第66話――彼は全てを失った――
朝。
まだ空気に夜の冷たさが残る時間。
ホークスは迷いなく、とある家の前に立っていた。
軽く息を吐き——ノックする。
コン、コン。
しばらくして、扉が開く。
出てきたのはボイドだった。
「……なんだ、お前か?」
声に覇気がない。
目もどこか死んでいる。
明らかに元気がない。
ホークスは一瞬だけ観察してから、少し笑いながらと白々しく言う。
「随分しおらしいな、酒でも抜かれてんのか?」
ボイドはピクリと眉を動かす。
「……誰のせいだと思ってる」
低い声だったが、力はない。
ホークスは気にせず肩をすくめる。
「で、まだ300万ルクスのことで文句か?」
ボイドが続けて言う。
ホークスは即答した。
「その話はまた追々だ.まだ諦めたわけじゃないからな?」
ボイドの目がわずかに細くなる。
「……お前も随分ケチ臭いな」
ほんの一瞬だけ空気が張る。
だがホークスはすぐに話題を変えた。
「ウィンはいるか?」
その一言で、空気が変わる。
ボイドの視線が鋭くなる。
「……こんな朝早くに孫を訪ねて、何をするつもりだ?」
わずかに睨む。
ホークスは懐から2枚の紙を取り出した。
「これだ」
カトレアの署名入りの紹介状。
「ウィンと魔術学園に行く」
「2週間の体験入学だ」
ボイドの視線が紙からホークスへ戻る。
「……どういうことだ?」
声が低くなる。
ホークスは簡潔に説明する。
「部隊の訓練で魔法の基礎を学ぶ必要が出た」
「カトレアが“ウィンも連れていけ”って言っててな」
ボイドの眉間に皺が寄る。
そして——
「……許さん」
静かな声。
だが、明確な拒絶だった。
「ウィンと数日外泊など、認めるわけがない!」
あくまで“ウィンに聞こえないように”抑えた声音。
だが圧は十分。
ホークスは一歩前に出る。
「ジジイの許可はいらない、ウィン本人に聞く」
そのまま家に入ろうとする。
ボイドが即座に立ち塞がる。
「入れると思うな」
「邪魔だ」
「帰れ」
押し問答。
玄関先で二人の男が無言でぶつかる。
その時——
「……なにしてるの?」
眠たそうな声。
二人の動きが止まる。
廊下の奥から、ウィンが顔を出していた。
まだ寝ぼけている。
状況を理解しきれていない顔で近づいてくる。
そして——
ホークスに気づく。
「……あ」
一瞬で目が覚める。
「ちょ、ちょっと待って!」
自分の姿を見る。
寝間着。
顔が赤くなる。
「着替えてくるから!」
「中で待ってて!」
そう言い残して、慌てて部屋へ戻っていく。
沈黙。
ホークスがゆっくりボイドを見る。
少しだけ口元が上がる。
「……中で待ってて、だそうだ?」
勝ち誇った顔。
ボイドの顔がわずかに歪む。
数秒。
ため息。
「……入れ」
悔しそうに道を開ける。
リビング。
二人は無言で座っていた。
ボイドは落ち着かない。
ホークスは平然としている。
しばらくして——
「お待たせ!」
明るい声。
ウィンが戻ってくる。
きちんと身支度を整えている。
少しだけ嬉しそうな表情。
そのままホークスの前に座る。
「こんな朝早くにどうしたの?」
声が弾んでいる。
ボイドは内心で冷や汗をかいている。
ホークスは紹介状を差し出した。
「これ」
ウィンが受け取る。
目を通す。
一瞬、理解が追いつかない顔。
そして——
「……え?」
次の瞬間、表情がぱっと明るくなる。
「すごい……!これ行きたい!」
即答だった。
ボイドの肩がビクッと揺れる。
「ウィン」
優しい声。
必死に抑えた声音。
「その体験入学に行くと数日、家を空けることになる」
「外泊は怖くないかい?」
ウィンは迷いなく首を振る。
「クエストで遠くの村とかでお泊りしたことあるから大丈夫!」
「それに魔法、もっと使えるようになりたいし!」
一瞬、ホークスを見る。
「ホークスとお出かけできるのも楽しみ」
言った後、自分で気づく。
顔が赤くなる。
「……あ」
視線を逸らす。
ホークスは少しだけ柔らかく笑う。
「じゃあ決まりだな、明日の朝、迎えに来る」
「今日中に準備しておけよ」
ウィンは勢いよく頷く。
「うん!」
そのまま立ち上がる。
「買い物行ってくる!お泊りの準備しないと!」
元気よく家を飛び出していく。
バタン。
扉が閉まる。
静寂。
ボイドがその場で固まる。
完全に抜け殻。
目に光がない。
ホークスはそれを見て——
軽く笑う。
「じゃあな」
立ち上がる。
玄関へ向かう。
扉を開けながら振り返る。
「ザマァ見ろ、クソジジィ」
そのまま出ていく。
その日。
一人の男は、すべてを失った。
愛する孫は、明日旅立つ。
止める術もなく。
引き止める言葉も届かず。
ただ、静かに——連れ去られていった。
かつて戦場を駆け、数多の修羅場を生き抜いた男は、
今、ただ一つの現実に打ちのめされる。
酒は禁止され。
孫もいない。
残されたのは、静まり返った家と、
ぽっかりと空いた心だけ。
それはまるで——
世界から取り残されたかのようだった。
ボイドは、ソファに沈み込んだ。
「……ウィン……」
その呟きは、
誰にも届くことはなかった。
第66話―終




