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藤堂の意図

 目が覚めたとき、弥生の顔が目に飛び込んで来た。と思ったが、よくよく見れば藤堂医師だった。

 消毒液の匂いが鼻をさす。病室に寝かされているのだと気づいた。弥生の個室だった。

「よかった。目が覚めましたね。麻酔が効いているのでしばらくはぼうっとしますよ」

 見回したが、弥生と間宮はいなかった。別室にいるのだろうか。

「あの……」

 藤堂は目を合わせてくれない。二人がどうなったのか、尋ねがたい雰囲気だった。

「お邪魔します」

 そこへ、扉を開けて入ってきたのは、目付きの鋭い二人の男。所属と名を名乗った。刑事だ。

「綾川雄二さん、ご気分はどうですか。話はできそうですかね」

 すべてが明らかになったのだと悟った俺は、ほっと息を吐いた。これでいいんだと言い聞かせる。こめかみがずきずきと痛んだ。手をやるとぶ厚いガーゼに触れた。藤堂医師が麻酔と言っていたのは傷の縫合手術のためだろう。だいぶ世話になったようだ。さいわいなことに、昨日まではおぼろげだった記憶が今や最近の出来事のように鮮明だ。どんな細かいことを問われても答えられるだろう。

「ええと、何から話せば……」

 何気なく、刑事の背後に控えていた藤堂医師に視線を流す。すると彼女は俺をじっと見据えて、人差し指をそっと唇にあてた。

「間宮さんが亡くなったときの状況をお伺いします」

 年若いほうの刑事が問う。

「え……間宮? 間宮……が死んだ?」

「残念ですが、間宮岳さんと仙波弥生さんは助かりませんでした」

 呆然とした。信じられなかった。あのとき、間宮の後ろからナイフを振り上げた弥生は見ている。だから何があったのか、想像はできる。できるが、想像できるからといって受け止められるわけではない。

「すみません、何も覚えていなくて」

「なぜ綾川さんは気を失っておられたんでしょう」

「……三人で草原に行ったところまでは覚えているんですが……そのあとはあまり……」

 刑事は藤堂に伺うように顔を向けた。

「頭部を強打したせいでしょう。あるいはショックによる一時的な記憶喪失かもしれません。本当に目撃していない可能性も……」

 ある程度予想していたのだろう、刑事たちはまた来ると言って部屋を出て行った。

 去り際に「ちょっと厄介ですね」「いやあ、状況から見て医者の先生の推測どおりだろう」などという会話がかすかに聞こえてきた。

 藤堂を見ると、笑みを浮かべていた。

 藤堂が語った『推測』というのはこうだった。

 認知症になった仙波弥生は記憶が溶けてしまう前に学生時代の恋人に会いたいと娘に懇願した。病院で再会して昔を懐かしみ、三人で散歩に出掛けた。林檎の入ったバスケットを下げて、ちょっとしたピクニックのようで微笑ましかった。しばらくして犬のポンコが脱走して森に入っていった。ポンコを探していたら、偶然、惨状を目にした。綾川は頭部から大量の血を流して死んだように横たわっていた。間宮と仙波は折り重なるようにして死んでいた。まず仙波が間宮を複数回刺し、間宮は仙波の首を絞めたのだとわかった。止めようとした綾川はまっ先に突き飛ばされて岩に頭をぶつけたのだろう。過去と現在の区別がつかない仙波が勝手に痴話げんかを始めて間宮を刺したのだろう。思いもしなかった。うかつだった。 

 それが藤堂が警察に話したことだった。

 現場に転がっていたというバスケットと林檎は藤堂の仕込みだろう。果物ナイフは弥生のものとされた。指紋などは処理済みだろう。綾川と間宮の持っていた手紙はすり替えたそうだ。

