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翌朝、国王の執務室に集められた面々はセレンティナから持ち掛けられた天秤の契約の内容を聞き、一様に言葉を失った。
「対価は……陛下の婚約者の座、ですか」
宰相補であるアンソニーはそう呟いたきり黙り込んだ。口元に手を当て、軽く俯いたまま思案に沈んでいる。
おそらく彼の頭の中は今、凄まじい勢いで回転しているのだろう。
ジャルク王の居場所を知ることができる。それだけではなく、契約期間中は調律者セレンティナ・ロシュフォードの能力をグランヴィレアのために使えるようになる。
その計り知れない利益と、国王の婚約によって国内外に巻き起こるであろう騒ぎ。双方を頭の中の天秤へ載せ、どちらに傾くのかを必死に計算しているに違いない。
「半年だけなんだろ? 俺はいいと思うけどな」
騎士団長であるガレスは腕を組みながらあっさりと言い放った。
まだ計算の途中だったらしいアンソニーがゆっくりと顔を上げる。あまりにも軽い口調が気に障ったのか、眼鏡の奥の目がすうっと細められた。
「あの、もし婚約するとしたら……アウレシェルムの許可は必要なのですか?」
王妹であるアルシェラが真剣な顔で問う。
父の居場所を突き止められるのであれば、彼女も多少の代償は厭わないだろう。それでも真っ先に気にしたのは、この契約を結ぶ上で最大の障害になりかねない神殿の存在だった。
聖女の伴侶に選ばれたからといって、生涯独身でいる必要はない。
伴侶とはあくまで聖女を支える役目であり、婚姻そのものを禁じられているわけではなかった。 グランヴィレア王家の慣例に則り、レナトスも二十歳を迎えた頃から王妃候補の選定を始めるはずだった。だが、ちょうどその頃に父であるジャルク王が突如として消息を絶った。
国王不在による混乱を収め、揺らいだ国内を安定させるだけで精一杯だったレナトスに、自らの結婚相手を選んでいる余裕などなかった。
そのまま年月が過ぎ、婚約者すら立てないまま現在に至っている。
「婚約のみであれば、神殿は関与しない」
「そうですか。ですが、心証が悪くなるのは避けられませんね……」
アルシェラの表情が曇る。
それこそが、今回の契約における最も大きな懸念点だった。
聖女の伴侶であるグランヴィレア国王が、よりにもよって神殿が毛嫌いしている調律者を婚約者に据えるなど、神殿が快く受け入れるはずがない。
それどころか、ヘデル教の信仰が厚く聖女を崇拝している者たちからも、激しい反発を受ける可能性がある。
もっとも、本来神殿は政治に不介入である。
国王が誰を婚約者に選ぶかはグランヴィレア王国の内政であり、神殿に口を挟まれる筋合いはないと突っぱねることも可能だった。
執務室に重い沈黙が落ちた。
誰もすぐには口を開こうとしない。
レナトスは執務机の上で両手を組み、じっと指先を見つめていた。
父の居場所を知りたい――その思いに迷いはない。
五年間探し続けても見つからなかった父を取り戻せる可能性があるのなら、多少の代償など惜しくはなかった。
だが、自分は一人の息子である前にグランヴィレアの国王だ。
調律者を婚約者に据えることで国内にどのような波紋が広がるのか。神殿との関係はどう変化するのか。
他国はそれをグランヴィレアと魔塔が急速に接近した証と受け取るかもしれない。
アンソニーもまた、難しい顔で黙り込んでいる。
父を慕う気持ちは彼も同じだろう。エドガーはジャルクと長く国を支えてきた盟友であり、先王の帰還を誰より待ち望んでいる一人でもある。
だが宰相補という立場にいる以上、感情だけで賛成することはできない。
調律者が国王の婚約者になれば得られるものはあまりにも大きい。そして同時に、その存在が半年後に確実に王家から離れると分かっているからこそ、国内の貴族をどう納得させるかという問題も生じる。
契約期間中に得られる利益と神殿との軋轢、そして他国への影響と半年後の婚約破棄によって起こるであろう騒動。
そのすべてを頭の中で並べ、ひとつずつ検討しているのだろう。
アルシェラは膝の上で両手を固く組み、きゅっと唇を引き結んでいる。
父に会いたいという思いを隠すことはできない。
幼い頃に突然いなくなった父が見つかったのだ。すぐにでもセレンティナの提案を受け入れてほしいと願う気持ちはあった。
けれど、その対価を払うのは兄であり、国である。
自分が「父を助けたいから」と迫れば、レナトスに国王としてではなく兄としての決断を強いることになるかもしれない。
それだけはしたくない、すべきではないと、ただひたすら俯いている。
それぞれが答えを出せないまま、しばらくの時間だけが過ぎていった。
「悪いが、エドガーにも伝えてもらえるか」
「承知いたしました。すぐに使いを出します」
アンソニーは短く答えると、書簡を作成するため一礼して執務室を出ていった。
その背が扉の向こうへ消えるのを見届けてから、レナトスはガレスとアルシェラへ視線を向ける。
「朝早くから呼び出してすまなかったな」
「それは構わねえけど」
ガレスは腕を組んだままレナトスを見据えた。
「結局、どうするつもりだ?」
「そうだな……」
レナトスはすぐには答えず、窓の外へ視線を移した。
眼下に広がる王城の訓練場では、件のセレンティナが魔術師団の有志を集め、楽しそうに魔術の訓練をしていた。
ということで、3章に続きます。
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