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はてさて、提案の行方はいかに!?
※章タイトル
セレンティナがグランヴィレア国王の執務室を訪れたのは、契約の提案をした日から一週間後のことだった。
「セレン、こちらに座って」
「はいはーい」
ソファーに座るアルシェラから呼ばれ、セレンティナは軽やかな足取りで進むと隣にぽすんと腰を下ろした。
向かいにはレナトスと、宰相であるエドガー・ディラックが座っており、二人とも真剣な表情をしていた。
執務室に漂う重苦しい空気などまるで感じていないのか、セレンティナだけがいつもと変わらない様子で卓上を覗き込む。
そこには数枚の羊皮紙と、赤い封蝋のための道具が用意されていた。
「これが婚約契約書だ」
レナトスが一番上の羊皮紙をセレンティナの前へ滑らせる。
この一週間でエドガーとアンソニーを中心に文面を整え、何度も確認を重ねたものだった。
記されている内容はレナトスとセレンティナの婚約に関する諸々の取り決め。婚約者として必要な権利と責務の詳細。
そして、この契約書は天秤の契約が成立した時点をもって効力を持つという一文である。
半年後に必ず婚約を解消することについては一切触れられていない。
それは天秤の契約によってのみ保証される秘密だった。
「内容は確認したか」
「昨日送っていただいたものと同じですよね?」
「ああ」
「それなら大丈夫でーす」
セレンティナはあっさり答えると用意されていたペンを手に取り、迷うことなく署名欄へ名前を書いていく。
流れるような文字で書かれた己の署名をたしかめてからペンを卓上へと戻した。
次はレナトスが署名する番だ。
普段なら国政に関わる重要書類へ名を記す手が止まることなどない。
だが今回は、ほんの一瞬だけペン先が宙に留まった。
これを書けば、セレンティナは自分の婚約者になる。
たとえ半年だけだとしても、その事実には変わりない。
わずかな躊躇を押し込めるように、レナトスは一息に署名した。
「では私達も署名いたしましょう」
エドガーが静かに告げる。
婚約を証明する立会人として、王妹であるアルシェラと宰相であるエドガーがそれぞれ名を記した。
最後にレナトスが王家の印章を手に取る。温められた赤い蝋を落とし、グランヴィレア王家の紋章を刻んだ印章をゆっくりと押し付けた。
蝋が固まり、鮮明な紋章が浮かび上がる。
これで婚約契約書そのものは整った。
だが、まだ効力はない。四人の視線が自然とセレンティナへ集まった。
「さてさて、私の出番ですね」
セレンティナが左手を前に差し出す。掌の上に銀紫の光が集まり、小さな天秤が姿を現した。
左右の皿はすでに光を帯びている。
一方にはジャルク王の所在に関する情報。
もう一方には、半年間レナトスの婚約者となること。
二つの光は微かに揺れながらも、天秤そのものは寸分違わず水平を保っていた。
「もう一度確認しますね」
いつもの軽い調子が少しだけ薄れる。セレンティナは天秤へ視線を落とし、契約内容を読み上げた。
「ジャルク王の所在と、それに関する情報をグランヴィレア国王へ提供します。その対価として半年間、私はグランヴィレア国王の婚約者の地位を得る」
そこで一度言葉を切る。
「契約成立から半年が経過した時点で婚約は必ず解消する。期間の延長、あるいは一方的な婚約継続は認めない。これで間違いありませんか?」
「ああ。間違いない」
真剣さを通り越し、険しい顔でレナトスは短く答えた。
「では、契約しますか?」
「契約する」
その言葉が落ちた瞬間、天秤が眩い光を放った。左右の皿に載っていた光が同時に弾け、無数の粒となる。
そしてほどなくして、一枚の紙が婚約契約書の隣に舞い降りてきた。
ここから先の手順はわかっている。レナトスは血に含まれる魔力を使って署名した。
「はい! これで契約成立ですよー」
セレンティナがにっこりと笑う。それと同時に、卓上に置かれていた天秤の契約書が音もなく静かに姿を消した。
これで正式にレナトスとセレンティナの婚約が成立した。アルシェラはほっと息を吐き、エドガーも静かに頷いて緊張を解そうとする。
対して当事者であるセレンティナは、早くも別のものへと興味を移していた。
「それはなんですか?」
卓上に置かれた平たい正方形の箱を見つめながらこてんと首を傾げる。レナトスが蓋を開けると中には銀色の腕輪が収められていた。
華美な宝石などは使われていないが、中央にはグランヴィレア王家の紋章が精緻に刻まれている。
「王家の婚約者であることを示す腕輪だ。契約している間は預けておく」
「なるほど。お預かりしまーす」
セレンティナは腕輪を両手で持ち上げると角度を変えながらじっくり眺める。貴重な品に心を奪われているというより、魔道具でも観察しているような目だった。
やがて何かを考えるように首を傾げる。
「これ、重いし邪魔なので着けるのは公式の場だけでいいですか?」
「セレン……!」
婚約成立直後に王家の婚約者の証を邪魔扱いするとは誰が予想できただろう。アルシェラが思わず声を上げ、さすがのエドガーもぴくりと眉を動かした。
レナトスはしばらく無言でセレンティナを見つめる。本人は失礼なことを言った自覚すらないらしく、返事を待ちながら大きな銀紫の瞳を瞬かせていた。
「……構わない」
「ありがとうございます!」
「ただし公式行事や謁見など、婚約者として出席する場では必ず身につけてくれ」
「はーい、承知しました」
許可を得るなりセレンティナの顔がぱっと明るくなる。そして腕輪を一度だけ自分の手首へ当てて大きさを確認すると、左手を軽く振った。
次の瞬間、王家の紋章が刻まれた腕輪は跡形もなく消える。
「大事に仕舞っておきますね」
「…………そうか」
自信満々な様子で報告するセレンティナに、レナトスはそれだけを返した。




