第50話 寝返り
魔法世界メモ50
王国の労働法制は?
労働時間や最低賃金など労働基準法のようなルールは皆無である。加えて、労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)も保障されていない。
唯一王令で定められているのは、15歳未満の子どもを働かせてはならないということだけである。これは労働法制というよりは未成年者保護というルールである。
マーリアスのお店に対する妨害が始まって数日が経過していた。
自分に責任のあることなので、なんとかしようと対策を考えていた。
だが、妨害の相手が大物のプリビレッジということもあり、下手な行動は逆効果にもなりうる。
小手先ではなんとかなるとは思えない。
そのため、しばらくは静観する他なかった。
マーリアスの問題は私事であるが、当然代弁者としての仕事はしっかりやる必要がある。
そんなある日の出来事。
俺は、魔導具を製造販売するとある商会に向かっていた。
この商会に蔓延る労使間の不均衡を是正し、平民労働者の待遇を改善するためである。
実は、この商会は父トシェルの職場である。
先日、トシェルが愚痴をこぼしたことをきっかけに何かできないかと考え、行動にでることにした。
兼ねてから平民労働者は過酷な環境にあると感じていた。
それに構造的な課題があり、それを解決できなければ平民労働者の待遇を改善できないと考えていた。
王国の産業は、絶対的な権力、資本を元にプリビレッジが寡占しているため、使用者側があまりにも強すぎる。
もちろん、小規模ながら平民でも商売を自らする者もいるが、それはプリビレッジとうまく対峙しながらやっていける商才をもつ者に限られる。
つまり、ほとんどの平民は、プリビレッジの使用者の下で働く他なく、選択の余地はない。
働き口が制限される中、雇用の流動性も生まれてこないため、必然的に低賃金、長時間労働、それにプリビレッジの横暴と劣悪な環境につながる。
これに対し、平民は教育もろくに受けておらず、これと戦う知恵も術も持ち合わせていない。
また、プリビレッジ至上主義の王国では、法による是正ということも期待できない現実がある。
トシェルの話では、この時間帯ならば使用者であるプリビレッジが不在ということを把握していた。
そこで、その隙に職場改善のために平民労働者と話をしようと試みたのである。
「皆さん、代弁者のアシェルと言います。少しよろしいでしょうか。」
「みんな集まってくれ。俺の息子なんだ」
俺は早速現場に到着すると、労働者に向けて声をかけた。
同じくトシェルも職場の仲間に向けて大きな声で集まるように呼びかけた。
一体何事かという様子で、約20名が目の前に集まってきた。
「今日は皆さんに労働環境の改善についてお話をしに来ました」
少し場がざわつく。
「皆さんはここで働いて随分経つ方が多いですが、賃金は上がっていませんよね?
どんなに技術をつけても賃金が変わらないのはおかしくないですか」
俺がこう呼びかけると、ほとんどの者がキョトンとした表情で話を聞いている。
あまりにも突然の話であるので無理もない。
「どんなことでもいいので、お気持ちを話しくれませんか」
必死で呼びかけを続けていると、何人かが率直な気持ちを述べてくれた。
「不満はあるけど。プリビレッジに文句をいうわけにいかんし」
「仕事を失ったら困るんじゃ。家族もおる」
「どうせ、プリビレッジには楯突くことはできん」
予想どおりの反応であった。
だが、このまま逆境に立ち向かわなければ何も変わらない。
そして、有効な手段は一つしかないが、彼らが本気で変えたいという気持ちをもたなければとても成立しない。
「一人で使用者に立ち向かってもクビになって終わることでしょう。
しかし、例えば、ここにいる全員で交渉してみた場合はどうでしょうか」
力の強い使用者に労働者が立ち向かうには団体交渉しかない。
これはどの世界でも同じである。
いくらプリビレッジといえども、職人である魔導具技師全員からそっぽを向かれたら、事業は成り立たないはずだ。
