第69話――午前の授業――
朝。
差し込む光の中、ホークスはベッドの脇に置かれていた制服を手に取る。
「……制服、か」
袖を通しながら、わずかに眉をひそめる。
今更学生の格好をすることに、少しだけ居心地の悪さを感じていた。
「似合わねぇな……」
ぼそりと呟いた、その時。
コンコン、と軽いノック。
「ホークス、入るね!」
扉が開き、ウィンが顔を出す。
学園の制服に身を包んだその姿は、年相応で、どこか少し大人びて見えた。
くるりと一回転して見せる。
「どう!?似合ってる?」
目を輝かせている。
ホークスは一瞬だけ見て、ふっと口元を緩めた。
「ああ、似合ってるよ」
その一言で、ウィンの頬が少しだけ赤くなる。
「えへへ……」
照れ隠しに軽く笑う。
「時間もあるし、先に飯でも行くか」
「うん!」
二人は並んで部屋を出た。
食堂の前。
昨日と同じ場所。
そして、昨日と同じように──
いや、それ以上に露骨に。
ルヴェリオと取り巻きたちが待ち構えていた。
「……来たか」
ホークスはため息を一つ。
「これから朝飯だ。後にしろ」
淡々と言う。
だがルヴェリオは引かない。
むしろ一歩前に出る。
「貴様に決闘を申し込む」
周囲の空気が一気に張り詰める。
ホークスは数秒だけ黙る。
「……ああ、そうか」
そして。
一歩、踏み込む。
──次の瞬間。
ドンッ。
「ぐはぁ」
拳がめり込む。
ルヴェリオの体が吹き飛び、床を滑る。
取り巻きたちが慌てて駆け寄る。
「ルヴェリオ様!?」
ホークスは軽く手を振る。
「これでいいか?」
何事もなかったかのように言い、ウィンの方を見る。
「行くぞ」
「う、うん……」
ウィンは少し驚きつつもついていく。
食堂。
さっきまでの騒ぎが嘘のように、静かに朝食が始まる。
パンをちぎりながら、ウィンが不安そうに口を開く。
「さっきの……大丈夫かな?」
「最悪、学園追い出されるだけだろ」
さらっと言う。
「えっ!?追い出されちゃうの!?」
思わず声が大きくなる。
周囲が少しこちらを見る。
ホークスは気にせずスープを口に運ぶ。
「その時はその時だ」
「軽すぎない!?」
ウィンが思わずツッコむ。
その頃。
食堂の外。
ルヴェリオがゆっくりと目を開ける。
「……っ」
意識が戻ると同時に、顔が歪む。
「ルヴェリオ様!」
取り巻きが口々に声をかける。
「これは明らかに学園規則違反です!」
「暴力行為で追放させましょう!」
だがルヴェリオは、歯を食いしばりながら起き上がる。
「……違う」
低い声。
「このまま追い出してどうする」
目に宿るのは怒りと、歪んだ誇り。
「大勢の前で恥をかかせて……」
「叩き潰してからでなければ、意味がない」
拳を握る。
「……決闘だ」
時間になり、ホークスとウィンは初等部の教室へ向かう。
扉を開けると、そこには──
小さな子供たち。
そして、年の離れた者たち。
年齢も雰囲気もバラバラな、不思議な空間。
「……すごいね」
ウィンが小声で呟く。
「だな」
二人は空いている席に座る。
しばらくして、扉が開く。
入ってきたのは、20代ほどの女性教師。
落ち着いた雰囲気の中に、どこか厳しさを感じさせる。
「静かに」
教室がすぐに静まる。
教師は二人を見る。
「体験入学の二人ね。前へ」
ホークスとウィンは教壇へ出る。
「自己紹介を」
短く促される。
ホークスは一歩前に出る。
「ホークスだ。貴族ではないから家名はない」
