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異端の調律者は天秤を持たない  作者: うつおぎ
第三章 婚約者は調律者
65/70

3-5


 ラグゼノル街道にほど近い、かつて宿場として栄えていた場所の一角にセレンティナ一行は降り立った。


 今では人の気配はどこにもない。

 街道を行き交う商人や旅人で賑わっていたはずの建物は、魔獣の襲撃によって荒れ果てている。

 屋根が抜け落ちた宿屋、半ばから折れた看板。扉を失って朽ちた室内を晒している小屋。

 人が暮らしていた痕跡だけが残る景色の中を、レオノーラは硬い表情で進んでいった。


「街道からは少し離れていますけど、どうしてここに移転してきたのですか?」

「うーんとねぇ。このあたりに標の反応がいくつかあるから、確認しておこうと思ったの」

「ええっ!? そういうのは早く言ってください!!」


 レオノーラが大慌てで剣を抜きながら叫ぶ。


「構え!」


 その鋭い一声に、第二親衛隊の騎士たちも素早く武器を抜いた。

 つい先ほどまで無事に移転できたことへ安堵していた者たちの空気が一瞬で切り替わる。

 視線を左右へ走らせ、崩れた建物の陰や瓦礫の隙間まで警戒する。風が吹き抜ける音さえ聞き逃すまいと、全身の感覚を研ぎ澄ませていた。

 そんな騎士たちを前にして、セレンティナは目を丸くする。


「待って待って。対象はもう消滅してるから大丈夫だよー?」

「先にそれを言ってください!」


 レオノーラの抗議を背に受けながら、セレンティナはとととっと軽い足取りで崩れかけた小屋へ近付いた。

 壁の一部が倒れ、積み重なった木材と石の間に狭い隙間ができている。そこへ身を屈めて覗き込むとなにかを探しはじめた。


「あった!」


 嬉しそうな声が上がると同時に、セレンティナの周囲にふわりと柔らかな風が巻き起こる。瓦礫の隙間から何かが引っ張り出され、乾いた地面へ転がった。

 それは、金属製の鎧とすね当て。ひどく傷んで一部は大きく欠けている。セレンティナはその傍へしゃがみ込むと、鎧に付いていた小さなブローチのようなものを指先で摘み取った。

 本当に敵はいないらしい。それを見届けたレオノーラたちは、ようやく剣先を下げる。先ほどまでの緊迫感が急速に萎み、何人かの騎士はほうっと大きく息を吐いた。


「まったく、驚かせないでください」

「ちゃんと消滅してるって言ったよね?」

「言うのが遅いんです!」


 レオノーラが肩を怒らせながら近付いてくる。他の騎士たちも警戒だけは解かないまま、その後ろへ集まってきた。

 セレンティナはそんな彼らを気にも留めず、引っ張り出した鎧へ視線を戻す。


「商隊の護衛にでも返り討ちにされたのかな。でも、こんなふうに身を隠すのは珍しい。骸憑の判断だったのか、骸導からの指示なのか……」


 鎧とすね当てを様々な角度から眺めながらぶつぶつと呟く。だが、残された物だけでは判断しきれなかったのだろう。しばらくすると興味を失ったように立ち上がり、それらを地面へ落とした。


「ねぇねぇ、この鎧に見覚えはある?」

「いえ……随分と古いもののようですね」

「そうだね。少なくとも五年は経っていると考えていいと思う」


 その言葉にレオノーラがぐっと息を詰めた。

 アルシェラから事情を聞かされているのだろう。五年前といえば、ジャルク王が消息を絶った時期と重なる。

 だがセレンティナはレオノーラの反応を気にした様子はなく、手にした小さなブローチを一瞥してから、今度はひと回り大きな小屋へ向かっていった。


 同じように瓦礫を探り、残された装備から標を回収する。

 それを繰り返すこと二回、セレンティナの掌には小さなブローチが五つ収まっていた。


「あ、そろそろ合流地点に行かないとね」

「……はい」


 レオノーラは一度だけ、荒れ果てた宿場を振り返った。それからセレンティナの先導に従って一行は移動を始める。

 空はすでに夕暮れの色へ染まりつつあった。西の地平だけが赤く燃え、その上には薄紫から藍色へと変わっていく空が広がっている。

 けれど地上に届く光は急速に弱まり、崩れた建物や岩が長い影を落としていた。

 遠くにあるものはまだ見えるが、近くの暗がりには何が潜んでいるのか分からない。

 昼でもなく、夜でもない。目が明るさに慣れきらず、僅かな物音や揺れる影が人の気配にも魔獣の姿にも見えてしまう。

 風も少しずつ冷たさを増してきたように感じ、古くから魔獣と遭遇しやすいとされる時間が静かに近付きつつある。


 人の消えた宿場を背に、セレンティナの純白のローブだけが薄暗くなり始めた景色の中で、妙にくっきりと浮かび上がっていた。


「あ、来たみたいだよ」


 セレンティナの細い指が北の上空を指差した。その先には薄闇に輪郭を滲ませた四つの飛竜の影がある。

 遠くにいるうちはどれも同じような大きさに見えていたが、こちらへ近付いてくるにつれてその違いがはっきりしてきた。


 先頭を飛んでいるのは、レナトスの相棒であるエリンだ。

 他の三頭よりひと回り以上大きな身体を持つエリンは広げた翼で風を捉え、ゆったりと羽ばたいている。一度翼を打つだけで大きく距離を稼ぎ、その飛び方にはどこか悠然とした余裕さえ感じられた。

 対して、アルシェラの相棒であるラミドと残る二頭は、エリンに遅れまいとせわしなく翼を動かしている。

 羽ばたく回数は明らかに多いというのに、それでもエリンは難なく先頭を保っていた。四頭の距離が縮まるほど、その体格差はますます際立って見える。


「さーてと、飛竜組が到着するまでの間に拠点《ベース》を作っちゃおっか」


 セレンティナはそう告げると、左の掌からぽわりと光の球を生み出した。


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