2-24
聖女は大陸で唯一神聖魔術を扱える存在だ。普通の聖魔術では癒やせない重い病や怪我すら治療できる彼女は、救いの女神にも等しいものとして崇められている。
どれほど望んでも普通は目通りすら叶わない。文字通り手の届かない存在だった。
そんな聖女ユリアーナから望まれて言葉を交わす機会を得たなら、大抵の者は一も二もなく了承するだろう。
セレンティナはヘデル教の信徒ではない。
それでも聖女を見るために、わざわざ第二親衛隊の運搬係を申し出たほどだ。きっと喜ぶはずだとアルシェラは思っていた。
だが、その予想を見事に覆してくるのが調律者なのだ。
「遠慮する」
「えっ? でもそれは、聖女様が望んでいらっしゃるのだから契約違反にはならないでしょ?」
「うーん。もう用事は済んじゃったしなぁ……」
セレンティナはどこか面倒くさそうに呟いた。
つい先ほどまで聖女を食い入るように見つめ、たしかめたいことがあると言っていたはずなのに、今はもうすっかり興味を失っているように見える。
そのあまりの落差にアルシェラは言葉を失った。
隣では、お守り担当のケヴィンが信じられないと言わんばかりに目を剥いている。彼にとって聖女は気軽に面会を断ってよい相手ではないのだろう。
レオノーラもまた額に手を当てて盛大な溜息を吐いた。
調律者の常識外れには慣れたつもりでいたが、さすがにこれは見過ごせない。そんな焦りがその表情にははっきりと浮かんでいた。
「というか、どうして私に会いたいの? 姿は見られていないはずなのに」
「それは……その、陛下がお伝えしたそうよ」
「ええー!? なんで言っちゃうかなぁ」
セレンティナは不満そうに呟くと、ぷうっと頬を膨らませた。
五大国の国王に文句を言うなど本来なら言語道断である。だが状況が状況だけに、アルシェラは注意できなかった。
聖女からの面会希望は、一応「依頼」の形を取っているが、実際には限りなく命令に近い。ここで断れば神殿の心証を悪くするかもしれない。
しかもグランヴィレアの地で聖女誘拐未遂が起きた直後で、助けたのはセレンティナ。
神殿側からすれば正体不明の調律者が聖女の危機に介入したこと自体、警戒すべき材料にもなり得る。
会えば感謝で済むかもしれない。
会わなければ、不信を招くかもしれない。
そう考えると、アルシェラの胸の内にじわじわと焦りが広がっていった。
「セレン。ほんの少しだけでいいから……ね?」
それは懇願に近い説得だった。
アルシェラはできるだけ柔らかく声をかけたつもりだが、自分でも余裕がないことは分かっている。
ケヴィンは祈るような顔で隣にいる調律者を見つめ、レオノーラはいつでも加勢できるように一歩前へ出ていた。
三人分の圧力を受けてもセレンティナはすぐには頷かなかった。
ただ渋い顔をして、岩陰に差し込む光を見上げている。
まるで、聖女に会うことそのものより、その後に起きる面倒ごとをすでに数えているかのようだった。
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「お連れしました」
天幕の外で警備にあたっていた聖騎士の報告に、横たわっていたユリアーナが簡易寝台からゆっくりと起き上がった。
手をつき、ようやくといった様子で身を起こそうとする。すぐ傍にいたレナトスが無言で背中に手を添え、その動きを助けた。
「失礼いたします」
出入口に掛けられた布が揺れ、アルシェラが天幕の中へ入ってくる。王妹らしく礼を失わぬ所作ではあったが、その顔にはわずかな緊張と困惑が滲んでいた。
「アルシェラ、調律者は……」
「ここでーす」
のんびりとした声がアルシェラの背後から響いた。
ひょこりと小さな顔が覗く。
セレンティナは目を丸くしているユリアーナに向かって、ひらひらと軽く手を振った。
「貴様、どれだけ聖女様を待たせるんだ!!」
ウィルフォードが苛立ちを隠さず怒鳴りつけた。
あまりの剣幕にアルシェラですら小さく肩を跳ねさせる。だがセレンティナはどこ吹く風。銀紫の瞳をくるりと動かし、心底不思議そうにウィルフォードを見る。
「だって、本当は聖女に会わないっていう契約をしてるんだもん」
「それがどうした!?」
「契約を変えてまで来てあげたのにいきなり怒鳴られる意味が分からないんだけど」
「聖女様がお待ちなのだぞ!」
「うん。だから来てあげたんだよ。優しいでしょ?」
セレンティナはにこにこしたまま答えた。
けれどその笑顔はいつもの無邪気なものとは少し違っていた。柔らかいのにどこか冷たい。
この調律者は基本的に陽気で軽い。けれど理不尽に怒鳴られてまで相手に合わせてくれるほど従順ではないのだ。
「しかも、わざわざ来てあげたのに怒られるとか、ほんと意味不明。ねぇアルシェラ、もういいでしょ?」
「セ、セレン!」
アルシェラの制止もむなしく、セレンティナはくるりと回れ右をした。
純白のローブの裾と銀紫の髪がふわりと揺れる。軽やかな動きだったがその背中からは一刻も早くここから出ていきたいという意思がはっきり伝わってきた。
レナトスはユリアーナの傍にいた。
だがセレンティナは、そこにグランヴィレア国王がいることなど最初から存在しないかのように、一度も視線を向けなかった。
「あの……本当に、ありがとう」
天幕を出ていく寸前、掠れた声がセレンティナを呼び止める。
弱々しい感謝の言葉に、調律者は肩越しに振り返ると不思議そうな顔でこてんと首を傾げた。
「別に貴女のために手助けしたんじゃないよ?」
「……え? で、も」
「私はただ、ヴィルナタール鉱山で騒ぎが起きてほしくなかっただけ。だからお礼なんか要らないってば」
聖女の感謝の言葉を「なんか」と言われ、ユリアーナは呆気に取られたように瞬きをした。
ウィルフォードも一瞬言葉を失う。
しかし次の瞬間、その顔がみるみるうちに赤く染まっていった。
「聖女様の感謝を無下にするとは、なんという無礼な! これだから調律者は……!」
「そうそう。貴方さ」
侮辱されているというのに、セレンティナは腹を立てることなく見事なほどさらりと受け流した。
それどころか思い出したようにウィルフォードへ視線を向ける。
「乱戦が苦手でしょ」
「なっ……」
図星だったのか、ウィルフォードがぐっと言葉を詰まらせた。
「真っ当に戦ってばかりいると、護れるものも護れなくなるよ」
「き、騎士道を侮辱するのか!?」
「ほら、そういうところ」
セレンティナは軽く肩を竦めた。その顔にはもうこれ以上ここにいる気はないと書いてある。
「それじゃアルシェラ、お腹空いたしそろそろ帰ろっか」
「ま、待って。セレン……!」
アルシェラが慌てて呼び止めようとする。
だがセレンティナは返事の代わりに片手をひらひらと振るだけだった。これ以上は付き合わない。そう言わんばかりの足取りで迷いなく天幕の出入口へ向かっていく。
外から差し込む光に純白のローブが滲み、銀紫の髪が一瞬だけ眩しく揺れる。
セレンティナは誰の許しを待つこともなく天幕の外へ出ていった。
ウィルフォードは強火聖女担です




