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よみがえる記憶

 間宮が指さした方角には大海原が広がっていた。この草原は崖の上にあるようだ。

 間宮と一緒に下を覗き込んだ。水面まで十メートルはあろうかという絶壁である。打ち寄せる波は白い飛沫になって弾ける。足を滑らせたらお陀仏だ。

「近づかないように気をつけよう」

「そうだな。でもこれで藤堂が僕らを呼んだ意味、わかっただろ」

 そう言う間宮の目はぎらついていた。

 首を振った。わかりたくなかった。

 間宮は舌打ちした。

「事故を装えばいいんだ。簡単だろ」

「弥生は認知症なんだ。俺たちは認知症患者の妄想だと突っぱねればいい」

「だけど、埋めた山を知られているんだ。物的証拠を見られているんだ」

「死体の件はあとでレンタカーでも借りて俺たちで回収してしまおう。証拠がなければ警察は動かない。しかし案外しぶといんだな。骨なんか分解されてると思ってた」

「骨はどうかわからないが分解されにくい物も一緒に埋めたからな。あっちのが身元特定されやすいだろう」

「ああ、そうだな。それにしても……」

 藤堂が俺たちを呼び寄せた理由は、はたして間宮が想像したとおりなのだろうか。

 弥生が、たとえ藤堂にとって持て余すような入院患者だったとしても、わざわざ俺たちにやらせるのはリスクが高すぎる。心臓を弱らせる薬を打って自然死に見せかけ、死亡診断書を捏造することなんて医者なら朝飯前だろうに。

 もしや、藤堂は人間の善性を信じているのではないだろうか。弥生と再会したら良心の呵責を感じてくれるだろうと。だとしたら。

「やはり俺たちが自主的に警察に出頭すべきだって思ってるんじゃないかな」

「ふん。医者ってのはおめでたいな。仙波の記憶は信用できない。だって僕の記憶とは違うからね。よし、詳しく探ってみよう」

 弥生を挟むようにして腰を下ろした。尻の下で雑草がつぶれた。

「仙波さんは覚えてるかな。大学を辞める直前にあったこと」

 ふいに弥生の頬が強張った。

「大学を辞める……辞めたくなかったのに辞めざるをえなかった。悔しい」

「なにがあったの」

 間宮は媚びるような淡い笑みを唇にのせて問う。

「私は嫌だったのよ、本当は」弥生は吐き捨てるように言う。「空き巣なんてバカみたい。間宮岳って男子学生がね、幼稚で大嫌いだったわ」

 間宮は喉に餅でも詰まったような表情になった。

 薄れていた綾川の記憶も徐々によみがえってきた。言い出しっぺは間宮だった。

「で、でも僕……間宮に好意を持ってただろ。ノリノリで一緒にやったって聞いたぞ」

「昼間は誰もいないはずだって、勝手に思い込んで、入ってみたら老人とごっつんこ。間抜けよね。想像してなかったのよ。綾川雄二のほうもあたふたして『大金だ』って裏返った声になって、みっともなかった。女子の前でいいところを見せようと見栄はって不良自慢してたくせに、いざってときに腰抜け。駅で見かけた小柄な老人に『あいつガンくれやがった』ってあとつけて。二人ともガキ。どこに惚れる要素があると思っていたのかしらね」

 恥ずかしくて間宮の顔を見れなかった。間宮も同じらしく足元の雑草に視線を逃がしている。弥生を取り合うようにして、イキり合戦していたのは闇に葬りたい過去だ。じいさんのあとをつけたときは一軒家の場所を押さえただけで満足していた。翌日になってから間宮が「落とし前つけよう」と空き巣を提案したのは、今考えれば飛躍しすぎで頭がおかしいとしか思えない。だが当時は暴力こそが男の証だと信じていたのだ。

「逃げようとしたから、つい足払いをしちゃったけど、じいさん、ドアノブに顎をぶつけて痛がってたね」

 よく覚えてるなと感心した。足払いをしたのは俺だったと思い出した。

「後ろから首を絞めたけど、あの老いぼれ、案外力が強くて必死に抵抗してきた。こんなにてこずるなんてと思ったらますます焦って心臓がバクバクしてた」

 間宮がぶすっと「いや、焦ってなかったぞ、僕は」とこぼした。

「台所に果物ナイフがあってね、それを持ってきて」

 どきりとした。リュックの中に突っ込んでいた手は果物ナイフの柄をそっと握っていたからだ。弥生は目をつむって、まるで目の前で今まさに惨劇が繰り広げられているかのように臨場感たっぷりに身体を動かす。

