第80話 不可逆
恋人のマーガレットの様子が変わり、既にかなりの時間が経ってしまった。
それにもかかわらず、全く解決の糸口が見つからない。
本音では焦りしかなかった。
代弁者協会は確かな一歩を踏み出し、大きく変わろうとしている。
理事の自分としても仕事にはやりがいを感じることができる。
なのに、彼女のことを考えると、とても穏やかな心でいられなかった。
この心苦しさから解放されたい。
これは最後の手段になるが、マーガレットの母マーリアスに会って真相を問いただす他ない。
俺はついにパンドラの箱を開く覚悟を持つ。
この日、勇気を出し、マーガレット不在のタイミングを見計らって、マーリアスを訪ねた。
「こ、こんにちは」
「ア…アシェルさん」
マーリアスと対面するのもずいぶんと久しぶりであった。
理由はわからないが、最近はマーリアスが自力で小麦の調達もできるようになり、小麦を持参する機会もなかったためだ。
ただ、マーリアスの表情は暗く、少し痩せこけている印象だった。
そんなマーリアスにマーガレットのことを聞いてよいか、一瞬躊躇する気持ちにもなる。
だが、それでも。
「あの、マーガレットのことですが…どうしたらいいのか悩んでいます」
悲痛な思いを込めて、言葉にした。
「ごめんね、本当にごめんね。あの子、ズレッタ家に何かされたようなの。
母親だからすぐに分かったわ…」
マーリアスは俺の目を見ながらこう話すと、手で涙を拭う。
俺はその様子にただ固まってしまった。
だが、マーリアスの流す涙を見て、これまで堪えていた感情が崩壊してしまう。
つられて号泣してしまった。
そのまま、無言でマーリアスと向かい合う時間が続いていたが、思いっきり泣いた分、少しだけ気持ちが楽になった気がした。
「ズレッタ卿本人と直接話をしてみようと思います。
なんとしてもマーガレットのことを守りたいです」
「危険よ!あなたも何をされるか分からないわ。考え直して!」
マーリアスは驚愕の表情で、俺のことを止めようとする。
「僕も男です。愛する彼女を守れなくてどうするんですか?
マーリアスさんはただ待っててくださいね」
だが、そんなマーリアスの制止も無視し、このように宣言してこの場を後にした。
ーマーガレットが俺を嫌いになったわけじゃない
そのことが分かっただけで十分だった。
ここでふとあの言葉が浮かんでくる。
リサリィから聞いた『目の色がすこし変わった』という話だ。
それはもしかすると、精神系の魔法じゃないのか?
ズレッタという大権力者のプリビレッジならば、そのくらい可能かもしれない。
魔法の相談をするならば、学友のヒルメスあたりか。
彼は王国中枢養成学院を卒業後、魔法省で働いている。
平民でありながら、有能であり、既に魔法の知識も高いだろう。
このとき、俺は一筋の光が見えた気がして、これまで心にかかっていたもやもやが薄れていく感じがした。
ここで場面は変わる。
ちょうどその頃、ズレッタ家では家族会議が開かれていた。
長のサリュード・ズレッタを囲み、長男ザリア・ズレッタ、次男ゾイン・ズレッタ、三男ジオリ・ズレッタ、そして、娘であるマーガレットの姿もそこにあった。
家族会議が開かれたのは、先日の代弁者協会からの陳情が王城に提出されたことを受けてのものであった。
「親父、このまま代弁者を放置してよいのか?
王城からは平民を締め付けすぎていたという意見が出ているそうだ」
ザリアが怒りの表情でこのように述べる。
「これは由々しき事態じゃ。ついに平民がプリビレッジの権益をついに侵し始めてきたか。王城も我らの商売を邪魔するようになってきた」
サリュードもこれに応じ、もはや黙ってはいられないという様子だ。
「代弁者のバッハの話では、やはりあのアシェルという平民が諸悪の根源だ。
どうやらどさくさ紛れに理事にまでなったそうだ。」
ジオリはバッハを通じて情報収集を続けており、こう結論を付ける。
「マーガレットに唾を付けたこともそうだが、邪魔ばかりしてきおる。
もはや見逃せない。そのアシェルという平民に思い知らせてこい」
サリュードは堪忍袋の緒がついに切れたのか、暗に凶行を指示する。
これにはさすがの息子たちも一瞬、動揺が走った。
「親父、マーガレットの前でこんな話しても問題ないのか?」
「構わん。こいつは魔法で思考が遮断されておる。
その男が何なのかすら分かっておらん」
ゾインはマーガレットの前で命令を下す父を制止したが、サリュードはお構いなしとばかりこう述べた。
実際にこの衝撃的な命令にもかかわらず、マーガレットはピクリともせず、無表情のままだった。
「分かった。親父の命令に従う」
長男のザリアは絶対的な存在である長サリュードの意思が固いことを理解すると、自身も決意を固める。
「兄貴、すぐに殺ったらトリキトスが勘ぐってくるんじゃないか?」
「ああ。だからしっぽを掴まれないように殺るんだ」
ザリアはゾインの問いに対し、このように答えた。
その後、3人の兄弟はアシェル殺害の作戦を練っていた。
「これで決まりだな」
作戦の内容はこうだ。
平民を使って代弁者協会を訪れさせ、相談と称し、アシェルを森の奥に誘い出す。
人気がないところまできたら、3人で一斉に魔法攻撃による奇襲をかけて気絶させる。
そして、樹海の奥にある高さ50メートルほどの崖まで運び、酒をのませて転落させて殺害する。
トリキトス側から追及されるリスクを避け、事故死ということで白を切り通す算段であった。
「魔法攻撃の痕跡を消えるためには、生きたまましばらく拘束しなければならない」
「そうだな。証拠はなくなる。さすが兄貴だ」
こうして、3人は具体的な手順を確認し、暗殺計画が水面下で進められるのであった。
一方、俺はそんな事を知る由もなく、マーガレットを救うため、ズレッタ卿本人と対峙する準備をしていた。
当然、話が通じる相手ではないことは分かっている。
それならば、俺自身も最大限力を持っておく必要がある。
理事の俺には代弁者協会内で広めの個室が与えられていた。
ドアには『立入禁止』の張り紙をし、部屋にこもり、隠れて魔力訓練に励む。
もちろん、この場で魔法を発現させるわけでなく、魔力コントロールの基礎訓練のみだ。
思考を無にし、魔力の揺らぎを脳内でイメージ。
そのまま全身にそれが巡るように力を入れる。
ーぐっ
という感じで。
魔力を瞬時に体内に回せるようになってきた。
これならば万が一敵に遭遇した時に、護身程度の応戦は可能になりそうだ。
ニコル・アーステルドからは魔女サリュル戦で使った魔導具を借りていた。
忠告に従い、肌身離さず、ポケットに忍ばせている。
ズレッタ卿と面会を申し入れるのは、魔力鍛錬が万端になったころ。
2週間程度を想定している。
だが、そんな俺の計画とは全く違う方向に事が進んでいくことになるのであった。
終
魔法世界メモ80
意思干渉型の魔法とは?
動物などのように脳の構造が単純であれば魔法に熟練していれば使い魔にすることも可能である。
だが、人の意思に反して精神に干渉するのは容易でない。仮にそれが可能だとしても、プリビレッジ間では禁忌され、ご法度である。