教室がわずかにざわつく。
「独学の魔法に限界を感じて来た。二週間、よろしく頼む」
必要最低限だけ言って下がる。
次にウィン。
少し緊張しながらも、しっかり顔を上げる。
「ウィンです!えっと……まだあまり強くないですけど、頑張ります!」
ぺこりと頭を下げる。
教室の空気が少しだけ柔らぐ。
「席に戻って」
二人は席に着く。
教師は黒板に手をかざす。
魔力が走る。
薄く光る魔法陣が浮かび上がる。
「今日の授業は――」
「魔法陣の構築基礎のおさらいをします」
授業が始まる。
女性教師は静かに手をかざし、空中に魔法陣を展開する。
淡い光を帯びた魔法陣の土台となる円陣。
その中に整然と刻まれたスペルのルーン。
「これが、基礎的なスペルの文字を使った魔法陣の構築です」
指先で一部を書き加えると、陣の色が変わる。
「術式を安定させるためには、構造の理解が不可欠です」
ホークスは腕を組みながらそれを見る。
(……なるほどな)
頭の中で、自分のやり方と照らし合わせる。
授業で教えられている魔法陣は――
“呪文の文字で魔法を完成させて撃つための魔法陣”
対して、自分の魔法陣は――
“魔法の手数を増やすためや波状攻撃の為に複数設置して任意に発動させる戦術的な使い方”
(こっちは早さや手数重視……あっちは一つの魔法陣で一発の完成品を作る感じか)
ホークスの魔法陣は荒い。
スペルを最低限で構築し、
その分、展開速度と手数を優先している。
魔力消費は激しいが――
早く多く同時展開できる
(遠距離戦の撃ち合いなら……)
(部下にはこっちのやり方教えた方が効率はいいかもな?)
そんなことを考えながら、授業を聞き続ける。
その隣。
ウィンは――
「……うぅ……」
完全に処理落ちしていた。
難解な理論に頭が追いつかず、
目がぐるぐるしている。
(な、なんかいっぱい書いてある……)
(どこから覚えればいいの……)
頭から湯気が出そうな勢いで考えている。
その様子に気付いた教師が、ふと声をかける。
「そこの二人」
教室の視線が集まる。
「あなた達、魔法陣は使える?」
ホークスは即答する。
「独学だが、一応は」
ウィンは一拍遅れて。
「つ、使えません……」
ぐるぐるしたまま答える。
教師は興味深そうにホークスを見る。
「独学……?」
少し考えた後、微笑む。
「よければ見せてもらえるかしら?」
「他の生徒の参考にもなるわ」
ホークスは軽く頷く。
「かまわないぞ」
立ち上がり、教壇へ。
教室の空気が少しだけ張り詰める。
ホークスは手をかざす。
魔力が流れる。
次の瞬間――
空中に魔法陣が浮かび上がる。
だが、それは先ほどのものとは明らかに違った。
粗い。
簡略化されすぎている。
スペルは最低限。
構造も荒い。
(なんだこれ……)
(簡略化しすぎだろ……)
(でもやけに早く展開したな)
生徒たちがざわつく。
だが。
ホークスはそのまま詠唱を叩き込む。
一瞬。
ほんの一瞬で。
「――ファイアボール」
発動。
ドンッ!!
マジックドールに直撃。
爆ぜる炎。
衝撃。
空気が揺れる。
教室が静まり返る。
女性教師は目を見開いていた。
(速い……)
(それに……この出力……?)
魔法陣は明らかに不安定。
理論的には効率が悪い。
だが――
発動速度が異常
出力が高い
(こんな荒い構築で……なぜこの威力……)
(……複数設置する為の魔法陣……?)