「目をつむって刺したけどかすり傷にしかならなくて途方にくれた」

「それ、綾川だな」

「え、俺?」

「覚えてるだろ」

「……うん、まあ、だんだんと思い出してきたけど」

 果物ナイフを握る手が汗ばんできた。このナイフは今日、コンビニで買ったものだ。切れ味などは確かめていない。今度こそしっかりと目を開けて、渾身の力で突かなければ、また失敗する。あの時の焦りが急に思い出されて、吐き気がこみあげてきた。コンビニで果物ナイフを購入したのは偶然だと思っていたが、忘れかけていた記憶が後押ししたのかもしれなかった。

「何度か刺したが手ごたえがなくて。テーブルに大きなガラスの灰皿があって、それを手に取った。両手で掴んだけどすごく重くて」

「変だな。やはりおかしい」間宮が呟く。「仙波の告白。まるで自分が殺したかのように記憶している。ジジイの呼び方もじいさんとか老人とか老いぼれとかバラバラだ」

「殺したじゃないか。じいさんの頭にガラスの灰皿を叩きつけてとどめを刺したのは弥生だぞ」

 間宮は俺を無視して弥生に問いかけた。

「君が殺したの?」

 弥生は無表情になって頷いた。

「首を絞めたのも? 刺したのも?」

 弥生は首を縦に振った。なるほど、間宮の言いたいことがわかった。

「死体はどうしたの」

「車に乗せて山奥に運んで埋めた。ナイフと灰皿も一緒に。あと帳面も。じいさんの顔を撫でるようになめくじが這っていて、自分はこんな死に方やだなと思った」

 老人が違法な個人高利貸しをしていたことは現金と一緒に箪笥に隠してあった帳面でわかったので、大金とともにそれも持ち出して一緒に埋めた。帳面が見つかったら万事休すだ。骨とともに必ず回収しなくてはならない。

「自動車のライトに蛾が集まって気持ち悪かった。汗だくになって土をかけたけど、足先が寒くて膝が震えた。ああ、寒い」

 記憶の混濁だろうか。想像力の賜物だろうか。あのとき、弥生は車で待っていた。遺体の顔になめくじが這っていたのは見ていないはずだ。

 詳細な描写のせいで当時の映像が次々とよみがえってきた。硬くなりはじめた四肢を無理やり掘った穴に押し込めたこと、頭部の窪みに血と脳みそがプルプルしながらへばりついていたこと。

「やばいな。仙波は僕たちの記憶も持っている……?!」

 間宮は驚愕の面持ちで弥生を睨んだ。

「なにをバカなことを。妄想だろう」

 藤堂の言葉が脳裏に浮かびあがった。

『脳みそは記憶の受信機にすぎないんじゃないか』

 非論理的で非科学的な戯言だ。だがもし、万が一、その可能性があるのなら。脳にバグがある弥生だけが、他人の記憶をよみがえらせることができるとしたら、あまりに危険だ。

 死んでもらわないと困る。

 ぶるりと顔を振って、凶暴な思考を払った。

「な、なによ、二人とも怖い顔をして」

 弥生が間宮を睨んだ。ついで俺に向けた双眸は恐怖の色に染まりだした。

「あああ、綾川雄二! 間宮岳! なんでこんなところにいるのおッ」

 弥生は悲鳴じみた声をあげた。立ちあがるも全身がふらついていた。腰が抜けているのかもしれない。うっかりして崖に足を滑らせてもおかしくはない。

「なにをしているんだ、綾川。来い!」

 間宮はじりじりと崖のほうに弥生を追い込んでいった。

 だが最後の一押しを俺にやらせようとしている。

「俺に命じるな。間宮がやればいいだろう」

「よし、こうしよう。二人で同時に突き落とす」

「やめてちょうだい。野蛮人! けだもの!」

「待て、間宮。弥生を殺したら藤堂の思うつぼだが」

「だからなんだ。他にいい案でもあるのか」

「俺たちもいつか認知症になるかもしれないんだぞ」

「そんな未来のことなんかどうでも……」

 間宮ははっとして顔をあげた。俺は口を滑らせたことに気づいた。

 将来起こりうるリスクは今潰しておくべきだ。

 間宮はゆったりとこちらに近づいてくる。殺意を感じた。このままでは殺されてしまう。

 右手を突き出した。その手にはナイフが光る。

「死んでたまるか」

 だが切っ先は空を切った。間宮が突進してきて、ナイフは弾き飛ばされた。情けないことに、戦意は一瞬で失せた。

 その後は無様な取っ組み合いになった。馬乗りになられて、襟首を掴まれ、何度も何度も地面に頭を叩きつけられた。頭蓋が揺さぶられて目眩がした。反撃を試みたものの、視界が急速に暗くなった。全身から力が抜け、地面に倒れた。ここで死ぬのか。

 暗転する直前、間宮の背後に弥生のシルエットが見えたような気がした。呻くような波音、それから子犬のうるさい鳴き声も。

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