 弥生と間宮の遺体は検死に回っている。友人をいっぺんに二人も失ったと聞いたのに、俺はほっとしていた。

「俺たちが殺し合うことを望んでいたんだね。なぜ?」

「消滅してほしかっただけです、記憶とともに」

「そんな……。医者のくせにそんな酷いことをよく言えるな」

「母親が人殺しだなんて、嫌じゃないですか」

「あんた、弥生の娘だったのか」

 愕然とした。だが嫌悪を表した表情はたしかに似ている。  

「そのことを知っているのは私と、養親の藤堂の両親だけです。仙波は産むだけ産んで育てることもしなかった。子を捨てたんですよ」

「あなたのことを娘だと、弥生は知って……?」

「いいえ。娘と明かしたところで……すぐ忘れてしまいますから」

 岸壁に打ちつける波音が聞こえた気がした。幻聴だ。病院と海の間には深い森がある。頭を振って、耳障りな幻聴を追い払う。

 代わりに、実の娘が血を分けた母親の死を望んだという事実がぽっかりと浮かびあがる。胸がざわついた。父親は誰だ。

「病院を経営していた裕福な藤堂の家に引き取られたのはラッキーでした。特別養子縁組という、実親と縁が切れる制度です。藤堂の両親のことは心から尊敬しています。もっとも真実を知ったのは成人してから。実母を捜して……引き取ったときには認知症でした。まさか、罪の告白までおまけについてくるとは」

「父親……父親は誰なのか、弥生は口にしていたのか」

 あの夜、死体を山に埋めたあと、妙に興奮した男たちは弥生を車上で抱いた。弥生は嫌がっていただろうか。記憶がない。

『けだもの!』

 弥生の声が脳裏で木霊する。

「父親については……どちらなんでしょうねえ」

 藤堂は探るようにこちらを見る。

 もし、あの時に受胎したなら、藤堂は──。

「安心してください。いまさら父親の責任がどうのと責めるつもりはありませんから」

「いや、その……」

「落ち着きがないですね。煙草でもお吸いになります?」

 わざわざ院長室から持ってきたのか、サイドテーブルに置かれたガラスの灰皿を指さす。俺の両手が落ち着きなく顔や患者衣を弄っていたのを、藤堂はニコチン切れだと思ったようだ。喫煙に寛容な病院というのも珍しい。

「いや、俺は煙草は吸わない……お気遣いは嬉しいが」

「それはよかったです。いいことですよ、過度の喫煙や飲酒は内臓によくありません。ところで、いきなり娘かもしれないと聞かされて驚かれたことでしょう。寝耳に水ですもの。迷惑でしょうね」

「……いや、そんなことは。すごく不思議な気はしているが。実感がわかないというか」

 正直なところ、戸惑うしかない。責任を背負いたくないというのが、ずるい言い方かもしれないが本音だった。確率は二分の一だ。遺伝子検査したいと言いだすだろうか。病院ならすぐに手配ができそうだ。

「俺は見たとおり髪も薄くて。あなたと全然似てないですよね」

 藤堂はへらへらと笑う俺を見つめている。見開いた目は異様な輝きを帯びていた。熱っぽいと言い換えてもいいくらいだ。俺が父親だと確信しているようだった。

「会いたかった。本当に心から会いたかった。どんな人だろうと夢を見ていたんですよ。待ち合わせ場所に綾川さんと間宮さんが現れたとき、どっちなんだろうと胸をときめかせていたんです」

 サークルの中で犬が甲高く吠えた。

「正直言うと、俺は犬が苦手です。大嫌いと言ってもいい。あなたには間宮の犬好きが遺伝したみたいですね」

 藤堂は面白い冗談を聞いたかのように、くすりと笑った。魅力的な微笑だった。ふと、本当に自分の娘なのかもしれないと思った。そう考えた途端に、何か共通の周波数のようなものが波のさざめきのように伝わってくる気がした。

 背筋がぞくりと波打ち、腰がふわりと浮き立つ心地がした。

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