3-8
「お世話になりました」
「ああ。気を付けて」
レイフェルトからやって来た商隊は馬車と怪我人の応急処置を終えていた。
彼らは口々に感謝の言葉を告げながらグランヴィレアの城下町へ向けて出発していく。隊列の上空では護衛として付けた飛竜が一頭、周囲を警戒するようにゆっくりと旋回していた。
馬車の列が次第に小さくなり、やがて薄闇の向こうへ消えていく。
それを見届けた途端、拠点の空気が一変した。
先ほどまで怪我人の手当てや馬車の修理で慌ただしかった騎士たちも口を閉ざし、それぞれの武器や装備を改めて確認する。
いよいよ――ジャルク王に憑依した骸導と対峙するのだ。
「アルシェラ、この誘獣香を使ってね」
「ええ……」
「材料に骸憑の核を使っているから、効果は抜群だよ!」
セレンティナは得意げに胸を張る。
だが、それはつまり――香に引き寄せられ、興奮状態になった骸憑が大挙して押し寄せてくるということだ。
第二親衛隊の騎士たちの顔に、うっすらと不安の色が浮かぶ。
本当に対処しきれるのかという疑問が胸を過ったのだろう。
けれどセレンティナは励ますことも鼓舞することもせず、ただ当然のように具体的な配置と役割の説明へ移っていく。
まずは誘獣香で骸憑の群れを引き離す。
守りが薄くなったところで、レナトスとセレンティナが骸導のいる森へ突入する。
そして――。
「香を撒き終わったら、アルシェラはそのまま骸憑の駆除に回ってね」
「えっ……」
予想していなかった指示だったのか、アルシェラが小さく声を漏らした。
一瞬、言葉を探すように視線を虚空へ彷徨わせ、それから意を決したように隣に立つセレンティナへ身体ごと向き直った。
「ねぇセレン。私なら【浮遊】で森まで行けるわ。だから……」
その先の言葉は続かなかったが、何を望んでいるのかは誰にでも分かった。
どんな姿になっていたとしても、父に会いたい。五年間待ち続けた父の最期を自分の目で確かめたい。
その切実な願いはセレンティナも理解しているはず。
それでも返ってきたのは、あまりにもあっさりとした言葉だった。
「だーめ」
「どうして? 理由を教えて」
「二つありまーす」
セレンティナはアルシェラの目の前へ右手を差し出し、人差し指だけをぴっと立てた。
「ひとつ。現時点で骸憑にどんなものがいるか分からない。飛行型の魔獣が混ざっている可能性を捨てきれない以上、【浮遊】で森まで移動するのは危険すぎる」
「それじゃあ、いなかったら行っても……」
「二つめ!」
食い下がろうとしたアルシェラの言葉を遮り、セレンティナは今度は中指も立てた。
「アルシェラの武器は弓と風魔術だよね」
「ええ」
「お父さんの装備、忘れちゃった?」
――父の装備?
意味が分からず、アルシェラは怪訝そうに眉を寄せてその言葉を頭の中で繰り返す。
次の瞬間、はっと息を呑み、瞳が大きく見開かれた。
セレンティナが何を言わんとしているのか、ようやく理解したのだ。
「残念だけど、アルシェラの攻撃は無意味なんだよね」
それは容赦のない言葉だった。だが同時に、否定する余地のないほど的確な指摘でもある。
父と実際に刃を交える機会などこれまで一度もなかった。
だからこそ失念していた。
レナトスとアルシェラの父、ジャルクは息子と同じく槍を主武器としていた。
それだけではない。魔術を遮断するシュルヴァイト合金製の鎧を身に纏い、さらに身体を覆えるほどの大楯を携えていたのだ。
風魔術は鎧に阻まれ、矢を射たところで大楯で防がれる可能性が高い。
つまり、アルシェラの得意とする戦い方とはあまりにも相性が悪いのだ。
今は父を敵として見なければならない。その事実を改めて突き付けられ、アルシェラの胸がぎゅっと締め付けられた。
「アルシェラ」
反論の余地を完全に失い、アルシェラはその場に立ち尽くした。俯いたまま唇を噛み締めていると、肩に大きな手が置かれる。
顔を上げれば、そこには真剣な眼差しを向ける兄王の姿があった。
