2-23
小瓶の中身は随分と心許なくなり、あとひと降りすれば空になる量しか残っていない。
数ではまだ有利だった。だがウィルフォードが胸元から緊急信号を上げる魔道具を取り出したのを見て、撤収すると決めたらしい。
一人の男が手を振って合図すると、三人は一斉に岩壁へ向かって駆け出した。
「待て…………っ!」
このまま逃がすわけにはいかないとレナトスは反射的に追おうとした。
だが一歩踏み出したところで、背後にいるユリアーナの気配を意識する。彼女の安全確保が何よりも優先だ。ここで離れれば万が一、伏兵がいた場合に守れない。
そう思い直し、追う足取りを緩めた。
忸怩たる思いで小さく息をいた横を「何か」が追い抜いていく。
次の瞬間――岩場を吹き抜けた突風が逃げようとしていた男達に襲い掛かった。
「ぐあっ!」
「がっ……!」
短い呻き声と共に三人の身体が岩壁へめり込むようにぶつかる。
背を強かに打ちつけた男達はそのままずるずるとずり下がっていくが、地面へ落ちるより早く、岩肌に白い霜が走った。
ぱきり、と澄んだ音が響き渡る。
鎹のようにコの字型をした氷が男達の手首を岩へ縫い止めていく。続いて前腕、上腕、さらに首の動きを押さえるように同じ形の氷が次々と岩肌へ打ち込まれていった。
まるで巨大な針で身体を岩壁に留めつけられたようだった。
首を押さえる氷は喉を潰さぬギリギリの位置にある。動けば喰い込み、暴れれば自らを傷つける。だが命を奪うためのものではない。
あまりにも鮮やかな捕獲劇にレナトスは一瞬呆気に取られた。
こちらが動く隙も敵が抵抗する余地もない、明らかに魔術を使い慣れた者の仕業だろう。
今この場でこんな真似ができるのは一人しか思いつかない。レナトスが素早く周囲を見回すと、岩壁が高くせり出している場所の陰に白いものがほんの少しだけ覗いていた。
見覚えのある純白のローブと、その上で銀紫の髪が揺れている。
だが、それが見えたのはほんの一瞬。レナトスが視線を向けた時には陽炎のように輪郭が滲み、次の瞬間には跡形もなく掻き消えていた。
あの色合いを持っているのはセレンティナに違いないが、行動の意味が理解できない。
彼女が聖女誘拐を阻止する理由はないはず。しかも、突発的に起こった事件なので契約も結べていないはずだ。
少なくともレナトスは助力を求めていない。
――なぜ助けた?
困惑が胸の内に残るが、今は考えている場合ではない。
レナトスは剣を構えたまま、岩壁に縫い止められた襲撃者達の方へ、ゆっくりと歩き出した。
**********
「セレンティナ……!」
慰霊祭は無事に終了した。
とはいえ、会場はまだ落ち着いていない。
慰霊碑の傍に佇む遺族や帰路を急ぐ参列者、そして案内に走る文官。おまけに警備の配置を確認する騎士たち。
人々はそれぞれの役目や思いを抱えたまま、広場のあちこちを行き交っていた。
そのどさくさに紛れるようにして、アルシェラは会場の隅にある岩陰へ慌てた様子でやってきた。
「さっきのことだけど……」
「うん。びっくりさせちゃってごめんね?」
「たしかに驚いたわ……じゃなくて!」
のんびりした様子のセレンティナに危うくペースを持っていかれそうになる。
アルシェラが訊きたいのは、驚いたかどうかではない。深く息を吸い、真剣な表情でセレンティナの前に身を屈める。
「あれは一体、なんの魔術なの?」
レオノーラから伝言を聞き、アルシェラはセレンティナが身を隠している岩陰へ意識を向けた。
そこからちらりと覗いた銀紫の瞳と目が合った瞬間、頭の中に声が響いてきたのだ。
『聖女が狙われてるみたいだから、助けに行ってきていい? OKなら右手で髪を耳に掛けて』
あの時、声を上げなかったのは、王族として受けた教育の賜物だろう。
驚きで鼓動が激しく跳ねるのを感じながらも、アルシェラは言われた通りに了承の仕草をした。
「ああ、あれは【念話】だよ。慣れていないと気持ち悪いよね」
「あれが……」
【念話】は時空魔術の一種で、声を出さずに言葉を相手へ届けることができる。非常に高度な技術が必要で、未だに魔道具としての実用化はできていないほどだ。
しかも距離が離れれば離れるほど難易度は格段に上がるという。それをセレンティナは、まるで隣にいる相手へ囁くように使ってみせた。
改めて思い返すと、常識からあまりにもかけ離れた芸当がそら恐ろしく感じてしまう。
「どうして、あの方が狙われると気付いたの?」
「んー、【隠遁】を使っている気配が複数あったんだよね。だから、これは狙われてるぞって思ったんだよ」
混乱を避けるため、慰霊祭の参加者には聖女誘拐未遂について知らされていない。だがアルシェラは、天幕で待機していた聖騎士から事の次第について報告を受けていた。
たしかに襲撃者たちは【隠遁】の効果を持つマントを纏い、聖女を襲ったと聞いている。
セレンティナの言葉に矛盾はなかった。だが、この会場から襲撃現場までは声が届かないほど離れている。
そこに隠された魔術の気配だけで、複数の敵の存在と聖女が狙われている状況を察したのだ。
にわかに信じがたい芸当だが、それをやってのけたのがセレンティナだと言われると納得してしまう。
「まずは助けてくれてありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
セレンティナはいつもの調子でにこりと笑った。
とにもかくにも感謝しなくてはならない。グランヴィレアの地で聖女が誘拐などされていたら、大陸中からどれほど非難を浴びることになったか、想像するだけでぞっとする。
しかも今は、慰霊祭の直後だ。
遺族の悲しみを慰めるはずの場が聖女誘拐の現場になっていたかもしれない。その事実を思うと、アルシェラの心臓が恐怖で縮みあがってしまった。
なぜ契約をしていないというのに対立関係にある聖女を助けたのか。他にも訊きたいことはいくつもある。
けれど今は、それよりも優先して伝えなくてはならないことがあった。
「実は……ユリアーナ様がセレンに会いたいと言っているの」
次回、いよいよ聖女様と対面です!




