結話
藤堂が本当の娘なら悪くない。悪くないどころか、人生で初めて他人に自慢できる宝物になるのではないか。心臓がはち切れんばかりに弾んだ。もう一度、藤堂を見る。眩しかった。
「躊躇うような言い方をして申し訳なかった。知らなかったこととはいえ、親としての責任を放棄していたことを恥じている。今更だが、許してほしい」
強盗殺人を犯したのは三人だが、その責任は弥生と間宮が死んで償うことになった。生き残った俺が背負うべきは藤堂千世の父親としての責任なのだと自覚すべきなのだ。頭を下げた。下げた視線の先に重厚なガラスの灰皿が光を反射している。ずっしりと重いことを俺は知っている。
「……なぜ、ここに……?」
情けないことに、声が震えた。
「安心してください。山にはもう何も残っていませんから」
証拠隠滅を、藤堂は涼やかに語る。藤堂には、警察に通報する気は最初からなかったのだ。
ならば藤堂はなぜ──
「もうお話ししちゃおうかしら。実は私、生まれつき腎臓が弱くて、あと数年もしたら透析を始めなければならないかもしれないんです。なるべく早く腎移植をしたい。でも母とは適合しなかった。間宮さんも駄目だった。あなたの治療中に、秘かにサンプルをいただきました。血液型も白血球型もぴったり適合しました」
藤堂は蠱惑的な笑みを浮かべた。
「あなたが父親かどうかなんてどうでもいいんです。血のつながりがあると適合率も高くなるというだけのこと」
「俺と間宮を呼び出したのは、つまり……」
突然、頭が割れるように痛んだ。包帯の上から両手で頭をおさえる。縫合したばかりの傷口が指先で潰れる感覚があった。
ぼんやりと情景が浮かぶ。弥生の死を確認したあと、腎臓を傷つけないように間宮にとどめを刺した『誰か』の記憶だった。
弾力のある肉が刃先を弾き返し、ぐっと力を加える。メスとは違い、切れ味の悪い果物ナイフに苛立つ。血管を絶って、ほっと息を吐く。体験していない凄惨な光景が、ありありと脳裏によみがえる。
恐怖で、奥歯がカタカタと鳴る。
「あなた!」
そのとき、蒼白な顔で病室に飛び込んできたのは妻の涼子だった。
「お、おまえ、なんで来たんだ!」
叱るような口調になってしまって、一瞬悔いたが、涼子は怯まなかった。
「あなたが怪我をしたと連絡をもらったからよ! しかも行き先を私に内緒にして。会社も休んで。危うく死にかけたとか。もう、本当に何してるのかしら!」
涼子の口調は厳しかったが、両目からぼろぼろと涙がこぼれていた。涼子が泣いているところを見たのは初めてだった。
「な、なんで泣いているんだ。俺は平気だから、おまえは帰りなさい」
こんな恐ろしい病院から涼子を遠ざけたいという思いからだったが、勿論伝わるはずもなく、涼子は俺の腕をばしばしと叩いた。
「いた、痛いじゃないか」
「なにが帰りなさいよ。これからあなたの入院手続きをしなきゃいけないのに。まだ腎臓の検査が残ってるんでしょう。先生から電話で聞いてるわよ。経過によっては手術で取ることになるかもって。ちょっと、そんな不安そうな顔しないでよ。腎臓はひとつ失っても、もうひとつ機能すればまったく問題無いんですってよ」
涼子は叩いて赤くなった俺の腕を今度は労るようにさすった。俺の目頭はじんわりと熱くなった。警察の事情聴取はまだ終わっていない。病院を逃げ出すことはできない。すべてを涼子に告白する選択肢もない。見限られることがなによりも怖かった。
今すぐ起き上がり、草原まで駆け抜け、断崖から身を投げたらどうだろうか。頭がおかしくなったと思ってくれないだろうか。それとも真犯人にされてしまうだろうか。ああ、頭が痛い。頭蓋の内側から金槌で叩かれるようだ。
涼子は藤堂を振り返ると、「わがままな患者ですみません」と頭を下げた。
果たしてその手術から俺は生きて帰ってこられるのだろうか。
そうだ、戯れ言と侮蔑した藤堂の仮説が、実は成り立つということを証明したら生かしておいてくれるだろうか。
無理だ。証明したら逆に消される。
「すまん、すまんな、涼子」
嗚咽混じりの声が漏れ出た。
涼子はもうすっかり笑顔になって、俺を元気づけようといつもより饒舌だ。
「タクシーで聞いたんだけど、ここから三十分ほど行ったところに、いい温泉があるんですって。病院に寝泊まりはできないから私はそっちに宿を取るわ。手術や検査には必ず立ち会うから、寂しくても我慢してよね。やだ、なんで泣いてるの。悔し涙かしら。悔しかったら早く元気な体になってちょうだいね。落ち着いたら一緒に旅行に行くんだからね。ちょっとあんた、聞いてるの?」
「すまん……」
涼子の顔が視界の中でぐちゃぐちゃになった。