「必ず父上を連れて戻ってくると約束する」
「…………はい」
「そうそう。私と陛下が戻ってくる場所を守っていて」
セレンティナもいつもの明るい調子でそう続ける。
感情だけで戦えば命を落とす危険がある。そんなことは嫌というほど分かっていた。
自分は王妹であり、騎士でもある。戦場では冷静に状況を見極め、自分に与えられた役目を果たさなければならない。
それなのに父に会えると知った途端、そんな当たり前のことすら見失ってしまった。
子供のような我儘を言ってしまったと今さら恥ずかしさが込み上げ、アルシェラはぎゅっと拳を握り締める。
けれど兄は叱責するのではなく、必ず父を連れて戻ると約束してくれた。
セレンティナも同じように、戦力にならないから残れと言うのではなく、自分たちが戻ってくる場所を守るという役目を与えてくれた。
置いていかれるのではなく、ここで果たすべき役目がある。
そう思った途端、胸の奥に押し込めていたものが一気に込み上げてきた。
「……必ず、戻ってきて」
目の奥が熱くなり、少しでも気を抜けば涙が零れそうになったが、アルシェラはどうにか声を震わせずに告げた。
「もっちろん! 終わったら美味しいもの食べようね」
「…………ええ」
朝からほとんど何も食べていないし、今だって何かを口にできる気はしない。それでもアルシェラはセレンティナの明るさに応えるようにぎこちなく微笑んだ。
「さーてと、そろそろ配置につきましょっか」
「ああ。アルシェラ、頼んだ」
「承知しました」
アルシェラは頬から笑みの気配を消すと、王妹ではなく一人の騎士の顔に戻った。機敏に一礼してから誘獣香を撒く地点へ向かって駆け出す。
地面を蹴った左足がふわりと浮き上がった。そのまま風を纏うように身体を持ち上げ、街道脇にある小高い丘へ向かって飛んでいく。
「レオノーラもよろしくねー」
「貴女に言われずとも、アルシェラ様はしっかりお守りいたします」
「陛下を送り届けたら私も戻ってくるからさ。それまでは心細いだろうけど頑張って!」
「ちっとも心細くはありませんけど、早めに戻ってきてください」
「またまたぁ。本当は寂しいでしょ?」
レオノーラがぎっと目を剥く。さすがにこれ以上からかえば怒られると察したのか、セレンティナはけらけらと笑いながらその場を離れていった。
決して素早く走っているようには見えない。純白のローブをふわりと揺らし、軽い足取りで進んでいるだけ。それなのに距離はみるみる開いていく。
それは日々鍛錬を欠かさない騎士であっても、全力で追わなければ追いつけないであろう速度。
一体どういう仕組みなのか、レオノーラは未だに理解できず、遠ざかる背へ胡乱な視線を向けた。
ほどなくして、それぞれが所定の位置についた。
丘の上ではアルシェラが風向きを確かめながら誘獣香の入った巾着袋を手にしている。その少し下では第二親衛隊が扇状に展開し、骸憑が押し寄せてきた時に迎撃できるよう武器を構えていた。
レオノーラも剣を抜き、アルシェラの近くに陣取る。
街道側には残りの騎士たちが配置され、万が一骸憑の群れが想定とは違う方向へ流れた場合に備えていた。
一方、森へ向かうレナトスは愛用の槍を手にしていた。柄を握り直し、穂先を僅かに下げて森の奥を見据える。
その隣ではセレンティナがここが戦場とは思えないほど気楽な様子で佇んでいるが、銀紫の瞳だけは先ほどまでとは違う。森の暗がりをじっと見つめ、そこに潜む気配を探るように細められていた。
この鬱蒼とした森の中に大量の骸憑と――グランヴィレア王国の前国王の身体を乗っ取った骸導が潜んでいる。
陽はほとんど沈みかけ、木々の合間に残っていた赤い光も失われた。まるで森の奥から闇が滲み出すように辺りを包み込んでいく。
誰も口を開かない。
槍を握る手や剣を構える腕、そして誘獣香を持つ指先。それぞれに力が入り、張り詰めた緊張が街道一帯を覆っていった。
闇が濃くなりつつある街道に、作戦開始の合図である笛の甲高い音が響き渡った。




