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聞き間違いかと思った。
だが、その名を聞き間違えるはずがないと、レナトスはすぐさま否定した。
グランヴィレア王国の前国王であり、レナトスとアルシェラの父は五年前、ミング皇国との国境付近に瘴門が発生した際、ジャルク王は自ら軍を率いてその対処へ赴いた。
戦いは苛烈を極め、討伐へ向かった軍は壊滅に近い損害を受けた。辛うじて生き残った者達はまともな証言を残せる状態ではなかったという。
そしてその混乱の中でジャルク王は消息を断った。
父が向かったガルトラン平原は「平原」とは名ばかりの荒れ地だ。
幾度もの魔獣討伐によって草は焼き尽くされ、地表は抉られ、今では乾いた土と砕けた岩だけがどこまでも続いている。
見通しという点では優れている場所だということもあり、これまで幾度となく捜索隊を派遣してきた。
それでも今に至るまで先王ジャルクの行方は分からずじまいだった。遺体はおろか武器や防具の一部といった決定的な手がかりも見つかっていない。
やがて、ミング皇国に誘拐されたのではないかという噂まで立つ始末だった。
五年の歳月が経ち、そろそろ捜索を断念すべきではないかという意見が議会から時折上がるようになってきた。
そんな矢先の報告を運命と喜ぶべきなのか。それとも、何かしらの思惑が絡んだ出来事として警戒すべきなのか、レナトスには判断がつかなかった。
「情報が間違いないという証拠はあるのか」
「もちろんです。詳細は教えられませんけど、複数の調律者と魔塔主様が確認した結果、本人だという結論に至りました」
セレンティナは自信たっぷりに答えた。詳細を教えられないのは、その根拠自体が消息や現在の状況に関わる手がかりになるからだろう。
普段は思い付きで動いているように見えるセレンティナだが、調律者としての抜け目のなさもきちんと持ち合わせているらしい。
このまま質問を重ねても核心に触れる部分ははぐらかされるだろう。相手が相手だけに実力行使で所在を聞き出すことも不可能。
そうなると、彼女の提案通りに天秤の契約を結ぶのがもっとも妥当で確実な方法になる。
結局のところ、セレンティナの提案を受け入れるしかない。
だが、これほど重要な情報の対価が、どれほどのものになるのか、まるで想像がつかなかった。
それでも、アンソニーの父であるエドガーを筆頭に、ジャルクの帰還を心待ちにしている者は今もいる。
そしてなにより、レナトス自身が望んでいた。
――どんな代償を払ってでも、父を取り戻したい。
その気持ちだけは消しようがないほど強いものの焦りは禁物。レナトスは静かに深呼吸をしてから目の前に佇む人離れした美貌を見据えた。
「続けてくれ」
提案に応じる気があると伝わったのか、セレンティナはさらに笑みを深めた。話の内容が聞こえていなければ思わず見惚れてしまうような笑顔だった。
だが状況が状況だけに、レナトスの心が動かされることはなかった。
「この契約の対価は変更できません」
「なぜだ」
「天秤がそう判断しました」
セレンティナが差し伸べた左手に見覚えのある天秤が姿を現す。すでに左右の皿には光り輝くものが載せられており、見事な均衡を保っていた。
調律者の持つ天秤の仕組みは詳しく明かされていない。それでも彼らがこれまで様々な依頼をこなしながら、大陸に大きな混乱を起こしていないことは事実だった。
少なくとも彼らは彼らなりの理に従って、正しく調律しているのだろう。
「ジャルク王の行方を教える代わりに、なにを望む?」
「陛下には今、婚約者はいらっしゃいませんよね?」
「……ああ」
「だから半年だけ、その立場を私にください」
あまりにもさらりと、天気の話でもするような気軽さで、セレンティナはとんでもない要求を口にした。
言葉の意味は理解できている。だが脳が、それを現実のものとして処理することを拒んでいた。
半年だけ婚約者の立場を、調律者であるセレンティナ・ロシュフォードに与える。そんな要求をされるなど、誰が想像できるだろうか。
ややあってからレナトスは大袈裟なほど深い溜息を吐き、セレンティナをじろりと睨みつける。
「そんな要求、受け入れられるはずがないだろう」
「どうしてですか?」
セレンティナは心外だと言わんばかりに目を丸くする。
拒否するなんて信じられない。むしろ、これほど分かりやすく損のない提案をなぜ断るのかと言いたげな顔である。小さく首を傾げた拍子に銀紫の髪がふわりと揺れた。
「今は誰とも婚約していないんだから、半年くらい私がその席に座ったっていいじゃないですか。必ず婚約破棄すると契約条項にもきちんと盛り込みます」
つまり、セレンティナは王妃になるつもりはない。半年だけ婚約者という立場を得て、契約満了と同時に破棄する。
言葉にすれば簡単だが、それに一体どんな意味があるのか。
レナトスには彼女の真意が測りかねた。
「だが……」
「陛下の婚約者になったら、私の能力が使い放題になるんですよ?」
セレンティナは、まるで極上の商品を勧める商人のように微笑んだ。
レナトスの婚約者になる。それはすなわち、グランヴィレアを統べる者の未来の妻としての責務を負い、国のためにその身を捧げる立場に就くということだ。
調律者セレンティナ・ロシュフォードが持つ強力かつ豊富な能力がグランヴィレアのために行使される。
それは間違いなく、あまりにも魅力的な提案。だが同時に危険すぎる提案でもあった。
調律者を国王の婚約者として迎える。それが国内だけでなく、神殿や五大国にどれほどの波紋を広げるのか。考えるだけで頭が痛くなる。
それでもジャルク王の行方という餌はあまりにも大きい。
父を取り戻せるかもしれない。
その可能性を前にして、即座に切り捨てることもできなかった。
「……何を、企んでいる」
セレンティナは何も答えず、ただ無邪気に微笑むだけだった。
ある意味逆プロポーズ回でした。
2章はあと1話で終了いたしますが、当然ながらまだまだ続きます!