「みなさんが、一致団結して労働組合を作るのです。まずはそこからです」
俺からの提案に対して、この場の全員が困惑している様子だった。
だが、現状にどうしようもない不満があったのだろう。
しばらくの沈黙の後、一人から声が上がった。
「そんなことで、本当に労働環境を変えられるのか?」
黒のタオルを被った肌がこんがり焼けた40歳くらいの男であった。
「はい。そのためにはしっかりとした準備が必要です」
憲法上、団体交渉権が保障されているわけではない。
それゆえ、使用者を引きずり出し、団体交渉を成立させるには、一糸乱れない団結力が不可欠である。
ここを切り崩されてしまうと、団体交渉に法的根拠がないため、あまりにも脆い。
俺の強い言葉に、この場の雰囲気が変わってきていることを感じた。
そして、
「俺は・・・もっとゆとりのある生活がしたい!」
「俺も!」
「わしもだ!」
一人の発言によって、雪崩が起こるように、次々と賛同を表明する者がでてくる。
そして、最終的にここにいる全員にまで広がった。
それほど、この職場環境がよろしくないのだろう。
「では労働組合のルールを作りましょう。その後、使用者との交渉の段取りを検討します。くれぐれも使用者に感づかれないようにお願いします」
この日は、このような形で話をまとめ、使用者が来ないうちに足早に去ることとした。
手応えはあった。
彼らがプリビレッジの使用者と団結して戦うことを夢にも考えたことがなかったのだろう。
だが、大事なのは一人ひとりの意識の変化だ。
代弁者という仕事はこうしたきっかけを作ることも大事なのだと感じる。
今回はトシェルの協力もあり、この職場の人たちの意識をスムーズに変えていくことができそうだ。
まずはこの職場から環境を変えていこう。
そして、いつかこの運動を王国全土に広げて、平民の苦しい労働環境を改善してみせる。
労働者の団結という手段を用いて。
心のなかで静かにそう決意したのだった。
俺は代弁者協会に戻るといつもの場所でランチ休憩をしていた。
「どうだった?」
その際、あらかじめ計画を話していた同期のパリシオンから経過を尋ねられた。
「話はまとまったよ。後はやるだけ」
これに対し、この場に集まってきた先輩代弁者たちも興味深そうに話に入ってくる。
「労働者を団結させて交渉するというわけか。そんな発想はなかったぁ」
ジムトリィは感慨深そうにこう感想を述べた。
イザベルとトーレスもこれに頷いている。
ここにいる若手の仲間は、割と新しいことでも興味をもってくれる。
世の中を変えるには新しい発想が必要だ。
違う角度から物を見る必要があり、それは若い人間だからできることなのかもしれない。
志を同じくする若手代弁者が一人でもそんな発想を持ってくれたら、加速度的にこの世界を変えていくことができるだろう。
だが、そんな思いとは裏腹に、数日ほどが過ぎたころ、トシェルから予想外の言葉を受ける。
「すまないが、商会の件、手を引いてくれないか。
まずい事態になってしまった」
こう話すトシェルの表情は青ざめていた。
詳しく事情を聞いてみる。
「同僚が寝返ったみたいなんだ。それで父さんも使用者から個別に呼び出されて」
「そんな・・・」
「職場を荒らすなら即刻解雇すると」
団体交渉のために準備を進めていた矢先のことであった。
まさかこんなことになるとは想像もしていなかった。
それでもトシェルには何度も「諦めないでほしい」と説得したが、俺の話に耳を貸さなかった。
よほど強く脅されたのかもしれない。
しかし、一体誰が情報を漏らしたというのか。
確かに、20人もいれば使用者側の手先の者が一人くらいいてもおかしくはない。
もう少し、労働者一人ひとりの調査確認を行っておくべきであった。
段取りが甘かった。
ガン!!
あまりの悔しさに右拳で家の柱をつい叩いてしまった。
雲行きが怪しくなりつつあった。
何かを変えることがこれほど難しいものだと、身にしみて感じ始めていた。
終