理解はできる。
だが――
理解できても、再現できる類ではない。
ざわざわ、と教室が騒ぎ出す。
ホークスは肩をすくめる。
「悪いな。少し品のない、荒い魔法陣だ」
教師は我に返る。
「……いえ、貴重なものを見せてもらったわ」
「ありがとう」
「席に戻って」
ホークスは何事もなかったように席へ戻る。
再び授業が続く。
やがて。
授業は終わり。休み時間になる。
ホークスが横を見る。
ウィンは机に突っ伏していた。
「……」
ぴくりとも動かない。
「大丈夫か?」
軽く声をかける。
ウィンは顔を上げる。
目が回っている。
「だ、大丈夫……」
「ちょっと……頭がいっぱいで……」
また机に突っ伏す。
ホークスは少しだけ苦笑する。
「無理するな」
ホークスは、隣を歩くウィンの様子を横目で見ながら次の教室へと向かっていた。
――さっきの授業、完全にオーバーヒートしてるな。
ウィンはというと、目が少し泳ぎ、ふわふわとした足取りで歩いている。頭からは今にも湯気が出そうだった。
「……ウィン、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……たぶん……」
まったく大丈夫そうではない返事だった。
ホークスは苦笑しながら、少しだけ歩調を落とす。
「さっきの、簡単に言うとな」
ウィンがゆっくりと顔を向ける。
「魔法陣の土台に、ファイアアローの詠唱を“文字として書き込んで”、その形を整えてから発動させる……って仕組みだ」
「…………」
一瞬の沈黙。
ウィンの目が、すっと遠くを見た。
「……ダメ、また破裂する」
「早いな」
ホークスは思わず吹き出しそうになるのを堪える。
「とりあえず全部理解しようとしなくていい。授業内容はノートに書いておけ。あとで一緒に整理すればいい」
「……うん……がんばる……」
ウィンは半分魂が抜けたような顔で頷いた。
やがて二人は次の教室へと到着する。
中に入り席に着くと、少ししてから
細身で神経質そうな中年の男性教師が入ってきた。
背筋は伸び、目つきは鋭い。どこか“選別する側”の空気を纏っている。
「本日は――メイジ式魔法陣、その基礎理論について講義する」
低く通る声。
教師は教室を見渡し――ふと、ホークスとウィンの胸元に目を止めた。
(……特別バッジ。学園長の客人か)
一瞬だけ思案する。
(……余計なことはせんでおくか)
そう判断すると、教師はそのまま淡々と授業を始めた。
「魔法陣において最も重要なのは“文字”、すなわちルーンだ」
黒板に描かれる複雑な古代文字。
「この一つ一つに意味がある。例えば――」
教師は一つのルーンを指し示す。
「これは“射程”を意味するレンジ。これに“加速”のブーストを組み合わせることで――」
複数の文字が連結される。
「飛翔速度と到達距離を同時に強化できる」
さらに続けて――
「重要なのは“配分”だ。同じ文字でも、魔力の込め方一つで効力が変わる」
教室の空気が引き締まる。
「例えば威力を上げたいならフォースに多く魔力を割く。だがそうすれば他の性能は落ちる。――すべては調整だ」
(なるほどな……)
ホークスは内心で納得する。
(一つの魔法陣に複数の文字を書き込むこともできるわけだ)
(俺は文字の形だけ覚えて、魔力で無理矢理文字の形を作ってねじ伏せてるだけだ)
(しかも一つの魔法陣に一つの文字しか書き込めていない)
(あの教師の理論だと一つの魔法陣に複数の効果を付与できるわけだ)
(俺が使うには魔法陣を書き込むのに時間がかかるからあまり使えないかもな?)
自分の魔法陣を思い出す。
荒い。雑だ。
だが――速い。
(こっちは“安定させるための魔法陣”か)
ホークスはノートに、ルーンの単語を丁寧に書き込んでいく。
特に――
フォース(威力)
レンジ(射程)
ブースト(加速)
この辺りは入念に。
(アルクとの一騎討ちで使ったフォースの魔法陣もちゃんと覚えていればもう少し効率よく戦えたかもな?)
(これ、組み方覚えれば部隊に教えられるな)
すでに実戦運用まで視野に入れていた。
一方、ウィンは――
「……う、うぅ……」
完全に限界だった。
それでも手だけは動かしている。
ノートには――
線。丸。謎の記号。
そしてなぜかウサギの絵。
(なんだこれ?)
ホークスは一瞬だけ横目で見て、そっと視線を戻した。
「……以上だ。本日の基礎はここまで」
授業が終わる。
教室にざわめきが戻る。
ホークスは軽く肩を回しながら小さく呟いた。
「……いい授業だったな」
純粋に満足していた。
理論としてはかなり有益だ。
「ウィン?」
隣を見ると――
机に突っ伏していた。
頭からは本当に湯気が出ていそうな勢いだ。
「……だいじょうぶ……まだ……生きてる……」
「それは良かった」
全然良くなさそうだった。
「……むり……文字が多い……」
「全部覚えなくていい。後で整理する」
「……うん……」
そう言いながら、ウィンはゆっくりと顔を上げる。
目が完全に死んでいた。
だが――
そのノートだけは、しっかりと握られていた。
第69話―ウィン終




