少しの沈黙。
ウィンがぽつりと呟いた。
「……あの人たち、ご飯食べたのかな?」
「知らん」
「ずっと待ってたっぽいし……お腹空いてイライラしてるのかも……」
「どうでもいい」
ホークスは即答した。
「それより飯だ。食ったら復習するぞ」
「……はーい」
二人は食堂に入り、さっさと食事を済ませる。
ウィンは途中から元気を取り戻し、スープを飲みながら「おいしい……」と幸せそうにしていた。
食後。
二人は掲示板の前に立つ。
「……自習室、あるな」
「ほんとだ……静かなとこで復習できる……」
ウィンの目が少しだけ輝いた。
「行くか」
自習室の扉を開ける。
――静寂を想像していた。
だが。
「それでねー、昨日のドレスが〜」
「やだそれ古いって〜」
普通に騒がしかった。
高等部らしき女子生徒の集団が、完全に一角を占拠している。
机の上にはお菓子と飲み物。
ここは談話室ではない。
ホークスは一瞬だけ無言になる。
(……場所、間違えたか?)
だが入口にはしっかり“自習室”と書いてある。
「ちょっと」
一人の取り巻き風の少女が立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。
「ここ、誰の部屋だと思ってるの?」
「自習室だろ」
「違うわよ」
少女は鼻で笑った。
「ここは炎魔将派閥、侯爵家――《ヴァルディエール》様の場所なの」
後ろで、優雅に座る少女が顎を引く。
いかにも“中心人物”だった。
「……へぇ」
ホークスは少し考えてから、ぽつりと言う。
「グレンのとこの手下って、そんなに偉いのか?」
一瞬。
空気が止まる。
「……は?」
取り巻きが固まる。
数秒遅れて理解が追いついた。
「ちょっと、今――なんて言ったの?」
「いや、だから炎魔将のグレンの――」
「呼び捨てにしたわよね!?」
一気に騒ぎが広がる。
後ろの令嬢も立ち上がり、取り巻き達が集まってくる。
「無礼にもほどがあるわ!」
「身分をわきまえなさい!」
口々に怒声が飛ぶ。
ホークスはため息をついた。
「……面倒くさいな」
そして、胸元のバッジを指で軽く叩く。
「これ、見えてるか?」
視線が一斉に集まる。
「誰の客人かも分からない相手に、その態度でいいのか?」
声のトーンが、ほんの少しだけ下がる。
「場合によっては――家に迷惑、かかるんじゃないか?」
空気が変わる。
令嬢の表情がわずかに歪む。
取り巻き達も顔を見合わせる。
(……まずい)
その空気だけは理解できた。
「……行くわよ」
令嬢が静かに言う。
誰も反論しない。
そのまま、集団は足早に部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静寂が戻る。
ウィンがぽつりと呟いた。
「……貴族の子って、あんなのばっかりなのかな?」
ホークスは肩をすくめる。
「たまに芯のある奴もいるが……まあ、大体あんなもんだ」
「そっか……」
ウィンは少し考えてから――
「……なんか、ちょっと疲れた……」
「分かる」
ホークスは椅子に座り、ノートを開く。
「ほら、復習するぞ」
「……うん……」
ウィンも隣に座る。
少しだけ真剣な顔になる。
静かな自習室。
今度こそ、本来の使い方が始まった。
自習室に静けさが戻ってから、しばらく。
ホークスはノートを広げ、ペン先で軽く机を叩いた。
「……よし、さっきの続きだ」
「う、うん……」
ウィンはやや緊張した様子で姿勢を正す。
「魔法陣に詠唱を書き込むってのは――」
ホークスはノートに簡単な円とルーンを書きながら説明する。
「要は“口で唱える代わりに文字で固定する”ってことだ」
「うん……」
「だからこの部分に――ファイアアローの詠唱をそのまま――」
「……うん……」
数分後。
「……ごめん、全然わかんない」
ウィンは正直に白状した。
ノートには一応文字が並んでいるが、完全に理解は追いついていない。
ホークスは少しだけ視線を落とす。
「……俺も、魔法は得意分野じゃないからな」
ぽつりと漏れる。
「教えるのは……あんまり向いてないのかもな」
「そんなことないよ!」
ウィンはすぐに顔を上げた。
「私の覚えが悪いだけだよ。ホークスの説明はちゃんとしてるし……」
少し申し訳なさそうに笑う。
その時だった。
「――そんな事ないですよ」
静かな声。
すぐ近くからだった。
ホークスの目がわずかに鋭くなる。
(……気配、なかったぞ)
ウィンもビクッと肩を震わせる。
二人の視線が、ゆっくりと声のした方へ向く。
自習室の奥。
受付らしきカウンター。
その“下”から――
ひょこっ、と。
暗い雰囲気の女性が顔を出した。
「オバケ!?」
ウィンが思わず声を上げる。
「まだ昼だぞ」
ホークスが即座にツッコミを入れる。
「……失礼な子ですね」
女性は少しだけむっとした顔をした後、小さく頭を下げた。
「私は――エルミナ。ここの受付を任されています」
どこか陰のある声。
だが、言葉は落ち着いている。
「あなたの説明、間違ってはいません」
エルミナはホークスのノートに目を落とす。
「ただ……少し難しく考えすぎているだけです」
ウィンの方を見て、やわらかく言う。
「あなた、詠唱でファイアアローは撃てますよね?」
「は、はい……なんとか……」
「なら簡単です」
エルミナは指でルーンをなぞる。
「その“詠唱の言葉”を、そのままここに書くだけです」
「……え?」
「口で唱えている内容を、文字にするだけ」
「……あ」
ウィンの目が少し開く。
「書きながら、頭の中で詠唱してみてください」
「……あ、なるほど……」
ウィンはノートに向かう。
ゆっくりと、慎重に。
「このよくわかんない文字って……」
少し首を傾げながら。
「ファイアアローの詠唱と同じ意味なんですか?」
「ええ、そんな感じですよ」
エルミナは小さく微笑んだ。
ウィンは何度か頷きながら、文字を書き始める。
さっきよりも、少しだけ迷いが減っていた。
「最初は暗記でいいんです」
エルミナは静かに続ける。
「撃てるようになってから、意味を覚えていけばいい」
「……はい!」
ウィンの表情が、少し明るくなる。
ホークスはその様子を見てから、エルミナに視線を向けた。
「……教えるの、うまいな」
エルミナは一瞬だけ視線を逸らす。
「……昔は、教壇に立っていましたから」
少しの間。
静かな間が流れる。
「でも……平民出という理由で、あまり良く思われなくて」
淡々とした口調だったが、わずかに寂しさが混じる。
「今は、ここで受付をしています」
ホークスは短く息を吐く。
「……有能でも、気に入らなきゃ潰すか追い出すか」
視線を机に落としたまま言う。
「分かりやすいな、貴族のやり方は」
エルミナは何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ苦笑した。
一方、ウィンは――
「できた……かも……!」
小さく呟く。
まだ拙い魔法陣。
だが――
“意味を理解し始めた形”だった。
第70話―終




