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「…………申し訳、ありません」
アルシェラが絞り出すような声で謝罪するまで、しばらく時間を要した。
けれど、この場には彼女を咎める者などいない。レナトスもエドガーもアンソニーも、ただ静かにその時間を受け入れていた。
「落ち着いた?」
「ええ……なんとか」
「魔力の流れも安定したし、大丈夫そうだね」
セレンティナはアルシェラの肩を軽く叩くとにっこりと微笑んだ。
この状況にはおおよそそぐわない明るさ。けれど今だけは、その普段と変わらない調子が重く沈んだ空気をほんの少しだけ和らげてくれたような気がした。
「つまり、ジャルク王は魔塔に保護されているのですか?」
アンソニーが硬い表情で問う。
敢えて「保護」という言葉を選んだのは、まだ前王の死を現実として受け止めきれていないレナトスとアルシェラに配慮したのか。それともアンソニー自身がこれから聞かされる事実を信じたくないのか。おそらく、その両方なのだろう。
だがセレンティナは、小さく首を横に振った。
「ううん。ラグゼノル街道を通る隊商が骸憑の襲撃を何回も受けてるっていうのを、レイフェルトの商団から聞いたんだ」
「あっ……その情報はこちらにも来ていたわ。何度か偵察隊を出したけれど、見つからなかったの」
アルシェラがすぐさま言葉を挟んだ。声にはまだ僅かな震えが残っている。
それでも黙っていれば父の死という言葉ばかりが頭の中を巡ってしまうのだろう。悲しみを押し込めるように背筋を伸ばし、懸命に話へ加わろうとしていた。
ラグゼノル街道は、グランヴィレア王国とレイフェルト王国を南北に結ぶ主要交易路である。
北に位置するグランヴィレアからは鉱石や金属製品が運ばれ、南のレイフェルトからは穀物をはじめとする農産物が大量に送り込まれる。
両国にとって重要な物流の大動脈であり、日々多くの商人や隊商が行き交う街道だった。
だからこそ、その周辺で魔獣による襲撃が相次いでいるとなれば看過できない。ましてや、現れたのが骸憑ともなればなおさらだ。
骸憑は闇属性を持つ魔獣の一種である。
自ら肉体を持つのではなく、生物の死体へ憑依し、その身体を操って襲いかかってくる。
人間であろうと動物であろうと魔獣であろうと、死体であれば依代にできる。そのため見た目だけでは、生前の姿を保った遺体が突然動き出したように錯覚してしまうのだ。
「うん。結構な大群だっていうのに神出鬼没だっていうのが気になってね。魔塔で調査することになったんだ」
セレンティナはそこで一度言葉を切った。
「その結果、どうやら骸導によって統制されている可能性が出てきたんだってさ」
「まさ……か!?」
エドガーが勢いよくソファーから立ち上がる。驚愕に彩られた顔からは血の気が引いていた。
だが、それ以上の言葉は続かなかった。膝から力が抜けたように、エドガーは再びソファーへと崩れ落ちる。
骸導は骸憑の中で、ごく稀に現れる特殊個体である。
通常の骸憑と同じように死体へ憑依し、その肉体を依代として動かすが、最大の違いは他の骸憑を従え、複数の個体を統率する能力を持つことだった。大群でありながら神出鬼没だった理由もそれなら説明がつく。
魔塔はジャルク王の所在を突き止めたと言った。
ジャルク王はすでに死んでいるとも言った。
その二つの事実が頭の中で結びついた瞬間、レナトスの全身からすっと血の気が引いていった。
アルシェラも同じところへ辿り着いたのだろう。先ほどまで無理に会話へ加わろうとしていた表情が凍りつき、唇がかすかに震えている。
アンソニーは眼鏡の奥で目を見開いたまま言葉を失い、エドガーに至っては膝の上へ落とした両手を固く握り締め、俯いたまま動かない。
