57話 欲の先にないもの
じわり、大樹のほうから迎えに来てくれる感覚がした。
ふわり、風に乗るように大樹の中ぐらいの位置まで持ち上げられて、恐怖を感じる暇もないまま包みこまれた。
懐かしい香り。
この香りを私は知っている。
いくつかの人生で、私はこの木と共にいた。
世界樹
全ての世界を繋ぐ樹。そういう概念。いつの間にか私の脳に知識として刷り込まれたもの。本当は樹じゃない、きっと。
何千何万、そんな単位で数えられる数ではない全ての意識がここにある。
懐かしさに心が震えて涙がこぼれ落ちた。
この樹と、オルビス。
オルビスはこの樹とともにある意識だった。
純粋な意識。
良いも悪いもない。
それに名前をつけてしまったのが私。
愛しい存在だからと名前をつけて縛り付けてしまった。
ただの光を「神様」という名前で縛り付けるように。
たくさんの世界が頭に流れ込んでくる。
多くの世界で人間が人間のフィルターを通して
神だの妖精だの悪魔だのと存在をジャッジしている。
ある時代では龍神さまの祟りだと人を柱に水に沈め、
ある時代では龍神さまがついているから我が国(家)は繁栄が約束されていると驕り、
ある世界では、龍神さまは金運の神らしい。
気持ち悪い。
人間の欲というフィルターを通して作り上げてしまった存在の歪さに、吐き気が込み上げてくる。
何より気持ちが悪いのが、私も同じことをやってしまったということ。
そこから目をそらし、オルビスと呼ぶのをやめてしまった。
ただただ私を愛してくれた存在を否定し続けた。
涙が勝手に溢れるけれど、自己憐憫になんて浸るものか。
この世の真理など必要ない。
あるのは「私」
今度こそ間違えない。
私は私を愛してくれる存在を希う。
「オルビス、おいで」
涙を流してしゃくりあげながら小さい声で呼ぶ私は、なんてちっぽけで頼りないのだろう。
それでも、私は私を愛してくれるあなたを大切にする。
そのためなら特別になったっていい。
「オルビス、おいで」
楽しかった記憶も、辛かった記憶も、これから一緒に更新していこう。
「オルビス、きて」
涙で霞んだ視界に、何か暗い影が映った。
「ちょ、ここどこ」
□ □
‐side 平和?‐
「やべ、なんかすごい焦るんたけど」
「ふぉっふぉっ」
「爺、笑いごとじゃない!」
「恋とは素晴らしいの」
「は、恋?」
「ラブじゃ」
「え、は?」
▲ ▲
ああ、憎しみが消えてしまう。許すものかという思いで、自分がどんなに呪うだけの醜い存在になったとしても、この思いだけは消さないと固く決めてきたけれど、
私の意思だけで、彼らをズタズタにし続けることがもうできない。
諦めて、消えることができるだろうか。
最初はただ幸せになりたかっただけだったのに。
▲ ▲
□ □
‐side 環‐
「・・・」
この人はオルビスなんだろうか。
すっごく深い決意をして、おそらくなんらかの意識を使って呼び出したら、知らない人が現れた。
なんて声をかけたらいい?
オルビス?って尋ねて、は?違うけどって言われたら恥ずかしくて悶える。
あのイケメンの姿で現れるかと思ってた。
だってだって!ドラマとかならそんな感じじゃないの?
超高速で思考が駆け巡るけど、私は固まったまま現れた日本人らしき人を凝視している。
・・訊いちゃう?あなたはオルビスなのかって。
いやいやいや、痛いよね。怖いよね。そんな唐突に。
さっきまでの壮大な決意からのギャップの深さに這い上がってこようとして、自分で作った落とし穴でもがく滑稽な自分が映像で浮かんできて、ちょっと笑った。引きつり笑いだけど。
「どちらさま?」
「えっと・・」
「・・・」
しょうがない、尋ねるのは諦めて
「環と申します」そう答えた。
「うわっ!」
その人が急に叫んだ瞬間。
青が溢れ出してきた。
□ □
‐side 平和だけど焦燥‐
「どうしようどうしようどうしよう」
「なんじゃ」
「わかんないけど、なんかすごく焦るしどっか行かなきゃいけない気がする!」
「池に飛び込んでみるかの?」
「池・・・いや、ここもうなんにも繋がってない」
「じゃな」
「じゃあどこ!?」
「ふぉっふぉっ・・若いって素晴らしいの」
「おそらく、もう一箇所のほうではないかと」
「橘さん!ありがとう!俺行ってくる!」
じっとしていられなくて走り出してから、
「もう一箇所ってどこ?」どこに向かえばいいのかわからないと気がついた。
□ □
‐side 環‐
溢れ出した青はものすごい質量で大樹の側に集まり始める。
これはきっとオルビスだ。
集まる様子をただ見守る。
それをひょこひょこと黒いものが私の側にやってきて、一緒に見つめていた。
□ □
‐side ひなた‐
「ここです」橘さんがすでにマップアプリを開いていて、ナビが出る。
歩いて15分と出ているので、車に乗ったほうが早いかと思ったけど、体が止まらない。
「これ貸して」そう言って、ナビを見ながら走り出す。
「走るのか。眩しいの。キラキラの青春じゃな」
「ええ、まさに」
そんな会話が少しだけ耳に届いたけど、爺たちを置いてとっとと走る。
青春ってなんだ。
□ □
‐side 環‐
集まった青は大樹を一周するかのように舞い上がってから、なぜか動かなくなった。
「オルビス、どうしたの?」
「オルビス?」
「ええ、あの子の名前」
「オルビス・・・」
腕を組んで何かを真剣に考えている様子が目に入るけれど、それどころじゃない。
オルビスはどうして動かないのだろう。
□ □
‐side ひなた‐
ひっさしぶ・・ハッハァッハッ
やべ、声に出してないのに脳内の言葉まで息切れしてきた。
こんなに走ったの、高校生以来だろ。
心臓がやばいスピードで動いてる。
めちゃくちゃ苦しいのに、なんか生きてるって実感がすごいな。
どこの何に向かっているのかわからないけど、じっとして焦るよりはマシだ。信号待ちで上体を倒して息を整えながら画面を見る。
ナビで記された場所は大きな公園。こっちにも池がある。
もう池にでもなんでも飛び込んでやるよ。
なんせ青春ってやつだもんな。
□ □
‐side 玲央‐
「このでかい木はなに?」
今更どこに飛ばされようと不思議じゃない。でもこの木はデカすぎる。
俺から染み出てきた青は全て出ていったのか体が軽い。
「えー・・っと・・世界樹的な?」
あー、異世界あるあるのね。
「つまり、この樹はここにあるけど、次元が違う?」
「うーん・・・」わからないか。というか、この子誰。
頭の中がぐらりと揺れるほど懐かしい何かが溢れてくる。
やっと見つけたようなそうでもないような。
この感じはどこか心地よくてどこか苦しい。
そんなことを思いながらただ世界樹とやらを見上げた。




