3-2
「この件は後日、高位貴族を招いた場で公表する。それまでは口外しないよう、くれぐれも注意してほしい」
「はーい、承知しました」
情報の統制は政治の基本だ。ましてや今回は国王の婚約という、国内外へ大きな影響を及ぼしかねない情報である。
発表の順序を誤れば不要な憶測や混乱を招く恐れがあった。そんな意味も込め、エドガーは普段以上に重々しい口調で念を押した。
だというのに、返ってきたのはいつもと変わらない軽やかな返事である。
エドガーは黙ったまま、じっとセレンティナを見つめた。その眼差しには明らかに疑念が宿っている。
本当に分かっているのか、うっかり誰かに喋ったりはしないだろうな。
長年政治の中枢に身を置いてきた宰相の厳しい視線を正面から受けても、セレンティナはにこにこと笑ったまま。やがてエドガーが諦めたように小さく息を吐く。
これで対価は支払われた。
婚約契約書への署名も終わり、天秤の契約も成立した。
ようやく、ジャルク王の行方が明かされる。そう思った途端、執務室の空気が変わった。
アルシェラは膝の上で手を組み直し、エドガーの背筋もわずかに伸びる。レナトス自身も無意識のうちに深い呼吸を繰り返していた。
五年間、どれほど捜しても得られなかった父の消息――それを今から知ることになる。
胸にあるのは期待だけではなく、むしろ知ることへの恐怖の方が大きかった。
――見つかった。
その言葉が生きて見つかったという意味ではないことくらい分かっている。それでも、ほんの僅かな可能性に縋らずにはいられなかった。
張り詰めた空気を察したのか、セレンティナが満面の笑みを浮かべ、ぱちんと胸の前で両手を合わせた。
「それじゃ、ジャルク王の情報をお伝えしますけど……」
そこで言葉を切る。
銀紫の瞳が、まっすぐレナトスへ向けられた。他に聞かせたい者がいるのなら、今のうちに呼んでくれ――そういう意味なのだろう。
「エドガー、アンソニーも同席させた方がいいだろうか」
「そうですね。呼びましょう」
「私が行ってきます」
アルシェラが立ち上がり、足早に執務室を後にした。
扉が閉じられ、廊下を遠ざかっていく足音が完全に聞こえなくなったところでエドガーがおもむろに口を開いた。
「調律者殿」
「ん?」
「先王は……ジャルクは、生きているのか?」
前置きも遠回しな言葉もない、あまりにもまっすぐな問いにレナトスは小さく息を呑む。
おそらくエドガーはアルシェラを慮ったのだろう。セレンティナはエドガーから視線を外すと、その隣に座るレナトスを見た。
「まだ全員揃ってませんけど、答えていいですか?」
「……頼む」
期待は捨てきれていないが、それでもレナトスは覚悟していた。
エドガーも同じ心持ちなのだろう。
先王の盟友と息子。縁の深い二人が固唾を飲んで待つ中、セレンティナは緩く編んだ銀紫の髪をわずかに揺らした。
「生きていませんね」
「…………っ、そう、か……」
エドガーが掠れた声で辛うじて返す。
分かっていたはずだった。
なにせ五年も消息が途絶えている。率いていた軍は壊滅し、捜索を続けても手がかりひとつ見つからなかった。
誰の目から見ても生存を期待する方が難しい状況。それでも、僅かな希望を手放せずにいた。
どこかで生きているのではないか。大怪我を負って動けず、隠れているのではないか。
もしくは突然、何事もなかったように帰ってくるかもしれない。
そんな一縷の望みをずっと、捨てきれなかった。
だが今、魔塔が確認した事実としてはっきりと死を告げられた。レナトスの胸の中で、長いあいだ張り詰めていたものがぷつりと切れる。
隣ではエドガーが俯き、固く握った拳を膝の上に置いていた。
誰も言葉を発しない。
先ほどまで期待と緊張に満ちていた執務室には、息をするのが難しくなるほどの重苦しい空気が満ちていった。
「お待たせしました」
焦りを滲ませたノックのあと、アンソニーを伴ったアルシェラが執務室へ戻ってきた。
扉を開けた瞬間、王妹はわずかに足を止める。出て行った時とは明らかに空気が違っていた。
俯いたまま動かないエドガーといつも以上に硬い表情をした兄。そして、普段と変わった様子のない調律者。
アルシェラは戸惑ったように三人の顔を見回した。
だが、誰も口を開かない。その沈黙だけで何かを悟ったのか、きゅっと唇を引き結んでから元いた位置へと腰を下ろした。
「アルシェラ」
「……はい」
レナトスが低い声で妹の名を呼ぶ。返ってきた声はかすかに震えていた。
一瞬だけ、席を外すよう命じるべきかと考える。
これから聞かせる言葉が妹をどれほど傷付けるのか分かっている。
だが、アルシェラはもう幼い少女ではない。それに、父のことを知らないままにしておくことなどできない。
レナトスは短く息を吸い、ゆっくりと口を開いた。
「父上は、亡くなっているそうだ」
アルシェラは何も言わず、大きく目を瞠る。その瞳が揺れ、次の瞬間には右手が口元を覆った。声が漏れるのを押し留めたのか。それとも胸の奥から込み上げてきた何かを必死に飲み込もうとしたのか。
やがて目を固く閉じてから細い肩を大きく上下させる。ゆっくりと呼吸を繰り返し、今聞いたばかりの言葉をどうにか受け止めようとしているようだった。
アンソニーも何も言わない。その父であるエドガーは俯いたまま、ただ静かに拳を握っている。
そんな中、セレンティナだけがアルシェラをじっと見つめていた。
慰めの言葉を掛ける素振りもなく、銀紫の瞳をわずかに細め、呼吸の乱れや震える指先、懸命に感情を押し殺そうとする様を一つ一つ、確かめるように眺めている。
まるで、人が大切な者の死を告げられた時にどのような反応をするのかを観察しているようだった。