誰も口にしない。いや、口にしたくない。
けれど誰もが同じ仮説を思い浮かべていた。
ジャルク王の亡骸が――骸導の依代になっているのだ。
そう考えた途端、父が死んでいたと知らされた時とはまた違う、凍りつくような衝撃が執務室を満たした。
「それで、陛下。早速ですけど会いに行ってみません?」
「…………今から、か?」
「はい。出没するのは陽が落ちた直後が多いので、今から向かえば間に合うかなーって思って」
随分と気軽な誘い方だが、セレンティナが告げた時間帯にはきちんと理由があるらしい。
夕暮れ時の街道では、旅人や隊商の警戒がどうしても薄くなりやすい。
完全に陽が落ちる前に少しでも先へ進もうと急ぐ者もいれば、そろそろ野営地を決めなければと周囲へ意識を散らす者もいる。
まだ僅かに明るさが残っているため、灯りを節約しようと松明やランタンを使わないことも多い。
昼ほど周囲を見渡すことはできず、かといって夜のように最初から警戒を強めてもいない。
襲撃する側にとっては、格好の時間帯なのだという。
「骸導は、そこまで考えて襲っているのですか……?」
「たぶんね。何度か襲撃された時間と場所を比べたけど、偶然にしては偏りすぎてたから」
アンソニーの低い呟きに、セレンティナは何でもないことのように答える。
骸導は骸憑を統率するだけではなく、獲物の行動を観察し、最も隙が生まれやすい時を選んで襲撃する。
そこまでの知能がある。
初めて知らされた事実に、その場にいる者たちの表情がさらに険しくなった。
だがセレンティナの言う通り、今から飛竜を使えば夕暮れ前にはラグゼノル街道へ着けるだろう。
レナトスは無意識に拳を握り締めた。
「正確な居場所を特定できるのか」
「はい。骸導の統制下にある骸憑の何体かに、追跡可能な標を付けてありますよ」
「…………そうか」
五年間、どれほど探しても手がかりすら見つからなかった父の居場所へ、今日にも辿り着けるという。
つい先ほどまでは、父が見つかったと聞けば一刻も早く会いたいと願っただろう。
だが今は違う。
そこにいるのは、帰りを待ち続けていた父ではない。
すでに死んでいるだけでなく、その亡骸が骸導に支配されている可能性が極めて高い。
会いたかったし、ずっと探していた。
それなのに、いざ対峙できると告げられると、足元が揺らぐような感覚に襲われる。
父の姿をした魔獣を前にして何を思うのだろう。
襲いかかってきたらレナトスはは槍を向けられるのか。
答えは出ていないものの、それでも行かなければならない。
ジャルクは父であると同時にグランヴィレアの先王だ。
その亡骸が魔獣に利用され、街道を行き交う人々を襲っているのなら、今の国王である自分が終わらせなくてはならない。
レナトスはゆっくりと息を吐いた。
胸の奥に渦巻くものを押し込め、顔を上げる。
「分かった。すぐに部隊を編成させよう」
「わ、私も行きます!」
ほとんど間を置かず、アルシェラが声を上げた。その顔には、先ほどまで押し殺していた悲しみと焦りが入り混じっていた。
「アルシェラ」
「お願いします、お兄様。私も行かせてください」
レナトスが制するために名を呼んでも退かなかった。
父がどのような姿になっているのか、何を目にすることになるのかわからないことは、アルシェラだって理解しているはずだ。
それでも、また自分だけが残されることには耐えられないのだろう。
五年前、父は「すぐに戻る」と笑って言ってから戦地へ向かい、そのまま帰らなかった。
今度こそ、その行く末を自分の目で確かめたい。そんな必死な思いが、強く握り締められた両手から伝わってくるようだった。
レナトスはしばらく妹を見つめてから軽く頷き、アンソニーへ部隊編成を通達するよう命じようとした――その矢先。
「あっ! それなら、三人で行きません?」




