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「うーん、もうそろそろだと思うんですけどねぇ」
軽い足取りで駆けながらセレンティナが呟く。先ほどまでと比べて僅かに速度が落ちているように感じられた。
だが、それは後を追うレナトスへの気遣いではないだろう。こちらへ迫ってくる骸憑が明らかに凶悪なものへ変わり始めていたからだ。
見上げるほどの巨躯や分厚い外皮に覆われた獣や、人間の骸憑も先ほどまで見かけた朽ちた装備の者とは違い、鎧や武器が比較的しっかりと残っている。
骸導は己に近い場所ほど強力な骸憑を配置しているらしい。外側には弱い個体を置き、奥へ進むほど強いものを配置する。それはまるで、侵入者を消耗させることを想定した人間が組み上げた布陣のようだった。
これが骸導そのものの知恵なのか。
それとも――依代となった父の中に残る「何か」を利用しているのか。
ジャルクは王であると同時に数多の戦場へ立った武人でもあった。兵をどう配置すれば敵の進軍を鈍らせられるか。どこに精鋭を置けば守りを固められるかを熟知している。
幼い頃、父から聞かされた戦の話が脳裏を過る。まさに今、自分たちの行く手を阻んでいるものにその面影を感じてしまったことがたまらなく不快だった。
父の身体だけでなく、積み重ねてきた経験や知識までも魔獣に利用されているかもしれない。
そう考えた途端、胸の奥へ陰鬱なものが重く沈み、レナトスは思わず奥歯をきつく噛み締める。
「ちょっと数を減らしましょっか」
そんなレナトスの内心など知る由もなく、セレンティナが軽い調子で宣言する。走る速度を徐々に緩め、遂にはその場で立ち止まった。
移動を止めた獲物に気付いたのか、周囲の骸憑が一斉に距離を詰めてくる。
ほんの僅かな間に二人は取り囲まれていた。
「陛下、動かないでくださいね」
真横から迫った骸憑が巨大な腕を振り上げ、鋭い爪をこちらへ叩きつけようとしている。レナトスは反射的に槍を構えて迎え撃とうとしたその時――耳へ届いたのはひどく場違いなほど朗らかな声だった。
歌うような軽やかさだというのになぜか有無を言わせぬ圧があり、レナトスは咄嗟に踏み込もうとした足を引いた。
直後――凄まじい魔力の渦が巻き起こる。
足元の大地が低く唸った。乾いた土が震え、細かな石が跳ねる。そしてセレンティナとレナトスを中心として地面から無数の土塊が一斉に浮かび上がった。
それらは瞬く間に圧縮され、細く鋭い槍の形を成していく。一本一本は腕ほどの長さしかない。だが、その数が尋常ではなかった。
数十、いや――数百は確実に超えているだろう。もはや数えることなどできないほどの小さな【土槍】が二人を取り囲み、切っ先を外側へ向けて宙に浮かんでいる。
「それじゃ、ばいばーい」
セレンティナが両手を軽く広げると、土槍が弾けるように飛び出した。
迫っていた巨大な獣型の骸憑へ何十本もの槍が突き刺さる。硬い外皮を穿つだけでは終わらず、形を失うまで容赦なく砕いていく。
次々と鋭く尖った土の塊が四方八方から降り注ぎ、逃げる隙など与えられなかった。
土槍は一体を貫けばその場で砕け、新たな土塊が即座に鋭い穂先へ変わって次の骸憑へと襲いかかる。
瞬く間に鎧がひしゃげ、肉が裂けて骨が砕かれていく。宿主の身体が耐えきれず崩れ落ちると、そこから逃れようとした黒い魔力の塊をすかさず土槍が追っていった。
それは、あまりにも圧倒的すぎる攻撃。
ほんの少し前まで二人を包囲していた骸憑の群れは、土煙と轟音の中で次々と形を失っていった。
ざあっと風が通り抜ける。巻き上がっていた土煙が流され、先ほどまで黒く蠢くものに支配されていた森に静寂が戻った。
あれほど響いていた足音も獣の唸り声も、今はもう聞こえない。
セレンティナはぐるりと周囲を見渡すと、目的地の方向を確かめてから何事もなかったかのように歩き出した。
「疲れていませんか?」
「ここまで楽をさせてもらったからな。問題ない」
「それならよかった」
歩きながらセレンティナがにこりと微笑む。森の奥までひたすら走り、その間も絶え間なく激しい魔術を繰り出していたというのに、愛らしい顔には疲労の色など微塵も見られなかった。
可憐な外見からは到底想像できないほど苛烈な魔術を操り、それでいて本人にとっては大した負担ですらないらしい。
セレンティナはいったいどれほどの力を持っているのか。これまで何度もその規格外ぶりを目にしてきたレナトスでさえ、まったく想像できなかった。
「骸導は陛下にお任せしますね。あっ、もちろんサポートはします」
「……承知した」
ここにきてようやく、レナトスはセレンティナが自分の体力を温存させていた理由を理解した。
アルシェラと同様、セレンティナもまたジャルクとの相性が悪いのだ。いや、正確にはセレンティナならば倒す方法はいくらでもあるのだろう。
だがシュルヴァイト合金製の鎧と大楯を身につけたジャルクを確実に仕留めようとすれば、森ごと焼き払うか、周囲の岩を風で叩きつけるか――膨大な魔力をもって強引に押し潰すような方法になりかねない。
だが、五年前に消息を絶った先王の死を国の内外へ知らしめるためにも、必ず遺品を持ち帰らなければならない。
そして何より、あれが本当に父の亡骸であるのであれば自らの手で骸導を滅し、父の身体を取り戻すのがレナトスの役目だ。
「……うん。この先です」
セレンティナの声からいつもの軽さが薄れる。
口元にほのかな笑みを浮かべながらすっと左手を前へ差し伸べ――次の瞬間、鋭い【風の刃】が放たれた。
木々の枝を落とし、伸び放題になっていた草を切り裂きながら、不可視の刃が森の奥へと突き進んでいく。
そして――。
キィンッ!!!
甲高い金属音が森に響き渡った。
斬り裂くはずだった風が何かに阻まれ、弾けるように散っていく。
木々の隙間から僅かに覗いたのは、風の刃を受けても傷一つ負わない大きな盾の輪郭だった。
お待たせしました。いよいよ父子対決のはじまりです!




